03:もちもちのヒロイン
自室を出て急いでライオネルを待たせているという客室へと向かえば、扉の前には父親がいた。そわそわと落ち着きなく行ったり来たりしている。
マードレイ家当主、エリオット・マードレイ。恐ろしいほどに童顔で見目が良く、いまだに二十代にしか見えない外見をしている。現にシルフィアと並んでも兄妹と見間違えられ、二児の父だと訂正しても冗談だと笑い飛ばされることが常なほどだ。
そんな父はシルフィアを見つけると、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「シルフィア! 公爵家のライオネル様が会いにいらっしゃってるぞ!」
「落ち着いてお父様。ライオネル様とは日中にお話をする約束をしていたのよ」
「そんな落ち着いていられるものか。ライオネル様が、わざわざシルフィアに……それも、『学園ではシルフィア嬢と親しくさせて頂いています』と仰っていたじゃないか」
矢継ぎ早に話すエリオットに、シルフィアが大袈裟だと宥めた。
父も、もちろんライオネルの発言も、どちらも大袈裟だ。とりわけライオネルは『日頃から親しく』という言葉を三度も繰り返したという。
繰り返すライオネルもライオネルだが、わざわざ数える父も父である。
「落ち着いてお父様。ライオネル様は私に頼み事があると仰っていたの。その話をしに来ただけよ」
「だがなシルフィア。公爵家のお方が、わざわざうちみたいな家に来るなんて普通じゃ考えられないだろ」
「もう、お父様ってば考えすぎよ。ライオネル様は善意で、これといった考えもなく、ただ一生徒として、私に話しかけてくださっているだけなの。お父様が考えるようなことはこれっぽっちも無いわ」
シルフィアが断言する。ーーその瞬間、扉の向こうから「ぐうっ……」とうめき声のようなものが聞こえてきたが気のせいだろうかーー
それを聞き、エリオットが「そうか……」と小さく呟いた。期待をそがれたような、それでいて安心したような、なんとも複雑そうな声色だ。
そんなエリオットを宥めるように腕をさすり、シルフィアはわずかに考えたのちに「お母様が呼んでいたわ」と嘯いた。
一瞬にして彼の顔がパッと明るくなるのだから分かりやすい。ちなみに表情を明るくさせると更に若く見え、シルフィアやルーファスよりも年下に見られることもあるのだから末恐ろしい。
「お父様と一緒にお茶をしたいんですって」
「そうか、クレアさんが私と……! それなら待たせたらいけないな!」
ほわほわと浮かれたムードを醸し出し、エリオットが足早に去っていく。
その周囲にハートマークが浮かび上がって見えるが、あれは気のせいだろうか。それとも浮かれ具合のなせる業か。
だがどちらにせよこれで父は去っていった。あの浮かれ具合を見るに、ライオネル訪問の件はいずれ頭の中から消えてくれるだろう。もしかしたら既に消え去り、彼の頭の中には愛する妻とのお茶会だけが占めているかもしれない。
(社交界ロワイヤルが制定されるのがお父様の代じゃなくてよかったわ……)
心の中で呟き、シルフィアが安堵の息を吐いた。そもそも制定されないのだが、もし仮に制定されていたとしたら、きっとエリオットは誰より先に敗退していただろう。
父は見目もやたらと若々しいが、言動も時に若々しく純粋さにあふれているのだ。……つまり単純である。
そんなエリオットの去って言った先を見つめ、シルフィアは一息つくと改めて扉へと向き直った。
ライオネルをこれ以上待たせるわけにはいかない。
……それに、彼はミリー・アドセンを連れてきているはずだ。
乙女ゲームの主人公。
小動物のような愛らしさと優しさをもち、老若男女問わず愛される少女。公爵家令嬢でありながらお高く止まることなく、天真爛漫であどけない。
プレイヤーを映す鏡でもあり、そして同時に周囲から愛される羨望の存在でもある。
そんなミリーがこの扉の向こうにいる……。
シルフィアは気合を入れると共に震える手で扉をノックした。ゆっくりと押し開けて中を覗き……、
ライオネルの隣に座る少女の姿を見て目を丸くさせた。
……正確に言うのであれば、ライオネルの隣でソファに座る、
太く横幅のある少女を見て、目を丸くさせた。
「ミリー……さま……?」
目の前の光景が信じられずシルフィアが呟けば、ライオネルが立ち上がった。若干立ち上がりにくそうなのは、ミリーの重さでソファが通常より幾分沈み込んでいて立ち上がりにくいからだろうか。
「シルフィア、せかしてしまったようで申し訳ない」
「い、いえ、私の方こそお待たせしてしまい申し訳ありません。それで……その……お隣の方が」
シルフィアがおそるおそる窺う。
それを聞き、ライオネルの隣に座っていた少女が勢いよく立ち上がった。バウンッとソファが跳ねたように見えるが気のせいだろうか。彼女が座っていた部分はやたらとへこんでいる。
「シルフィア……よね……?」
「え、えぇ、……シルフィア・マードレイと申します」
いかに横幅があろうと相手は公爵家だ。失礼な態度はいけないと慌ててシルフィアがスカートの裾を摘んで挨拶をした。それに対してミリーも挨拶を返せば、彼女の茶色の髪がふわりと揺れた。
髪はヘッドドレスのように編み込みがされており、そのうえ細いリボンがあしらわれている。見ればワンピースにも同色のリボンが飾られており、華やかでセンスの良さを感じさせる恰好だ。
……もっとも、ワンピースはかなり布地が引っ張られており、リボンも本来ならばひらひらと揺れるところをミチミチと突っ張っているが。
「シルフィア、急に訪問してごめんなさい。でも会えて嬉しいわ。どうしても貴女と話がしたかったの」
堰を切ったように話し出し、ミリーがシルフィアに近付くと同時に両手を掴んできた。
その瞬間、シルフィアの口から「もちっ……!」という言葉が漏れたのは、ミリーの手があまりにもちもちしていたからだ。少しひんやりと冷たく、それでいて肉厚。肌のすべらかさと相まってなんとも言えぬ感触だ
鍛え上げ強さと逞しさを求め続けたシルフィアには無いものである。これはなかなか……と、握手に乗じてミリーのもちもち具合を堪能してしまう。
「シルフィア、私どうしても貴女に助けてほしいの。……シルフィア?」
「助けとはいったいなんでしょうか、もちも……いえ、ミリー様」
危うくもちもち様と言いかけ、シルフィアが何とか誤魔化して話を本題に戻す。
ミリーの様子を見るに、なかなかに切羽詰まった事態なのだろう。ひとまず宥めてソファに座らせるも、彼女はそわそわと落ち着きがない。
チラとシルフィアを見たかと思えば、膝に置いた自分の手へと視線を落としてしまう。かと思えば再び視線をあげて、自分を見下ろして……と繰り返すだけだ。
見兼ねたのか、彼女の隣に座るライオネルが優しい声で「ミリー」と呼んだ。
「シルフィアに助けてほしいことがあったんだろう。その……よくわからないけど、ゲームがどうのって言ってたじゃないか」
「ゲーム?」
ライオネルの発言にシルフィアがピクリと眉を動かした。
自分のもちもちの手を見つめていたミリーが恐る恐る顔を上げ、シルフィアを見つめてくる。茶褐色の髪に、長いまつげと大きな瞳。頬や首回りに肉がついて全体的にだいぶもっちりみちみちしているが、乙女ゲームの主人公ミリーの面影は確かにある。
「そうなの……。シルフィア、実は私には不思議な記憶があってね……。信じて貰えないかもしれないけど、どうか話を聞いてくれないかしら」
乞うように告げてくるミリーの話に、シルフィアはまさかという言葉を飲み込みつつ先を待った。
ミリーの口から出たのは、案の定『トキメキ恋学園』だった。
彼女はつい先日その記憶を取り戻し、そして同時に自分の体形に絶望したという。
ゲーム内のミリーは小柄で細い少女だった。対して自分のもっちり具合といったらない……。用意した制服も特注サイズで、それも若干布がパツパツとしている。
あまりにもゲーム内のミリーと違いすぎる。これではゲームのような恋をできないどころか……。
「勘当エンドを迎えてしまうかもしれないの……」
ポツリと呟かれたミリーの言葉に、シルフィアの脳裏にゲームの情報がまた一つよみがえった。
【勘当エンド】
と呼ばれるそれは、ゲーム内で迎えるエンディングの一つ。
プレイ中にミリーが恋も勉学も自分磨きも一切しなかった場合、怠慢な生活を公爵家から咎められ、家から勘当されてしまう。数多に用意されたエンディングの中、唯一のバッドエンドと言えるだろう。
といっても、作品はプレイヤーにストレスを与えないことを徹底しており、このエンドも過酷な末路というわけではない。ゲーム内のミリーも「これから先、何が待っているのかしら!」と前向きにとらえてゲームは終わる。
「今の私はその未来に一番近いのよ……。こんな体じゃ……!」
自分の体を見下ろし、ミリーがぎゅっと拳を握った。もっとも、もちもちの彼女の手は強く握られたところで柔らかそうで、擬音も『ぎゅっ』よりも『もにゅっ』の方が近い。――それを見て、シルフィアの脳裏に今朝食べた白パンがよみがえった――
だがミリーのもちもちの手は震えており、彼女がどれだけ不安を抱いているのかがわかる。
ゲーム中では数あるエンディングの一つ、それもプレイヤーが狙って操作をしなければおおよそ辿り着く可能性は低いエンディングだった。だが実際にそれを迎えるとなれば彼女が不安を抱くのも無理はない。
とりわけミリーは幼い頃に両親を亡くしており、そのうえ養子縁組してくれた家から勘当となればまさに天涯孤独。ゲームのように「何が待っているのかしら!」と気持ちを切り替えることは出来まい。
そんな胸中を察し、シルフィアはミリーの手に自分の手を添えた。ひんやりとしてもちもちしている。
「ミリー様、お気持ちお察しいたします。私に出来ることがあればぜひ仰ってください」
「シルフィア……いいの?初めてあったばかりなのに……」
「えぇ、お任せください。それに『シルフィア』は『ミリー』をサポートするのが仕事ですから」
冗談めかして告げれば、ミリーが瞳をパチンと瞬かせた。
予想外のことを言われたと言いたげな表情だ。次いでシルフィアの言わんとしていることを察し、「貴女も……?」と尋ねてきた。
シルフィアが深く一度頷いて返す。もちろんこれは『自分にも乙女ゲームの記憶がある』という返事だ。
……ややこしくなるので、余分な記憶についてはこの場では言わないでおく。
仮にミリーにもあのゲームの記憶があったとして「貴女、あんなとんちきゲームをしていたの?」と言われかねないからだ。ぐぅの音も出ない。