2. 最悪の目覚め
朝。日の光が窓から差し込み、小鳥達がチュンチュンと鳴いている
外に見える空模様は、晴天。
大抵の人にとっては、最高に心地の良い朝となるだろう。
「…………最悪」
そんな中、私、セリカは、今はもう見慣れた天井を見つめ、唸るように掠れた声を発した。
「──チッ。また、あの夢を見た」
私が大好きだった人達が死んだ日。ただの少女であった私が死んだ日。
何年、何百年経とうが、今も悪夢となって夢に出てくる。
特に『転生者』を殺した日の夜は、頻繁に見るようになる。
そして、悪夢を見た時は決まって、私の寝起きは最悪だ。
「ああ、もう本当に最悪……あいつらの顔を見るだけでも吐き気がするってのに……」
この怒りはどこにぶつけたらいいのだろう。
感情的になって城を壊すのはダメだ。前はそれでめちゃくちゃ怒られた。
「くそっ、これだから転生者は嫌いなのよ」
悪夢が続くのも、目覚めが最悪なのも、この怒りも、全ては『転生者』が悪い。
この怒りを抱いたまま奴らを殺してやりたい。
でも、それが出来ないことを、私が一番よく理解していた。
奴ら転生者は世界を渡る際に『チート能力』というものを、神から授かる。
その能力は様々だけど、等しく人外で異常な力を持っている。舐めてかかったら、返り討ちにあって殺されるのはこちらの方だ。だから、この気持ちは心の奥に押し留めたまま、ゆっくりと奴らを締め上げ、確実に殺す。
そのためには──
「…………お腹が空いたわ」
腹が減っては戦ができない。
それはどこから流行った言葉だろう。
確か……クソどもが使い始めたんだっけ?
あいつらの言葉を使うのは誠に遺憾だけど、今の私にはちょうどいい言葉だ。
「──ぴゅい」
「…………あら?」
外から聞こえる小鳥のものではない、小さな鳴き声が近くから聞こえて、私は部屋の扉に視線を向けると、そこには青色の生物がぷるんぷるんと揺れていた。
それは『スライム』という魔物だ。
魔物は本来、人と襲う危険な生物として知られている。
人間である私のところに、ましてや、私の住む城に魔物が侵入しているなどと知られたら、城中は大騒ぎになるだろう。
でも、問題ない。
このスライムは比較的おとなしい性格をしていて、滅多に人を襲うことはしない。
そして、私が大丈夫だと言える最大の理由は、この子が私の相棒だということだ。
名前はマリン。
水色だからという理由で適当に名付けた。
知り合いや部下からは「流石に適当すぎる」と言われたけれど、マリン本人がその名前を気に入っているので良しとしている。
「ぴゅい、ぴゅい…………ぴゅい?」
「おはよう。ええ、またあの夢を見ちゃって……でも大丈夫よ。また暴れるようなことはしないわ」
「ぴゅい! ぴゅいっ」
「あら、ちょうどお腹が空いたなと思っていたところよ。わざわざ呼びに来てくれたの?」
「ぴゅい!」
「……そう。ありがとう。すぐに着替えるから待ってて」
ベッドから起き上がり、指を鳴らす。それまで着ていた衣が霞に消え、新たに漆黒のドレスをその身に纏った。
魔法の一種で、わざわざ手足を動かさなくても一瞬で洋服を変えられる。
これはどの属性でも無い『無属性魔法』というものだ。
──実のところ、私はあまり魔法が得意な方ではない。
どちらかと言えば剣術の方が好きだ。
転生者を私の剣で切り裂く時の感触が、最高に堪らなくて、癖になる。
…………と、前に話したらドン引きされたので、この気持ちを他人に話さないよう気をつけている。
でも、無属性魔法を使えるのと使えないのとでは、生活する上での気軽さに天と地の差がある。
そのために知り合いに頭を下げ、頑張って覚えた魔法は他にも色々ある。
「ぴゅい」
着替えが終わったのを見計らって、マリンが私の胸に飛び込んで来た。
それを受け止め、両腕で支える。
ここがマリンの定位置だ。
「今日のご飯は何かしら」
「ぴゅい、ぴゅい!」
「なんでも美味しいって……それはマリンがスライムだからでしょう?」
スライムに味覚は無い。
消化できるものなら何でも良いらしいので、マリンの言う『美味しい』はあまり参考にしてはいけない。
部屋を出ると、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。
その匂いに釣られるまま食堂へと足を運ぶと、そこには大勢の使用人達が並んで私を待っていた。
「おはようございます、セリカ様」
使用人達の中から代表者が一歩前に出て、優雅にお辞儀した。
彼はルアン。
私が魔王になった時から仕えてくれている。見た目はただの人間に見えるけど、本当の姿は最強と名高い『竜種』だ。
昔、死にそうになっていたところを助けたら、とても懐かれて今に至る。
側近でも使い魔でもなく、なぜ使用人になることを選んだのかは知らないけど、こちらとしてはいつもルアン含む下僕達に助けられてるので、文句はない。
「みんなおはよう。……お義母さんも、おはよう」
私は食堂に並べられている長テーブル、そこに座っている人物に声を掛けた。
「ええ、おはよう。セリカ。随分と起きるのが遅かったわね」
「……そう思うなら、先に食べていてもよかったのに」
「娘を一緒に食事できない食事は、私にとって何の意味もないわ」
「あっそ……」
黄金に輝く艶やかな髪。それをなびかせ、優雅に微笑む女性はエリザベート・ブラッドフィール。
この城のもう一人の主人であり、七人いる魔王の一人だ。
カタストロフという魔王とエリザベートは『最古の魔王』と呼ばれていて、世界が創造された『創世の時代』から生きている最強の二柱とされている。
種族は吸血鬼で、永遠に滅びることのない『紅月の女帝』という二つ名は、言葉にするだけでも人々を恐怖に震え上がらせるほどに有名だ。
そんな彼女を私が『お義母さん』と呼んでいる理由は、ご想像の通り。
全てを奪われ、アテもなく大陸を彷徨っていた私は、エリザベートに拾われ、彼女の養子となった。
彼女こそが私を魔王に指名した人物で、私は彼女から様々なものを与えられた…………というか叩き込まれた。
何度か死にかけたことはあったけれど、それは今も私の復讐の役に立っているので、彼女には感謝しているし、どの魔王よりも信頼している。
「さて、お腹が空いたわ。用意してくれるかしら?」
「かしこまりました。皆、配膳を」
『はっ』
ルアンが手を叩けば、他の使用人達はそれぞれの仕事に取り掛かる。
いつ見ても、その手際は素晴らしいものだ。
「セリカ様。こちらへどうぞ」
「ありがとう」
椅子を引かれ、座る。もちろん、エリザベートの正面になる位置だ。
「セリカ。今日も朝食を食べたら人間の街に行くの?」
「ええ。そのつもりだけど……」
「いつもいつも大変ね。もう少し休んだらどう? ほら、私みたいに」
「あんたの真似をしたら、この世界が退屈すぎて死んじゃいそうになるわ。そんなのこっちから願い下げよ」
「流石に傷つくわよ?」
「勝手にしなさい」
魔王は基本、自由だ。
やりたいことがあるなら勝手にしろという方針で、その決まりの通り私は転生者を殺し回っているし、エリザベートに至ってはずっと城で眠り続けている。
自由なのは嬉しい。変な規則があったら動きづらいし、面倒臭い。
魔王という肩書きは名前ばかりで、あまりやることはないのだ。基本的には。
「ほんと、あの異能力者共と好き好んで殺し合うのは貴女くらいよ。……これでも母親として心配しているのよ?」
「心配ご無用と返事しておくわ。私が人間だからって甘く見ないでようだい」
その言葉に、エリザベートは僅かに目を丸くさせた。
「あら意外ね。まだセリカは人間で居たいの?」
「…………私はまだ人間よ。一応、まだそのつもりでいるわ」
私は鼻を鳴らし、エリザベートは面白そうに目を細めながら短く「そう」と呟いた。
「……好きにしたらいいわ。人間だろうと、そうではなかろうと、貴女の目的は変わらないものね」
「流石は私のお義母さん。わかっているじゃない」
まだ人間で居たいのは、私の本当の家族を忘れたくないから。
今はもう居ない、彼らとの繋がりを否定したくないから。
でも、正直なことを言ってしまえば、私が人間かどうかなんてどうでもいい。
魔王になった今でも、私の目的は変わらない。
──全ては転生者を殺すため。
何十年、何百年と経った今でも、私の根本にあるのはそれだけなのだから。