14.スカスカの空気
落ちている人間を踏まないように気を付けながらしばらく廊下を進み、ある部屋の前でジークハルトは足を止めた。
「グレン。キャサリーン嬢が来てくれたよ」
扉をノックをすると、部屋の中が騒がしくなった。何かが盛大に落ち、割れ、ぶつかる音がする。
しばらく待っているとバタンと乱暴に扉が開き、栗色の頭が出てきた。
(今日は寝癖がないな)
などと思っていたら無言でそっと閉められた。
「いい度胸だなグレン! また私から逃げるのか!」
「ぎゃあああああ!」
「男の悲鳴なんぞ聞きたくもないわ! 蝉かテメエ! いいからドア開けろ!」
キャサリーンは扉を無理矢理こじ開けた。
早速ボロを出した友人にアチャーと額に手をあてるアンナ。
「……本当にいる」
一方のグレンはこれ以上ないほど目を見開き、わざとらしく瞬きを繰り返す。
――なんだその反応。
どこぞの魔性の妖怪みたいに夜行性だとでも思っていたのか。いや別に父も人間かどうか疑わしいものの、夜行性ではないはずだ。
「おっ俺のような下々の者のためにこんなゴミ溜めにご足労いただくなんて未だに信じられず……本日も女神と見まごうばかりの美しいお姿……キャサリーン嬢におかれましてはご機嫌麗しく……」
「顔を見るなり閉めだされた人間の機嫌が麗しいわけないでしょ。白々しいのよ」
――ご機嫌取りにわざとらしい美辞麗句並べやがって。
バカ丁寧な口調が余計に腹立たしい。
グレンはなおも恐る恐るといった様子で扉に体を半分隠しながら話す。粗相した犬が人間の様子をうかがっているみたいで、不覚にもちょっと可愛いとか思ってしまった。
「あの、足は大丈夫でしょうか? その、俺あのとき緊張してて……。一応お見舞いの手紙と花束を送ったんだけど……」
「私に? 届いてないわよ?」
そもそもキャサリーンは引きこもりの嫌われものなので、この16年マトモに手紙すらもらったことがない。
たまにいただく招待状も欠席に丸を付けられた状態で手元に届くので、仕方なく嫌々誘われただけなのかと落ち込んでいたものだ。
すると静観していたアンナが思い出したかのようにこんな事を言う。
「あぁ、キャシー宛の手紙や贈り物は全部ブルーノ伯に処分されちゃうのよ。女性名義でも偽名の可能性があるし全部検閲されてほとんど届かないわ」
「はぁぁ!?」
ふぁっきゅー! ほーりーしっと! クソったれめ!!
女性からのラブレターもあったかもしれないのに!
恥ずかしがり屋の女子からの遠回しなお誘いもあったかもしれないのに!
今生16年目にしてアンナによって明かされた衝撃の事実に悲しみが止まらない。
「ううう、ひどい……酷いわ……妖怪め……」
「ごめん、俺の配慮が足りなかった。でも心配していたのは本当なんだ」
(――ん、配慮? なんの話だ? あぁ、ダンスで足踏んだことを謝りたいのか、律儀なやつだな)
「違うのよグレン。父の策略を見抜けなかった己が一番情けなくて落ち込んでいるの……」
アンナは「キャシーがそんなに落ち込むなんて、よほどこの男のことを……」などと涙ぐんでいる。
前世の満員通勤電車で散々踏まれ放題だったキャサリーンにとっては、痛みが引いてしまえば特段気にするような事でもない。
あまりにグレンが気に病むものだから、慰めてやらねばとフォローの言葉をかける。
「先の尖ったポインテッドトゥパンプスだったから、踏まれてた先のほうは身が入っていないスカスカの空気なのよ。すかしっ屁みたいなものね。ただ踏まれて圧力かかればそれなりに痛――「例えが汚ない!!」
なんだよアンナ、大声出して。
ジークハルト君がびっくりしているじゃないか。
「申し遅れました、アンナ・レッドフォードよ! キャシーとは幼なじみですの!」
続けてなにかを誤魔化すように声を張った自己紹介が始まった。急にどうした?
「ぐ、グレン・マローニです。キャサリーン嬢とは、その、正直よく分からないです……」
――声小っっさ!
人のこと言えたものではないが、グレンのコミュ障はかなり酷い。
アンナが「貴方の渾名は雑巾でいいかしら」とアンナが脅しているが、本当にやめてやれ。




