02:恋学園とロワイヤル
『トキメキ恋学園~恋は乙女の嗜みですから!~』通称『トキ恋』
とあるゲーム会社が開発したシリーズの一作だ。
ストーリーは王道で、公爵家令嬢ミリーが貴族の学園に通い恋に落ちるというもの。開発したゲーム会社ではお馴染みの、もはやテンプレートとさえ言えるシナリオである。
それでも飽きられることなく人気を博したのは、ストレスを一切感じさせない明るく楽しいシナリオと、煌びやかなキャラクター達の豊富なスチル、なにより主人公が天真爛漫でありながら公爵家令嬢なために周囲から常に褒め称えられ大事に扱われる……と、とにかくプレイヤーの気分を良くすることに特化していたからだろう。
言ってしまえば、常にちやほやされるわけだ。
シルフィア・マードレイはそのゲームに出てくる友人キャラクターである。
小動物のような愛らしさをもつ主人公ミリーとは対極的に、麗しい知的な美人タイプ。彼女がメインになってストーリーが動くことはないが、随所随所で登場してはミリーの生活や恋を応援してくれる、ゲーム上の説明兼サポート係である。
「……だからどれだけ鍛え上げても必殺技がでなかったのね」
姿見に映る己に話しかけるようにシルフィアがポツリと呟いた。
場所はマードレイ家の自室。あの後、心配するライオネルをどうにか誤魔化し、急いで帰宅すると共に自室へと飛び込んで今に至る。
正面に置いた姿見に映るのは、高等部の制服を纏う自分の姿。
見慣れた姿だ。それを見つめ、シルフィアは深い溜息を吐きながら制服に手をかけた。
浮かない顔をしているが、シルフィアの見た目が悪いわけではない。
艶のある黒髪に同色の瞳、整った顔つきは男爵家でありながら気高さを感じさせる。そしてそれに見合った優れたスタイル。手足は長くしなやかで女性らしさのくびれもある。胸元はいささか寂しい気もするが、そこまで望むのは贅沢といえるだろう。
年頃の令嬢はもちろん、一回り二周り年上の夫人達でさえ「あのスタイルを保つ秘訣は?」とどうにか聞き出そうとするほどだ。
この美貌を前に溜息を吐くなど、世界中の女性を敵に回すようなもの。
ならばなぜここまでシルフィアが浮かない顔をしているのかといえば……、
「……鍛えすぎてしまったわ」
そう呟くと共に、姿見に映った引き締まった……を通り越した、逞しい腹部、もとい立派な腹筋を見つめた。
白くきめ細かな肌。程良く括れて形の良い腰、ちょこんと線を描く臍。
……と、割れた腹筋。
そう、腹筋が割れている。淑やかさを感じさせる学園の制服の下には、立派な腹筋が隠されていたのだ。
これも日々欠かさずおこなっているトレーニングの賜物であり、そしてそのトレーニングの日々こそ、シルフィアの溜息の原因である。
※
シルフィアの致命的な勘違いと逞しい肉体の始まりは、彼女が七歳の時だ。
当時から麗しく繊細さを漂わせていたシルフィアは、親戚の集まりの輪からはずれて一人で本を読んでいた。楽しそうな話し声が聞こえ、時には親達が手を振ってくれる。賑やかさと落ち着きの挾間のような優雅な一時である。
そこに一人の男性が近づいてきた。遠縁の親戚だ。シルフィアにとっては父親よりも年上で、一房も残っていない頭髪といささか弛んだ体がより老いを感じさせる。だが愛嬌のある男だ。
「やぁシルフィア、何を読んでいるのかな」
優しく声を掛け、男がシルフィアの手元にある本を覗きこんできた。
その瞬間、キラリと光った眩しさにシルフィアは咄嗟に目を細めた。
太陽の光が男性の頭に反射して、それが眩しくて……。
その瞬間、シルフィアは思い出した。
この世界は前世でプレイしたゲーム。
貴族が戦うバトルアクション『社交界ロワイヤル』だと……。
『社交界ロワイヤル』通称『シャコロワ』、キャッチコピーは『華麗に優雅に殴り合え』
乙女ゲームを開発していた会社が、なにを考えたのか突然開発しだしたバトルアクションゲームである。
舞台は、戦う事で爵位を奪い合うというとんでもない規約を制定された世界。登場キャラクターは爵位は様々だが皆貴族で統一されている。ちなみにラスボスは公爵家男児であり、銀の髪に翡翠色の瞳、麗しい顔つきでありながらラスボスに値する強さを持っていた。
その中に、シルフィアという少女がいた。男爵家の令嬢であり、本来であれば男児が戦うはずのところを、病弱な弟を庇って社交界ロワイヤルに出場していた。麗しく品があり、それでいて勇ましい、まさに戦う女の理想だ。
自分はそのシルフィアである。
そしてこの世界は社交界ロワイヤル……。
つまり、いずれあのとんでもない規約が制定され、社交界に戦いの嵐が巻き起こるのだ。爵位は文字通り己の手で掴みとる……。
「……私、戦わなきゃいけないんだわ」
ポツリと呟き、幼いシルフィアは立ち上がった。
親戚の男はその変化に気付かず、シルフィアが立ち上がったのを本に飽きたと思ったのか「ケーキがあるから食べにおいで」と微笑んで去っていく。
だが今のシルフィアはケーキどころではない。
鮮明に蘇ったシャコロワの記憶。とんでも世界観のバトルアクションゲームゆえに細かな設定こそ描かれていなかったが、記憶の限りではゲームのシルフィアは十七歳だった……。
対して今のシルフィアは七歳。
つまり、シャコロワ制度が制定されるまで、はっきりと言えば爵位を奪い合う戦いの日々が始まるまで、あと十年しかない。
「本なんか読んでいる場合じゃないわ!」
急がなきゃ! と駆け出すシルフィアの背を、誰もが「元気がいいわね」と微笑ましそうに見送った。
※
それから十年。シルフィアは今まさに十七歳だ。
社交界ロワイヤル制度が明日にでも発表されてもおかしくない。そうなれば社交界は混沌とし、戦いの果てに強者が爵位を得る。
……はずだった。
少なくともシルフィアはそう思っていたし、そうなる前提で今日まで過ごしてきた。
戦いの日々のためにと鍛え、技を磨き、残すは必殺技という仕上がり具合。——ちなみにシャコロワの必殺技は決まると薔薇が舞うエフェクトがつき、コマンド入力がスマートな場合は華麗ポイントとして攻撃力が高まるという、なんとも無駄に優雅な仕掛けである——
ところが実際のこの世界は『社交界ロワイヤル』ではなく、同じゲーム会社が製作した乙女ゲーム『トキメキ恋学園』ではないか。
片やとんちきバトルアクションゲーム、片や王道乙女ゲーム、共に貴族を描いた同じ会社のゲームとはいえ真逆とも言える。
(……それが分かったところで、今更乙女ゲームと言われてもどうすればいいの)
ワンピースへと着替えつつ、シルフィアが溜息を吐く。
人生設計がガラガラと音立てて崩れている真っ直中なのだ、嘆いてしまうのも無理はない。必殺技が出ないと奮闘していたが、そもそも必殺技なんて出るはずがなかったのだ。
思わず神を恨み、自分に誤った記憶を思い出させた男の髪のない頭部をも恨んでしまう。
だが恨んでいても事態は好転するわけでもなく、ここは前向きに考えようとシルフィアは深く息を吐いた。
確かに勘違いをしてしまったが、争いが起こらないのは良いことではないか。
それに乙女ゲームなのだから、今まで鍛えるためには不要と考えていた恋だって出来る……。
「そうだわ、恋をしても良いのよね!」
パッと視界が開けた気がして、シルフィアはダンベルを片手に明るい声を出した。
……ダンベルを片手に。
「いやっ!」
思わず悲鳴を上げ、ダンベルをベッドへと放り投げる。ボスンと音がして、その重さにシルフィアはおののいてしまった。
なにせ無意識だったのだ。
無意識にダンベルを手にし、無意識に上下し腕を鍛えていた。
十年間いずれくる争いの日のためにと鍛え上げていた日々が、シルフィアの体に、いやそれどころか深層心理にすっかりと染み着いてしまっていたのだ。息をするようにトレーニングをしてしまう。
「違うわ……。ここは乙女ゲームなのよ……私は恋をするの……!」
そう自分に言い聞かせ、シルフィアはダンベルから顔を背けつつーー直視するとつい持ってしまいそうになるーー窓辺へと向かった。
カーテンを開ければ爽やかな風が入り込む。なんて気持ちがいいのだろうか。ゆっくりと深く空気を吸い込み目を閉じる。
思い出されるのは今までの日々。
いずれくる争いの日のためにと、友情も恋も自分には不要だと考えて生きてきた。
なにせ友人も恋人も、社交界ロワイヤル制度が制定されれば一瞬にして敵になってしまうのだ。親しい者と爵位を奪い合う悲しさを考えれば、最初から親しくならなければいい、そうシルフィアは考えていた。
だがその考えは根本から間違えていた。
(考えてみれば、これは好機よ。マードレイ家は男爵家だけど貧しい思いはしていない、爵位を奪いあうこともない。これからは一人の令嬢として、恋に友情に生きていけるのよ!)
新しい自分の誕生だ。
そうシルフィアは気持ちを落ち着かせ、深く息を吸うと共にゆっくりと目を開いた。
……そこに居たのは、丸太を担ぐ青年。
弟のルーファス・マードレイである。
厚い胸板。逞しい腕。太い丸太を担いではいるが、重そうな様子はなく、むしろセカンドバッグのような軽さである。
「やぁ、姉さん。どうしたんだい!」
満面の笑みで尋ねてくるルーファスに、シルフィアはクラリと目眩を覚えた。
彼もまたシルフィアの勘違いの原因と成果である。
なにせシャコロワのシルフィアには弟がいたのだ。病弱な弟……ゆえにシルフィアは自らを鍛えると同時に、弟であるルーファスも鍛え上げた。
自らが戦う覚悟はしていたが、病弱になると分かっている弟をそのままに出来るわけがない。共に鍛え、弟を健康に導くのも前世の記憶を思い出したものの務めである。
……そしてその結果、シルフィアの目の前でルーファスは丸太を担いでいる。
それも、彼が丸太を担いでいるのは今日に限ったことではない。
「……ルーファス、可愛いルー、今日も元気そうね」
「もちろんだよ!」
「そう……。弟が元気で姉は幸せだわ。それで、お父様には内緒で庭に勝手に建てている小屋はどう?」
「もうすぐ完成さ。完成したら姉さんを一番に招待してあげるよ!」
目映いほどの笑顔でルーファスが告げてくる。
この笑顔、布が引っ張られパツパツと今にも弾けそうな肉体。男らしく勇ましく、それでいて建てた小屋に一番に招待してくれるという優しさ。
なんて良い弟だろうか、とシルフィアが目元を拭う。
うっかりバトルアクション世界だと勘違いして歩んだ人生だが、弟を姉想いのナイスガイに育てたことだけは間違いではなかったと断言出来る。
そんなルーファスが「そういえば」と話を続けた。
「姉さんにお客さんだよ。そのために呼びに来たのに忘れてた」
「まぁ、ルーってばうっかりさんね。でもありがとう。どなたがいらしたのかしら」
「それが凄いんだ、あのライオネル公爵だよ! 僕、はじめて公爵様に話しかけられちゃったよ!」
興奮気味に話すルーファスの言葉に、シルフィアは「忘れてたわ!」と慌てて部屋を飛びだした。