3 炎の中で
石造りの倉庫の中は、本棚や木製の道具で埋め尽くされていた。
初めに爆発があった方から、じわじわと炎が大きくなっていく。
「ど、道具を寄せて、これ以上炎が広がらないように」
「無駄だよソランさん。我々がそうやって動く方が、空気の流れを刺激して炎が燃え広がるのが早まる。それにこの物量はどかしたくらいでどうにかなるものじゃない。そんなスペースはない」
「だけど、このままじゃ…!……私が、貴方をこんなところまで連れ込んだから」
彼が進むのを止めたことに後悔はない。あのままでは彼の身体は持たなかった。けれどもここで二人とも焼かれてしまっては意味がない。
あのゼファリンの言葉が真実だとするなら、カルデリアにいるヨベルだって…レウリアだってただじゃすまない。
「……ソランさん。最後にもう一度だけ、僕の指示に従ってくれる?」
「――策があるのか!教えてくれ。ここを乗り越えられるのであれば」
「炎の煙がこの倉庫を満たすまでもって半刻だ。それまでに小規模な転移魔法陣を描き上げる。筆は……僕たちの血でいい」
「待って。転移魔法陣を描き上げるのに普通数日は必要だ。そんなの…」
「魔法陣の構造は僕が研究した。今ここでは必要としない座標指定、重力安定、精神保護などを欠いた最低限のものなら描ける。どう描けばいいかは僕には分かる。僕の指示に従ってくれれば、今から二人で描けば間に合う」
「媒体は…?ここにクリスタルの欠片はあるけれど、発動に必要な神具は何も…」
ドライアルはそっと手を差し出した。
「僕が渡したお守り、ちゃんと持ち歩いているよね」
「…これ、のこと?」
中身は見ずに、常に持ち歩くよう指示されたものがあった。布に包まれて何か瓶のようなものが入っている。
「そう。ソランさんはきっと嫌がるだろうから、これは僕が保険のためにお守りと言って持たせた」
布の袋を破ると中からは赤い液体の入った小瓶が現れる。
「まさか」
「そう。隊長さんの血だよ。これで僕のこと嫌いになった?」
「……貴方の判断は正しい。気に食わないけど、今は助かる」
大掛かりな神具と違って、クロスティン人の血なら少量でも術は発動する。クリスタルの欠片を携帯している私がその血をも携帯したのなら、大抵の術式の発動権を持つことに等しい。
「なら早速作業にとりかかろう。できるだけ姿勢を低くして、鼻を布で押さえて。僕の指示に従って描いてね。分かってると思うけど、一つでも書き間違えてなら、僕たちはここで終わる」
「…分かった」
服の一部を破いて、鼻と口に巻くと、剣で指を切って彼の指示を待った。
彼を見ると同じように顔に布を巻いていたが、どうしてか。
この布の下で寂しそうに笑っているように見えた。
*
少し、息が苦しくなってきた頃に、私は気づいた。
「……げほっ、……ソランさん、手が止まっているよ。分かっているでしょう、もう時間がないって」
……どうして。最初に気づかなかったんだろう。彼に言われるままに、描いてしまったんだろう。
「――この転移魔法陣、一人用でしょ」
彼は一瞬手を止めたが、悪びれもなくすぐに描き進めた。
「そうだね。転移できる質量はソランさんの体重に合わせて最低限に調節してある。残念だけど武器は置いて行ってもらうよ。ソランさんなら大丈夫、ここを出さえすれば神龍剣は使えるから」
「ふざけているのか!」
叫んだせいか、次の呼吸で勢いよく煙を吸い込んでしまい、胸に痛みが走り咳が出る。
「ほら、……息を無駄にしないで。もう少しで完成だから、手を動かして。描きながら、君にはここから出た後の行動もレクチャーしなきゃいけないんだよ」
「っ……お前がここから出ろ。お前のアイディアだろうが」
「できないよ。言ったでしょう、ソランさんの体重に合わせて調節しているって。僕もなかなか華奢な方だけど、残念ながら重量オーバーなんだ」
「修正すれば」
「もう間に合わないよ。それに僕が出たところでどうするの?敵国のど真ん中で、兵士に囲まれて生き残れるのは剣姫くらいだよ」
「だけど、だけどこんなの……!」
煙に目がやられたのか涙が出た。こんな事態だというのに、涙が魔法陣の上にかからないように咄嗟に顔を背けた自分が惨めで仕方なかった。
「――一つだけ、僕が助かる方法はある」
それは、私をなだめるための言葉だったのだろう。
そうだとしても、そのわずかな希望から目を背けることはできなかった。
「どうすればいい」
「今から言う僕の指示に忠実に従って。ここを脱出した後にクリスタルの部屋までの行き方、戦闘が最小限になるルート、クリスタルをユーシティ城の地下まで逆転送するための魔法陣の修正の仕方を教える。クリスタルがここから消え去ればこの倉庫を囲んでいる結界も消える。そうすればソランさんの神龍の力で十分、この部屋のドアをこじ開けることは可能だよね。……これらのことを、僕が死ぬまでに出来るのであれば、だけど」
彼は意地が悪い。
私が、彼の提示するわずかな希望にしがみつくことを知っていて。
それが、カルデリアを救い、ゼファリンに勝つための条件だということを知っていて。
彼の指示に従うよう、利用したのだ。どこまで計算高い男なのだろうか。
返事は出来ずに、だけれども私の手は震えながらも動いた。
魔法陣の続きを描き始めた。追い詰められた精神とは裏腹に、冷静に可能な限り早く手を動かした。
「………本当は、半信半疑だったんだ」
ふと、彼が優しそうな声で呟いた。
「君に大切だって言われた時、僕を受け入れてくれるって言われた時、そんなまさかって思ってたんだ。………だけど、今の君の必死さを見ると、いよいよ真実だと認めざるを得なくなったよ」
「私を試したのか」
「保険だよ。もし、君が僕のことが大切だなんて言ってくれなければ、最初から作戦の全貌を伝えていたと思う。そうしなくて良かったよ。今ならはっきりと君のことが分かる。君は多分、この魔法陣を描くのに反対して、二人用の魔法陣を最初から描こうとするんだろうね」
「その方が、少なくともお前の生存率は上がった」
「でしょうね。だけどこの勝負に負ける可能性も大いに上がるよ。……これで良かったんだ。今の君には、もはやこの勝負に勝つことしか選択肢はないんだから」
全てを言い当てられて、返す言葉がなかった。
沈黙していると、ふと彼が激しく咳き込んだ。手を動かしながらも目を上げると、その美しい紫の瞳は既に苦しそうに歪んでいた。
もう――彼が最初にタイムリミットと示した半刻に、近づこうとしてる。
「けほっ……。……今から僕の言うことをよく覚えておいて欲しい。僕が居なくても、確実にカルデリアを救えるだけの知識を与える」
「……分かった」
胸が痛い中で、ぼやけそうになる視界の中で手を動かしながらも、そこから彼の言う一言一句を私は脳内に叩き込んだ。
*
僕の言う一言一句を、彼女は真剣な表情で全て記憶しようとしていることが分かる。
それでいい。そうすればカルデリアが助かる確率は、僕が勝負に勝つ確率は98%だ。
もう負けない。
人生で最期の勝負にしては、かなり心地いいものだった。
「以上だ。――そう言っている間に完成したね、魔法陣。……げほっ、けほっ……。君と二人きりで閉じ込められて密談できたのは楽しかったよ。惜しいけれども、ここでお別れかな。さ、ソランさん、クリスタルに力を込めて。媒体の血を魔法陣に振りかざすから」
「その前に一つだけ。お前を救うには、どれくらいで戻ってくればいい」
まだそんなことを言っているのかと、少し微笑ましかった。
「……君を送り出してすぐに、多分僕は気を失う。もうこの部屋の酸素は持たないからね。そこから先は――僕の気合次第かな。こと切れていたとしても自分を責める必要はないよ。僕の生存率は元から1%以下なんだから――」
最後まで言葉を紡ぐことが出来なかった。
なぜなら、彼女の腕に引き寄せられたかと思うと、彼女は自分の顔の布を取り下げ、僕の顔の布をずらし、唇と唇を優しく重ね合わせた。
訳が分からなかった。
いつもその辺の貴族令嬢を挨拶代わりに交わしている行為だというのに、
胸の高鳴りが抑えきれなかった。
「――っ」
驚きで、僕にしては、らしくもなく、手にあった小瓶を魔法陣の上に落した。
地面の方から青い光が発される。彼女は手でしっかりとクリスタルを握り、魔法陣に生命力を流し込んでいた。
――発動は、成功している。
「私が返ってくるまでに、死ぬことは許さない」
真っ直ぐに見つめてくる彼女の瞳から、目をそらすことが出来なかった。
彼女が静かに僕を離したかと思うと、腰にあった剣、鞄、上着の全てを脱ぎ捨て、そして光に包まれた。
――転移魔法。
僕の返事を待たずに、彼女はここから消えていった。
最後に見た真っすぐな瞳が、いつまでも脳内に焼き付いて離れない。
「げほっ、げほっ……くそっ!!」
辺りを見回して、倉庫の掃除用か、汚水がまだ残っているバケツを見つけた。
躊躇いもなく、それを頭からかぶる。
なんでだ。
プライドの高い僕が、なんでこんなことをしている。
「……気絶した後に、水をかぶっていた方が、焼死する可能性が下がる」
なんでだ。
なんで僕が、生存率を高めているんだ。
そこは勝利条件じゃないんだ。
そこを勝利条件にしてしまったら、99%の確率で負けてしまうじゃないか。
「……勝ちたい。勝たなきゃ」
勝たなければ、彼女の真意が確かめられない。
彼女がなんで、あんなことをしたのか、問いただす必要がある。
彼女に、もう一度…。
「会いたい……」
視界が歪む。いつ倒れても不思議ではない。
それでも最後の力を振り絞って、最も煙が回らないところ、最も炎から遠いところに、少ない金属製の棚や机でバリケードを築いた。
この部屋が全焼したとしても、最後の最後まで、火が回らないように。
その中心で、僕は静かに気を失った――。
*
一刻も早く。
一歩でも近い道を。
「はぁああああ!!」
道行く兵士どもを、一切の無駄がない動きで斬り捨て、私は前へ進む。
『大丈夫。今ならゼファリンはカルデリアを落とすために全兵力を集中させている。恐らく兵士をカルデリアへ転移させているんだと思う。そして僕たちを封じ込めた。だから――今が最も、クリスタルの防衛線が薄いときだ』
教えられた道を辿って、城内の最深部にたどり着く。
『この施設の設計図を過去に一目見たことがある。必要な情報だと思って、全て暗記した。最深部に用途が説明できない部屋がいくつかある。そして謎のデッドスペース……クリスタルを保管するための空間を作るとしたら、そこだろう。そこへ入るための階段を引くとしたら、恐らくここ。入口は構造からしてこっち』
自分の血で魔法陣の隣にマップを描きながら、信じられないような説明をしていたドライアル。
その言葉にただ従うだけで、本当に、難なくクリスタルの部屋にたどり着いた。
「……はぁ、はぁ……」
重たいドアを開けて中に入ると、中に兵士らしき者はおらず、学者らしき者が数人いるだけだった。
ここまで全力で駆けてかなり疲弊していたが、こんな奴ら相手ですらない。
もっとも効率がいい方法を考えて、殺気を飛ばした。
するとそれだけで相手は尻尾を巻いて逃げるようにして奥へと走り去っていった。
「け、剣姫だ!!剣姫が攻めてきた!!!」
それでいい。今は一秒でも時間が惜しい。
逃げ行く者どもに目もくれずに、私は巨大なクリスタルが浮いている下部にある、直径30メートルはある魔法陣を読み込んだ。
「ソリ、ドゥラ、レコ、ダ……っ!ここだ!!」
『クリスタルを元ある場所へ戻すためには、彼等が盗んだ時に刻んだであろう魔法陣を利用すること。一から描いてたらそれこそ年単位で時間がかかるよ。必要な作業は二つだからよく覚えておいて。一つは転移魔法の発動設定年月を消して現時刻に設定し直すこと。二つはこの部分、ここに簡単な式を入れることで、既に入力されている転移前座標と転移先座標が入れ替わる。つまりダヌ帝国からカルデリアへの逆転送になる。少し直すだけでいいんだ』
少しでも早く、だけれども狂いなく、ドライアルに言われた通りの術式を描き加える。
「やめろ、やめろやめろやめろ!――僕のクリスタルを盗るつもりか!!」
後ろから罵声が響いたが、見向きさえしなかった。
続く殺気に、小さく「神龍剣」とだけ呟いて右手を翳した。
「時間がない、ゼファリン。私の邪魔をするな」
金属音がする。彼の剣を赤く燃える剣で受け止めたのだ。
続いてドライアルそっくりなその顔を一瞥すると、すぐに体勢を低くし剣を振り払う。
「ぐっ――」
相手にある程度避けられたのだろう、確かに腹を切り裂いたが、手応えは軽かった。
「くそ、くそくそくそ!!」
剣姫には勝てないと彼自身分かっているはずだ。それも今の場所のように、壁がなく広い空間の真ん中に居ては勝算がない。
そのまま距離を取ると彼は壁の中に逃げていった。その先で気配がすぐに消失したから、恐らく事前に設置した転移魔法陣で逃げたのだろう。
――行先はカルデリアだろうか。
妹が心配だが、今ここで深追いする時間などない。私は全力で今ここの魔法陣を完成させなければならない。……彼が、待っているから。
「よし、出来た」
幸い神具はもとより魔法陣の真ん中にあった。クリスタルの欠片を魔法陣に押し付け、生命力を込める。
「ぐっ!?」
先程とは比べ物にならないくらい、甚大な生命力が吸い取られていく。その痛みに手を離しそうになるが、歯を食いしばって耐える。
白い光が部屋を包み、やがて消える頃には、空中に浮いていた巨大なクリスタルは存在せず、部屋には神具だけがぽつんと残ってしまっていた。
「はぁ……はぁ……」
眩暈がする。先程まで大量に煙を吸い込んだ肺に、大きく呼吸する度に焼けるような痛みが走る。
まだ何も終わっていない。
ふらつく足で立ち上がり、この異様な神殿を出て、ここまで降りてきた階段を一気に駆け上がる。
今もまだ、煙が充満した部屋に取り残された、ドライアルを迎えに行くために。
*
「くそ、こうなったら、全てがばれる前に女王を殺すしかない。大丈夫だ…戦争の準備はすでに済んでいる。女王が死ねば――奴らはクリスタルへの部屋の鍵を開けられない。その間にもう一度魔法陣を修正して……帝国へ送り返せばいい。そうだ、大丈夫だ。剣姫はしばらく戻って来れない」
最上階の部屋でぶつぶつ呟きながら、先程斬られた傷の止血をして服を着替える。鏡を見れば、少しひきつっているものの、変わらず顔はドライアル=ポリストリーのものだ。この機会を逃すつもりはない。
男は部屋を出て、少々荒っぽく女王の元へと向かう。今は作戦会議室のはずだ。
当然だろうな、ダヌ帝国から空間転移で送られてきた兵どもに、あっという間に王城を囲まれているのだから。
「ドライアル!良かった無事だったのね」
当の本人はとっくに無事でない環境下に晒されていることも知らずに、安堵する女王を見てゼファリンは薄く笑った。
「ええ、この展開は流石に僕の予想を超えていました。すぐに兵をまとめて迎撃しましょう。隊長さんは軍の指揮を。ここは僕に任せて」
その時だった。
首筋に何か冷たいものが当たっていた。
恐る恐る振り返ると、白銀の騎士が剣を抜いていて、ゼファリンの首元を狙っていた。
「はは…、これは、何の冗談かな」
「こっちの台詞です。女王陛下を前にして殺気を飛ばすとは何事ですか」
「あはは…。ごめんね、ちょっと敵に遅れを取ったのが悔しくて、女王さんに当たってしまったみたい」
会話をしながら、ヨベルは剣を掲げながら少しずつ移動し、気づけばゼファリンと女王の間に入っていた。
これでは女王を暗殺することさえ叶わない。
内心悪態をつきながら、ゼファリンは両手を挙げて徐々に後ろ、壁側の方へ下がっていった。
「貴方は、誰ですか」
予想していなかった質問に、ゼファリンは心臓がどくんと大きく鳴った。
「ソラン様は、私に陛下の側を片時も離れないよう命令を残しました。この騒ぎの中、顔すらお見せにならないのですから、少なくとももうこの城にはいらっしゃらないと考えるべきです。城外にいる兵は報告によるとダヌ帝国の者。国と国の戦争が起こるという時に、剣姫が不在の上で軍の最上位指揮権を持つ私の行動を制限するということは、つまり、敵は外ではなく内部にいるということ」
「それはそれは。名推理だけど、だからと言って、その敵が僕という証拠には――」
「ドライアルのことは正直そんなに好きではありませんが、少なくとも彼は武器庫爆破から続くこの事態に対して何の情報も掴めないような人ではありません。……確信を得たのは、今朝のことですが」
「いやいや。今朝は隊長さんと女王さんとずっと一緒に居たじゃないか。ほら、隊長さんが気晴らしに将棋がしたいって言って」
「ええ。ですから、私はドライアルにはただの一度も勝てたことがありませんでした。それが何故、今朝は勝てたのですか」
「く、あはははははは」
突然、ゼファリンは観念したかのように大笑いを始めた。
「こいつ、頭が良すぎるのも問題だなぁ。女王をここで殺そうとしたが残念だ。仕方ないけどまたの機会にするよ。じゃあな」
背後にある壁に吸い込まれるようにして、ゼファリンは消えていった。
「全く、とにかくこの城にこれ以上いるのは危険だ。一旦抜けてから今後のことを――」
壁をすり抜けてから背後を振り返ると、自分を囲むように親衛隊が武器を構えていた。
「嘘、だろ」
「半信半疑だったけど、本当に壁をすり抜けられる人がいるとはな」
「副長の言う通りですね。あ、副長って言っても貴方のことじゃないですよ?ソラン様方がダヌ帝国からお帰りになった後、独自にお調べになられて、もしかするとクリスタルは敵から干渉を受けられているかもしれないって。もし可能であれば壁をすり抜ける能力しかありえないってさ。まぁ、クリスタルの調査は女王陛下の許可が下りる前に、うやむやになっちゃったけど」
「なん、なんなんだよ、なんなんだよこいつは!!!」
ドライアル本人が愛用していた短刀で立ち向かうが、本来のゼファリンの武器じゃないだろう。壁を越えれば隊長が待ち構えている中、追い詰められた彼はあっという間に親衛隊小隊長格に捕縛された。
隣の部屋から追ってきたヨベルが、無力化されたゼファリンに再び剣を向ける。
「まだ、私の質問に答えていませんよね。貴方は誰ですか。そして……ドライアルと、ソラン様はどこなんですか」
観念していたゼファリンだったが、やがて笑い出した。
「く、あはははは。……こいつは、どこか寂し気な目をしていてな。最初、僕にそっくりだと思ったんだ。だからいじめたくなって。……ああ、安心して。君がご執心の剣姫は無事に抜けられたみたい。僕じゃない転移魔法の発動痕跡があったから見に行ってみたら……あはは、本当にすごいよ。あの炎の中から抜け出して、カルデリアを救っていたんだ。でもこの小僧は居なかった。見捨てられたんだろう、ざまぁみろだ、今頃ダヌ帝国で、苦しんで燃え死んでいるだろうよぉ」
その言葉に、ヨベルの後ろに居たレウリアが先に反応した。
「そんな。ドライアルが…そんなこと」
「――レウリア様。この者は地下牢に繋いでおきます。死罪でしょうがまだ情報が搾り取れるかもしれません。……能力警戒のために第8小隊は監視と拷問を。残りは私と共に首都防衛プランBの遂行を。速やかに帝国軍を排除せよ」
「「はっ」」
冷静に判断を下したヨベルの手は、血が滲み出そうなくらいに剣を握りしめて震えていた。
*
それは、今まで僕が見た中で、一番幸せな夢だったのかもしれない。
いい香りがする。
目を覚ましたら、彼女の膝枕の上だった。
「こら、まだ休んでないとダメでしょ」
「……何があったわけ?」
「ヨベルと実戦形式で戦って、やられたでしょ。彼、優しそうな顔して剣術に容赦はないんだから」
「いやそこじゃなくて、何で僕は膝枕されているわけ?」
「ん?よくヨベルにしていたけど、貴方は嫌いだった?」
「いや嫌いじゃないけどそれはそれでむかつく答えかな。……あと僕のプライドのために言っておくけど、隊長さんに剣でというルール以外でならなんでも勝てるから。まずあの人の毒殺ほどやりやすい手口はない」
「わかる。あの人絶対毒だって気付かずに飲んじゃう」
しょうもない話をしながら、優しい風が僕の頬を撫でる。
「ねぇ、ソランさん」
「何?」
「僕って、寂しかったのかな」
「どうしたの、急に」
「今まで数多くの女を抱いてきたし、やろうと思えば誰にでも好かれる男を演じることが出来た。なのになんでだろう、なんでこんなにも、満たされないんだろう」
「……その人たちは、貴方の真の姿、行為の全てを知ってなお、貴方を愛するということが出来なかったんじゃないかな」
……当然だろうな。
女性たちにはもちろん、裏の顔で指示を出す部下にも、女王さんや隊長さんでさえ、話していない過去が山ほどある。
僕はその過去を悪いとも思っていなければ、僕のせいで死んでしまった人に対して申し訳ないという気持ちもない。
ただ、必要なことだった、それだけだ。
「貴方は、自分の全てを受け入れてくれる人が欲しかったんじゃないかな」
「……まるで、自分にならできるという自信っぷりだね」
「当たり前でしょ」
彼女は笑っていた。その笑顔が、どうしてかとても愛おしく感じた。
「だってそれも全てひっくるめて、私が認めたドライアル=ポリストリーという人間なんだから」
景色が、掠れていく。
――。
……胸が、痛い。
息苦しくて、空気を吸い込もうとする一方で、吸い込んではいけないと全身が警鐘を鳴らしている。
何があったんだっけ。
千年来の天才と称された僕が、さっきまでのことを忘れるなんて、笑える話だ。
あ、そうそう。
彼女の唇の感触をまだ覚えている。
なんてことを忘れていたんだ僕は。
彼女…?
どうして僕は、彼女のことを考えると、こんなにも胸が……。
満たされるのだろうか。
*
「ドライアル!!!」
結界の解かれた倉庫の石造りの扉を火龍で吹き飛ばしながら、中へ駆け込む。
中に酸素は殆どなかった。爆発が起きないように事前に結界で入口一帯をふさいで良かったと思う。
「ドライアル!!どこだ!!!」
息が苦しい。自身に炎が燃え移らないように、水龍で水を出し頭から浴びた。
中の木材は殆ど原形をとどめないほどに燃え盛っていた
足元に炎に包まれた人型の何かが落ち、心臓が止まりそうになる。
元々倉庫にあった人型模型の残骸だ。
奥まで進むと、一角に、炎が上がっていない場所があった。金属棚や金属のテーブルが積みあがっていた。
「――っ!」
その隙間に、黒い髪が見えた。
「ドライアル!!!」
バリケードのように積まれた棚をどけて、彼を手に抱く。
意識はない。だけど、炎が届かなかったのか、どこも外傷は見当たらない。
その顔は、どこか穏やかそうに、笑っているようにすら見えた。
全力で走り倉庫を抜け出して、結界を解くと、背後で爆発が起きる。風通しが良い中庭まで駆け込み、ドライアルを静かに地面に横たわせる。
そこからの動きは、何一つ無駄がなかったと思う。
胸骨圧迫に人工呼吸。何度も何度も、彼が息を吹き返すまで続けよう。
「はぁ……はぁ……、ドライアル、ドライアルっ」
何度も、その名前を呼んだ。
「お願い、目を覚まして、ドライアル」
「――げほっ」
小さく、とても小さくだが、彼は咳をした。
「!――ドライアル!!」
呼吸を確認すると、私は水龍を呼んで両手に水を出した。
水を自分で口に入れてから、彼にまた、口移しで飲ませる。
「――げほっ、ごほっ………ん………ここ、天国かな?」
彼の一言目に、思わず笑いが漏れてしまった。
「ありがとう、私のこと、待っててくれて」
「げほっ………ソランさん、ごめん、水を、もう少しだけ……」
その要求に応えて、私はもう一度同様に、口移しで水を飲ませる。
「………隊長さんが見たら、めちゃくちゃ妬くんだろうな、これ」
恥ずかしそうに、彼は私から顔を逸らして、ぶつぶつと何かを言っていた。
「貴方の言う通り、クリスタルはカルデリアまで戻した。ここ一帯の兵士はそこそこ片づけたと思うけど、まだ敵陣の真ん中だ。どうすればいい?」
「あー。ソランさんが一人で逃げるプランしか立ててなかった。流石に僕がお荷物すぎる……。人を抱えても目立たない道――えっと、地下水路でもいいかな?すっごく臭いけど」
「あはは。ドライアル、貴方が生きているのなら、そんなことどうだっていいわ」
そうやって笑う私を、彼はらしくもない優しい目で見つめてくれた。
「ゼファリンのことだけど、心配しなくていいと思う。彼が健在なら真っすぐに女王を暗殺してクリスタルをこっちに戻すと思う。それが起きていないってことは、多分、隊長さんたちが上手くやってくれたんじゃないかな」
「―――良かった……本当に、良かった」
彼の一言で、やっと安堵できた私は、気づけば緊張がほぐれたからか頬を涙が伝っていた。
その涙を腕の中のドライアルが、手を伸ばし拭ってくれた。
「……綺麗だ」
その一言は、彼がいつも女性を褒める時のものとは、とこか違った響きがした。
「地下水路を抜けて海岸に行こう。余っている船があるはずだから。今度は僕と船旅で帰ろう、隊長さんにその特権を奪われたままじゃ、なんだか癪だからね」
「……分かったわ」




