19.気持ち的には冤罪だ
藁の敷かれた物置小屋は小さな窓から僅かな光が射しているものの、薄暗くて埃っぽい。
両手と両足は縛られていて自由がきかない。
今は使われていないのか、武器になりそうな備品や身を隠せそうな家具は見当たらなかった。
目を覚ましたキャサリーンはまず、体が自由に動かせないことに気が付いた。身を捩ってなんとか上半身を起こすと、少し離れた場所で同じように両手と両足を縛られたエドワードの姿が目にとまる。彼はさらに口元に布を巻かれていた。
目が合うと、王子は泣きそうな表情を浮かべた。
キラキラの金髪は僅かに汚れている。
(あ、これ王子の誘拐に巻き込まれたやつだ……)
キャサリーンは瞬時に判断した。
となると、利用価値のない自分は見せしめに殺される可能性も高い。どうにかうまいこと相手に取り入って、ご機嫌を損ねないようにしなければ。
いざとなれば王子を売る覚悟を強めた。
仲間と弱いものには優しいが、人生勝ち組には容赦しないのがキャサリーンだ。
今まで酒池肉林の限りを尽くしてきたのだから、尊い犠牲となっても悔いはなかろう。
ドレスに隠した短剣を探ろうと膝を立てたところで、木製の扉がギギ……と軋む音を立てて開いた。
急いで体勢を立て直しながら、小屋に入ってきた人間に目をやる。
ゆっくりと近付いてくる人物の顔を見て、キャサリーンは驚愕した。
懐かしさを覚える黒髪。
薄い顔立ちに穏やかな笑みを浮かべる――
「……ジーク、春人」
「短剣なら預かっているよ。凛が怪我したら危ないからね」
キャサリーンを前世の名前――"凛"と呼ぶジークハルトは、前世と同じように笑顔のまま、気遣うように話しかけた。
今世のジークハルト――"春人"の事情はキャサリーンには分からない。
きっとこの誘拐には何かしら深い理由があるのだろう。
今世では友達ではなく他人なのだ、他人のプライベートに安易に踏み込むべきではないと判断したキャサリーン。
「事情は聞かないからさっさと私を解放して。そこのカカシとは馬の毛ほどしか関わりがないのよ」
あっさりエドワードを見捨てた。
可哀想に、声を出せない彼は目を見開いている。こんなに鮮やかに掌を返されるとは思わなかったのだろう。
するとジークハルトは肩をすくめてみせた。
「凛は誤解している。この計画に王子の同乗は予定外だったんだよ。まさか待ちきれなくて迎えに行くほどせっかちだとは」
――なんということだ。まさか王子のほうがオマケだったなんて。
しかしそうなると、ますますキャサリーンが拐われた理由が分からない。
前世と同じように飲みに誘ってくれればいいのに、と思ったが口には出さなかった。
(どうにかして王子の利用価値を説いてターゲットをすり替え、身代わりにして逃げ仰せなければ)
この期に及んで不敬なことを黙って考えているキャサリーンを見て、ジークハルトは言葉を続けた。
「相変わらず鈍いんだね。どうして僕が凛を拐ったのか分からないのか。もしかして、凛はまだ自分のことを小汚ないオジサンだと思い込んでるの?」
――それ以外になんだと言うのか。
キャサリーンが顔をしかめると、何がおかしいのかジークハルトは笑いだした。
「ふふふ、そっかそっか。そこの王子様が君に心底夢中なのも、グレン・マローニが君に惚れているのも気付いていないのか」
「はぁぁ!?」
――訳が分からない。
王子はキャサリーンを惨めな便所係に任命して優越感に浸ろうとする最低の競合相手で、グレンはちょっと気の合うただのモテない同盟者。
だってキャサリーンは、令嬢達に逃げられるほど気持ち悪いオッサンなわけで……。
「女性に避けられていたのはね、凛だってものすごい美形に話しかけると緊張するだろう? 人智を超越した妖精に話しかけられれば、萎縮して逃げたくもなるよね。凛のことだから、気の弱そうで巨乳な女性にばかりちょっかいかけていたんだろう?」
さすが春人だ、キャサリーンの好みを熟知してやがる、と呑気に感心してしまった。
心底楽しそうなジークハルトは「それに」となおも言葉を重ねる。
「王子様や公爵子息なんかも君を見張っていたからね。背後にはあのブルーノ伯爵もいる。普通のご令嬢は近付きたがらないよ」
――あのって何だよ!? 人智を越えた妖精ってまさか父のことじゃないよな?
少し離れた場所で縛られたカカシ……じゃなかったエドワード王子にチラリと視線を送ると『黙って話を聞いておけ』と強い眼差しを向けられた。
(おいおい、そんなに睨むなよ。さっき見捨てようとしたこと怒ってんのか。ケツの穴の小さい男だな)
彼は会話の中からジークハルトの隙を探り、キャサリーンを守ろうとしてくれているのだが、残念ながら彼女に真意が伝わることはなかった。きっとこの先も伝わることはないだろう。
やがて、ジークハルトは消え入りそうな声でこんな事を呟きはじめた。
「凛、僕を置いて一人でイクなんて酷いじゃない。僕は凛のいない世界では生きられないんだよ。イク時は一緒だと思ってたのに」
変換がおかしい。
"逝く"が卑猥に聞こえるのはキャサリーンの気のせいだろうか。
「すごく悲しかったけど……僕もすぐに後を追ったよ。同じ状況で死ねば、死後も同じ場所に行けると思ったんだ」
つまり都内でいかがわしい美少女アニメを一時停止した状態で頭を強く打ち死亡した中年男性が二人もいたことになる。
ネットニュースで面白おかしく祭り上げられ末代までの恥では!?
――あ、俺が末代だからその点は心配いらんかった。
「そうして、気付いたら生まれ変わっていた。でも絶対僕の近くにいるはずの凛はいなかった。随分苦労したよ。名前に"リン"のつく人間を男女問わず片っ端から探しだしたんだ。コリン、リンジー、エメリーン、ゴブリン、マリン……」
筆者が考えていた名前候補が次々挙げられるメタ展開に、キャサリーンの背筋が凍る。続編の予定がブチ壊しではないか。
そしてさりげなく混ぜられてたゴブリンに至ってはモンスターだ。
「君は深窓の令嬢でなかなか会う機会がなかったから大変だったんだよ。唯一接点のあるアンナ嬢に近付いて利用させてもらった。ふふ、彼女は予想以上の働きをしてくれたよ」
「どうして……そんなことを……?」
キャサリーンは疑問を口にした。
彼はアンナを気に入っていたはずではなかったのか。
理解できない恐怖に、喉が焼けつくように渇く。
「まだ分からないの? 僕は凛が好きなんだよ。前世からずっとずっと凛だけが好きなんだ」
「え゛っ……」
美少女から言われたら即オーケーしたい、"#溺愛執着"おまけに"#ヤンデレ"タグが付きそうな告白。
しかし男から言われても野太い戸惑いの声しか挙げられない。
「凛の好みになりたくて、前世では必死に体重増やして貧乳体操までしてたんだけどな。あんなに情熱的に僕のおっぱいを揉んでくれたじゃないか」
――揉んだ。
確かに揉んだ。
しかもフラれる度に何回も。
前世の春人は力士体型だったため今のキャサリーンより巨乳だった。
でもそれは女体への飢えを紛らわすためのもので、変な雰囲気ではなかった。
……はずなのだが。
一方、挟む口が塞がれているため様子を窺っていた王子の顔色が、ここへきてちょっと青ざめてきた。
――やめろ、そんな目で見るな。
気持ち的には冤罪だ。むしろ被害者だ。
「凛がプラトニックな関係を望んでいたのは知っている。それでも僕は君の理想通りになっていたつもりだよ」
巨乳で穏やか。
――確かにな。間違ってないよ。間違ってないけど……。
「オメー男じゃねーーーか!!!」
これ以上ツッコミを抑えられなくなったキャサリーンは力いっぱい叫んだ。
条件は間違ってないが、そもそも前提条件が間違っている、と。
伏線の回収に入りました。
伏線といってもしょーもない下ネタなのでとっ散らかしててもいい気がします。




