05:求む、令嬢力
同時に発せられた二人の言葉を最後に、室内が一瞬にして静まり返る。
そうしてしばらく互いに見つめ合った後、シルフィアがクレアの言ったことを理解し驚愕の声をあげた。
「押し倒す!? お母様、なんて事をおっしゃるの!」
「打ち倒すだの必殺技だの、貴女はせっかく私とエリオットの容姿を受け継いだのに……」
クレアが苦悩さえ感じさせる表情で肩を竦める。
だがシルフィアはそれを気にしている余裕などあるわけがない。なにせクレアは「ライオネルを押し倒す」と言ったのだ。貴族の夫人らしからぬ言葉、それ以前に母が娘に言っていい言葉ではない。
だがそれを指摘しようとするも、それより先にクレアが「いいこと」と厳しい口調で告げてきた。切れ長の瞳が鋭く見つめてくる。
「私の娘ならば、色仕掛けで公爵家の方を家に呼び、押し倒すぐらいの甲斐性を見せなさい」
「それはもう甲斐性どころの話じゃないわ」
「まったく、物心ついた時から鍛えてばかりで何を考えているのかと思ったら、何も考えていないなんて……。せっかく家にお招きしたのに、押し倒さないで何をするの」
「普通にお茶をして話をしたのよ。それにライオネル様だけじゃない、アドセン家のミリー様もいらっしゃったのよ」
「そうだったわ、ライバルも居たのね。ならライバルであるミリー様を打ち倒して、ライオネル様を押し倒しなさい」
「娘にそんな惨劇を強いないで!」
シルフィアがクレアをとがめる。
だが彼女は反省する様子もなければ、自身の考えを撤回する様子もない。むしろシルフィアに対して「信じられない」と言いたげな視線を向けてくるほどだ。
こんな状況でなければ、母親からの冷たい眼差しにシルフィアも胸を痛めただろう。……いや、この状況もそれはそれで胸が痛むのだが。
「いいことシルフィア。我がマードレイ家はあまり裕福でもないし、社交界でも地位が低いの。貴女に良縁をもってきてやることも出来ないわ。ふがいない母を許してちょうだい」
「……お母様」
溜息混じりにクレアが謝罪をする。
彼女の言うとおり、マードレイ家は貴族ではあるもののしがない男爵家だ。社交界での立場も低く、あまり好条件の縁談は望めそうにない。
それを詫びるクレアは随分と切なげである。社交界に生きてきたからこそ、その仕組みと格差を理解し、そして娘に十分な選択肢をあげられない事を悔やんでいるのだろう。
複雑な胸の内を想い、シルフィアがそっと手を伸ばした。テーブルの上に置かれたクレアの手をきゅっと掴む。細くしなやかな手だ。
「お母様、そんな事を言わないで」
「シルフィア、貴女には十分な縁談を用意してあげられないの。でも母は貴女の幸せを誰より願っているわ。だから貴女はその美貌をふんだんに使って、ライバルを蹴散らして良い男を自力で落としなさい」
「後半は聞かなかったことにして良いかしら」
握っていたクレアの手をパッと放す。一瞬にしてしらけてしまった。
だがクレアは本気のようで、聞き流そうとするシルフィアに懇々と説いてくる。それもライバルを蹴散らせだの狙った男を押し倒せだの、なんて物騒なのだろうか。
もっともシルフィアとて物騒さでは負けないのだが、それはそれこれはこれ。拳を交わし己の強さで戦おうとしていたシルフィアの物騒さと、ライバルを蹴散らし男を誑かしてものにしようとする母の物騒さを一括りには出来ない。
呆れを隠すことなくうんざりとしつつ、シルフィアはふとクレアへと視線をやった。
二児の母とは思えぬ美貌。艶のある黒髪に、妖艶な魅力の顔つき。ほっそりとした体はシンプルなワンピースがよく映える。同年代の女性達の中では彼女が抜きんでて美しいだろう。
『私の娘なら美貌でいい男を落とせ』というのも納得出来る。ーー同意はしかねるがーー
だけど……。
「それならお母様はどうなのかしら」
シルフィアが指摘すれば、クレアが意外なところを突かれたと言いたげに「私?」と返した。
マードレイ家は男爵家である。よく言って中の中、実際には中の下といったところだろう。
クレアも同等の生まれで、彼女とエリオットの結婚は爵位を考えると『中流貴族のよくある結婚』にすぎない。
娘としてそれを否定するつもりはないが、さりとて「自分を見習え」と上から目線で言われるのも不服である。クレアの口調では、まるで男爵家の令嬢でありながら公爵家を落としたかのような言い草なのだ。
それを指摘すれば、クレアは過去を思い出しているのか「そうねぇ」と少し間延びした声で呟いた。シルフィアの言わんとしていることを察したのだろう。
だが次の瞬間、まるで勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「確かにエリオットは男爵家の子息でしかなかったわ。だけど当時の社交界で、エリオットほど令嬢達の視線を集める男はいなかったのよ」
「お父様が?」
どうして、とシルフィアが首を傾げた。
脳裏に父エリオットの姿が浮かぶ。穏やかに本を読み、給仕に指示を出し、そして時にルーファスに力比べを挑んで負ける……。
シルフィアからしてみれば極平凡な父親だ。優しくて少し情けなくて、それでいて頼れる存在。
だが一点、平凡とは言い難い箇所がある。
「……顔なの?」
「えぇ、顔よ。エリオットは当時からとにかく顔がよかったのよ。あの顔の良さの前には爵位なんてあってないようなもの」
断言するクレアの言葉に、シルフィアはわずかに考え込んだのち、納得したと頷いた。
実の父を「顔がいい」と評価するのもおかしな話だが、そのおかしさすらも霞むほどエリオットは顔がいいのだ。
いつまでも若々しく老いを一切感じさせない。本当に、一切、みじんも感じさせない。むしろ人が感知できるほどの老いが彼にあるのかどうか。
クレアが『二児の母とは思えない見た目』とするのなら、エリオットはもはや『老いているのか定かではない見た目』である。前者はあくまで美貌の範疇で、後者はもはや摩訶不思議と言える。
「お父様、いまだに二十代に間違えられるものね。むしろお父様の実年齢を説明して一度で信じた人を見たことがないわ」
「エリオットはあの顔の良さと若々しさで、社交界では『毎夜処女の生き血を呑んでいる』とまで言われているのよ」
「毎晩ホットミルクを飲んでるのに」
父が社交界で人外扱いされていることに、シルフィアの胸に切なさがよぎる。
だがそれほどまでにエリオットは顔が良いのだ。
そして彼が本当に若かりし頃は婚約の申し出が殺到し、社交界中が揺れ動いていたという。地位の高い者は権力を使い、それに及ばぬ者達は各々の強みでエリオットに迫る。男達は総じて白旗を上げ、中にはエリオットを狙う子息もいたという。
「エリオットを取り合って、危うく国が崩壊するところだったわ」
「まさか実の父が傾国の美青年だったなんて。そんな中で、お母様はお父様を捕まえたのね」
なるほどとシルフィアが頷く。
確かにそれほどの争いの末に結婚までこぎ着けたとなれば、娘に強く言うのも納得である。同意はしかねるが。
「だからシルフィア、母は貴女に強く逞しく育ってほしいの。貴女に必要なのは物理的な強さや逞しさじゃない、令嬢としての逞しさよ」
「令嬢としての逞しさ……?」
「そう。私がエリオットを落としたような、令嬢としての強さ。『令嬢力』よ!」
「令嬢力!」
聞いたことのない単語に、シルフィアが声をあげる。
クレア曰く、令嬢力とは学力やマナーとはまた違った『年頃の令嬢』としての強さだという。
慎ましさや恥じらい、若さ、あどけなさ、愛嬌。それらを惜しみなくかつ自然に纏い、愛される力。
これを身につけねば社交界を生き抜けない。そう断言され、シルフィアは思わず自分の掌に視線を落とした。
自分に令嬢力はあるだろうか……。
学力やマナーは完璧だ。パーティーの際には誰もが褒め称える所作を披露できる。
いずれ公爵家の爵位を奪い取り君臨するためにと、肉体と同時に中身も鍛え上げてきた。
……だがそこに、『年頃の令嬢らしさ』はない。
とりわけあどけなさや愛嬌とは無縁だ。愛されるどころか、友人一人居ない。学園では誰しも遠巻きに見てくるだけで、そしてそうなるように自分で仕向けていた。
令嬢力は皆無だ。
それを自覚すれば、察したのかクレアが厳しい口調でシルフィアを呼んだ。
「シルフィア、母は貴女の幸せのため、これから過酷な試練を与えます。ですがきっと、この試練も乗り越えてくれると信じているわ……」
ハンカチで目元を拭い、クレアが大袈裟に嘆く。
次いで机へと向かうと、そこから一通の封筒をもってきた。妙に豪華な封筒だが、それをみているとシルフィアの胸に妙な胸騒ぎが起こる。
思わず怪訝な声色で「お母様、それは?」と尋ねれば、クレアはいまだ目元を拭ったまま、そっとシルフィアへと手紙を差し出してきた。
「貴女に縁談の申し込みよ」
「私に? いったい誰から……」
「バトソン家のドム様からよ。年上の素敵な方だわ」
泣き真似を一瞬で辞め、クレアが上品に笑う。
その名を聞き、シルフィアはぎょっとして慌てて手紙を開封した。中に目を通し、思わず顔を青ざめさせてしまう。
質の良い便箋にしたためられているのは、婚約の申し込み。もっとも堅苦しいものではなく、それとなくほのめかす程度だ。
差出人は……。
今年60歳になる、バトソン家のドム。
「お父様やお母様よりも年上じゃない!」
「ドム様ってば気持ちはお若いのねぇ」
コロコロと上機嫌でクレアが笑う。
対してシルフィアは冗談じゃないと手元の便箋を睨み付けた。
ドム・バトソンは伯爵家の男だ。今年60歳になる。
変わり者と有名で、一度興味を抱くと世界中どこにだって行ってしまう。彼の親族が困り果て、今回はどこの国から手紙がきた、いまはどこにいる……と愚痴っているのは社交界では見慣れた光景である。
シルフィアも実際に彼を見かけたことは数えるほどしかなく、それも遠目に眺める程度だ。
クレア曰く、最近ドムは結婚に興味を持ちはじめ、相手を探しているという。数打てば当たると手紙を出しているらしく、それがマードレイ家に届き、シルフィアが手にしている今に至る。
その話を聞き、シルフィアは改めるように「絶対に嫌」と断言した。
ドムの人間性を否定する気はない。好奇心で世界を回る彼の生き方は立派だと思う。時間があれば話を聞いてみたいとも思っていた。きっと世界中の色々な話を教えてくれるだろう。
だが結婚となれば話は別だ。そもそも年齢の差がありすぎる。
「なんと言われようと、私はドム様とは結婚しないわ」
「ならば、令嬢力を鍛え、母を納得させてみなさい!」
まるで舞台役者のようにクレアが声高に断言する。
これにはシルフィアも彼女を睨み付けるしかない。
母の性格は嫌と言うほどわかっている。一度決めたら頑として譲らない人だ。
「わかったわ。令嬢力を鍛え上げ、お母様を打ち倒してみせるわ!」
拳を握り、シルフィアが宣言した。




