最終話 望んでいたのは
仁は歌を口ずさんでいた。それはYukiyamaの〈歌ってみた〉動画のあの曲だ。この数ヶ月間、生気に満ち溢れていると仁は感じていた。これが幸せかと思いながら、彼は家を出る準備をした。
「夜が明ける……」
朝になった。
両親に置き手紙をして、彼は家を出た。もう外は彼にとって怖い場所ではなくなっていた。
「おはようございます」
道行く街の人に声をかけられた。仁は挨拶を返した。
「おはようございます。涼しい朝ですね」
もはや声の出し方も思い出し、普通の会話ができる様になっていた。どこからどうみても、自然なワンシーンだ。
暁は徐々に、青く澄んだ空に変わっていく。
それに合わせて、彼は歩く足を少し早めた。
彼は久々に登校しようというのだ。
チラホラ見えてくる学生服の人々に少し恐怖心を抱いた。
だから彼は精神安定剤として耳にイヤフォンを挿した。
もちろん、流すのは彼女の歌ってみた動画だ。何度も口ずさみ、歌詞も覚えた曲だ。
何気に学校に来るのは、入学式以来だ。勇気を出して登校を決意できたのは、ある日のYukiyamaとの電話がキッカケだった。
引きこもりで話題など持ち合わせていない仁に、彼女は呆れながら言った。
「わたしとの会話のネタにするために学校へ行ってみて。授業とか進路とかそんなんどーでもいいから、部活とか友達とどこいったとか、そういうこと話して欲しいな」
この言葉は授業についていけないことにプレッシャーを感じていた仁の肩の荷を下ろした。ただ無責任に、学校へ行くだけでいいのだと、思わせてくれた。
下校する頃には頭は真っ白で、特に何も覚えていないかった。Yukiyamaとの電話時と同じくらい、緊張していたようだ。
その日のご飯は、美味しかった。疲れたからか、達成感のせいかは分からない。
夜になり、彼はYukiyamaと電話を始めた。
いつも通り通話をし、いつも通り次の収録の話をする。その中で彼は言った。
「ありがとう由貴さん」
沈黙が訪れる。
気まづい。
きっと主語を言わなかったせいだろうが、何に感謝してるなんて、挙げればキリがない。
とは言え、次の言葉が見つからず困った。
「こちらこそだよ」
仁は困惑した。また沈黙が訪れてしまった。
主語がないとこうも理解に苦しむのかと実感した。だが時間が経つと、不思議と頭からはてなマークが消え失せた。
こういう会話なのだ。これで成立するほどの友情が、二人の間には芽生えていた。
この関係を壊したくないと思った仁は、満足することにした。進展を望み余計なことを言ってしまう前に、通話を終えようとした。
通話の終わり際、仁の口から言葉が漏れた。
「望んでいたのは……」
もっと親密になりたい。でも付き合うなんて夢のまた夢。
そんな思いから、頭の中で口ずさんでいたあの失恋ソングの歌詞が、声に出てしまった。
「砂時計止まれ♪」
Yukiyamaは気づき、続きを歌った。そして「また話そ仁くん! おやすみ」と言って、通話を切った。
仁は微笑み、スマホの画面を閉じた。
「時間よ止まれか……確かに今のままでも幸せかも」
そう言って仁は眠った。明日も彼女との話題を作る為、学校へ行くのだと誓いながら。
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