05.マローニ家で朝食を(sideグレン)
――昨日はあれからどうやって帰ったのか覚えていない。
いつものように仕方なく兄と参加した夜会。
思い出せるのは別れ際のシャンデリアに輝く彼女の笑顔。夜空のようなふわふわの髪が揺れて遠ざかる姿がフラッシュバックする。
キャサリーン・ブルーノは噂に違わぬ美しい女性だった。
逆光で姿が見えなかったとはいえ、よくも言葉を交わせたものだ。協力関係だとかなんとか言ってた気がするが、微妙に会話が噛み合っていなかったのは記憶が曖昧なせいだろうか。
伯爵譲りのアイスブルーの瞳は、魂も記憶も奪う代物に違いない。
交わした会話を思い出そうとしても別れ際の彼女が鮮烈すぎて、どうにも要領を得ないのだ。
(きっとあれは夢だ。都合のいい妄想)
女の子に相手にされなさすぎた自分の悲しい願望だったのだ。あんな美少女が俺のような冴えない男に微笑みかけてくれるなんてありえない。
――現実に戻らなければ。
今年こそ嫁をと意気込む両親のほうが現実問題だ。自分の息子を客観視できていない。
これといった特徴のない猫の額ほどの領地だが、子爵家嫡男である兄は先日商家の娘との結婚が決まった。貴族との繋がりがほしい商家にとっては子爵位でも魅力となるのだろう。対する俺は次男なので子爵家を継げない。
栗色の髪と瞳はぼんやりした印象で、お世辞にも華やかとは言えない地味な顔立ち。
研究一筋で引きこもっていたので手足はヒョロヒョロだし、自信がないせいで常に猫背だ。
ゆくゆくは兄の邪魔にならないよう家を出るつもりで仕事を見付けたはいいが、この仕事がまた地味で【毒の研究】。
騎士や文官は制服も華やかで女性に人気の職業なのだが、かたや自分の制服は毒草のシミや虫の汁がついた薄汚れた白衣。
博識な男性は魅力的だというが、"毒グモから抽出した物質の投与経路に基づく臓器の侵されかた"なんて聞きたがる女性は皆無だろう。
最初の頃は俺だって運命的な恋に落ちるかもしれないなんて淡い期待を胸に、ないコミュ力を振り絞って社交に励んだものだ。
見た目だって今より全然気を遣っていた。
だが結果は前述の通りで、徐々に焦り、落ち込み、数回の参加を経た頃には完全に諦めるようになった。
仕方なく義務的に出席しても、誰からも相手にされず、言葉も交わさず、ただ宙を眺める。
――もう疲れた。
俺には女性に好まれる要素がひとつもない。それなのに身内の欲目か盲目なのか、両親は本気で俺なんかに嫁が来ると信じているのだ。勘弁してほしい。
* * *
朝食をとるため憂鬱な気分でダイニングに向かう。
着席すると、待ち構えていた親父に早速
つつかれた。
「グレン、昨日の夜会では早々にどこかに消えたらしいな。今年こそやる気を出して誰かいい人を……」
――一緒に参加していた兄が親父に告げ口したのか。
この忌々しい話題の元凶であろう兄アレクは素知らぬ顔でベーコンを口に運んでいた。結婚が決まった途端に裏切りやがって。
俺はしっかりと兄を見据えたまま嫌みを口にする。
「どうせやる気出したって無駄ですよ。誰も俺なんて相手にしません」
スクランブルエッグの味がしなくなってきた。
「またそんな事言って……。今年は始まったばかりよ、まだチャンスはあるわ」
おっと、母まで参戦してきた。今日は長引きそうだ。
すると兄が身を乗り出す。
「そうだぞーグレン。俺の婚約者もはじめ俺になんぞ興味なかったんだ。ショボい子爵位を価値ある貴族位に見せかけて、ようやく結婚にこぎつけたんだ」
「クソ兄貴、それ完全に悪徳商法じゃん。バレて即離婚されても知らないよ」
「結婚してしまえばこっちのものだ。よくやったぞアレク」
父は称賛しているが、詐欺まがいのことをして結婚を取り付けたらしい。
「マローニ家は見た目も爵位も領地も地味なんだから、少ない資産を最大限に活用するのよ。母さんも口八丁に騙されてこの家に嫁いできたんだから」
母の言葉に目眩がしてきた。親子二代に渡る詐欺師の家系だったなんて。
「あいにく俺は引きこもりなので兄貴のように口がうまくありません」
「最近は夜会に出席しても、誰とも口をきかないくせに」
「……」
今日はいつにも増して風当たりが強い。
俺が押し黙っていると、兄はさらに畳みかけてきた。
「昨夜は誰かと会話したか? 花壇の草は論外だぞ」
「………」
ああ言えばこう言う。兄貴分かっていながらわざと責めている。
いままで散々一緒に夜会に参加していたので、俺の言動なんて筒抜けだ。「そら見たことか」と兄は得意気に続ける。
「声をかけないことには我が家の真骨頂は発揮されないんだよ」
「……っ、昨日はちゃんと人間の女性と話しましたよ。次の約束もしました。もういいでしょう」
腹が立ってきた俺は話を切り上げ、席を外そうとした。
しかしこれが失言だった。父がすごい勢いで食いついてきたのだ。
「なにっ、グレンが女性と会話!? 幼女と老婆はカウントするなよ!?」
「失礼だな親父、ちゃんとデビュタントの女性だよ」
すると母まで心配そうに言う。
「研究所の職員はダメよ? 仕事相手への挨拶は会話じゃなくて業務連絡よ」
「違いますよ母さん、貴族のご令嬢です」
先ほどまでの威勢はどこへやら、アニキが大丈夫かという目でこちらを見てくる。
「グレン、本当に約束なんてしたのか? 騙されてないか?」
「詐欺師の兄貴には言われなくない」
散々焚き付けておいて、失礼な家族だ。
うんざりしてきたので席を立つ俺を母が遠慮がちに引き留める。
「その、次の約束というのは……?」
親父と兄貴の詐欺師親子はさておき、母には強く出られない。
俺は背を向けながらも返事をする。
「大したことじゃない。スミス叔父さんの舞踏会でまた会おうってだけ」
「よし、次はその舞踏会でダンスに誘ってこい! なに、減るもんじゃなし、断られたら別の女性を誘えばいい。お前だってやればできるんだ」
「やだよクソ親父。もうその子と関わるつもりはない」
膝を叩くな。なにも『よし』ではない。
なんせ相手はあのキャサリーン・ブルーノ。本来なら目を合わせることすら烏滸がましい。
ダンスなんて踊った日には、全貴族から袋叩きにされ五体満足では帰れまい。減るのだ、俺が。
もう話すことはないと後ろ手でダイニングの扉を閉めた。
中からは楽しそうな夫婦と兄の会話が聞こえてくるが、無視だ無視。
「アレク、お前も舞踏会に参加してグレンをつついてこい。遠慮はいらん」
「そうだね父さん。珍しくグレンが女の子と内容のある会話ができたんだ、これを逃す手はないだろう」
「ダメでもともとだもの。しっかり様子見てきてね」
* * *
後日、隣国の王子がキャサリーン・ブルーノに求婚したという話が大陸中を駆け巡った。
やはりあの夜会は都合のいい妄想だったんだ。
大国の麗しい王太子からの求婚を断る女性なんて、きっといない。もう今後は彼女と会うこともないだろう。
ちなみにその裏で『夜会の帰りに何者かに襲われた王子が縄でしばられ崖下から発見』という事件があったのだが、関心が求婚に集まっていた俺の耳に届くことはなかった。