19. 休息のひと時
最初は帝国に行くつもりだったところを、私は急遽、帝国には向かわないと変更した。
困惑していた私の配下達も、何日かすれば流石に受け入れ始め、通常通りの業務をこなしてくれている。
帝国に放っている諜報部隊『影』は、今も継続して調査をさせていた。
何か変わったことや、新たな情報が手に入り次第、すぐさま連絡するようにと伝えてある。
今のところ新たな情報が手に入った様子はないけれど、最後まで油断することのないよう気を引き締める。
……まぁ、彼らもその道のプロだ。帝国相手に今更、遅れを取ることはないだろう。
「セリカ様、お茶をどうぞ」
横から差し出されるティーカップから、香ばしい匂いが漂ってきた。
思考を現実に戻して顔を上げると、ルアンが心配そうにこちらを見つめていた。
「そろそろ、おやすみになられたらどうでしょう」
「心配してくれるのは嬉しいけれど、これが許してくれないのよねぇ」
現在の時刻は、夜の0時。
ちょうど日付が変わったところだ。
眠りたいのは山々だけど、私のテーブルに積み重なった大量の書類がそれを許してくれない。
「また、昼頃にやればいいでしょう。緊急のことではないのですから、後回しにしても問題はないはずです」
「そうやって後回しにし続けた結果、こうなっているのよねぇ……」
私は、はぁ……と溜め息を一回。
魔王城は『魔族領』という、魔族達が暮らす大陸にある。
そこには魔族の街がいくつか存在していて、その近くに魔王城が建てられるのだ。
私とエリザベートが根城としている近くにも、街は存在する。
魔王が二人いるのもあって、その街は一番の大きさを誇っていた。
街を管理し保護するのも、『魔王の業務』の一つ。
でも、エリザベートは「面倒臭いわ」と言ってやらないし、私は転生者を殺すために各地を渡り歩いているので、街の管理をしているのは私達の配下が主になっている。
配下は優秀だ。
それで十分事足りる…………足りるけれど、最終的な確認は魔王がする決まりになっていて、後回しにしてしまっている事案がいくつも残っている。
かなり重要なことが混ざっているので、一つ一つを丁寧に読み、承認の判子を押す。
否決ならばその理由と改善案を記し、別の場所に管理する。
それを繰り返し行っているだけで、半日が経ってしまっていた。
本来、二つに手分けしてやるべきことを、私一人でやっているのだ。
普通にやって終わるわけがない。
エリザベートの配下が書類を持ってくる時、申し訳なさそうに何度も謝ってきた。
でも謝るのは配下ではなく、堕落しまくっている、あの老害吸血鬼の方だ。
「お願いですから休んでください」
「これから忙しくなるから、今の内に終わらせられるところまでやっておきたいのよ」
私達は、見つめ合った。
私は溜め込んだ書類を整理したい。対してルアンは私を休ませたい。
こうなった時、どちらも引けを取らない。
「貴女は我らの王です。無理して体調を崩し、万が一にも何かあった時のことを考えてください」
それを言われると、ちょっと辛い。
私の方は意地になっているだけだけど、ルアンの方は本気だ。
…………元より、負けは確定していた、か。
「わかったわよ」
私は両手を挙げ、降参した。
「でも、この書類だけは終わらせて。キリがいいところまでやりたいの」
「…………全く、仕方ない人ですね」
ルアンは呆れたように、軽く笑った。
「どうせそう言うだろうと思っていましたよ」
「悪いわね。でも流石は私のルアンだわ」
「お褒めに預かり光栄です。……では、何かありましたらお申し付けください」
「ルアンはもう休んでいいのよ? 夜は遅いし、早く寝なきゃ」
返事はない。
その代わり、ジト目で睨まれた。
「主人が働いているところで、自分を優先する従者なんていません。セリカ様が眠るまで、私も眠りませんから」
「なるほど。私が寝ないと、そういう二次被害も出てくるのね」
「ええ、ですから、次からは早めに休憩していただけると嬉しいです」
「……でも、魔物って眠らないでしょう? ルアンも眠るの?」
私の相棒、マリンは眠らない。
この執務室にはいないけれど、今頃、私の部屋で適当に遊んでいるはずだ。
「私の場合、常に人化の魔法を維持していますから。休憩して魔力を回復させないといけないのです」
「本当なら無理しないでって言いたいところだけど、」
「それは出来ません。貴女のお世話をすることが、私の最上の喜びなのですから」
「本当に、変わり者の従者よね」
ティーカップに口を付け、そう呟いた。
私の従者は相変わらず、私のことが大好きらしい。
「まぁいいわ……さて、と」
その場で軽く背筋を伸ばし、頬を叩く。
「あと10分。悪いけど付き合ってもらうわよ」
「かしこまりました、セリカ様」
私は書類に視線を落とす。
その夜、執務室にはとても静かな空気が流れていた。




