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17:今までの自分


 ミリーが着替えている間、ライオネルと屋敷の庭園を歩く。

 庭園は人気がないが、会場からは音楽が聞こえてくる。静けさと賑やかさの狭間にいるような、なんとも不思議な感覚だ。

 パーティーも恙なく進んでおり、メイド曰くあの場に居合わせた者達もむやみに騒ぐ事なく、こそりとアドセン家の者達に事情を聞き、ミリーに大事ないとわかると安堵し談笑に戻っていったという。


「ライオネル様の適切な対応があってこそです。私なんて、慌ててしまって……」


 シルフィアが己の未熟さを恥じる。

 思い返せば、学園を散歩し迷子を見つけたときも、自分は泣きわめく少女を前になにをすべきか分からずにいた。ライオネルが機転を利かせて少女を落ち着かせてくれたからこそ、事態は解決に向かえたのだ。

 今回の件だって、彼が居なければしきりにミリーを呼び不安がるだけで、きっと騒ぎになってしまっただろう。下手したらパーティーが中止になっていたかもしれない。


 ライオネルが一緒に居てくれて良かった。


 そうシルフィアが告げれば、彼は照れくさそうに頭を掻いた。銀糸の髪が揺れる。


「それほどの事じゃないさ。だけど、ミリーには困ったものだな」


 照れくさくて話題を逸らしたいのか、ライオネルが幼なじみの無茶を思い返して溜息を吐いた。シルフィアも同感だと頷いて返す。

 確かにミリーのドレスは素敵だった。それが母から譲り受けたものならば、多少無理をしてでも着たいと思う気持ちも分かる。

 だが気を失うまで無理をするのはいただけない。

 まったくと言いたげにシルフィアが溜息を吐けば、ライオネルが「あの兄妹は昔からそうだ」と笑った。


 曰く、ミリーは昔から一つのことを考えると他所が見えなくなる性格だったらしい。そして兄のヘンリーはといえば、ミリーの事を考えるとこれまた他所が見えなくなるのだ。

 変わらないとライオネルが苦笑を浮かべる。諦めどころか慣れすら感じさせるその表情に、シルフィアが労いの言葉をかけた。


「だが今回はさすがに俺も焦ったな。シルフィアが一緒に居てくれてよかった」

「いえ、私は何もできませんでした。むしろ咄嗟にミリー様を抱き上げるなんて失礼な真似をしてしまい……」

「失礼なんて、助けてもらってミリーは感謝しているはずだ。だけどよく抱きかかえて運ぶだけで済んだな、いつも君は拳を握ったり物騒なことを言うから、あのまま投げ技を決めるかと思ったよ」


 冗談めかしてライオネルが笑う。

 これにはシルフィアも微笑んで返した。確かに自分は無意識で拳を握ったり、咄嗟に戦うシミュレーションをしたりと物騒だ。

 ……だけど。


「ミリー様に対してはそんなことはいたしません」

「そうだよな。……ミリーに対して『は』? 俺は、俺の場合はどうなんだ?」


 俺も投げたりしないよな? とライオネルが必死になって尋ねてくる。

 これに対しシルフィアは上品に笑い、彼の数歩先を行くように歩いた。

 傍目には麗しい令嬢の思わせぶりな意地悪と、それを追いかける凛々しい好青年として映るだろう。実際にはシルフィアは上品に笑うことで言葉を濁しているにすぎないのだが。--咄嗟にライオネルを投げない自信はない--


 そうしてシルフィアが品よく笑いつつ、庭園へとつながる階段を降りようとし、吹き抜ける風に驚いて顔を背けた。

 木々が揺れ、同じように外に出ていた者達も突然の強風に声をあげる。


「なんでしょうか、突然こんな強い風が……」


 季節柄なのか、もしくは建物の構造的に風が抜き抜けやすいのか。だが大事は無かったとシルフィアが顔をあげ……、己へと向かってくる色鮮やかな布におおきく目を見開いた。

 まるで自分を覆うように、それどころか体躯を広げて襲いかかる動物かのようだ。

 小さく悲鳴をあげ、後ろに下がり避けようとし……。

 ズルと靴底を滑らした。バランスを崩し、体が不自然に揺れる。

 落ちる、と咄嗟に恐怖で目をつぶった。


「シルフィア!」


 と聞こえてきたのはライオネルの声だ。

 それと同時にシルフィアの腕が強く掴まれる。

 だが腕を引かれるには遅く、シルフィアの体は重力に逆らえず階段下へと倒れこみ……。


 そして見事に着地した。


 それもなぜかライオネルをお姫様抱っこの状態で受け止めながら。


 シンと静かな空気が漂う。

 正確に言えば会場からの音楽や談笑の声が聞こえてくるのだが、そんなものはこの凍り付いた空気で弾かれてしまっている。少なくとも、シルフィアの耳には届かない。


「……これは……もしかして、トキ恋のスチルの再現……?」

「シルフィア、とりあえず降ろしてくれ……」


 シルフィアに抱えられたライオネルがか細い声で訴える。

 はたと我に返ったシルフィアが彼を降ろし、次いでよろよろと歩くとベンチに腰掛けた。盛大に溜息を吐き、肩を落とす。

 いったいどこの世界に公爵家子息をお姫様抱っこで受け止める令嬢がいるというのか。己の中で令嬢力が急速に減っていく気がする。


「シルフィア……その……無事で、よかった」

「え、えぇ……ライオネル様も……」


 何とも言えない空気が漂う。

 チラとシルフィアが足元を見れば、一枚のカーテンが落ちている。見上げれば三階上の一室の窓が開いており、きっと突風を受けて外れて落ちてきたのだろう。

 今となっては原因などどうでもいい気がするが。ひとまず怪我が無かったことを気まずい空気の中で確認し、よかったと白々しい安堵をしておく。


「……ライオネル様をお姫様抱っこなんて。私はなんてことを……」

「まぁ、済んだことだし気にしないことにしよう。それより俺は投げ飛ばされなくてよかったと喜んでおこうかな」


 ライオネルが冗談めかして笑いながら隣に腰を下ろす。あまりにシルフィアが落胆するので気を使ってくれているのだろう。

 その優しさにシルフィアも小さく微笑む程度の余裕は出来た。むしろこれ以上の落胆は、助けようとしてくれた彼にさらなる無礼を働くだろう。

 次いで自分の手元に視線を落とし、おやとその変化に気付いた。


「……手が」

「どうしたんだ?」

「ライオネル様に咄嗟に腕を掴まれたのに、拳を握っていないんです。もしかして、ライオネル様を打ち倒そうという気持ちが薄まっているのでしょうか?」

「俺に聞かれても困るな。というか、そもそもどうしてシルフィアは俺と話すと拳を握るんだ?」


 今更ながらな質問に、シルフィアがチラと横目でライオネルを見た。


(ライオネル様は前世の記憶がない。それなのにこんな馬鹿々々しい話をしてしまって良いのかしら……)


 彼からしてみれば、『前世の記憶』自体が訳のわからない話のはずだ。

 更に『そうだと思っていたが関係なかったゲーム』だなどと、話しても混乱させるだけである。それが爵位を奪い合うというとんでもない設定ならば猶更、彼の中の疑問を増やさせるにすぎない。


 ……だけど。


「とんでもなくおかしな話をするんですが、怒らず呆れず聞いてくださいますか?」


 そう、シルフィアが伺いつつライオネルに尋ねた。

 馬鹿げた話だ。彼を困らせるだけである。そう分かっていても、きちんと話さなければと思えてきたのだ。

 自分の勘違いを含めて、彼に理解してほしいと思う。

 その思いのまま問えば、ライオネルが苦笑を浮かべた。


「君が俺を打倒せず、投げず、ちゃんと話してくれるなら、喜んで聞かせてもらうよ」


 そう苦笑交じりの彼に促され、シルフィアは深く一度息を吐くと、ゆっくりと話し出した。



 シルフィアがライオネルに闘争心を抱き、事あるごとに拳を握ってしまうのは、『社交界ロワイヤル』という前世のゲームが原因だ。

 貴族が爵位を奪い合うバトルアクションゲーム。この世界がその社交界ロワイヤルだと勘違いし、いずれ戦いの日がくるのだと鍛え上げ、そしてライオネルをゲームの倒すべき存在だと思い込んでいた。

 その全てが間違いだと分かった今、令嬢らしく振舞い、トレーニングを封印している。己の闘争心を鎮めようとしているのだ。

 だが十年かけて鍛えあげた肉体と闘争心は簡単には収まらず、無意識に拳を握らせてしまう。


「今になって思えば、馬鹿な勘違いでした。ですから一から令嬢としてやり直しているのです……。ですが、ついライオネル様を相手に拳を握ってしまったり、気を抜くとトレーニングをしてしまったり……」


 ふとした瞬間にダンベルを持ち、懸垂用の器具にぶら下がって悩みこんでしまう。そうシルフィアが己の未熟さを嘆けば、ライオネルが「そうか……」と小さく呟いた。

 彼の表情はなんとも言えず複雑そうだ。

 元より理解しがたい前世の話、それも馬鹿げた設定のゲームの話をされたのだから仕方あるまい。なんと答えるべきか悩んでいるのだろうか、しばらく他所を見つめたのち……。


「別に、無理して全てを変えようとしなくてもいいんじゃないか?」


 と、不思議そうな表情でシルフィアに尋ねてきた。


「……え?」

「そりゃ、俺を倒すだの爵位を奪い合うだのと物騒な考えは認められないけど。でも今まで鍛えてきたことや、トレーニングが習慣付いていることまで否定しなくてもいいだろ」

「ですが……。すべては勘違いですし」

「確かに勘違いだが、シルフィアが十年間努力したことは事実だ。一からやり直すなんて言わずに、今までを受け入れてこれから先やっていけばいいじゃないか」


 なぁ、とライオネルが諭すように微笑んだ。

 緩やかな風が彼の銀の髪を揺らし、翡翠色の瞳がシルフィアを見つめる。優しい瞳。「勘違いの末に闘争心を抱いていた」と物騒なことを言う令嬢に向ける瞳ではない。

 これは……友人を励まし諭す瞳だ。


「……また拳を握ってしまうかもしれません。ライオネル様も困りますでしょう」

「理由が分かれば別に構わないさ。どうしても拳を握るのが嫌なら、一度握って、その後に開けばいい」

「でも……」

「勘違いして、鍛え上げて、時折物騒なことを言う。それも含めて俺は君を素敵だと思ってる。だから一からなんて言わないでくれ」


 ライオネルの声色ははっきりとしており、嘘をついている様子はない。

 彼の手がシルフィアの手へと伸ばされ、手の甲に触れるとそっと覆うように添えられた。驚いたシルフィアが咄嗟に拳を握り、そして握ってしまったことに「私ってば」と嘆きの声をあげた。

 だがライオネルは表情を変えず、手を引くこともない。彼の手はいまだシルフィアの拳を覆っている。


「ほら、拳を握ってても問題ないだろう。俺としてはこのままでも良いし、手を開いても良い。なんだったら、手を開いて、指を絡めてくれてもいいんだけど」

「まぁ、ライオネル様ってば」


 シルフィアが小さく笑みを零し、握った拳から力を抜いた。

 ライオネルの手は変わらず自分の手を覆っている。ゆっくりと手を開いてもそれは変わらない。

 それどころか残念そうに「指は絡めてくれないのか」と笑った。


「指を絡めてくれないなら、エスコートぐらいはさせてもらおうかな。そろそろミリーの着替えも終わるだろう」

「えぇ、お願いいたします」

「早く戻らないと、コルセットから解放されたミリーが会場中の食事を食べつくしてるかもしれいない」


 ライオネルに続いて、シルフィアも立ち上がる。

 手の甲を覆うように添えられていた彼の手がスルリと滑り、今度は掌に触れて柔らかく握ってくる。

 口調こそいつも通りで冗談交じり、それでいてエスコートはさすがと言えるほどにスマート。そんなライオネルに促され、シルフィアも応えるように彼の手を握り返した。



 そうして再びパーティーの場に戻れば、新しいドレスを纏ったミリーがパタパタと駆け寄ってきた。

 無理をしていたことを反省したようで、助けてくれたシルフィアとライオネルに感謝を示してくる。顔色も良く、声も溌剌としている。なにより朗らかな笑顔はいつも通りのミリーのもので、彼女の体調が回復したと一目でわかる。

 良かった、とシルフィアが安堵し、次いでライオネルを見上げた。

 彼もミリーの回復に安堵し、そして「せっかくの料理を食べ損ねるところだった」という彼女らしい発言に苦笑を浮かべている。シルフィアの視線に気付いて肩を竦めるのは、エスコート時の冗談があながち間違いではなかったと言いたいのだろうか。


「ミリー様、大事ないようでなによりです。ですが楽になったからとはいえ食べ過ぎはいけませんよ」

「大丈夫よ。着替える前は何も食べてなかったし、着替えてからも料理を少しと、ケーキを三つしか食べてないわ」

「……それはよかっ……三つ」

「えぇ、あとタルトとチョコレートケーキと、マフィンで終わりにするつもり。それと締めのローストビーフ」


 それで今日は我慢するわ、と上機嫌でミリーが料理へと向かっていく。

 嬉しそうな背中だ。きついドレスに押し込められていた肉体が、今は自由を得てもちもちとしている。


「ピギー様、些かコルセットが緩いようですね。私が絞め直させて頂きます」

「ミリー、そこまでにしておけ! ひきちぎられるぞ!」


 冷ややかに言い放ちシルフィアがミリーを追い掛ければ、ライオネルが青ざめて声をあげた。



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