ウラル語族とフン族
以前から扱ってる匈奴について集大成のようなものが書けるようになったと思う。
フンとの関係はずばりそうだと言える。これにちょっと追加しなくてはいけない。中核となる集団はウラル山脈当たりで、匈奴はコーカサス地方のコーカソイド系遊牧民と混血した集団になっている。これにさらにハンガリーの地元の欧州人が混血するため元のアジア集団のDNAが限りなく薄くなってしまった。
じゃ何故今になって明確になったか?と言うとフン族のエリート集団、支配者集団に絞ると、なんとアムール系のアジア人や漢人のDNAがしっかりした頻度で検出された。これに欧州人系の混血を良く調べると若干東欧の集団とは違うものがあり、そのあたり欧州到達前に別の集団との混血があったというのが明らかになった。
これらについて、さらにハンガリー人の言語的始祖であるマジャール人も似たような集団であるのが分かった。他にもブルガリアやアヴァールなど欧州のアジア帝国についてちらほらあるが、大体の欧州の遊牧アジア人は網羅出来てると思う。
そうなると残る問題としては、言語がなんだったのか?が気になってくる。マジャール人はハンガリーの母体ともなったのでほぼウラル系だと分かっている。だが匈奴フンは?父系の中で突出してハプロNが多い。そのためやはりウラルなのでは?となるが、この扱いが難しい。後の時代になってモンゴル語を話すようになったN集団など多数いる。
ヤクート族はトルコ、スキタイの後継であるトゥバなどもトルコに言語転換している。ウラルとして広がったN系部族すべてがウラル語なのか?はかなり怪しい。匈奴のモンゴル方面でのDNAの重要なもので中央アジア的集団であるがの分かる。ただし、それらが純粋な集団ではない。
アムール系の東北アジア人との混血の濃度勾配になっている。さらに西に向かうとコーカソイド系の遊牧民のDNAが強くなる。こんな感じになっている。どう違うか?と言うと現在ヤクートにするんでるが元はもっと中央アジアに近いところにヤクート人はいたらしい。その辺りがトルコ語に言語転換してる部分と関係する。
実際ヤクートに住む他のアムール系集団とはちとクラスターがずれる。それらにも近いが中央アジアよりのクラスターに近くなってる。そのため匈奴の言語はこれら中央アジア系の言語であった可能性が否定できない。ただ、デネエニセイ系の言語じゃなくて、やはりQよりNが中心のウラル系の言語であった可能性もやはりある。
現在言語が全く異なってしまって現代から過去を推測するのはかなり難解。特にDNAではエニセイ、ウラルに近い集団のトルコ語モンゴル語への言語転換が数多く発生してるため当時どうったのか?はほんとに良く分からない。それに過去イラン系の農耕民の言語だった可能性もある。過去の中央アジアは様々な言語集団が入り乱れていたのでこれを解決するのはかなり難解だろうと思われる。
ただ可能性としては、これらの集団は皆似たような匈奴と共通するウラル系のDNAを含んでいるためウラル語だった可能性はかなり高い。ただ問題が無いか?と言うとかなりある。最も早く中央アジアに移住した集団がウラル系民族であるためどうしてもその集団のDNAが濃くなってしまう。漢人のDNAも含まれるが匈奴が中国語だったってのはまず無い。
中国の文献に残ってるので、彼らが中国語が通じなかったのは間違いないので、それは無いと分かる。だが共通と言う意味では漢人のDNAがしっかり出る。これについては中国の集団が直接匈奴の祖先になったと私は考えてない。過去の東アジアの農業で、最初に拡散したのはおそらく言語の分析からアムール系の集団が黄河を含めて東西南北に広がったと思われる。
その次に逆に黄河の集団がアムール系の集団に農業によって拡散して混血している。これは中華と言う国家集団ができる前の出来事になる。その後さらにまたアムール系の集団が歴史の前に遊牧によって中国に侵入してくるのだが、歴史前にこの2つの集団はいったりきたりと互いに拡散している。
モンゴル当たりの集団は中国のDNAが歴史から度々入ってるし、歴史前にもこの時期大々的に拡散している。歴史前だと分かるのは父系ハプロO2の分岐が歴史前にさかのぼれるほど古いものが拡散してるからになる。DNA抜きなら考古学的に明らかに中国の文化の遺物が、歴史前に中国からシベリアに拡散してるのが確認されてるので推論の段階ではなく事実だと見てよい。
数が多いからで決めてしまうのが危険なのは、そもそもコーカソイド系のDNAがマジャールフン共に多い。ウラル系のDNAもそこがかなり怪しい。トルコモンゴル進出前の時代なので、当然中央アジアの東アジア系はウラル系ばかりになる。ただ敢えて言うなら東アジア系の言語なら多分ウラル系だっただろうと想像できる。
言語以外はほぼ解明できたと思う。文献の遺物が極端に少ないのでこれは多分進まないと思う。昨今急激に進んだのはDNAによる調査が進んだためで過去から調べられてる言語に関しては多分全く進まないだろうと思う。ただ候補としてはスキタイなどのR1A、トカラなどのR1Bの印欧語族。これについてはそもそも遊牧民の始祖が印欧語族だったのが大きい。
過去のモンゴルからは結構R系が出る。だがこれが時代とともに減っていく形になる。そのため騎馬民族エリート層は初期R系だったと予想できる。ただ非印欧語族系だとQが最初に牧畜民と接触して文化を取り入れている。そのためケット族などのエニセイ語族である可能性も十分にある。
そしてクラスターとしては現在のウラル山脈の集団に近いウラル系だったという点。ただこの扱いが難しいのは元はモンゴルにいた集団だと分かっている。でないと漢人のDNAが説明が苦しい。中央アジアに漢人の父系O2ハプロは多い。ただこれは、鮮卑族に多いO2が広がったもので、これらの部族が広がったのはもっとかなり後の時代になる。
中央アジアのアワキビ農業はその前の時代のアムール集団によって拡散したのだがそれがまさにウラル系民族によるものだと考えられる。黄河人による農業の拡散は西方方面は良く分からない。より東方にいた遊牧民がウラル山脈あたりに移住してきたと見て良い。これらは匈奴の一部は崩壊後西方に移住したとの記述と一致する。
言語の問題は残ったがハンガリーまで続くフンの系譜の謎はほぼ解けたと思う。マジャール人はフン族の末裔とあったが、欧州に残ったフン族ではなくて、ウラルあたりにいたフン族の祖先集団の別系統である。ただし、ここからフン=匈奴=ウラル語はちょっと苦しいかなと思う。フン=ウラルは私は良いと思う。匈奴と言う大きな集団のすべてがウラル語だったのか?と言うと何とも言えない。
一部の集団がウラル語だった可能性はとても高い。そしてそれらの末裔がマジャール人だったと言うとすっきりするが、匈奴=ウラルには無理がある。匈奴とフンにはクラスターとしては似た集団だと言うのは間違いない。だがそれをもって匈奴=ウラル語族だったは言えない。その例がモンゴル帝国に数多くのトルコ集団がいたためだ。現在の中央アジアの状況からもトルコ集団の割合がとても高かったのが分かる。それらトルコ集団もモンゴル帝国拡散前から偶然東から来た集団だという点。
QとNは密接な関係が太古からあり、周の祖先がQなのかNなのか良く分からなかったが中国の調査ではNが周の王族の系統だったのではないか?と見られている。だが周の貴族の墓からはたびたびQが出ている。ただし、これらのQはもっと古い時代に中央アジアからやってきたもので、匈奴の頃にまさに中央アジアにいた系統とは全く違う。
エニセイ語族と言うより北方ユーラシア系と言うその後優勢となるそれらのごく少数との混血集団であるアムール系の前の集団だとなる。ただ当時の中央アジアにはそれら以外にイラン農耕民系が重要な要素として入ってきているし、匈奴にもフン族にも無視できない混合が見られる。
東アジアらしいって意味で使ったが、共通項として欧州では珍しい点でそれらのものも共通項として無視できない。ただフン族に関してはDNAの量は少ない。文献が残ってる言語は系統が解読できるが、文章として言語として消えてしまった言語の特定は多分無理だと思う。匈奴の言語は永遠に分からない謎として今後も残るのかもしれない。