33 至福と云うは喰らうことと見つけたり
私は爵位継承の儀式をするために帝都へとやってきた。
ラヴァル家が所有する帝都用の屋敷である。
そこに、ガブリエル皇子がやってきたのだ。
彼は、彼が持ってきた情報を対価にデートしてくれと言った。
何のつもりだ、と私は思った。
彼に侯爵程度の爵位などは不要だろう。
しかし、彼の持ってきた情報は有用だった。
原作キャラである『フェルナンド・ダークウッド』が私の家門を狙っているとのことだった。
いい情報を持ってきてくれた彼と、私は帝都のデートをすることになったのだ。
私とガブリエル皇子は美しい庭園に面したカフェに入った。
マッテオと、皇子の護衛もいる。しかし彼らは少し離れた位置で待機している。
邪魔にならないようにという配慮だろう。
カフェの店内。
煌めく陽光が照らす庭園には優雅な噴水があった。
美しい花々が咲き誇っている。
鳥のさえずりが耳を楽しませる。
少し遅めのランチをするために、ガブリエル皇子推薦の場所に来たのだ。
白い美しいテーブルクロスに覆われたテーブルの前の席に腰かけようとした。
すると、ガブリエル皇子が優しく椅子を引いてくれた。
「ありがとう存じますわ」
「どういたしまして」と彼も私の正面の席に座る。
「アデライード嬢。どうかな。帝都は」
「……あまりいい思い出はありませんが、この場所は悪くありませんわね」
「それは何よりだ。何か食べたいものはあるかな?」
「お肉ですわね」
私が言うとガブリエル皇子は苦笑する。
彼がちらりと視線をやると、それだけでウェイターがやってくる。
ガブリエル皇子が手慣れた様子で、私の分も注文してくれる。
「皇子様なのに、注文なんて慣れていらっしゃるんですのね」
私が言うとガブリエル皇子は目を大きく見開いた。
「……知っていたのか」
……あっ! あれ? 知っていた、ということは言ってなかったっけ……?
沈黙が気まずい。
するとガブリエル皇子は頷いた。
「そうか。君ほど聡明ならば、そういうこともあるだろう」
となぜか納得された。
……まぁいいですわ。
「私が注文慣れしているのは、弟妹のおかげかな。同腹の弟妹がいるのだが、彼らと帝宮を抜け出して、市井に遊びに来ることがそれなりにあってな」
「ほぉ……。そうなんですのね」
それは知らないエピソードだった。
「この店もその時に見つけたのだ」
きっとキラキラした格好でいったのだろうなあと私は思った。
どう見てもこの店は貴族ご用達だ。
一般市民だと思われたら、中に入れてもらえないこともあるだろう。
「そういえばアデライード嬢にも弟がいたな」
「ええ。ルイのことですわね」
思いがけずルイの話題が出たため、私はついいろいろ話してしまう。
ガブリエルが口をはさむ間もなく話す。
「本当にうちの弟は~~~」「かわいくて~~~~」「最高で~~~~~」
ルイが木剣を持ってねえさまを守る騎士になる! なんていってきたのは感涙もののエピソードだ。
するとウェイターがやってきた。
まだまだ話したりないのに。
空気を読めないウェイターめ! と私は身勝手なことを思った。
テーブルの上に、オープニングプレートが置かれた。
真っ白な磁器の上に、カラマリのフリットとモッツァレラチーズのカプレーゼサラダが繊細に盛り付けられていた。
カラマリというのはイカの輪切り、つまり、現代風にいえばイカリングのことだ。
「いただくとしようか」
「ですわね」
一口、カラマリを口に運ぶ。
さくり。
揚げたての香ばしさが口いっぱいに広がる。それから磯の風味、イカの味が後を追いかけてくる。それは口の中でグラデーションのように押し寄せる。
「はふ……」
おいしすぎる……。
次にモッツァレラチーズのカプレーゼを見た。色鮮やかなトマトと緑のバジルが調和している。そこにオリーブオイルがかけられており、とても美しい。
芸術品のようなそれを口に運ぶ。
「はむ……」
美☆味!
チーズのクリーミーとトマトのフレッシュさ。それをバジルがまとめ、オリーブオイルが輝かせている。
しあわせだ……。
ガブリエル皇子が笑っている。
「お気に召しているようで何よりだ」
「これは、なかなか、すごいですわね……」
最上位のプロの技である。
私たちは前菜をつまみながら話す。
「アデライード嬢は、ずいぶんと弟を愛しているのだな」
「当然ですわ。ルイは、とても大切な存在です」
「家門を守ろうとしているのは、弟のためなのか?」
問われて考えてみる。
どうなんだろうか。
ルイのため。それは絶対にあるし、大きな要素である。
自分のため。それもある。
理不尽に不幸になどなりたくはない。
けど自分のために、他人を傷つけてでも家門を守ろうとできるだろうか?
たぶん、できない気がする。
かといってルイのために暴れているなどと、弟に責任を押し付けるようなことはしたくない。
「それもありますけど……。それだけでは、ないと思いますわ」
どうして私は、悪魔になろうとしているのか。
それは自分でもわからない問だった。
だけど狂犬を超え、悪魔にならねば守れないものがある。
そうならなければ、すべてを失う。
私は追い込まれ、それをするしかなくて、している?
考えてみてもわかりはしなかった。
あまり深く考えたくはない話題だった。
するとウェイターが現れ、メインディッシュを運んできた。
ナイスタイミングですわウェイター! と私は先ほどとは真逆のことを思った。。
メインディッシュは、熱々の皿に乗ったステーキだ。
ジューシーな牛肉の厚切りのステーキが誇らしげに鎮座している。
深い赤色をしたステーキには、見事なグリルマークが刻まれている。
その周りには香ばしく焼き上げられたハーブのかかったローストポテトが並んでいる。
肉から立ち上る香ばしい匂いが、私の鼻腔を刺激する。
ごくり、と唾を飲み込んでいた。
私はナイフでステーキをひと切れ、切り分ける。
ナイフを入れた瞬間、柔らかかった。肉が柔らかいのだ。まるで高級和牛のようだ。そして、その柔らかな表面からつぅ――と半透明の肉汁があふれ出す。
この肉は、だめだ。
本当に、だめだ。
食欲という本能をダイレクトに刺激する。
ごくり、と唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。
私は目の前の肉に魅了され、その音を自分が出したのか、ガブリエル皇子が出したのか、はたまた幻聴だったのか。
その判別すらつかなかった。
私はフォークを突き立てる。
すると肉汁が皿にあふれる。
もったいない、と思った。
私はそこで、特製のソースがあることに気が付いた。肉よりもさらに深い赤色をしたソースをステーキにかける。
口に運んだ。
あ、ああ……。
なんという……ことか。
私は今、"快楽"の一つ極地にいた。
香りと、口の中の感覚。その二つしかなかった。
周りの景色は見えなかったし、音すら聞こえない。
手で何を握っているかもわからない。
それほどまでの集中の極致。
超一流のスポーツ選手は『ゾーン』という極地に入ることがあるという。
それは一説によれば、視界がモノクロになったり、音が聞こえなくなったりなど様々であるらしい。
極度の集中により、必要な感覚以外のすべてを切り落とすのだ。
そして必要な感覚だけを、深く深く深く深く深く研ぎ澄ませる。
まさに、それだった。
脳が勝手にそう判断した。
料理を味わう舌の感覚。
食感を味わう口内の触覚。
そして香ばしさを感じる嗅覚。
その三つ以外のすべてを、私の脳はいともたやすく切り捨てた。
ソースの酸味、これは、トマトか……? それがハーブの香りと絶妙に調和している。
細かく刻まれたハーブ。そのひとかけひとかけを、今の私は認識できる。
だというのに、肉のうま味、脂の味、ソースの味がわからない。
それらはすべてが奇跡のように絡み合い、口の中で踊り続ける美味のシンフォニー。
『天上の肉』作:アデライード・ド・ラヴァル
その一口、噛みしめるたび
舌先、舌中、舌奥、そのすべてで旋律が踊りだす
肉の柔らかさ、ああ、心に響く歌声よ
深紅の肉、滴り落ちる肉汁
芳醇な調べ奏で、その舌先をなぞって歌いだす
旨味の波が、おお、魂揺さぶるその踊り
肉の旨味が心に奏でるメロディー
美食を食べると、喜びの歌が心に満ちる
このステーキの調べに、心を委ねよう
さあ、心を込めてその美味を味わい
感謝の気持ちを込めて、口に運ぶ
ステーキの旋律が、幸福の調べを奏でる
愛された食材の贈り物が
舌と心を魅了し、喜びに包まれる
美味のシンフォニーが奏でる、幸せの調べ
「アデライード嬢!?」
私はその声で正気に戻った。
「わ、私はいったい何を……?」
気が付けば目の前にあったステーキはなくなっていた。
その後に出たクレーム・ブリュレも大変美味であった。
私はガブリエル皇子に感謝した。
いや、ガブリエル皇子だけではない。
野菜を作った農家に。
牛を作った畜産産業(だと思う)に。
そして、それらを作りたもうたこの大地に。
何より、あのシェフを生み出した奇跡に。
シェフの両親に、そしてそのまた祖先に。
進化の過程に。
私は感謝をしたのだった。
そして心を決める。
――そうだ。平和になったら、ラヴァル領で料理の産業を発展させよう。料理の栄華を手に入れよう。
そう決めたのだった。




