10. 講義
私はタイチを引き連れ、街の近くにある森までやって来ていた。
まずは奴の実力を測る。
その為には魔物と戦わせるのが一番手っ取り早いし、ついでに魔物討伐の報酬で金が入る。一石二鳥だ。
「ここら辺の魔物で腕試しをしましょう」
「えっと、魔物って……何かな?」
──魔物も知らないの? とは言わない。
タイチが『転生者』だというのは、ほぼすでに確定している。
それなら魔物を知らないのも仕方ない。
こいつらが住んでいた元の世界には、魔物は存在しないらしい。
奴らは争いの無い平和な世界で育ち、不慮の事故で死亡した。
そして、何らかの力によってこの世界へと転生を果たし、その際にチート能力を授かると、過去に殺した屑が自慢気に言っていたのを覚えている。
この世界の常識なんて、持ち合わせているわけがない。
何度か『転生者』を油断させるために近づき、旅をしたけれど、その誰もがこの世界のことをよく知らなかった。
そうして何度も教えている間に、私もこの世界のことを教えるのが上手くなっていったのは、なんとも皮肉なことだ。
「魔物というのは、全ての生き物の外敵よ。主に森を生息地としているけれど、たまに森から外れて人里を襲う奴もいる。そういうのは大抵、魔物同士の縄張り争いに負けて森に住めなくなったか、気性が荒いかのどちらかになるわね。面倒なのは考えなくても後者で、端から人を殺すのを目的としているから、被害が大きくなる」
「どうして魔物は森に生息しているの?」
「この世界は魔力で溢れているの。魔物は魔力濃度の濃い場所を好む。……森は空気の通りが悪いでしょう? そのせいで魔力が留まりやすくて、自然と魔物が集まるの。今は誰も住んでいない廃墟とか洞窟とかも、魔物は寄り付きやすいわね。そういうのは『魔窟』と呼ばれて、たまに冒険者を募って攻略する時があるわ。
一説では、魔物は魔力の残骸から生まれると言われているけれど、生き物の死骸に魔力が蓄積したり、魔力の多い場所に生息していた野生の動物が変異したりと、魔物化する原因は様々あるわね」
「なるほど……魔物については大体わかった。でも、どれが魔物でどれが魔物じゃないかの見分けってつくのかな。聞いた感じだと、普通の動物と変わらないんでしょう?」
「見分けならつくわよ。赤目が魔物。簡単でしょう?」
「え、でも……人でも赤目の人っているだろう? そういう時はどうやって判断するの?」
「人は魔物にならない。だから魔物とは判断されないけれど……それでも一般的に赤目と魔物は一緒くたにされるから、印象は良くないわね。まぁ、私はどうとも思わないけれど」
相手が魔物だろうと、魔物でなかろうと、正直どうでもいい。
私は転生者を殺したいだけで、他と敵対するつもりはない。……向こうから手を出してきた時に限り、二度と逆らえないよう徹底的に潰すけれど、それ以外では人間も魔物も等しく扱っている。
──と、そう思うのは私が魔王だからなのだろうか。
「じゃあ、魔物と魔族は同じなのかな」
不意に漏らしたその疑問に、私は立ち止まって後ろを振り返る。
「どうしてそう思ったのかしら?」
「あ、えぇと……魔族も赤目なんだろう? だから一緒なのかなって……」
「…………それ、どこで聞いたの?」
タイチは言葉に詰まった。
「あなたは魔族を見たことがないのでしょう? なのに、どうして魔族の瞳が赤いと知っているのかしら?」
「……えっと、その……ギルドで、誰かが話しているのを聞いたんだ」
視線が泳ぐタイチ。
流石に言葉選びを考えなさすぎだろうと私は呆れ、溜め息を吐き出す。
どうせそれも異世界での知識なのだろう。
そう考えた私は、これ以上の追及は無意味だと気にしないことにした。
「たまに勘違いする人がいるけれど、魔族は魔物と関係ないわよ」
「え? そうなの?」
「確かに魔物を従えている魔族はいるわよ。でも、それは魔族も人も同じ。……冒険者の中にも特殊な方法で魔物を使役している人は、極稀にいるわ。世間では『魔物飼い』と呼ばれているわね」
──魔族は魔物を従えている。
そのような認識を最初に持ったのは、転生者だと言われている。
どこをどうやって勘違いしたのかは知らないけれど、どこかの馬鹿が間違った情報を言いふらしたせいで、魔族は人間から一方的に敵視されるようになった。
いつの時代からかは流石に把握していないけれど、私が生まれた時はすでに、魔族は人間と敵対していた。
つまり、古い時代から転生者はこの世界に蔓延っていたということになる。
「確かに魔族も赤目だけど……そうね、私の説明の仕方が悪かったわ。魔物だから赤目になるのではなくて、逆よ。その体内に純度の高い魔力が宿るから瞳は赤くなるの。普通の生物が持つ許容範囲の魔力なら、別に赤くはならない。でも、」
「普通とは異常な魔力を持っていれば、目だけが変化するってこと?」
「ええ、その通り。だから赤目を宿している人は、将来魔法使いとして有望な証なのよ」
それにも例外はある。
──例えば私だ。
私は元々、母親譲りの青い瞳だった。
でも今は紅に染まっている。
義理の母親、エリザベートと契約を交わした影響で変化した。
魔物や魔族と同じく、体内に大きな魔力を宿したわけではない。
それを証明するように、私は簡単な魔法しか使えないし、殺傷力のある攻撃魔法は何一つ覚えていない。
赤目が全員、魔法使いに適しているわけではないのだ。
「魔物と魔族が関係ないってのは理解したよ。魔物を従えられるのは魔族だけじゃないってのも……セーラさんのそのスライムも従えたんだよね?」
「そうよ。そこら辺に転がっていたスライムをとっ捕まえて調教したの」
本当は適当に言った嘘だけれど、それが真実なのか偽りなのか。相手なんかにわかるわけがない。
……そして、私の思惑通り、タイチは素直に信じてくれた。
「…………でも、どうしてスライムなの?」
「スライムは最弱の魔物だから、私が従えているのはおかしいって?」
頷かれた。
まぁ、当然の疑問だ。
「私がこの子を使い魔にしたいと思った。それだけよ」
説明すると長くなるし、面倒だ。
だから適当な理由を付けて、この話はお終いにする。
「……そろそろ、魔物のことについては理解してもらえたかしら?」
「あ、うん! 赤い目の生き物が魔物……だよね? 実は、この森で迷っていた時、何度か遭遇したことがあるんだ。そいつらが魔物で間違いないなら、多分問題ないよ!」
「へぇ〜、素人の身で森を彷徨くなんて、命知らずなのね」
「……うぐっ、そ、それを言われると反論できないけど、でも俺って意外に強いんだよ!」
「知っているわ」
「え?」
「ああ、いや…………ほら、さっき私を助けてくれたでしょう? その時、片手であの男の拳を止めていたから、それなりに強いんだろうなぁと思っただけよ」
「……凄いね。あれだけで強さとかわかるんだ」
「まぁ、なんとなく、ね……冒険者をやって長いから、人の実力を測るのに慣れているだけよ」
うっかり失言をしてしまったけれど、どうにか上手く修正できた。
「…………ぴゅい」
マリンが疑いの目を向けてくる。
スライムに目は無いけれど、何となくそう思った。
でも違う。決して『転生者』と話すのが面倒だから判断力が低下しているとか、そういう訳じゃなくて、単に相槌が適当になってしまっただけだ。
……一緒か。
「ぴゅい」
同じことだろうと、マリンにも言われてしまった。
反論できないのが、なんか無性に悔しい。
「ぴぎゅ……!」
だからせめてもの仕返しにと、両腕でマリンをキツく絞め上げる。
乱暴だ、横暴だと抗議する使い魔の訴えは、残念なことに私の耳には届かなかった。
「二人は、仲が良いんだね」
そう言うのは、私とマリンのやりとりを見ていたタイチだ。
「仲が良い? ──ふんっ」
腕をブンッと振り、マリンを地面に叩きつけ、地面に跳ね返った生意気な魔物を掴む。
その際に「ぴゅぐふ」という悲鳴が聞こえたけれど、反応するのも面倒なので、気のせいということにした。
「こんなの、うるさいだけよ」
「ぴゅい!」
「こんな暴力的なご主人は嫌だ? ……使い魔の分際で大層な口叩くじゃない」
「ぴ、ぴゅい……ぴゅい? ぴゅ、ぴゅいっぴ、ぴゅい!」
やってしまったと後悔するには、遅すぎる。
慌てて言い訳を始めるマリンに対して、私はすでに投球の構えを取り──
「いっぺん、空を見てきなさい」
「ぴゅいいいい、ぃいい、ぃぃぃ……」
ビュン! と風を切る音で天高く飛び上がったマリンの悲鳴は、徐々に小さく、霞んで消えていった。
「ふぅ……」
一仕事終えた私は、ホッと一息。
「さ、行くわよ」
何事もなかったように、森の中を歩き始めた。