08.男同士で手を繋ぐなんて
アレクと名乗る青年はグレンのお兄さんだそうだ。
兄弟揃って同じ栗色の髪と瞳。モンブランみたいな色合いだ。
ただ、腐ったモンブランみたいな陰気な雰囲気のグレンと比べ、兄のアレクは出来立てのモンブランに胡散臭さと軽薄さをトッピングしたといったところか。イケメンではないが、友達の多そうな軽いタイプに見える。
「キャサリーン嬢とグレンは友達なのかい?」
アレクに問われ、キャサリーンは溜め息を吐いた。
「私は良き協力者だと思っていたのに、つい先ほど裏切られたばかりですわ」
「ええっ!?」
――なんでグレンはそんな驚いてるんだ。
協力するって約束したのに忘れられてた挙げ句に、ちゃっかり相手見付けてたんだから間違ってないだろ裏切者。
「どうやら既にダンスを踊っていただけるお相手がいらっしゃったようで。誤解されたくないから私とは離れていたいのだそうですわ。まるでウイルスみたいに距離を取って……!」
ひとりぼっちで可哀想なキャサリーンの傍にいると同じく独り身かと誤解されるから迷惑だと暗に告げられたのだ。俺はリア充だから貴様とは仲間ではない近付くな、と。
「グレン、こんなに可愛いお嬢さんを裏切って別の女性と……?」
「ち、違う! 他の相手なんていない!」
慌てて否定するグレン。
「俺は誰も誘ってないし、踊る予定なんてない」
「本当に? 今度こそ裏切らない?」
「そもそも裏切ってない」
疑惑の目を向けるも、あっさり否定された。
アレクは肩を竦める。
「うーん。キャサリーン嬢、君の勘違いだったみたいだねぇ」
「そうですわね? とりあえずグレンには踊っていただけるような関係の方はいらっしゃらないってことね?」
「そ、そうだよ!」
何故グレンは言い切ってやったみたいな顔でチラチラこっちを見るのだろう。
「良かったねグレン、さぁキャサリーン嬢と仲直りのダンスを踊ってくるといい」
「「はぁっ!?」」
声が揃ってしまった。
(――いや、だってそうだろ。男同士のダンスなんて、本日令嬢5人に逃げられた身とはいえ最終手段すぎでは)
女の子とペア組んでもらえなかった惨めな学生時代を思い出すだけだ。しかも片方は中年のオッサンがチラつく容姿となれば、悪ふざけにも見えまい。
「グレン、やめておきましょう? 私はもう失うものがないけれど、こんなゲテモノと踊ったらまるで晒し者よ……」
「え? 何を言って……?」
「いくら協力者とはいえグレンに申し訳なさすぎる……」
「そ、そんな……えぇぇ……?」
しばらく「あー」とか「うー」とか言って狼狽えたあと、首まで真っ赤にしておずおずと片手を差し出した。
「き、き、キャサリーン嬢。その、君が良ければ、あの、お、俺なんかで良ければ、い、一曲踊って、もらえないだろうか?」
「私相手に噛みすぎなんだけど」
呆れた目を向けるキャサリーン。
するとアレクが弟にかわってこう提案する。
「まぁまぁキャサリーン嬢。グレンは今日両親からなにがなんでも令嬢と踊ってこいと脅されていてね。可哀想で憐れなグレンに慈悲を与えてもらえないかな?」
(――慈悲もなにも)
しかしここで、まぁでもそうかとキャサリーンは思い直す。
いくら中身がオッサンで、オッサンオーラが外まで滲み出て気持ち悪いとはいえ、一応分類の上では令嬢なのだ。
どうせ5人に断られて予定もないし、協力者のノルマ達成に付き合ってやるかと小さく微笑む。
「デュフw 仕方ないわね」
――やべ、油断したら前世の変な笑い声が漏れ出てしまった。
目の前の震える手に、白く華奢な手を乗せると、グレンがますます顔を赤らめ振動しだした。
(羞恥に震えるほど嫌ならやめときゃいいのに)
案の定、ダンスホールに向かえばモーゼのように人が引いた。
(見られてる。めっっちゃくちゃ見られてる)
気持ち悪いオッサン令嬢と青年が手を取り合って踊るのをそんなに見たいのだろうか。
せめてバカにして笑ってくれればいいのに、無言で会場中から遠慮なく突き刺さる視線が痛い。
楽団が楽器を構え直した。まもなく次の曲が始まるようだ。
ダンスの前にお互い軽く頭を下げる。
「やっぱり見られてるわね。お兄さんに乗せられて仕方なくとはいえ、私のせいでごめんなさいね」
「あの、兄貴はああ言ってたけど、その、両親に脅されて仕方なく君を誘ったわけじゃないから。君と本当に踊りたいと思ったから……」
「はいはい、私にまで気を遣ってくれなくていいのに。グレンは優しいのね」
大勢に注目され緊張しているのか、グレンの顔は真っ赤なままだ。
自分のことでいっぱいいっぱいなはずなのに、オッサンのご機嫌取りまでしてくれるなんて。
(陽キャの視線に囲まれた舞踏会で居心地悪いのは俺も同じなんだけどなぁ……)
正直キャサリーンだっていっぱいいっぱいだ。こんなに視線を集められれば萎縮してしまう。
しかしここは中年らしくどっしり構え、精神的にふた回りは年下であろう友達想いの青年を助けてやらねばなるまい。
ワルツの音が会場を包む。
16年の令嬢生活で見慣れた小さな白いキャサリーンの手。傷ひとつなく爪もピカピカだ。
そこに重ねられた手は骨の目立つゴツゴツした感覚が懐かしいが、すっぽり包み込まれているようで妙に落ち着かない。
(そういえば男同士で手を繋ぐなんて初めてかもしれない。何もかも小さくなってしまったんだな……)
ずっと引きこもっていて、比較対象がアンナしかいなかったから気付かなかった。もとから小さかったイチモツに至っては完全になくなってしまったが。
小柄なキャサリーンの眼前にはスーツの襟元しか見えない。様子を伺うように顔を上げれば、頭ひとつぶんほど高い身長のグレンは緊張のせいか様子がおかしい。
目が合うと慌てて逸らされ、視線をさ迷わせ始めた。
招待客に見られているのは確かに気になるが、それにしても周りを見過ぎでは。
「なんでそんな仰け反って離れようとしてるのよ。もうちょっと近付いて。あまり周りを見ないように」
「これ以上は無理だ。もう吐きそう……」
「我慢してちょうだい」
――失礼なやつめ。
キャサリーンだって好き好んで野郎と踊っているわけではないのに。
相手が可愛い女の子なら思う存分密着して、腰に手を回して撫でまわしたかった。
まぁ、ほとんどの令嬢からダンスに誘う前に逃げられた分際では高望みなのだけど。
「はぁ……うっかり手が滑ってお尻くらいはと思ってたのになぁ」
「なぜ心の声が! いやそこまでは思ってない!」
思わず口をついた独り言にグレンが真っ赤な顔で反論した。
――嘘つくなよ、どうせお前だってあわよくばと思ってるくせに。
このあと何故か動揺したグレンにめちゃくちゃ足踏まれた。
図星だったからって、そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか。
お返しにヒールで思い切り踏みつけてやった。