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09:迷子のレディと王子様


 泣いていたのは、学園の制服をまとった小さな女の子だ。

 子どもらしく泣きじゃくり、周囲にいる子ども達もどうしていいのか分からずおろおろとしている。

 見かねてシルフィアとライオネルが駆け寄れば、困惑していた子ども達が大人が来たと安堵の表情を浮かべた。見たところ周囲にいるのは小等部の、それも低学年の子供たちだ。彼等からしてみれば高等部のシルフィアとライオネルは立派な『頼れる大人』なのだろう。


「膝を怪我をしてる……。転んじゃったのね」


 見れば少女の膝には擦り傷があり血が滲んでいる。制服の半ズボンもところどころ土汚れが目立ち、シャツの袖まで汚れている。だいぶ派手に転んでしまったようだ。

 傷自体はたいしたものではないが、小さな子どもの、細く頼りない膝についているとなんとも痛々しい。

 すぐさまシルフィアはハンカチを取り出し、軽く拭うと少女の膝に巻いてやった。白いハンカチにぽつぽつと血が染み、次第に広がっていく。


「この制服は幼稚部のものですね。ですがここは小等部……。迷い込んでしまったのかしら」

「周りの子達も事情は分からないようだな」


 ライオネルが周囲で見守っていた子ども達に事情を聞くが、皆あまり詳しくは分からないようだ。

 曰く、この少女がどこからともなく現れ、走ったかと思えば転んで泣いてしまった……と。分かるのはそれぐらいだ。

 どうしようかしら、とシルフィアが小さく呟き、少女の頭を撫でてやった。だが相変わらず火がついたように泣きわめくだけで、どこから来たのか、どこへ行こうとしていたのか、それどころか名前すら言えそうにない。


(幼稚部に戻れば誰かいるかしら。でももしご両親や友達と離れてしまっただけなら、遠くに連れて行くのはよけいに混乱を招くかもしれない。それに早く手当もしてあげたい……。小等部の先生に事情をお話しして、幼稚部に連絡をしてもらうのがいいのかしら)


 何からすべきか分からない、誰かに連絡するべきだがここを離れて良いのかもわからない。そんなシルフィアの困惑がうつったのか、少女はより声をあげて泣いてしまう。それがまたシルフィアを焦らせる。

 だがそんなシルフィアと少女の間に、「いい加減に泣きやんだらどうだ」と厳しいライオネルの声が割って入ってきた。

 小さな子どもに、それも転んで泣きじゃくる子どもに対してとは思えない口調で、少女の前にしゃがみこむとその顔をのぞき込んだ。


「我が校に通う者として、声をあげて泣きわめくなんて許されることじゃない」

「ライオネル様、こんな幼い子どもにそんな……」

「幼かろうと我が校に通う立派なレディだ。常に優雅でなくては周囲に示しがつかない。だからほら、落ち着いて話をしようじゃないか」


 次第に諭すような声色に変わるライオネルの言葉に、泣きじゃくっていた少女がひくと喉を震わせつつ顔をあげた。

 まさかこの状況で叱られるとは思わず、逆に驚いて泣きやんだのだろう。大粒の涙を瞳にため、眉尻をさげてライオネルを見上げている。

 小さく呟かれた「レディ……」という言葉はまだ辿々しいが、貴族の学園に通う身として幼いながらに思うところはあるのか。鼻をすすりつつも服についた土汚れを手で払い、しゃくりあげながら事情を話し出した。

 どうやら小等部に通う兄のところへ行こうとしていたらしい。だがその途中で迷子になり、慌てて走りだしたところ転んでしまい今に至る。

 涙ながらの少女の訴えを聞き、シルフィアはほっと安堵した。名前も事情も分かればあとは簡単だ。

 次いで恐る恐るライオネルの様子を窺えば……。


「そうか、よく話してくれた。では素敵なレディ、俺にエスコートさせてくれ」


 そう穏やかに微笑んで、少女に片手を差し出した。

 彼の銀の髪が風に揺れる。翡翠色の瞳は優しげに細められ、なんて温かな笑みだろうか。

 まさに王子様といった彼の対応に、鼻をすすっていた少女も表情をゆるめてその手を取った。小さな手がきゅっとライオネルの手を掴む。

 だが歩けそうかとライオネルが尋ねれば、再び泣きそうな顔でふるふると首を横に振った。足が痛いと小声で訴え俯いてしまう。


「それなら俺が背負ってやろう。触れてもいいかな?」


 穏やかに微笑んでライオネルが告げれば、問われた少女がコクリと頷き促されるまま彼の背中に身を任せた。

 軽々と持ち上げられた瞬間、強ばっていた少女の顔が和らぐ。助けを得たことで落ち着いたのだろう、どこから来たのかも今ではちゃんと話せている。シルフィアもほっと胸を撫でおろし、二人に並んで歩き出した。



 そうして少女を背負ったライオネルとシルフィアが歩きだしてしばらく、少女が「お兄さま!」と声をあげた。

 見れば小等部の制服をまとった男子生徒が足早に歩いており、こちらに気付くと慌てて駆け寄ってきた。ライオネルが少女を降ろせば、彼女もまたすぐさま兄のもとへと走っていく。

 飛びつくと同時にコツンと頭を叩かれているのは、それほど心配させたという事だろう。だがすぐさま兄に抱きしめられ、少女が嬉しそうにしがみつく。

 微笑ましい一件落着の光景に、シルフィアとライオネルが同時に安堵の息を吐いた。


「あ、あの、妹を連れてきてくれて、ありがとうございます!」


 公爵家子息のライオネルに萎縮しつつそれでも礼を告げる兄に、彼にしがみついていた妹もそれに習って「ありがとうございます」とお辞儀をする。

 さすが兄妹だけありどことなく二人は雰囲気が似ており、並んで同じ行動をとると微笑ましさに拍車がかかる。


「これが学園内だったから良かったが、外に出たらどうなっていたか。あまりお兄さんに心配を掛けすぎないようにな」


 少女の頭を一度撫でし、ライオネルが穏やかに笑う。

 その際の「あまり心配させすぎると過保護になる」というのは、アドセン家の兄妹の事を思い出しているのだろうか。微妙にうんざりした表情をしているあたり、二時間問いつめられた時の事を思い出しているに違いない。

 そんなライオネルの言葉に、頭を撫でられていた少女が「はい!」と元気よく返事をした。次いでぴたと兄にくっつくのは、もう離れないという意思表示か。

 思わずシルフィアも笑みをこぼし、仲良く並んで歩いていく兄妹の後ろ姿を見送った。時折振り返ってこちらに手を振ってくる。


「騒ぎにならなくて良かったですね」

「あぁ、そうだな。泣きわめいて話を聞かなかった時はどうしようかと思ったよ」

「ライオネル様が叱りつけた時は驚きました。ですがとてもお優しくて、子どもの扱いに長けていらっしゃるのですね」


 泣きわめく子どもに厳しく言いつけた時こそどうなるかと思ったが、彼はうまく少女を落ち着かせ、話を聞き出すことにも成功した。そのうえ背負って兄のところまで連れて行ってやったのだ。

 優しく面倒見の良い彼らしい。

 考えてみれば、彼は過保護なヘンリーからミリーを任され、さらには彼女の悩みを聞いてシルフィアに繋いでやったのだ。頼まれ事をされるのは根っからの性分と言うべきか。

 それを誉めるも、ライオネルはばつが悪そうに頭を掻いた。


「俺だって誰に対してもってわけじゃない。ミリーの事だって、昔から彼女やヘンリーと親しくしていたから頼まれたんだ。……それに」


 チラとライオネルが横目で視線を向けてくる。

 物言いたげな彼の視線にシルフィアは首を傾げて返した。それに、いったい何なのだろうか。


 あと何か忘れている気がする。


 大事な、それこそ今こんな事を話している場合ではない、何か大切な事を……。


「それに、ミリーの頼みを聞けばシルフィアともっと親しくなれると思って、俺は君と」

「ミリー様!! ミリー様のことを忘れていました!」


 そういえば居ない! とシルフィアが声を上げる。

 迷子を見つけてからあれやこれやと忙しなくして今に至るが、思い返せばミリーが居なかった。彼女と言葉を交わした記憶もない。

 これにはライオネルも僅かに目を丸くさせた後、はっと息をのむと慌てて周囲を見回した。


「そ、そういえば、いつからだ!?」

「いつからでしょうか……。ライオネル様、来た道を戻りつつ、記憶をたどってみましょう!」


 立ち止まって記憶をたどるよりまずは行動である。二人ほぼ同時に歩きだし、足早に来た道を戻っていく。

 ミリーは今日学園に来たばかり、右も左も分からない。だが流石に幼稚部の幼子と違い当てずっぽうで歩き回ったりはしないだろう。どこかで待っているか、もしかしたら高等部に戻っているかもしれない。

 来た道を戻れば、そう経たないうちに見つかるはずだ。

 さほど心配する必要はない、むしろ落ち着いて行動すべき……。なのだが。


「ミリーを迷子にしたなんて、ヘンリーに知られたら何を言われるか……」

「ヘンリー様はそれほど恐ろしい方なんですか? それほど強く、たくましく、腕力が……まさか必殺技を放つんですか!?」

「シルフィア、頼むから俺の分かる範囲内で驚愕してくれ。そもそもヘンリーは俺より小柄で細くて、単純な力勝負となれば間違いなく俺が勝つ。……だがミリーに関してとなると」


 言い掛け、ライオネルが続く言葉を溜息に変えた。

 ヘンリーの妹溺愛はそれほどまでということなのだろう。それどころか身震いし「この話はやめよう」と話を終いにしてしまった。最後にと「悪い奴じゃないんだけどな」というフォローがなんとも言えない哀愁を感じさせる。

 だが今はヘンリーについて詳しく聞いている場合ではない。ミリーを見つけるのが先だ。


(最後にミリー様の姿を見たのは……)


 いつだったか、とシルフィアが歩きながら記憶をたどる。

 あれは小等部に行く直前だろうか。思い返せばあの時もミリーからヘンリーの話を聞いており、彼女は実の兄の過保護さに「困っちゃうわ」と苦笑していた。

 次いでライオネルがヘンリーについて話し出し、彼から二時間尋問を受けたと聞いたのだ。

 あのときミリーは……。


「どこかへふらふらと歩いて行ってましたね。確かあの先は……食堂……」

「食堂か。まずいな」


 ライオネルが眉をしかめる。

 ミリーが食堂に惹かれていった、それだけで何が起こっているのかを察したのだろう。シルフィアも嫌な予感を感じ、自然と二人の足が速くなっていく。


 見目麗しい男女が二人、険しい表情をしながら足早に校内を歩く。

 この光景に誰もが何事かと視線を向けるが、声を掛ける事もできずに見送った。



 そうしてたどり着いた食堂には、案の定ミリーの姿があった。

 それも美味しそうにケーキを堪能している真っ直中という、なんとも予想通りの光景である。むしろ彼女の横に空いた皿が三枚置かれているあたり、予想通りどころか予想を超えている。

 思わずシルフィアが「ミリ……ピギー様」と溜息混じりに呼べば、彼女は一口また一口と食べ進めていた手をピタと止めてこちらを向いた。小動物のような大きな瞳がより見開かれる。


「シルフィア、ライオネル……! こ、これは違うの、これは……期間限定で、今日までって書いてあったから! つい魔が差して……!」


 まるで不貞を見つかったような慌てようでミリーが弁明をはかる。

 なんとも必死な訴えに、シルフィアは遠くを見つめるように目を細め、そっと胸元で両手をくんだ。


「ピギー様、ピギー様、どうかお帰りください。ミリー様に体をお返しください」

「シルフィア、呆れるのは分かるが悪霊扱いしないでやってくれ」


 溜息混じりにライオネルに宥められ、シルフィアは小さく「塩を……」と呟いた。


 塩が欲しい。

 もちろん撒いてピギー様を追い払うためである。







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