エピローグ 魔王の憂鬱は続く
魔王ウッドマンが死んだ。
それを知った魔王達の反応は、とても単純なものだった。
「え、死んだの? それより次の会議いつにする?」
と興味すら持たれなかった彼の存在は、流石に哀れに思えた。
ざまぁない。
その後、皆で話題になったのが、フォリアの『魔王辞退』だ。
彼女は格下であるウッドマンに不意を突かれ、傀儡となって私に迷惑を掛けた。
情けない痴態を晒した自分が、皆と並んで魔王であり続けるのは苦痛だと、いつもと変わらない涼しげな表情で、彼女は皆にそう言った。
私はそれに対して何も言わなかった。
正しくは言えなかった。
フォリアが自分で決めたことなのだから、私が彼女の意思を止めるべきではない。
同じ魔王でなくなってしまうのは寂しいけれど、彼女とはこれまでも変わらない友人関係で居られれば良い。そう思い、私はフォリアの魔王辞退宣言を聞き入れた。
────そこまではまだ良かった。
「魔王様、紅茶が入ったわよ」
執務室のテーブルにティーカップが置かれ、香ばしい茶葉の匂いが鼻をくすぐった。
私は静かに筆を置き、差し出されたそれに口を付ける。
「…………美味しいわね」
プロと同等の美味しさが引き出された紅茶に若干呆れながら顔を横に向けると、視界の端に純白の美しい羽が映った。
続いてバサバサとそれが揺れる。
これは滅多に表情を表にしない『彼女』が、嬉しくなった時に見せる仕草だ。
「魔王様の従者として、当然のことよ」
口ではそう言う彼女の羽は、今もバサバサと動き続けている。
「…………その『魔王様』っての、やめない?」
「いいえ。やめないわ」
「魔王命令。私を呼ぶ時は呼び捨てにすること」
「わかったわ。セリカ」
「…………すぐに受け入れられると、それはそれで調子が狂うわね」
「私はどうすれば正解だったのかしら?」
彼女は執務室に控えているもう一人の従者、ルアンに尋ねた。
「さ、さぁ? 私には何とも……」
「困ったわね。先輩もわからないのなら、私がわかるはずないわ」
ルアンの笑顔が、これまでにないくらい引き攣った。
「ちょっと、私のルアンを困らせないでよ」
「困っているのは私よ。まったく、わがままな主人を持つと苦労するわね、先輩」
今度こそ、ルアンの表情が見たことないくらい盛大に引き攣った。
彼をここまで困惑させたのは、おそらく彼女が初めてだ。
「はぁ……あのね、紅茶を淹れるのは使用人の仕事であって、秘書である貴女の仕事ではないのよ──フォリア」
「そうなの?」
「そうなの!」
有翼族の長にして元魔王、フォリア。
魔王をあっさりと辞退した彼女は、押しかけるように私の『秘書』となった。
『秘書が欲しいと言っていたわね。私が秘書になってあげるわ』
そう言われた時、私は配下の前であるにも関わらず、大きく頭を抱えた。
何でそうなるのだと、声を大きくして訴えた。
なのにフォリアは秘書になるのだと言って聞かず、今は研修期間と称して私の身の回りを歩くようになった。
一番困ったのは、彼女が優秀すぎるという点だ。
滞っていた書類整理はたった一日で終了し、私は確認済みの書類に判子を押すだけの流れ作業をしている気分になった。
それに加えて使用人の仕事も完璧と来たので、もう文句を言うのも諦めた。
「でも暇なのよ。何か仕事はないの?」
「おかげさまで書類整理は終了したわよ! ……大人しくしていてくれるかしら?」
「わかったわ。意外と暇なのね」
…………私とエリザベート。
二人分の書類整理をしておいて、暇だと言うのか。
流石は全ての空を管理していた元魔王様だ。
性能面が段違いすぎる。
「マリン。おいで。私と遊びましょう」
「ぴゅい!」
執務室の端っこで日向ぼっこしていたマリンを呼びつけ、粘土のようにコネコネと遊び始めるフォリア。
もうツッコむことは諦めた。
「──あ、先輩。そろそろお昼の時間じゃないかしら?」
「っと、そうでした。申し訳ありませんセリカ様、フォリアさ……ん。すぐに準備が整うと思いますので、もう暫くお待ちください」
「構わないわ。どうせお義母さんも起きていないだろうし」
ついには口出しまで始めた。
まだここに来て一日しか経っていないというのに、予定表の一分一秒まで完璧に把握されているとは……もう驚きすぎて驚けない。
「今日の昼食は何かしら。楽しみね、セリカ」
「…………ええ、そうね」
──頑張ろう。
なぜだか私は、そう思った。




