9. お前はただの──
「──なんですって?」
「ぴゅい?」
報告を受けたルアンから出たのは、耳を疑う言葉だった。
更に詳しく話を聞くと、巡回していた兵士が怪しげな人物を発見。不振に思って声を掛けたら、そいつは脇目も振らずに逃走を図ったらしい。
幾人もの追っ手を掻い潜り、後一歩で逃げられそうになったところを、ちょうどそこに私の配下が通りがかり、侵入者の身柄を拘束。今は絶対に逃げられないよう、物理と魔法の両方で縛り上げているようだ。
魔族の街を巡回している兵士は、決して強いとは言えない。
でも、成人した魔族は、同じく成人した人間よりも強靭な肉体を持つ。そんな兵士数名を相手にするのは、普通の人間ではあり得ないことだ。
それほどの実力者が送り込まれてくるのは、一体何年振りだろうか。
『現在、何処の国の者かを聞き出しているところですが、やはり口は堅いようですね』
「そりゃあ、そうでしょう。何か手がかりになるような物は見つかっていないの?」
『一つだけ。何かの紋章が刻まれたネックレスが見つかりましたが……これがどういった物なのかは不明です。魔力は込められておらず、本当にただの飾りにしか見えません。マリン様を通じて送ります』
数秒後、マリンは体内から見覚えのないネックレスを吐き出した。
城にはマリンの分体を待機させている。
そこに物を収納してもらい、腹の中が共有されているマリン本体が取り出すことで、疑似的な『転送装置』となる。相棒を道具扱いするのは気が引くけれど、とてもスライムの『収納』はとても便利だ。
「……うーん。確かに特別な魔力とかは組み込まれていないわね」
だとしたら、仲間内のみで通じる暗号のような機能があるのか。
……何にしろ、人間の国から放たれた密偵が余計な物を着飾るとは思えない。
このネックレスに何か秘密があるかもしれないというのは、まだ私達の予想の範囲内でしかない。でも、長年信じてきた私の直感が怪しいと告げているのだから、今回もそれに従おう。
「この件は私の方でも調べてみるわ。ルアンは引き続き、侵入者を見張っていなさい。相手が何の目的で侵入したのか、ちゃんと情報を引き出すように。逃げられると面倒だから、絶対に油断しないで」
『かしこまりました。そちらも、十分のお気をつけて』
「無論よ。じゃあ、通信を切るわね」
通話装置をマリンに突っ込み、それは腹の中に消えていった。
「…………ぴゅい」
「あっちも色々と大変そうだけど、ルアンが指揮を取ってくれるなら安心ね」
「ぴゅい」
「ええ。私達は私達で動きましょう」
問題が起こった場合は、隠さず即時報告をするようにと伝えてある。
ルアンは聡明な男だ。
出来ることと出来ないことくらいは弁えている。自分達では何も出来ないとわかれば、すぐに私に連絡をくれるだろう。それまでは、こっちに集中するべきだろう。
「改めて、私達の目的を確かにしておきましょう」
私達の目的は『転生者』だ。
先程の青年が『転生者』であることは間違いない。
──ならば殺す。
「まずはどうにかして接近しましょう。奴らのチート能力が何なのか。それを知る必要があるわ」
「ぴゅい」
「さっき喧嘩別れみたいになったことは、忘れなさい」
「……ぴゅい」
「何か、文句があるのかしら?」
「ぴ、ぴゅい!」
有無を言わさぬ迫力で睨むと、マリンは青い身体を揺らして否定した。
「……わかればいいのよ、わかれば」
とはいえ反射的に拒絶したのはミスだった。
再びどうにかして接近する必要があるのは確かで、どうやって接近したものかと私は考える。
「まぁ、どうとでもなるでしょう」
奴らは案外、単純だ。
だからどうにかなるだろうと、私は考えるよりもまずは行動だと腰を上げる。
「ぴゅい……」
マリンは嘆息し、そんな簡単にいかないと呆れている。
でも私は、そうは思わない。なぜなら──
「あ! 剣鬼さん! こっち、こっちです!」
冒険者達の居る一階に降りた私を待ち伏せしていたのは、先程の『転生者』だった。
先にご飯を食べようとしていたのだろう。
奴が座るテーブルの上には、大量の料理が並んでいた。
「…………言った通りでしょう?」
「…………ぴゅい」
奴らは皆単純だということはわかっていたけれど、まさかここまで単純だとは思っていなかった。
私は呆れ半分、マリンは心底呆れたように、深い溜め息を吐き出すのだった。
◆◇◆
「さっきはごめん。俺、余計なことをしちゃったみたいだね」
半ば強制的に、同じ席に座らせられた私に、青年は開口一番、謝罪の言葉を口にした。
「……謝罪は必要ないと、そう言ったはずだけど」
計画通りに事が進んだのは嬉しく思えど、今すぐ殺したいほど憎たらしい『転生者』と、必要以上に接点を持ちたくないのが、私の本音だ。
だからって感情のままに動いたら、また私はこいつを拒絶する。そうすれば次は無い。誰に言われずともその程度のことは理解しているので、私は大人しく男と食事を共にすることになってしまった。
「確かに必要無いと言われたけれど、それでも俺は謝りたかったんだ……あの後、親切な職員さんから色々と話を聞いだ。俺がしたことは剣鬼の機嫌を損ねる行為だったと、その職員だけじゃなくて、他の冒険者に人達からも言われたんだ」
「更に付き纏う行為も、私の機嫌を損ねることになるとは思わなかったのかしら?」
「もちろん。その可能性も考えたけれど、謝りたいっていう気持ちの方が強かったよ」
無駄に義理堅い男だと呆れながら、私は並んだ料理を切り分けて口に運んだ。
ギルドで出される料理は、魔王城勤めのシェフが作る料理よりも味が劣る。
それでも無駄に着飾らない料理と、大雑把な味付けは嫌いじゃない。
──だけど、今日の料理はとても不味く思えた。
「それで、私に何の用?」
不機嫌さを隠さず、私は男に問いかける。
「あいにく私は暇じゃないの。用があるなら手短にお願いしたいわね」
気配に圧された男は、微かに言葉に詰まった。
「…………お願いがあるんだ」
絞り出すような言葉は、私へのお願いだった。
「俺は田舎者で、あまりここに詳しくなくて……よかったら、俺に色々と教えてくれないかな」
──何を言っているんだ、お前は。
私は喉まで出掛かったその言葉を、果実ジュースと共に飲み込んだ。
「……どうして、私なのかしら?」
自分で言うのは何だけれど、私はこいつに好かれるようなことは一切していない。むしろ助けられたことに怒り突き放した行為は、側から見ても良い思いをするようなものではなかったはずだ。
……なのに、どうしてこいつは私を頼った?
虐められることに快感を覚える『変態』という種族なのか?
「俺の勘がそう言っただけだよ。……変かな?」
「どうしようもないほど、変ね」
たまに『転生者』の中で妙に勘が鋭い連中がいる。
そういった奴ほど警戒心が強くて面倒臭い。
この男もそうなのだとしたら、共に行動して油断させるのが一番手っ取り早いだろう。
「わかった。新人冒険者を教育するのも、ベテランの仕事よね」
「ってことは……!」
「ええ。この街に滞在している間だけ、あなたに付き合ってあげる」
パァァァ! と、奴は花が咲くような笑顔を浮かべた。
その表情が苦痛に歪む瞬間を想像することで、私は内に煮え滾るこの憎悪を我慢することができた。
「セーラよ」
「……え?」
「え? じゃない。名前よ名前。私はセーラ。毎回『剣鬼』と呼ばれるのは面倒だもの。……それで、あなたの名前は?」
「俺は、タイチ! 津雲タイチ!」
──津雲タイチ。
こいつは『転生者』で間違いない。
憎き異世界人だ。
いつか殺すその時まで、私はその名前を心に刻み込む。
「タイチね。ここらでは珍しい名前ね。服装もあまり見ないわ。どこの出身かしら?」
「えっと……ちょっと遠い場所から来たんだ。ここに来るのは初めてで、何が何だかわからなくて。ここに来たのも、森で襲われていた旅商人を助けたのがきっかけなんだ」
タイチは答えづらそうにそっぽを向き、頭を掻く。
情報屋の言葉通り、そして予想通りの返答だ。
彼には感謝しなければならない。
名も知らぬ彼のおかげで、こうして『転生者』と巡り合わせができたのだから。
青年の様子や言葉を分析するに、この世界に来てまだ長い時間は経っていないのだろう。
だから初対面の私にも、疑うことなくベラベラと事情を吐き出す。転生者の情報を集めたい私にとっては、最高の餌だ。
「見た感じ、まだ登録もしていないのね。登録はあそこの受付でできるから、今すぐにしてくるといいわ。登録には銅貨二枚が必要だけど、持ち合わせはあるのかしら?」
「……え、あ、いや……」
見るからに狼狽える男。
登録に金が掛かるとは思っていなかったようで、考え込む様子で「どうしようかな……」と呟いている。
まさか商人から貰った金を全て食費に使ってしまったのだろうか?
明らかに戸惑っているタイチの様子を見るに、それは間違っていないのだろう。
金銭管理もままならないとは、呆れた男だ。
「あげるわ。その調子だと今日は野宿よ? 余ったお金で適当な宿でも取りなさい」
銀貨一枚を投げ渡し、男は慌てた様子でそれを掴む。
手の中にあるものを確認すると、再び花が咲いたような明るい笑顔を私に向けた。
「い、いいの!?」
「さっき助けてもらったお礼よ」
「ありがとう! 嬉しいよ!」
銀貨一枚で恩を売れるのであれば、安いものだ。ドブに捨てたとしても十分な価値がある。
「これくらいは気にしなくていいわ。これから頑張ってね、新人さん」
次の獲物は──こいつだ。
全てを終わらせるその時まで、精々上手く踊ってくれ。
そして、最後は無様に死に絶えろ。
それが私の望みであり、天国にいる皆への手向けなのだから。




