0. 追憶の業火
両親が向けてくれる、いつも通りの笑顔。
テーブルを囲ってお喋りする、いつも通りの団欒。
畑仕事に向かう、いつも通りの父親と弟。
まだ寝起きで少し不機嫌な、いつも通りの姉。
母親のお手伝いを一生懸命にする、いつも通りの少女。
少女がお使いで外に出ると、友人や近所の老人が挨拶をしてくれる。少女は笑顔を浮かべ、彼らに挨拶を返す。
いつも通りの日常。
何の変哲もない、いつも通りの日常だった。
少女は疑わなかった。この平和が一生続くと。この生活が一生続くと。それは幸せなことだ。家族と暮らして、友人と遊んで、村の人達と楽しくお喋りする。そんな生活が続くと、少女は疑わなかった。
──だが、それは唐突に終わりを迎える。
その日、村には真っ赤な海が広がっていた。触れれば肌が焼ける、灼熱の海だ。それは村全体を囲い、畑は荒らされ、民家は崩され、仲間は焼かれた。
──大丈夫だ。
そう言った少女の父親は、少女の目の前で真っ二つになった。
──お姉ちゃん達は隠れていて。
そう言った少女の弟は、彼らの手によってどこかに連れ去られた。
──きっと助けが来る。
そう言った少女の母親と姉は、男達の慰みものにされ、その最中に事切れた。
その日、少女は全てを失った。
少女にとっての全ては、音を立てて崩れ去った。
村長が死んだ。隣人が死んだ。友達が死んだ。姉が死んだ。弟が死んだ。母が死んだ。父が死んだ。全て死んだ。殺された。
異世界からやってきた『転生者』による凶行で、その日、少女の全ては失われた。彼女が望み、少女が当たり前だと思っていた日常は、いとも容易く壊された。
──許さない。
男達の慰みものになろうと、どんなに痛めつけられようと、少女の中に燻る憎悪の炎が消えることはなかった。
少女の中にあるのはただ一つ。
『転生者』を殺す。
少女の全てを壊した奴らの全ても、悉く壊してやる。
斯くして、少女は狂う。家族の愛情に包まれ、幸せになれるはずだった少女は、転生者を殺すことだけを悲願とする『復讐者』となった。
「許さない。絶対に許さない」
村を包む火の海よりも強く、激しく燃え盛る業火をその身に宿した少女は、暗く沈む意識の中──誓う。
「殺してやる。全部、全員、殺して壊して滅してやる」
転生者を殺すために、少女は様々なことを学んだ。
戦う術を学んだ。
力が無ければ、また理不尽に奪われるだけだと知っていたから。
礼儀作法を学んだ。
淑女の真似事をすれば、馬鹿な男を殺しやすくなるから。
同時に口調を学んだ。
言葉遣いがなっていなければ、怪しまれるから。
世渡りの仕方も学んだ。
油断させるためには、親しみやすい言動が必要だったから。
商人と交渉する術を学んだ。
各地を渡り歩く商人と知り合えば、転生者を探しやすくなるから。
出来ることは全て学んだ。
たとえ血を吐いても、泥を啜る思いをしても、少女は転生者を殺すため──。
父親譲りの黒い髪は、色素が抜け落ちて白くなった。
母親譲りの青い瞳は、とある契約で紅に染まった。
少女はすでに、少女の面影を捨てていた。
少女に残ったものは、何も無い。
全てを殺された。
全てを壊された。
今更失ったところで、痛くない。
──それでいい。
奴らを殺せるのであれば、どうなっても構わない。
少女は貪欲に力を求め続けた。
やがて少女は人でありながら、人類の敵──魔王となる。
全ては転生者を殺すため。
少女の根本に息づく感情には、ただそれだけが存在していた。