10歳から始まる絶望
◇武之-10才6カ月-
神野武之は、明るい少年だ。
武之は、商社に勤める厳格な父 神野真と、時に甘やかしすぎかと思うほど子どもラブな母 めぐみとの間で、何不自由なく幼少期を過ごし、今10年と6カ月が経つ。
武之も、落ち着いた家庭の中で、親しい友人数名と目立つことはないが、時々クラスを笑いを取るわき役程度の人気者として、楽しく学校生活をエンジョイしていた。
将来は、きっと普通の会社に就職して、高望みしないまでも、父親程度の生活が送れればいいし、今の仲の良い友人と人気Youtuberとして、世界の耳目を引くよう未来を時に夢想したり、趣味の読書が講じて、人気作家になれるかもしれないと明るい未来を思い描いていた。
なぜか自分ラブな母親だが、幼児期には、当時流行した幼児教育の一環で、「幼稚園 卒園までに年間1000冊の読書!」をウリにした幼児教室に通ったのが功を奏し、国語だけは全国ランキング上位に名を載せる才能はあるが、それを覗けばあとはごく普通といっていっていい人物だった。
ちなみ神野というのは苗字は、先祖が天鳥船神社という宮司をしていたため神という字がついている。
我が家は分家のため父は商社というサラリーマンの道を歩んでいた。
雰囲気が変わり始めたのは、父の神野真がある時を、毎日通っていた会社に行かず自宅になぜかいるようになってからだ。
「武之は心配しなくてもいいからね」
と優しい目を向けながら、一方で、急にパートをフルタイムで行きだす母めぐみ。
切り詰めた生活への急な生活レベルの変更。
なんかおかしいと思いながらも、週3で通っていた塾の退塾。以前は深夜帰りや出張でいないのが当たり前だった父が、毎日いる生活。
自分の生活がことごとく変わってしまった。
小学4年の寒くなり始めた秋の頃、父の異変から生活の変貌の中、僕は気づいてしまった。
-父 神野真は、リストラされたのだ。-
事態は無常にも幼い少年の一時の未来を、黒いものに変えてしまった。
◇武之-11才6カ月-
父のリストラから1年が経った頃、事態はさらに深刻になっていた。
リストラ後、精神的に滅入った父は、再就職に焦るも結果に結びつかず失業保険の期日も迫っていた。
もともと業績悪化の中でのリストラもあり、退職金もそれほど多くは入らず、母のパートの収入とわずかな貯金の切り崩しで、ますます生活は厳しさを増す一方となった。
「めぐみ。本当にすまない。ダメな父で本当に悪い。俺にもっと力があれば・・・。仕事もできれば・・・」
「真さん、あともう一つパートの掛け持ちもするから、もう少しなら大丈夫。またきっと仕事できるようになるからね」
精神的に傷ついている父に配慮しながらも、必死にパートで家計を支えている母さんの姿は、ある意味神々しかった。
◇武之は、両親を心配させないように、しばらくは元気に学校に通っていた。
しかし家庭の問題は、幼い武之にも直撃。食費を削らざるえない状況から、食べるものも満足にいかず、体力は落ち始め、栄養も十分に取っているとは言えない状況となった。
そして負はさらなる負のスパライラルを呼ぶ。
両親を心配させまいと学校に行くたびごとに、悪質ないじめを受けるようになり始めた。親友だと信じていた友人は皆手のひらを返し、ノートに「死ね」「臭い」「生きる価値なし」の常套文の落書きは当たり前。
「リストラ息子」など、どこで他人の家のプライバシーを覗きみたのか、言いたい放題の上、クラスのボスキャラに、腹にワンパン、ツーパンは当たり前のやりたい放題だった。
一度冗談でタオルで首を絞められ危うく窒息死しかけることもあった。冗談ですままい子供遊びもあったが、あとの報復が怖くクラス全員笑ってごまかした。生きていたからいいものを、失神でもしたら事件になっていただろう。
しばらくして、武之は、父をまねるように不登校となった。フルタイムで働く母さんに、リストラで家に引きこもる父、不登校の僕・・・家庭はますます暗い雰囲気で、正直最悪の状況であった。
◇武之-11才9カ月-
千葉市の郊外に父が30代の頃に購入し、ローンもまだ払い終えていないの3LDKのマンションの一室の手前、不登校になり、家に引きこもって3か月後のことだ。
同じく引きこもっていた父が、子供部屋としてある6聶1間のドアをノックし、ドア越しにめずらしく話しかけてきた。
「武之ごめんな。父さんがこんなことにならなければ。」
ドアの前で泣きそうに語りかけてきた父の言葉には、どこか無力さとやるせなさ、申し訳ない絶望が感じ取れた。
本来なら父親として、学校に行かなくなった息子を、時に叱り、時に励まし、時に学校にいじめの責任追及してもおかしくない状況なのであろうが、父にはそんなプライドや気力、自尊感情が失われつつあるようだった。
だが、そんな父が突如不思議なことを言い出した。
「武之は来年で小学生も卒業する年になる。神野家では、昔からちょうど12歳の節目の年が『神人の目覚め年』と言われる伝承があってな、代々分家にも受け継がれてきた習わしがあるんだ。」
「ん?なにそれ?しんじんのめざめどし?おいしいのそれ?」と急な父との会話に動揺を隠せず、ドア一枚を隔て、なぜか父の話す内容に興味を持ってしまった。
「父さんも12才になる頃に、『覚醒玉』と呼ばれる玉を、成人の儀として渡されんだけどな、親から子供へと受け継ぐよう先祖代々遺言されてるものなんだ。」
「かくせいぎょく?」
「そう。成人して立派な大人として目覚めますようにと願うものだ。昔、参拝したことがあるだろう?
神野家の本家にあたる天鳥船神社の血筋に代々伝わるものでな。
昔おじい様の遺言で、この覚醒玉は神野家に下賜されたものなんだ」
「父さん、お前になにもしてやれなくてごめんな。父さんなんの力にもなれないけど、この玉だけはお前にご先祖様の言葉とともにそろそろ渡さなくてはと思ってな・・・」
「ちょっと12才になるまで早いけど、お前が持っていてくれ。どうせ迷信めいた話だけど、大事なものだからね。ドアの前に置いておくから」
父さんは、それだけ言うと、急に力を失ったようにドアを後にし、自室に戻っていった。
父さんが去ったのを確認した後、ドアを開け、床下にそっと置かれたその『覚醒玉」なるものを確認する。
一見水晶だが、水晶のようで水晶でない。透明だけど、薄っすらと虹色に輝く小さな『覚醒玉』。
それと一枚の縦長の和紙が折りたたんで置いてあった。
そういえば、昔から父さんは肌身はなさず持っていた。何も知らない小学生にとって、それはきれいな『父さんお気に入りのアクセサリー』程度にしか思わなかったが、ネックレスの形にして、いつも会社に行く時も肌身離さず持っていた。
一度、父さんが浴室に入ったころに、イタズラでその玉を持ち去って玩具の代わりに遊んでいたら、激怒されて以来触ろうともしなかったものだ。
そんなものをどうして?12才に近いからか?でも僕はまだなっていない。神野家の成人の儀?何か嫌な気がする・・・。
そしてもう一つの和紙を確認する。
「人選び、覚醒促す玉成り。成人迎えし神野家に子々孫々この玉を伝承し、神人現るを待つ。」
小学生にしては難しい言葉の羅列だろうが、得意の速読と多読のお蔭で、意味は何となく分かる。
引きこもる前からラノベや図鑑、偉人伝をはじめ、池上〇のこどもニュースや、米国が認めたUFOの実在なんてな類のものまで幅広く読んでいた。
おそらくさっき父さん言っていたこの覚醒玉を分与した爺ちゃんの言葉だろう。
要は、神野の子孫として、このきれいな玉を代々伝えていけばいいってことだろうけど、神人現るを待てって、なんか昔の人の迷信だろうなと、内心「何言ってるの?」とおどけながらも、一方で、力なくこの玉と和紙を置いて去っていった父さんに、なにか切なく、嫌な予感が残るのであった。
父さんから急にドア越しに、覚醒玉なるものと和紙をもらってから一週間後。父は、死んだ。
近くの林で遺体として見つかったらしく、葬儀は母と自分だけの小さな家族葬として行われた。
ことの詳細は、小学生の武之には伏せられたが、理由はなんとなく分かった。
リストラから、経済的困窮、マンションのローン、母さんの負担、なにもできない無力な自分に、父さんの何かが切れてしまったのだろう。
だが、残された家族はたまったものではない。父の葬儀後、神野家は、困窮に陥っていく。
マンションの購入時、父の会社は勢いがあったようで、死ぬまでに絶対に返済できるとタカを括っていた両親は、いわゆる団信(団体信用保険)に入っておらず、マンションのローンは、連帯保証を組んでいた母親が支払はなければならなかった。
家族が毎日のように家計簿をつけてため息をついでいるので、こっそりその家計簿を覗いたで分かったことがあった。
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【収入】計21万
母のパートのフルタイムの収入は 13万円。
遺族年金 8万円
【支出】21万3千円
家賃8万8千円
食費2万円
光熱費2万
通信費1万
駐車場代1万
ガソリン代5千円
交通費5千円
衣類・雑費5千円
国民健康保険その他4万
【貯金】
50万円
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なればギリギリの生活なのだ。
なにげに国民健康保険、国民年金などが、意外と高い。逼迫した家計の状況で支払えば、赤字そのものである。「つくづく日本は重税国家だ」と母さんはボヤていた。団信に入っていればだいぶ生活も楽だっただろうが、病気でもしようものなら、本当に神野家は終わりだ。食費2万円は少なすぎる気がするが、母さんのパートの収入も不安定だ。
切り詰めるところは食費だと思っているのだろうが、父さんを亡くして、生活も不安定の上、母さんまで病気をしようものならかなり厳しい。
このままいけば、母さんは夜の仕事まで行くことになるかもしれない。
武之は、めぐみが27歳の時にできた子供だ。アラフォーといえども、見た目はまだまだ若い。
でもそんな苦労をかけたくはない。
家計簿を見た武之は、これでは大学にいって普通の会社に就職するどころかYoutuberで好きなことをしていきていくなんて夢のまた夢だと絶望の淵に落とされるのだった。