19:勘当
数日の休暇が終わり、再び学園に通う。
だがそこにミリーの姿はなく、教師が説明する「諸事情による休み」も、二日、三日、と続けば疑わしくなってくる。
そのうえ、案じてアドセン家を尋ねても門前払いなのだ。玄関先でメイドに申し訳なさそうに謝られれば押し通るわけにもいかず、伝言を託すしかない。
「私の他にも親しくしている方々がアドセン家を訪問したらしいのですが、誰もミリー様には会えず、詳しい事も聞けなかったと仰ってました。ライオネル様は何かご存じですか?」
「俺も同じだ。昨日アドセン家に行ってみたが、青ざめたメイドが帰ってくれの一点張りだ」
「ライオネル様まで!?」
信じられないとシルフィアが声をあげる。
ライオネルは公爵家、それも昔からアドセン家と親しくしている。訪問をむげにするのは、いかに同じ立場のアドセン家だとしても許されないだろう。
だがライオネルはアドセン家を尋ねても他と同様に門前払い。当主ですら顔を出さなかったのだという。
「もしもミリーが病気や怪我で出てこれないとしても、普通は夫妻のどちらかが顔を見せるはずだ。なのに誰も出てこない。それに、屋敷の空気もいつもと違っていた気がする」
「違っていた?」
「あぁ、なんというか張りつめていたような、息苦しさがあった」
門前払いをくらった時のアドセン家の事を思い出しているのか、ライオネルの口調は重い。眉間に皺が寄り、瞳も鋭く、冷ややかな空気すら漂わせている。
彼まで門前払いでミリーに会えていないと知れば、シルフィアの胸に沸いていたざわつきがより嵩を増していく。思わずぎゅっと制服の胸元をつかみ、弱々しい声でミリーを呼んだ。
休みに入る前まで、ミリーは普段通り変わらず元気で愛らしい令嬢だった。冗談には笑い、優しく微笑み、そして隙あらばクッキーを食べようとする食いしん坊。
あやふやな理由で学園を休み、そのうえ案じてやってきた客に事情も話さず帰すような真似はしないはずだ。
だからこそ、何かあったのだと分かる。
「……アドセン家の方に前世の記憶や乙女ゲームについて話をすると仰っていましたが、そこで何かあったのでしょうか」
「分からないが、とにかく今日もアドセン家に行ってみるつもりだ。シルフィア、君も一緒に来るか?」
「えぇ、もちろんです!」
力強く頷いて返した。
「ライオネル様が迎えにくるのね。馬車の中で二人きり……チャンスよ!」
瞳を輝かせるクレアに言われ、力なく「そうね……」と聞き流せば、娘の反応にクレアがぎょっとした。
きっと普段通り叱咤が返ってくると思っていたのだろう。
「シルフィア、どうしたの? ライオネル様とアドセン家に遊びに行くんじゃないの?」
「……違うわ。ミリー様が最近学校にいらしてなくて、事情も分からないの。だからライオネル様と一緒にお伺いするんだけど、もしかしたら行ってもミリー様に会えないかも……」
うなだれつつシルフィアが話せば、クレアが肩に手を置いてきた。優しく肩を撫で、次いで抱きしめてくれる。
「お母様……」
「いつも一人だった貴女が、いつの間にか友達の為に行動出来るようになったのね」
「でも行ったところでミリー様に会えるか分からないわ……」
「それでも行きなさい。マードレイ家の女なら行動あるのみよ!」
ぎゅっと一度強く抱きしめ、クレアが鼓舞してくる。
「私の娘なんだから」という言葉に、シルフィアも頷いて返した。
このクレア・マードレイの娘が、不安ともしもの可能性で気弱になっていて良いわけがない。
「そうね。マードレイ家の娘だもの、そう簡単に門前払いなんてされてやらないわ!」
「その意気よ。さすが私の娘。逞しいのは体だけじゃないわね」
抱きしめていてクレアの手が、今度はシルフィアの頭を撫でる。
「立派に成長して」と誉めてはいるが、頭を撫でる手の動きはまるで子ども相手のようだ。気弱になった事を含めて子ども扱いしているのだろう。
シルフィアが恥ずかしくなり母の手からスルリと抜け、気合いも新たに拳を握った。
「押し倒しはしないけど、押し通してミリー様にお会いしてみせるわ!」
宣言するかのように高らかに告げれば、クレアもまた煽るように拍手を送ってくる。
丸太を担いだルーファスが公爵家の馬車が到着した事を告げてきたのは、ちょうどその時である。
ライオネルが乗ってきた馬車にシルフィアも乗り込み、アドセン家へと向かう。
だが壮年のメイドが「お通し出来ません」と頭を下げるだけだ。申し訳なさそうな顔をしているが、はっきりとした口調からは一歩も通すまいとしているのが分かる。
彼女とライオネルは顔見知りだったようで、ライオネルが頼み込むようにメイドの名前を呼んだ。メイドの顔に陰りが見え、痛々しそうに目を伏せてしまう。
「ライオネル様の頼みとはいえ……」
「それならせめて何が起こっているのか教えてくれ。ミリーに会えなくても、事情が分かれば俺たちも安心出来る」
「……申し訳ありません。何もお伝え出来ません」
メイドが深く頭を下げる。その姿から漂う悲壮感といったら無く、言及するのを躊躇わせる。
クレア相手には「押し通してでも」と宣言していたシルフィアでさえ、こうも謝罪の姿勢を見せられると言いよどんでしまう。
頑なとさえ言える意思に、ライオネルが僅かに考え……。
「……伝えられないのか」
と、ポツリと呟いた。
メイドがより深く頭を下げる。腰を痛めかねないほどの姿勢に、シルフィアが声をかけて顔を上げさせた。
「何も伝えられないということは、伝えるべき事態があるということだな」
「ライオネル様、それは……」
「話すことを禁じられているなら話さなくて良い。ただ……たとえば、見せたり、読ませたりするのは命令違反にならないだろう」
裏を掻こうとするライオネルの提案に、メイドが息をのむ。これにはシルフィアも目を丸くさせて彼を見上げた。
もしもメイドが『誰にも事情を話すな』と命じられているのなら、確かに見せたり読ませたりは命令に背いたことにならない。
だがさすがに無理があるとライオネル自身も分かっているのか、躊躇うメイドを気遣い「責任は俺がとる」と背を押した。
「……少々、お待ち頂けますでしょうか」
「あぁ、頼む」
一度頭を下げてメイドが屋敷へと戻り、しばらくすると小走りめに戻ってきた。
胸元に抱き抱えるように何かを持っているが、あれは……。
「手紙?」
シルフィアが首を傾げるのとほぼ同時に、メイドが手にしていた手紙を一通差し出してきた。
質の良い便箋。そこに書かれているのは【差出人 ヘンリー・アドセン】の文字。繊細な青年らしく、文字を綴る線も細く達筆だ。
これがいったい何だと疑問を抱きつつ、窺うように封筒を開け……。
中に入っている書類に……。
達筆な文字で綴られる【退学届】に、ぎょっとして目を見張った。
「これは……!?」
「ミリーの退学届けだ。なんでこんなものが……!」
わけが分からないとライオネルが退学届を読み込む。
その表情に次第に陰が掛かり始め、次いで何かを確信したかのように「ヘンリーの字だ」と呟いた。ミリーの退学届は、ヘンリーの字で書き記されている。
彼の話にシルフィアも顔色を青ざめさせ、次いで封筒に便箋が入っていることに気付いた。
そこに書かれているのは……。
「ミリー様が不摂生を咎められ、アドセン家を勘当……!?」
思わずシルフィアが声を上げれば、横から覗きこんだライオネルも息をのむ。
便箋には細く達筆な時で、ミリー退学の事情が書かれていた。
高等部に進学しても改善されない不摂生な生活を見かね、アドセン家はミリーを勘当する……と。
ゆえにミリーは学園に通うことも叶わなくなり、退学届はヘンリーが代筆している。
達筆な文字でそのむね事情を書き記し、果てには書類の送付だけになったことを詫びさえしている。最後に綴られているヘンリーの名も、アドセン家の封蝋も間違いなく本物だ。
「これはゲームの勘当エンド……? だけど、どうして……」
「シルフィア、ヘンリーに会いに行こう」
混乱するシルフィアに、ライオネルが諭すように告げてくる。
だがその声色はどことなく厳しい。彼もまたヘンリーの勝手な行動の意図が分からず、そして怒りを抱いているのだろう。
見れば翡翠色の瞳は鋭さを見せ、シルフィアの手元にある便箋を睨みつけている。仮にここにヘンリー本人が居れば、掴み掛かっていてもおかしくない。
だがいかに幼なじみの行動に憤慨していても、冷静さは欠いていないようだ。
メイドにチラと目配せするのを、ミリーの現在地を尋ねているからだろう。シルフィアを宥めつつはっきりとした声色で「ミリーもそこにいるはずだ」と告げれば、彼の意図を察したメイドが小さく頷いた。
箝口令を強いられた彼女は何も話せない。
だが頷く事は出来る。
「今日は遅い、明日の早朝にアドセン家の別荘に向かおう。朝一に出れば夜には着くはずだ」
「はい、参りましょう……!」
退学届をぎゅっと握りしめ、シルフィアがライオネルの後に続く。
こんな忌々しい書類はすぐにでも破り捨ててしまいたいぐらいだ。
チラと背後を振り返れば、メイドが深く頭を下げており、「お嬢様をどうかよろしくお願いいたします」と悲痛な声が聞こえてきた。




