43 足りない知識
私は息を吐いた。
ルイがいない。
ルイが。
私が守るべき大切な弟が危険な状態にある。
弟を取り戻すためには、悲しむだけでいけない。
悔しくて、苦しくて、心がちぎれそうでも。
立ち上がらなければならないのだ。
私は決してフェルナンドを許しはしない。
フェルナンドが自分を脅すために何を企んでいるのか。
「う、ぐっ……」
頭痛。
強い痛みが走った。
それは脳を焼き焦がし、目玉を破裂させるような、そんな痛みだった。
「お嬢様!?」
「う、ぐ……は……ぁ……。だ、大丈夫、ですわ」
脳の中に記憶が走る。
決して自分が知らないはずのこと。
だけど自分は知らないはずのことなどいくつも知っている。
それが、原作知識だ。
原作での一部の知識が、頭の中に刻まれていく。
「ああ、ああ……。そう。そうだったんですのね」
フェルナンドのたくらみと、その理由が見えた。
彼は私に似ていた。
だからどうだというのか。
それが彼を追及する手を緩める理由にはならない。
むしろ、思考が読めるから、便利ですらあった。
私とフェルナンドの共通点は、彼を追い詰める手段にすらなるだろう。
私は今や、フェルナンドの目的を完全に理解していた。
そのうえで、この戦いの結果がどうなるかはわからない。
フェルナンドにとって私やルイはただの駒でしかない。彼は自分の目的のためなら何でもする男だ。
もし、フェルナンドがルイを誘拐する前なら分かり合えた可能性はなくはなかった。
だがもう無理だ。
一度強硬手段をとった彼は私を信用しないし、私も彼を信用できない。
笑顔で手を握り、裏で殺しあうことになるだけだろう。
私はフェルナンドの野望を打ち砕くため、そして何よりもルイを守るために、全てを投じる覚悟を決めた。
いや、そんなものはとっくに決めていた。
悪魔になると決めたその日に。
「マッテオ、私達はフェルナンドの野望を阻止しますわ」
「は」
「ルイを、返してもらいますわ」
老執事マッテオは私を見つめた。
「もちろんです、お嬢様。私達は全力を尽くしましょう」
私は深く頷き、一つの決意を胸に刻み込む。
「マッテオには別の命令がありますわ」
そういって私はマッテオに命令を告げた。
それこそが起死回生の一手であり、勝つべきための最善手。
命令を伝え終えたあと、マッテオは私に尋ねた。
「お嬢様はいらっしゃらないのですか?」
ついていきたかった。
ついていけば、行動をしている安心感を得られるだろう。
何もしないより、何かしているほうがよっぽど心が救われる。
「……いかないわ」
「…………さすがでございます」
マッテオが深く、深く頭を下げた。
それは、私の勘違いでなければ、マッテオの中の私が『護るべき対象』から『仕えるべき主』に置き換わった瞬間だった。
私は、私がマッテオについていけば、足を引っ張ることがわかっている。
だからマッテオに任せてしまうのが一番いいのだ。
もし私が言えばマッテオについていくことは可能だ。
しかし、それは成功率を下げるだけ。
私の心を慰めるだけの行動でしかないのだ。
「では、行きなさい。マッテオ」
お願いしますとも、頑張りなさいとも、期待しているとも言わない。
お願いなどしなくても彼は応えてくれる。
頑張るなどというのは当たり前であり、わざわざいうのは彼への侮辱だ。
そして期待などもしない。
期待というのは、その人を当てにして、心待ちに待つこと。
彼が私の望みに応えてくれるのは、当然なのだ。
マッテオに頼んだ時点でそれは期待など不確かなものではなく、私にとって絶対なのだ。
「承知いたしました。お嬢様」
マッテオは優雅に私に一礼すると、黒い風となって消えた。
私は私のすべきことをしよう。




