2 嘘……ですわよね?
お父様が死んだなんて信じられない。
どこからか、ひょっこり現れるのではないか。
そんなふうに思ってしまった。
亡くなったという話が現実とは思えなかった。
二階の窓から外を見やる。
雨が、しとしとと降り続いている。
馬車の音が外から聞こえた。
お父様!?
そう思って、窓から乗り出すが、そこからは何も見えなかった。
急いで身なりを整える。
鏡には、ゆたかな金の髪に赤い釣り目の自分が映っていた。顔色は幽霊のように青白かった。
普段は使用人に頼んでいたが、使用人を呼ぶ時間すら惜しかった。
簡単に髪とドレスを整え、扉を開く。開いたまま閉じることすら忘れ、屋敷の入口へと急ぐ。
大きく重たい扉だ。
高貴な装飾で飾られており、真鍮製の取ってがついてる。
その扉がぎぃと開いた。
「お父様!」
しかし現れたのは父ではなかった。
一人の男が、複数の荒々しく見える男たちを背後に控えさせていた。
一番前にいる彼は、一見すると落ち着いた中年紳士のように見えた。
しかし、目元には冷酷さが宿り、口元には傲慢な笑みを浮かべている。やや筋肉質で、健康的な体つきをしている。髪の毛はお父様と同じ金色で、髪は少し後退しているが、それでも彼の風格は失われていない。
彼の服装は流行には敏感ではなかった。クラシカルなものを好んでいるようだ。しかし、その服装も彼の冷酷な目つきによってどこか威圧感を感じさせる。
彼は私を見ると、値踏みするような視線になった。
「……っ」
身体の奥まで見透かされるような視線に、肌がぞわりとする。鳥肌が立つ。
男が『まだ幼いな。だがまあいい』と小さくつぶやいたことを私の耳はとらえた。
彼はすぐに視線を柔らかなものにする。先ほどの冷酷な顔つきが見間違えだと思えるほどに。
「やあ、小さなお嬢さん。君がアデライードかな」
優しく思わせる蛇の声色だ、と思った。
「え、ええ。私がアデライードですわ」
「そうか、そうか。この度は大変だったな」
私は警戒しながら、うなずいた。
「わしは君の父の従兄のマルク・アントワーヌ・ド・ラ・ロシュフコー。これからはわしを頼るといい」
先ほどの酷薄な顔つきを見なければ騙されてしまうほどの、優しげな笑みを浮かべた。
「そ、それは、使用人と相談して決めますわ」
マルクはいう。
「わしはこれから、君を夫として支えてあげよう」
彼の言葉は一瞬理解できなかった。
夫?
父よりも年上に見える男は、そういったの?
そこへ声が響いた。
「お嬢様!」
マッテオがいつもはきっちりとセットした髪をふりみだしながらやってくる。
マルクはマッテオを見ながら口を開く。
「君はだれだ? 使用人が主の会話に口をはさむのか?」
他人を威圧することになれた声色と口調だった。
マッテオはその言葉に気圧されることもなく、マルクに向き直る。
「これは失礼いたしました。私はこのラヴァル家の執事長をしているマッテオと申します」
するとマルクは少しだけ目を大きくした。
「ああ、君が、あの」
どうやらマッテオを知っているらしい。
「マルク様。お嬢様はお父上が亡くなり、体調を崩しております。今はどうかお引き取りをお願いいたします」
「そうか。君がそういうのなら今日は引こうじゃないか。この家がわしのものになったら、君もぜひわしの部下として迎えよう。好待遇を約束するよ」
その言葉に返事はせずマッテオは頭を下げた。
「ふん。死んだ人間に忠義立てしてもろくなことにはならんぞ。マッテオ」
「それは私と旦那様の話ですので」
「貴様も考えを改めてこの娘に言い含めておけ。どうせ子供の知恵と胆力では、食い物にされるだけだ。わしと婚約をして、家門の運営を任せたほうがいいとな。名目上だけで構わん」
マルクの言葉に返す者は誰もいなかった。
マッテオは返事をしない。それこそが彼の答えを雄弁に物語っていた。
マルクは不機嫌そうに鼻をならした。
「ではわしの未来の妻よ。次は迎え入れる用意をしておけ。優しく言っているうちにな」
それはまるで捕食する直前の蛇のようだった。
私は怖くなって、吐きそうになっだ。
涙が少しだけあふれた。
こんなの、無理だ。
マッテオもなんとかしてくれないし、頼れる家族もいない。
どうしようも、ない。
「ま、マッテオ……」
「お嬢様。あのような親族はいくらでもおります。ラヴァル家の親族はたちが悪く、旦那様も距離をとっておりました。ですが、旦那様がいなくなってしまえば、あとは……」
そう、なんだ。
あんな人がたくさんいるんだ……。
はは、ははは……。
私は乾いた笑いを漏らした。
そのあとは覚えていない。
気が付けば自室へと戻っていた。