18. 計画変更
私は執務室にて、帝国に放っていた密偵からの報告書を読んでいた。
かなり慎重に、尚且つ事細かに調べてくれたのか、届けられた書類は分厚い。
危険を冒してまで調べ上げてくれた情報だ。
一文字も逃すことなく、ゆっくりと脳内に記憶していく。
「………………」
かなり集中しているため、資料を手渡されてから私は一言も言葉を発していない。
少し離れた場所ではルアンを含める使用人数名が待機したり、適当な場所でマリンが日向ぼっこをしたりと、皆が自由にしているけれど、一切口を開こうとはしない。
それだけの緊張感が、この小さな執務室を支配していた。
原因は私なのだろう。
私の邪魔をしないように、能天気なマリンでさえも気を使っている。
「──チッ」
私は小さく舌打ちした。
たったそれだけの仕草で、緊張感は更に跳ね上がる。
ルアンとマリンは場慣れしているため、そこまで変わりはない。
でも、他の使用人達は当番制で、いつも私の近くに侍っているわけではなく、私の感情を受け流せるほどに場慣れしているわけではない。中には涙目になって震えている者もいた。
いつもなら申し訳なく感じるところだけど、今はそうなっていることを認識しても、いちいち気を使っている暇はなかった。
「……はぁ、ったく」
嘆息して、報告書をテーブルに叩きつける。
使用人数名は肩を震わせ、目を瞑った。
「セリカ様。どうでしたか?」
沈黙が包む空気の中、それを一番に破ったのはルアンだった。
「…………どうもこうも、予想通りよ」
書かれているのは、帝国の内部事情がほとんどだった。
曰く、『転生者ども』を集めているのは間違いない。
曰く、戦争を仕掛けようとしているのは間違いない。
そのように結論付けた理由、それに伴う調査結果、実際に潜り込んで発見した根拠等々、本当によく調べられている。
密偵が持ち込んだ情報のどれもが、私の予想通りだ。
だからこそ、私の機嫌は最底辺まで下がり切っている。
ここに私以外の誰もいなかったら暴れ狂っていたくらいには、最悪の気分だ。
「帝国は戦争をしようとしているわ。転生者を使ってね」
「その相手というのは、どの国で?」
「流石にそこまでは調査できなかったみたい。でも、それがわかっただけでも上々。本当に、嫌な目論見通りに進んでくれちゃって……帝国には行ったことがないけれど、すでに大嫌いになりそうよ」
転生者と繋がっている時点で、私の中で帝国の評価は現在進行形で急降下中だ。
それを突っ切っていっそ全員地獄に落ちてしまえと、そう思ってしまうのは流石に過激な考えだろうか?
でも、帝国には感謝しているところもある。
あんなに探すのが面倒な『獲物達』を、こうして一纏めにしてくれたのだ。
探す手間が省けたと思えば、少しは評価を上げて良いのかもしれない。
……いや、ないな。
「ではセリカ様は予定通り、帝国へ向かわれるのですか?」
「そうねぇ。気が乗らないけれど、そうしようかしら──っと、誰か来たようね」
物凄い速度で迫ってくる反応を確認した直後、部屋の角で影が揺らめいた。
そこから姿を現したのは、黒いマントを羽織った顔の無い男。
『無面』という人に化けるのを得意とする魔物であり、私が信頼する諜報部隊、通称『影』の一体だ。
「お話中、申し訳ありません。新たな情報を入手したため、一刻も早くセリカ様にお渡ししたく……」
「わざわざありがとう。それで、新しい情報というのは?」
「先の報告書にありました、帝国の戦争にございます。奴らが集めている装備や道具等の品。それに伴い、秘密裏に繋がっている商人との密売ルートを発見いたしました」
「それは素晴らしい。正直、それを得るのは難しいと思っていたけれど、よくやってくれたわね。他の皆にも伝えてちょうだい」
「──ハッ。ではセリア様、こちらを」
影から書類を受け取り、びっしりと書かれた文面を眺める。
「これは……なるほど……」
全てを読んだ後、私は静かに書類を置いた。
「影。これは確か?」
「我らが何度も確かめた結果でございます」
「そう……とにかくご苦労様。素晴らしい働きだわ。後で何か褒美を与えるから、影全員で考えておきなさい」
「そのお言葉を頂けるだけで、最上の喜びにございます」
「時には寵愛を受け取るのも配下の仕事よ。良いから考えておきなさい。……これは、それをしてあげるに相応しい成果よ」
影は何も言わない。
ただ私に首を垂れ、影の中に沈んでいった。
「セリカ様。それには一体なにが……?」
「予定が変わったわ」
「と、言いますと?」
私は受け取った報告書を纏め、暖炉に放り投げた。
すでに内容は記憶した。
残しておく必要は無い。
私はソファにどっかりと腰を下ろし、菓子を一つ、口に放り込む。
…………ああ、疲れた脳に糖分が染み渡るわね。
「この後の予定だけど、帝国には行かないわ」
「よろしいのですか? 転生者を皆殺しにする絶好の機会なのでは」
「──私ね。実はとても面倒臭がりなの」
「…………はぁ、存じ上げておりますが」
突然の告白に、ルアンは呆けた。
他の使用人達も同じで、急な予定変更に困惑している。
ただ一匹、全てを悟ったようにスライムが小さく鳴いた。
流石は何百年も共に行動している唯一の相棒だ。
「私がわざわざ動かなくても、あちらさんが私の思い通りに動いてくれる。だったら私達は何もせず、ゆっくりとその時を待ちましょう?」
ニヤリと口を歪ませ、私は微笑む。
それは『魔王』を名乗るに相応しい、絶対強者の笑みであった。