46 教養は武器ですわ
私は帝宮で行われるパーティに行った。
もともとは貴族としてうまくやっていけることをこの場で示し、爵位を継承するためだった。
しかし、事件が起きて気分は全く様変わりしてしまった。
緊張感のあるものから、緊張感だけではなく切迫感と恐怖を伴うものに、だ。
弟のルイがさらわれてしまっただめだ。
現在私の目的は爵位継承のために存在感を示すこと。
それは今後私やルイ、家門が生き残るためには必要なことだった。
そして、ルイの無事が確認できるまで、フェルナンドを怒らせないことだ。
今、マッテオやヴォルフたちがルイの捜索をしている。
彼らが成果をもたらすまで時間を稼ぐことだ。
しかも、貴族としての品位を保った上で。
私は様々なダンスの申し込みを断り続けた。
帝室が主催するこのパーティは格式と品位があるものであるため、最初には自分が最も大切とするパートナーとダンスするのが慣例となっていた。
それが転じて、ここで初めて踊る相手は婚約者と目されるのだ。
しかし、そこで私はフェルナンドに脅迫されてしまった。
ヘンリーと踊らないとルイの命はないと。
――まずい、ですわね。
ここでヘンリーと踊ってしまえば、ヘンリーがまた婚約者ということになってしまう。
しかし踊らなければルイの命はない。
「さ。退いてくれたまえ。彼女は僕を待っているんだ」
と気障な様子を見せながら、周りの人を退かせながらヘンリーがやってくる。
前髪の毛先を手で跳ねあげて、ふ、と笑って見せる。
彼を聞いて周りが「おぉ」とざわめいた。
――どうしたら、いいんですの?
踊ってしまってヘンリーが婚約者になれば、遠くないうちにルイは殺されてしまうだろう。
しかし、拒否すればすぐにルイは死んでしまう。
――少しでも、先延ばしにしたほうが……?
ヘンリーは厭味ったらしい笑みを浮かべながら近づいてくる。
この瞬間にマッテオたちから吉報が届けば、と思った。
しかしその願いは叶わなかった。
「アデライード。『マリエラ』を気取りたかったのかな。可愛いところがあるじゃないか。さ、君の『エリック』がきたよ。踊ろうか」
ヘンリーが目を細めて言った。『エリック』とは『マリエラ物語』で主人公と婚約することになるヒーローの名前だ。
『マリエラ物語』はこの国で広く親しまれている。
ヘンリーでさえ大まかなストーリーラインはわかっているほどだ。
ヘンリーが一歩近づいてくる。
「さ、手を」
私が今までのように簡単に拒否しないため、周りの盛り上がりも大きくなる。
拒否しない、ではなく、できないというのが正しいが。
私がどうするべきか考えていると、すぐ近くに来たヘンリーがいう。
「アデライード。どうすればいいか、わかるよね? 僕は君の状況がわかっているんだよ」
それは耳元でささやかれ、私だけにしか聞こえないようだった。
状況がわかっている? ルイがさらわれ、脅迫されているとわかっているということ? わかっていて、このようなことを?
想像以上の下種だ。
私はそう思った。
決して屈したくはない。だが、ルイも失いたくはなかった。
ほかの選択肢はないかと思考を回転させる。
今もマッテオとヴォルフは頑張ってくれているはずだ。
――どっちもバッドエンドの二者択一。そんなものを突きつけられたくらいで、私がここで諦めるわけにはいきませんわよね。
「一度婚約を断るなんて、よくも僕になめた真似をしたな。あとで覚えているといい。僕がラヴァル家を復興させても、君には奴隷のような生活をさせてあげるよ」
自分から破棄したというのに。なんたる身勝手さか。
その粘着質さはマリエラ物語の『エリック』とはかけ離れていた。
ああ。
そうか。
この手がありますわね。
私は小声でヘンリーにいう。
「そういえば、婚約破棄されたときに行ったあなたの実家。思ったよりみすぼらしかったですわね?」
「は?」
「公爵家なのに貧乏でかわいそうっていったのですわ」
「……なん、だと?」
「ラヴァル家を復興させることなんてできるのかしら? 大したアクセサリーも持っていないんではなくて?」
『マリエラ物語』は国民に広く知られている。
そしてその原典は、知っておくことが貴族の教養とすらされているのだ。
やたら難解な言い回しを使っているため、不勉強な貴族はその原典を知らないこともある。
ヘンリーはその手の者を嫌がっていたはずだ、
「あるに決まっているだろう。この指輪を見ろ……!」
ヘンリーは怒りを抑えられなくなったのか、声が大きくなっていく。
彼は大きな声でそういって、大きなエメラルドの指輪を見せつけてきた。
「カビの生えた石ですの?」
「この指輪は、帝室でもなかなか持っていないほどの指輪だ! こんなに大きなエメラルド見たことがあるか?」
その声はパーティー会場に大きく響き渡る。
エメラルドは確かにとても美しい。
だが、それを誇示する品性は下劣に見える。
財力をみせつけること、それは『マリエラ物語』で嫌われているしつこい悪役貴族が行った求婚方法だった。
ここで周りの貴族たちがざわつき始める。
そう。『マリエラ物語』を正しく履修していれば、今がどういう場面かはっきりとわかるのだ。
さて次は。
私は続いて小声で言う。
「それは失礼いたしましたわ。では、あなたの家に、絵画はあまりありませんでしたわよね?」
私の声は周囲のざわめきにかき消されて、ヘンリーにしか届かない。
「僕の家にはたくさんの絵画がある! 何があるかわかるか!? ディミトリウス・エルヴィンの『静かなる学者』! レナータ・シルバの『暮れゆく谷間』! レオンハルト・アルデンの『野原の決闘』! エドウィナ・ベルガーの『祈りの聖女』! あのヴァッザールの真作『海と月』すらあるんだ!」
それらは確かに素晴らしい絵画であった。一枚持っているだけで、一目おかれるほどのものである。
しかし、今は場面が悪すぎた。
『マリエラ物語』の悪役貴族は、自分のアクセサリーを誇示して、次に自分の家の美術室に誘う。そこにある素晴らしい絵画を使って、金でマリエラの心を買おうとするのだ。
今、ヘンリーは会場中の貴族たちから、ネガティブな感情を持たれていた。
『マリエラ物語』の原典を知らない者たちも、知っている者たちに入れ知恵をされていた。
「ヘンリー様。ダンスの誘い、お断りいたしますわ」
「なんだと!?」
「お帰りはあちらでしてよ」
「僕の誘いを断っていいと思っているのか!?」
「ええ。周りの目を見てごらんなさい」
言われてヘンリーは周囲を見渡す。
ヘンリーを下に見る目だ。嘲笑する声すら聞こえる。
――私自身はこのような文化はあまり好きではありませんけれど。利用できるのなら、なんでも使いますわ。
「な、なぜだ……」
「まだお帰りにならないんですの? でしたらダンスでも踊ります? おひとりで」
「貴様……」
「どうします?」
私が尋ねると、周囲の目がつらくなったのか、ヘンリーは叫んだ。
「覚えていろよ! 僕は、公爵の息子なんだぞ! お前も! お前もお前もお前もだ!」
そういって周囲の貴族を脅迫しようとする。
――この方、貴族社会ではもう終わりですわね。
恐らく公爵家も彼を見捨てるかもしれない。
公爵家の威光を借りて他のパーティーで好き放題してきたのだろう。
しかし、今回は訳が違う。
他の貴族のパーティーと違って、帝室が主催する舞踏会はそれほどに重たいのだ。
すぐに警備の騎士がやってきて、ヘンリーを両側から拘束する。
「おい! なにをしている! この無礼者が! 僕を誰だと思っている!」
そのようなセリフを残して、ヘンリーは連行されていった。
そこにフェルナンドがやってきて、私に声をかけてきた。
「俺は彼と婚約するようにと言いましたが、弟がどうなってもいいというのですか?」
冷たい声だ。気の弱いものなら、それだけで謝ってしまいそうな圧を感じる。
「弟? それは別に構いませんけど。消してくれたほうが、将来爵位を狙われることがなくて助かりますわ」
と、本音とは逆のことをいう。
弟が大事だと悟られてはいけないのだ。
「だからヘンリーを断ったと? 俺はあなたをいつでも消すことができますよ?」
「では、あなたはあのまま彼と婚約したほうがよかったと仰る?」
尋ねるとフェルナンドは押し黙った。
「……いや、無理でしょうね」
「あのような醜態をさらした彼とそのまま婚約したら、私の教養が疑われてしまいますわ。結果、爵位の継承ができなくなりますの」
まあ、私がそうなるように誘導したのだけど。
フェルナンドはつぶやく。
「頭が回り、勇気もある。末恐ろしい令嬢ですね」
フェルナンドは感心したようにいう。
あ、これはバレてますわね。
「ただ、あの方が気に食わなかっただけですわ」
するとフェルナンドが口を開いた。
「では俺と踊っていただけますか? アデライード嬢」
さーて……どうしたものかしら。
マッテオとヴォルフはまだかしらね。
私は周りを見渡すが、マッテオもヴォルフもまだ来ない。




