エピローグ 18年の変化
パパとママを何度も説得して、やっと許しが出た。
それから1ヶ月後、自動車は何度か休憩を挟み、ようやく目的の場所に着いた。
「お疲れ様でした」
運転席を降りたドライバーさんは長時間運転の疲れを見せる様子もなく、素早い動きで後部座席に座っていた私の為に扉を開けた。
彼はパパの専属ドライバー、私も顔馴染み。
「ありがとう、帰るまでゆっくり休んでて」
「はい、ありがとうございます」
彼は扉を閉め、頭を下げた。
そんなに畏まらなくて良いのに。
周りは緑が豊で美味しい空気、そんな中にそびえ立つ高い塀はかなり異様に映る。
ここはパパの会社が出資している特別保養所。その中身は薬物中毒者や、元犯罪者の厚生施設...
「こんな所に住んでいたのね...」
母はここの施設で10年以上も入所者更正の職員として住み込みで働いていたのだ。
...お父さんに慰謝料を支払う為に。
大きな扉の脇にある、小さな扉の前で施設の職員と落ち合う。
職員の方に続いて中に入る。
広大な運動場に止まっていたのは一台のマイクロバスだけだった。
「通いの職員送迎用です」
マイクロバスを見る私に職員が教えてくれた。
「マイカー通勤はしないんですか?」
「入所者が車を盗んで脱走するのを防ぐ為です」
「まさか...」
「いえ、本当です。
彼等の中には元窃盗犯も居ますから、職員のロッカーから鍵を盗む事なんかお手の物です。
後は車の鍵を壊してトランクに忍び込んだりとかです。
だからバスが発車の際、入所者は全員自室待機を徹底してます」
「分かりました」
どうやら常識が通じない人も中には居る様だ。
きっと一部の人間に違いない。
そうじゃなければ、母がこんな場所で長く過ごせた筈がない。
「どうぞ、この部屋です。
中は綺麗に片付けてあります」
「ありがとう」
建物内にある職員の詰所。
その隣に並ぶのが宿直室。
その一室が母の使っていた部屋だった。
「帰る際はお声掛けを」
「ありがとうございます」
職員は部屋の扉を閉めた。
彼は知らないのかな?
この施設に出資している会社の社長令嬢と思っているだろうが、私は養子。
母はこの施設で長い後悔を送っていた1人の元職員だ。
「意外と片付いているわね」
12畳程ある部屋にはトイレや流し台が完備されていた。
壁際に置かれた一台のベッド。
そして大きな本棚。
書籍は全て英語の専門書。
ここで入所者に英語を教えていたそうだ。
英語に堪能だった母は学生時代に留学経験もあり、会社では役員の秘書をしていたと聞いた。
でも、ここじゃ、あまり役に立たなかっただろうな。
施設で翻訳のアルバイトもしてたそうだから、専門書はきっとその為の物だろう。
「さてと」
テーブルの前に置かれていた椅子に座る。
私はテーブル上に置かれていた数冊のアルバムを開いた。
僅かに残されていた母の私物。
警察から返却された物。
殺人で捕まって刑務所に収監された母のアルバム。
事件は新聞で知った。
母が不倫の後、お父さんと離婚して、この施設で働いていた事は知っていたのだ。
もちろん、母の名前も。
「へえ...」
アルバムの中に写る母は意外と笑顔だった。
動く母は5歳までしか記憶に無い。
本当なら覚えてなくても不思議じゃない。
だが、私は知っている。
パパの家に毎年一回訪ねて来てたおじいちゃんとおばあちゃん。
母の両親。
私が6歳まで一緒に暮らしていた本当のおじいちゃんとおばあちゃん。
2人とも5年前に亡くなったが、その姿に何とか私は母の面影を忘れないで来れた。
「...人気者だったんだ」
施設で催された祭りだろうか?
笑顔の人達に囲まれている母の姿。
名札には斎藤と書かれているが母の旧姓だ。
頬の傷が少し目立つが、紛れもない母の姿がここにあった。
「何を考えて1人で10年以上も過ごしていたんだろ?」
母は日記を書いていたそうだが、事件を起こす数日前に燃やしていた。
『これで良いの』
止めようとする職員に母が言ったそうだ。
どうして母は殺したんだ?
母が殺めた男は既に身体はボロボロで、この施設に来た時、既に病気が進行していたそうだ。
ほっといても直ぐ病院送りになって死んでいた筈なのに、それでも殺した。
「やっぱり憎かったの?立花亮一が...」
母が殺したの人の名は立花亮一。
18年前母と不倫をした男。
薬物の罪で服役した立花は出所後、両親からも縁を切られ、障害者年金で細々と生きてきたそうだ。
事故で片方の目は失明、もう片方の目も視力は殆ど無く、声は発声の補助器具を使わないと話せなかった。
両方の指も先を全て失っていたから再就職は難しかったが、それでも薬を止められず、別の施設からこの施設に放り込まれた。
これらの事は全てはパパから聞いた。
いや私が強引に聞き出したのだ。
「運命の皮肉か」
最後の写真は1年前で終わっていた。
ちょうど立花が入所して来た頃で...
「結局は手掛かり無しか」
私が知りたかったのは母の気持ちだ。
一体何を考えていたのか?
不倫を後悔していたのは間違いないだろう。
でも謝罪の気持ちは有ったのか?
慰謝料をお父さんに払い続けたといっても、毎月の給与から天引きだったし。
それ以上に支払った訳でもない。
逮捕された時、母の通帳は殆ど残って無かったそうだ。
そんな事より...
『私の事をどう思っていたの?』
それが知りたかった。
母からの手紙は全て受け取りを拒否され、弁護士に突き返された。
それは仕方ない。
子供の頃ならいざ知らず、その事を知ったのは私が成人してからだ。
お父さんの上司だったパパとママにには子供が無かった。
母と離婚したお父さんは仕事が忙しくて私を養子に出した。
母が親権を手離したのだ。
多額の慰謝料を払う為、この施設に住み込むから私と生活は出来ないと。
養子の話しは、関係者が集まって決めたそうだが。
しばらくお父さんを憎んだ。
母だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんまで居なくなる恐怖に耐えられなかったのだ。
「それが最善だった...」
新しく私を養子に迎えてくれたパパとママは本当に私を大切に育ててくれた。
甘やかすだけじゃなく。時には厳しいパパ。
悲しい時は一緒に泣いてくれたママ。
私は本当に恵まれていたと思う。
お父さんは気まずさからか、余り姿を見せなくなった。
まあ、数年後に再婚して新しい家庭を持ったんだけどね。
子供も出来て、パパ達に冷やかされていたな。
今は家族で赴任した支店がある海外に住んでいるから滅多に合う機会が無いけど。
「帰ろうかな」
諦めて部屋を出る。
思ったより収穫は無かったが、仕方ない。
写真の母は私にあまり似て無かった。
それくらいか。
...いや待て、私はお父さんにも似てないし、おじいちゃんやおばあちゃんにも...
嫌な汗が背中を伝う。
「私は一体...」
胸が苦しい。
まさか私の本当の父親って?
その時、部屋の扉がノックされた。
「まだ居らっしゃいますか?」
「...はい」
なんとか返事を返す事が出来たが、目の前がクラクラして吐きそうだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
汗を一杯掻いていた私を見て1人の女性が駆け寄る。
きっと顔色までも真っ青なんだろう。
女性は一旦部屋を出ると、温かいお茶を手に戻って来てくれた。
「落ち着いた?」
「ありがとうございます」
優しい心遣いに落ち着きを取り戻す。
でも、この人は誰だろう?
「どちら様ですか?」
「私は山﨑光代、この施設職員です」
「そうでしたか」
母の同僚だった人って事か。
「あなた斎藤さんの娘さんね?」
「分かりますか?」
意外だ、どうして?
「ええ、驚いた顔なんかソックリ」
「そ、そうですよね!」
私は山﨑さんに縋りつく。
そうよ。私は母似なんだ!
きっと母は事故で顔が変わってしまったんだ!
私は山﨑さんから母の話を沢山聞いた。
母が殺した立花は施設で度々暴れ、手の着けられない男で事件の後、施設の職員が減刑の嘆願書を出したが母はそれを拒んだそうだ。
面倒見が良かった母は職員達の纏め役で頼りにされていた。
後、私の近況を弁護士から聞いていた事も知った。
「いつも言ってた、娘が幸せになれて良かったって」
「そうですか...」
やっと聞けた...母はちゃんと私の事を...
「はいこれ」
涙ぐむ私に山﨑さんは手紙を差し出した。
「これは?」
「斎藤さんが私に、事件の後、出頭前に託されたの。
もし娘がここに来る事があったら渡して欲しいって」
「本当ですか?」
震えながら手紙を受けとる。
何が書かれているの?
「帰りにでも」
「そうですね」
今は落ち着いて読めないと分かっていた。
山﨑さんにお礼をして施設を出る。
待たせていた車に乗り、落ち着いた頃手紙の封を開けた。
[亮子
貴女には最後まで迷惑を掛けました。
私はあなたに母と呼ばれる資格なんかありません。]
「そんな事ないよ」
冒頭に書かれていた言葉に胸が苦しくなる。
[私は立花を殺しました。
その事に後悔は全くありません。
アイツは私に気づきませんでした。
目が見えないとしても、声で分かる筈でしょ?
私はすぐに分かりました。
名前を見るよりも早くです。
顔が半分崩壊していても、声が機械的でも。]
[恨みは消えてませんでした。
だから殺したのです。
それより私が殺した後、愕然とした事があります。]
「なんなの?」
それは一体?
[未だに私だけが悪かったんじゃないと思う事です。
立花を殺した後、私も死のうと思いましたが、昔を思い出すとどうしても出来ませんでした。
自分では変わったつもりでも、余ったお金を施設に匿名で寄付しても、私は全く変わってませんでした。]
そんな...
[あなたは私を反面教師にしなさい。
人を裏切らないで下さい。
絶対に人を苦しめてはいけません。
私が言えるのはそれだけです。
面会は不要です。
さようなら、元気で]
最後の数行はインクが滲んでいた。
何が母をこうまでさせたか分からない。
しかし、1つだけ言える事がある。
「馬鹿....本当に馬鹿だ」
私は呟き続けた。
ありがとうございました。