7 怖い人のふりをする練習
いろいろなことを学ばなければならない。
当主としての知識、作法など。
領土をお金持ちにするための経営方法。
そして何より、悪魔へとなる方法を。
その方法を現在実践中だった。
「本当に、効果あるんですの? これ」
私はジト目でマッテオを見た。
今私たちはお父様の仕事場である書斎にいる。
「もちろんです。私を信じてください」
彼は自信満々といった様子でうなずいてみせた。
私としてももちろん彼を疑ってなどはいない。
マッテオ・ディヴィッツィ。
それは悪役令嬢アデライード・ラヴァルの懐刀である。
確か設定は――。
元闇ギルド『夜の使者』のナンバーツー。
彼を慕うものはとても多かったらしい。
そんなマッテオを恐れた闇ギルドのトップに疑われて、罠にハメられてしまう。
マッテオは罠を食い破ったものの、瀕死の重傷を負わされた彼は命からがら、ラヴァル家の当主、つまりお父様に助けられる。
それ以来彼はラヴァル家の忠実な使用人になり、能力を認められ執事になり、その長となった。
そのころには性格もだいぶ丸くなり、自分の過去の行いを後悔していたはずだ。
だが、彼はお父様の血筋に忠誠を誓い、アデライードが間違っていることをしていると知っても、付き従う。
そんなキャラだったはずだ。
だから、その彼が言うなら間違いはない、はず、なのだけど。
私は今彼に指導されていた。
「お嬢様。もっと口角をあげて」
「ええ」
「次は目を大きく開いて」
「……ええ」
「そして、開いた瞳孔を大きくするのです!」
「ええ……?」
「さあ、狂気をはらませた笑いをするのです!」
「どうやるのよ! 開いた瞳孔をどうのこうの言われても無理ですわよ!?」
「瞳孔の大きさは興奮と密接に関係します。ですので、何か興奮するようなことを考えてください。怒りが抑えられなくて、怒ってしまうようなことを」
いかり、いかり……。ええと。
おやつを、勝手に食べられた、とか……?
私はそのことを思い浮かべて、怒ろうとした。
「こう、かしら?」
「だめです! 可愛らしすぎます!」
「か、かわ!?」
「それでは相手を悩殺してします! まるで怒った仔猫ですな!」
ぐ、ぐぅ……。
そんなこと言われたら少し照れてしまう。
「お嬢様! 今はかわいらしさの特訓ではないのですぞ! もっと怒りなさい!」
「そんなこと言われもマッテオ、これ、本当に効果あるんですの……?」
「お見せしましょう。お嬢様。失礼します」
そういうと、雰囲気が一変した。
マッテオは普段と同じように立ち振る舞い、口調も変わっていないように思われた。
だが、私には何かが違っているように感じられた。
マッテオの視線が、以前のように穏やかではなくなっていることに気づいた。
瞳孔がやや細まり、目力が強くなっているようだった。
そして、何よりも驚くべきことに、マッテオの笑みが不気味なものに変わっていた。
徐々に口元が歪み、歯を見せると同時に、目には狂気的な光が宿っていた。
「……ひっ」
私はその姿に凍りつき、身体が震えた。
動くことすら、できない。
マッテオの影響で、部屋の雰囲気が一瞬にして変わった。
彼の存在が、恐怖を与えるものに見えた。
私はマッテオがいかに恐ろしい存在であるか、その時初めて理解することになった。
――これが、闇ギルドの元ナンバーツー、ですのね。
心臓がバクバクと激しく鳴る。
なにか、ひゅう、ひゅう、という音がうるさい。
それは私の呼吸音であった。
身体中を冷たい汗が伝っていく。
背中にじわりと汗が浸み出し、襟元から胸元にかけてドレスにしみこんでいく。
肌着も同様に汗でびっしょり濡れ、身体にぴったりと張り付いている。
恐ろしい雰囲気が霧散する。
「はっは。怖がらせてしまいましたかな。昔取った杵柄ともいいますか。かなり鈍ってはいるようですが、それでもなかなかの物でしょう?」
朗らかに明るく笑うマッテオに、先ほどの恐ろしさはもうない。
ただ、私の息はまだ全然整っていなかった。
「お嬢様にもこれをできるようになってもらいます」
「ええ。あなたが正しかったわ。マッテオ」
「お嬢様は狂犬どころではなく、悪魔ですからね。私を超えてもらわねばなりませんなぁ」
そんなことができるだろう。
いや、してみせよう。しなければならない。
そうでないとラヴァル家は――。
あれ?
そういえば、アデライードとマッテオはゲームにでてきた。
けど、ルイは?
影も形もなかった。
幼いから?
いいや。違う。
マッテオがゲームの中で言っていた。
主人公チームとのバトル前、彼がアデライードの凶行を止めるように頼む時だ。
『もし私を倒せたのなら、お嬢様を止めてください。あの方を狂わせたのは残酷な運命なのです』
そういうマッテオに、主人公チームはマッテオに『一緒に止めよう』という。
しかしマッテオは一瞬も考える間もなく答える。
『お嬢様はたった一人。私は先代様に恩があり彼女に仕えていた、けれど、僭越な思いかもしれませんが、私にとって彼女はもう孫なのですな。たった一人の孫と最後まで共にしたいのですよ』
その後マッテオは戦いに敗れ、死ぬ。
そう彼は『たった一人の孫』といったのだ。
ルイはどうなった。
ルイ=フェリックス・ド・ラヴァルは?
――あの方を狂わせたのは残酷な運命なのです。
ああ、なるほどそうですのね。
本来の私は、嗚呼――お父様を失った。すべての親族が牙をむいた。私とマッテオで彼らを切り抜けた。けれどそこのどこかで、ルイは死んだ。殺されたのかもしれない。
父の死と、親族との戦いと、弟の死で狂ってしまった。
私は弟のふにふにとしたほっぺたを思い出す。
私は弟の細く柔らかい髪の毛を思い出す。
私は弟の、私を呼ぶ温かい声を思い出す。
それが、失われる?
ありえない。
視界が赤く染まるような錯覚を覚える。
握った手の平に爪がつきたち、血がにじむ。
荒い息が止まらない。
「おお。お嬢様。素晴らしい。その雰囲気よろしいですな。次は様々なシチュエーションに応じた雰囲気の出し方を練習しましょう。もちろん、今の感じもお忘れなく」
マッテオが満足そうに微笑んでいた。