20.税金泥棒とヒキニート
「ふふふ、そう。そこなんだよ」
たった今しがた男はお呼びでないと拒絶したはずなのに、何故かジークハルトは目元を綻ばせる。
「こっちで"リン"が付く名前は女性に多いから可能性はあるかと思ってたんだけどさ。まさか本当に女の子になっているなんてね、ふふっ」
キャサリーンがタマ無しになったのが余程嬉しいようだ。なんというクソ外道野郎。
「僕はね、凛が相手なら男でも女でも構わなかったんだ。でもこれで僕達は格段に結ばれやすくなった。貴族令嬢なら既成事実を作ればすぐにでも僕のものになる」
「ひっ……!」
どろりとした瞳で迫られ、キャサリーンは思わず小さく悲鳴をあげた。
さすがに意味が分からないほどマヌケではない。平民ならまだしも、貞淑を求められる貴族令嬢の婚前交渉は絶対禁忌。
例外としては正式な婚約関係にある場合――
「おおおおお前さっきプラトニックで良いって言ってたじゃねえか!」
「良いなんて言ってないよ。前世では凛に嫌われたくなくて我慢してただけ。それに前世では凛を抱いても僕のものにはならなかったでしょう?」
「そりゃそうだろ! ていうか、春人は巨乳だったけどジークハルトは巨乳じゃない! それにイケメンは却下だ!!」
「嬉しいなぁ。凛が僕をイケメンだなんて。今世は体質なのか太れなくて困ってたんだ、でも代わりに僕が凛を巨乳にしてあげるから大丈夫」
「なにが!? ねぇなにが大丈夫なの!?」
――こんなに話が通じない春人は初めてだ。
いつもキャサリーンの話をニコニコ聞いてくれていたのに、腹の中でこんなこと考えていたなんて。
ついにエドワードが少しずつ距離をとり始めた。『ホモの痴話喧嘩に巻き込むな』と言わんばかりの軽蔑の視線が刺さる。
――おい待て見捨てるな。
王子は離れていくのに、ジークハルトはジリジリ近づいてくる。
完全に目がイッてしまっている彼をなんとか説得しなくては。
「ジ、ジーク君や。まずはお友達から始めてみてはどうだろう!?」
「25年以上も友達で我慢してたんだから十分でしょ。また僕を置いてあっさり死なれたら困るから、今度はもっと近くで大事に飼おうって決めてたんだ」
「飼うって何!?」
もう響きが不穏極まりない。
"#監禁陵辱"タグ追加待ったなしの予感しかしない。
「僕のためにこんなに可愛く生まれ変わってくれるなんてね……。グレンに近付いたのも、どうせまた愚かで可愛い理由なんだろうねぇ。おかげで凛だとすぐに気付いたよ。いつもいつも空回りしてて本当に間抜けだ」
――馬鹿にされているのか。全部ことごとく褒め言葉じゃないぞ。
「実は前世でも凛が女の子とうまく行きそうな時は僕が邪魔してたんだ。その度に凛は僕を頼ってくれて、僕の胸を揉んでくれたよね」
「っはぁぁぁぁん!?!? 私の童貞はお前のせいだったのか!?」
思わず昭和のヤンキー口調ですごむキャサリーン。
一方のエドワード王子はというと、もはや完全に壁と同化しているつもりらしい。こちらを見ようともしない。
――気持ちは分からんでもないが薄情すぎやしないか。
「まぁもちろん全部僕のせいじゃないよ? もともとキモオタだしモテない部類に変わりはないけど、それにしたって変だと疑わないのが凛の可愛いところだよね」
(――な ん だ と ?)
般若のような形相になっている自覚はある。
もうコイツをどうやって絞めてやろうかで頭がいっぱいだ。
(俺のなんか色々、そうだ、とにかく色々を返せ!)
怒りで我を忘れているキャサリーンを尻目に、ジークハルトは満足げにパンッと手を合わせた。
「これで説明は終わり。前世25年と今世20年の僕の想いを遂げさせてくれるよね?」
「ハイ喜んでって言うと思ってんのか?」
「思わないね。だからこうして拐って自由を奪ってる」
そう言ってジークハルトは液体の入った小瓶を取り出した。
――絶対ヤバい薬やんけ。
さすがのキャサリーンもお前4歳も上だったんだな、などと言えないほど切羽詰まっていた。
差し迫った状況から彼女が導きだした最善策、それは――
「そ、そこの記念硬貨が試し飲みしたそうにしてるから譲ってやるよ。そろそろ話に混ぜてやらないと可哀想だろ。意外と美乳かもしれないぞ、良かったな春人」
そう、生贄。身代わり。スケープゴートである。
急に話を振られた記念硬貨ことキラキラ王子が目玉をひん剥いた。『せっかく存在を消していたのにこのオッサン余計なことしやがって』とでも言いたげだ。
令嬢の皮を脱ぎ捨てたキャサリーンはもうただの巨乳好きのオッサンにしか見えていないらしい。
完全に愛想を尽かされてる。
「うーん、僕は凛を他の人と共有する趣味はないんだよね。それに僕は凛にしか興味がないから。ほら飲んで」
「ぐぼぁっ!」
瓶ごと口にツッ込まれ、咄嗟に半分くらい飲み込んでしまった。
僅かに残った内容液を藁に染み込ませながら、瓶が床を転がっていく。
「ぐっ……おぉぉ……」
もはや取り繕う余裕もないキャサリーンは、オッサンのような呻き声をあげた。
舌が回らず、唾が上手に飲み込めない。指先から痺れが走り、縛られた手足に力が入らなくなる。
(顔が濡れて力が出ないアンパン男はこんな感じなのだろうか……)
新しい顔で一発逆転できるような便利な仕組みが今は羨ましい。
弱っていく彼女の様子を熱心に見つめていたかつての友人は、穏やかとは言い難い笑みを浮かべてにじり寄る。
「筋肉を弛緩させる薬だよ。よくある媚薬なんかと違って後遺症が残らない。凛の破瓜の痛みが和らぐように僕が研究して作ったんだ。……お尻になるかもしれなかったからね。最近やっと完成して人間での実験も済んでいるから心配しないで」
(――おい、国立研究所で何てもん作ってやがる! ここに税金泥棒がいるぞー! 俺らのケツ税……いや血税がケツのために無駄使いされている!!)
今世ではヒキニートの無納税者であることも忘れて叫びたいキャサリーンだったが、薬のせいで思うように言葉が出ない。
やがて座っているのも辛くなり、キャサリーンの体がグラリと傾いた。今すぐにでも逃げたいのに力が入らない。
その体が地面と接触する前にジークハルトが抱き止める。
「ああ、凛! 凛! 匂いたつ凛の香りで満たされる……! たまらないよ……!」
「ぅぉい(おい)」
――匂いたつ香りって加齢臭では。
中高年が過敏反応する単語にちょっと頭が冷え、なんとかジークハルトから体を捩って離れようと試みるが、もっときつく抱き締められてしまい逆効果だった。
「凛にマーキングされるなんて……! どんどん擦っていいよ。すごく気持ちいい……!」
「やべで(やめて)……」
――待て待て。まさかコイツも感度3000倍スペック持ちか?
オッサン二人に感度3000倍初期装備させて誰が喜ぶというのか。
転生者へ無差別テロのごとく付与するのはやめていただきたい。当たり判定がデカすぎる。
「凛……! 夢みたいだよ凛……! あぁっ射精そうだ……!」
「ぐぇっ」
ジークハルトは感極まって頬擦りし、キャサリーンの体の後ろに回された手が不埒な動きをし始める。
ゾワゾワ鳥肌が立つが、力の入らないキャサリーンはヒキガエルが潰れたような声しか出せない。
よくこんな状況で興奮できるものだとある意味尊敬する。キャサリーンはムードを大事にしたい、夢見る童貞だった。
(夜景の見えるレストランで食事してさ、サプライズで花束のなかにルームキー仕込んで、それから……)
キャサリーンが迎えられなかった前世での初体験への妄想を膨らませて現実逃避を図っている間にも、変態が勝手に自己完結しそうだ。だが、さすがにこれで終わりではないだろう。
視界の隅で無駄にキラキラ光っている王子は本当にカカシの役目しか果たさないつもりらしい。
ペンライトですら非常時に役立つというのに使えない金髪だ。




