欲望は骸の上で花開く
「あなたぁ、本当に大丈夫なんでしょうね?」
マルクにそう尋ねたのは、マルクよりかなり若い女だった。
彼女はマルクの妻だ。
「心配する必要ないさ。しょせんは子供さ。一人厄介な男がついてはいるが、使用人でしかない」
マルクは思い出しながら見下したような笑みを浮かべる。
「でも早く貴族になりたいわ」
「そうだな。伯爵という立場があれば、私たちを見下し、邪魔をしていた愚かな貴族を処罰することすらできる」
マルクは商人だ。若き日のマルクは商才に恵まれた。彼の父はラヴァル家全当主の弟だった。マルクの機転と、伯爵家のコネをフル活用して成功を収めた。
しかし、それでは足りない。
富はあればあるほどよい。そして地位もあればあるほどよいのだ。
「早くわたしもあのバカ貴族どもの頭を踏みつけたいわぁ」
想像したのか妻は笑みを浮かべた。
――愚かな女だ。
マルクはそう思う。いいや、そうではない。女はみんな愚かなのだ。
その場の感情に身をゆだね、くだらない判断を繰り返す。
しかし、犬や猫だと思えばかわいいものだ。
マルクは妻に対し、一緒にいた年月分の情は持っている。
家につないである馬と同じ程度の愛情は感じていた。
「ああ。そうだな」
感情のままに貴族を踏みつけてどうなるというのか。
不愉快な貴族を踏みつける快感は副産物でしかない。妻はその快感を得ることが目的になっている。
違う。マルクの商売の邪魔をする貴族を脅し、消しさるために使うのだ。
マルクは安い武具を高く売る事業や、贋作の芸術品を売る事業。毒や幻覚剤を販売したりしていた。
今では帝都など、周囲の街でもその影響力を強めている。
特に今は特に幻覚剤の事業が成功している。もちろん違法ではあるが、露見しなければ違法ではない。
感情のままに幻覚剤を使う阿呆どもが、マルクの商会を肥え太らせてくれている。
愚かな獣たちから奪って何が悪いのか。
奪った金を他の場所で使って経済を回しているのだ。
マルクは善行をしているに過ぎない。
だというのに、それを邪魔しようとする愚かな貴族たちがいる。
権力とは邪魔ものを排除するために使うのが正しいのだ。
「でも、早くしないとまずいんじゃないのぉ? ほら、あなた言ってたでしょう。他の親戚たちも狙っているって」
妻がいった。実際それは正しかった。
当主の死んだラヴァル家を狙っているのはマルクだけではない。
マルクの実弟である商人や、金と権力の亡者の子爵。社交界の華といわれる女性。また傭兵団の指導者などもいる。
それらはただの一例であり、ほかにもまだまだいる。
それほどまでに伯爵家の家督というのは、魅力的なものだった。
「ゆえにいくつかの手を打っている」
まずはアデライードへの贈り物だ。
宝石や衣類など女が好きそうなものを送っている。
これが確実に成功するなどとは思ってはいないが、こんなことでも転ぶ可能性はある。
大した手間でもないし、当たれば幸運くらいの手だ。
次に政治的に、この周囲の貴族たちから圧力をかけさせる。
十二歳の当主など認めないと。
そのために、貴族の子弟たちを幾人かクスリ漬けにもした。
ラヴァル家の騎士団の取り込みも行っている。
元からそれなりの数抱き込んではいるが、今はラヴァル家当主という精神的支柱がいなくなり、さらに幾人も抱き込めている。
「離婚の書類はもう書き終えたか?」
妻に尋ねる。
「今度やるわぁ」
行動の遅い女だ。
「ほんとうに、大丈夫なのぉ?」
「ああ。私を信じろ」
妻は捨てられることを心配しているようだ。長年かわいがったペットのようにも思う。いまさら捨てるつもりもない。
「敷地内に小さな屋敷でも立てて、そこにアデライードを住まわせる。君は客人という立場で、本邸で好きにするといい」
「ああ。とうとうわたしも貴族になるのね。楽しみだぁ」
そう言って二人は笑った。
そこに、一人の少女が現れた。
ウェーブがかったブロンドの少女だ。
「ぱぱ。まま。私ももうすぐ貴族なのよね」
「おお。そうだよ」
「ええ。あなたももうすぐ伯爵令嬢よ」
「そしたらね、ぱぱ、まま。あのアデライード? とかいう子いるでしょ?」
マルクの娘は11歳にしては舌たらずな口調でいった。
妻が甘やかしているのだ。マルクもことさらそれをとがめることはない。
「そいつにね、ゴミ食べさせたりしたら面白そうって思うの」
「それはいいわねぇ。今までずっといい生活してたのだから、当たり前よぉ」
二人はそういって楽しそうしていた。
マルクのせいでたくさんの人間が不幸になっている。
そんなことを微塵も意識しないまま、彼らは今後の華やかな生活に思いをはせ。
三人の家族は幸せそうに笑うのだった。




