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10:美味しいご飯

 

 ミリーには痩せる気はある。一応、と付け加えた方が良いのかもしれないが、当人は痩せなければと思っている。

 だがいくら思ったところで食欲が減退するわけではない。とりわけ今までは兄に与えられるまま無制限に食べてきたのだ、『今日から我慢!』というのも厳しいのだろう。

 彼女が転入してきて早一月が経過するが、体重や体型に変化はなく、さり気なくクッキーを食べる動きだけが洗練されていく。


「ミリー様が食欲に負けてピギらないためにはどうすれば良いのかしら」


 何か良い方法は無いかとシルフィアが考えを巡らせる。

 ……庭に設けた懸垂用の器具にぶら下がりながら。


「ひとの事を言えない!」


 思わず声をあげ、両手を放して地面に下りる。そのまま頽れると共に己を抱きしめた。無意識に幾度か懸垂しており、腕には心地よい疲労がたまっている。

 無意識とはかくも恐ろしいものなのだろうか。もしも自分と同じようにミリーも無意識に食べ物に惹かれているのなら、これほど根強く難解な問題はない。

 前途多難すぎる……とシルフィアが頽れたままうなだれていると、ふっと頭上に影か掛かった。

 見上げれば筋骨隆々の青年。ルーファスである。今日も今日とて丸太を担ぎ、ベストのボタンは今にも弾け飛びそうなほどだ。


「姉さん、どうしたの? 具合でも悪い?」

「ルーファス、可愛いルー。心配しないで、ちょっと悩んでいただけよ。ところで庭の小屋はどう?」

「順調だよ。でも父さんに見つかりそうなんだ」

「大丈夫よ。お父様は時々そわそわしながら『ルーがこそこそと何かをしているみたいだけど、完成はいつなんだ?』って私に聞いてくるから。あれはもう気付ているし、気付いたうえで楽しみにしているわ」


 建設を続けて、とルーファスに告げれば、問題は解決したと屈託のない笑顔を浮かべた。

 輝かんばかりの笑顔、たくましく弾けそうな肉体、そして頽れる姉を気遣う優しさ。相変わらずナイスガイだ。

 そのうえルーファスは自分の問題が解決すると、今度はシルフィアを心配しだした。悩みを打ち明けてくれと優しく諭してくる。なんという天使だろうか。


「可愛いルー、姉の抱えている問題は複雑なの……」

「姉さん、僕は姉さんが心配だよ。どうしたら元気な姉さんに戻ってくれる?」

「弟が天使……! ありがとうルー、その言葉だけで姉さんは丸太を担いで庭を二周できるわ」


 大丈夫、とシルフィアがルーファスを宥める。

 だがほかでもない弟には無理をしているのはお見通しなのか、ルーファスはそれでもと食い下がってきた。「二周なんて、いつもの姉さんなら四周はするのに」という言葉に、核心を突かれたシルフィアの胸が痛む。

 なんて優しく、そして細かな変化に気付く弟だろうか。


「そうね、ルー。姉さん嘘をついていたわ……。でもこの問題は本当に複雑で、話しようがないの」

「そうなんだ……。それなら、僕が良いことを教えてあげるよ! だから立ち上がって!」


 ルーファスの明るい声に当てられ、シルフィアがゆっくりと立ち上がる。

 確かに、自宅の庭とはいえいつまでも頽れていてはメイドや給仕達に示しがつかない。ーーここにライオネルが居れば「器具にぶら下がっていても示しがつかないと思うが」とでも言っただろうがーー

 そう考えて立ち上がり、気分を新たにルーファスに向き直った。

 心配してくれている可愛い弟を前に、いつまでも俯いているわけにはいかない。

 そう己を鼓舞し、ルーファスにいったい何を教えてくれるのかと問えば……。


「健康な体を作るには鳥のササミを食べると良いんだよ!」


 と、満面の笑みで告げてきた。

 相変わらず眩しく、たくましく、優しい。そのうえ博識。おもわず「完璧……!」とシルフィアが小さく呟いた。

 弟からのワンポイントアドバイスに、満たされたと胸を押さえる。


「ルーの言うとおりね、鳥のササミを食べれば解決……。そうだわ、何も無理に食事を我慢しなくても良いのよね」

「姉さん?」

「ありがとう、ルー! さすが私の可愛い弟だわ!」


 名案が浮かんだ喜びでぎゅっと弟に抱きつく。ーーなんて堅く逞しい肉体だろうかーー

 そうして善は急げと駆け出し……はせず、上品に小走り目に屋敷へと戻っていった。もちろん喜びのあまり堅く握りしめていた拳は開くのも忘れない。こういう細かなところから令嬢力が身につくのだ。

 ……たぶん。


 ※


 それから数日、シルフィアは帰宅するとすぐさま厨房に向かうようになった。時には学園の図書館から本を借りて、厨房のテーブルにあれこれと広げて読み漁り、時にはシェフと顔を突き合わせああでもないこうでもないと夜中まで討論を繰り広げる。

 もちろんミリーとの散歩は欠かしていない。だが隙あらば彼女はお菓子を食べるのだ。その流れるような自然な動きといったらなく、シルフィアでさえ見逃してしまうほどである。

 幾度となく「ピギー様、ピギー様、どうかおかえりください」と塩をまいただろうか。もはやライオネルも止めてこない。


 呆れてしまうほどに、そしてシルフィアでさえ翻弄されるほどにミリーは食いしん坊ということだ。

 一朝一夕でどうにかなるものではない。


(私が今朝もダンベルを片手に身支度をしてしまったように、ミリー様の体にも食べることが習慣づいてしまっている。いっそ食事を止めるより、こちらで先手を打てばいいのよ!)


 これこそまさに、ルーファスの鳥のササミ発言から閃いた名案である。

 そもそもミリーは今までもっちりするほど自由に食べてきたのだ。突然厳しく制限してもストレスになりかねない。仮に厳しい食事制限の末に痩せたとしても、無理が祟れば反動を受ける可能性だってある。

 ならば彼女の食欲を肯定したうえで、食事をコントロールすればいいのだ。



「ですので、これからは食事の管理をいたしましょう。無理に我慢するのではなく、太りにくい食事を心がけて健康に痩せるんです」


 そうシルフィアが提案すれば、話を聞いたミリーとライオネルがなるほどと頷いた。

 場所は学園の一角。二人を捕まえ、事情を説明し、そうして今夜にでも早速マードレイ家に来てくれと誘った。

 数日かけて開発した減量用メニューのお披露目だ。


「メニューは私とシェフが考えました。僭越ながら、私も調理を手伝う予定です」


 自分が徹底管理するから任せてくれ。そうシルフィアが告げる。

 それに対して、話を聞いたライオネルがポツリと、


「つまり、シルフィアの手料理か」


 と呟いた。シルフィアが頷いて返す。

 その瞬間、周囲が一瞬にしてざわつきだした。思わずシルフィアが驚いて周囲を見回せば、遠巻きに見つめてくるいつもの外野達。今の会話を聞いたからか「手料理……」と囁きあっている。

 彼らの瞳が妙にぎらついているのはどういうわけか。


(男爵家とはいえ貴族の令嬢が料理をすることに驚いているのかしら。でも、料理やお菓子づくりを嗜む令嬢は珍しくないはずだけど)


 いったいこの妙な視線は何なのか。

 だが疑問を抱いて尋ねに行こうとするも、それより先にライオネルが「それはすごいな」と上機嫌で告げてきた。


「料理をするなんて、シルフィアは器用なんだな」

「そんな、殆どシェフ任せです。ですが誠意を持って振舞わせていただきます」


 だからぜひ来てくれとシルフィアが二人を見つめる。

 これもまたシルフィアの計画の一端である。ミリーには食事改善、そしてシルフィアには『趣味:料理とお菓子作り』という年頃の令嬢女らしい趣味。

 なんて素晴らしい計画なのかしら、とシルフィアが己を誇れば、それを肯定するように「もちろん!」と声があがった。期待をこれでもかと込めたような明るい声。

 ミリー……ではなく、ライオネルだ。彼は翡翠色の瞳を輝かせ、それだけでは足りないとグイとシルフィアに近づいてきた。


「是非おじゃまさせてもらおう。シルフィアの手料理、とても楽しみだ」

「そ、そうですか……。それほど楽しみにして頂けるのなら、作りがいがあります」


 ライオネルの勢いに若干押されつつ、シルフィアは微笑んで返した。

 ダイエットという目的があるとはいえ、これほどまでに喜んでくれるのは純粋に嬉しくなる。

 それに……。


「私、家に()()を招くのはこれが初めてなんです」


 そうシルフィアがはにかんで告げた。


 乙女ゲームの記憶を思い出すまで、いずれくる戦いの事ばかり考えていた。恋人はおろか友人も作らず、当然だが自ら家に知人を招くこともない。

 ルーファスが友人を招いて楽しそうにしているのを幾度と眺め、母が知人と茶会で盛り上がる声を自室で聞いていた。恐ろしいほどの童顔で一時は国を滅ぼしかけていたという父だって、同年代の友人を家に招いて食事を振る舞う事も多々ある。ーー端から見ると一人の美青年を父親程の年齢の男達が囲む奇妙な光景だがーー

 それを横目で眺め、縁のない世界だと自分に言い聞かせていた。

 いずれ社交界ロワイヤルが制定されれば、自分は他家の者達と戦わねばならない。親しくすればするほどつらくなる。そう考え、周囲に距離をとってきたのだ。


 だがその全てが勘違いだった。


 改めて振り返れば、費やした時間は惜しくもある。

 それでも、勘違いに気付いてすぐ二人も友人を家に招けるとは自分は恵まれている。勘違いに気付いて一からのスタートだが、なんとも幸先の良いスタートではないか。

 シルフィアが気恥ずかしさに思わず視線を落とした。表情がゆるんでしまう。


「ミリー様のダイエットの為とは分かっていますが……。なんだか嬉しくて、楽しみです」


 胸の内をくすぐられたような何とも言えない心地よさ。自然と口角があがってしまう。

 ミリーを見れば彼女もまた嬉しそうに微笑んでおり、ライオネルはと言えば、はにかむシルフィアをじっと見つめ……。


「……好きだ」


 と、熱に浮かされるように呟いた。

 これにはシルフィアも目を丸くさせる。


「ライオネル様?」

「えっ、あ、いや……これは……!」


 我に返るや途端にライオネルの顔が真っ赤に染まる。

 あたふたと慌てだし、要領を得ない言葉を続け、その果てに再びシルフィアを見つめた。翡翠色の彼の瞳は、決意を宿したように力強い。


「シルフィア、今の言葉は……!」

「ライオネル様は、もてなしを受けるのが好きなんですね」

「……なるほどそうきたか」


 決意を宿した力強いライオネルの瞳が、一瞬にして輝きを失う。

 その変化に気づき、シルフィアは彼を見上げたまま首を傾げた。何か失言でもあっただろうか。


「ライオネル様、どうなさいました?」

「いや、大丈夫だ。今は外野も多いしそういう事にしておこう。それじゃシルフィア、後でミリーと一緒にお邪魔させてもらうよ」

「えぇ、お待ちしております。なんだか最初にライオネル様とミリー様がいらっしゃった時のようですね」


 懐かしい、とシルフィアが微笑んだ。

 あれから一月程度しか経っていない。だが今までトレーニングばかりのシルフィアにとっては激動の日々だ。

 学業を終えて帰宅し鍛えて終わりの一日とは濃度が違う。


「では、私は先に失礼致します。楽しみにしていてくださいね」


 「また後で」と一言残し、ふわりとスカートを翻して踵を返すとシルフィアはその場を後にした。


 ※


 残されたのはライオネルとミリー、そして相変わらず遠巻きに見てくる外野達。


「残念だったわね、ライオネル……」


 とは、ポンと彼の肩を叩くミリー。その手が肉厚なためポンと叩くいうよりもちっと乗せたという方が正しい気がするが、今は些細なことである。

 彼女の慰めに、シルフィアが去っていった先を見つめていたライオネルが溜息を吐いた。落胆と、それでいて若干の慣れを感じさせる溜息だ。

 次いで顔を上げる彼の表情に、おやとミリーが首を傾げた。玉砕したばかりだというのに翡翠色の瞳は輝いている。


「玉砕なんて今更すぎて落ち込むほどのものじゃない。それに今のはつい口をついで出てしまって、さすがに俺も焦った」

「そうね、私もどうなるかと思ったわ」

「外野もいるし、今回はシルフィアが勘違いしてくれて助かったかもな。それより、さっきのシルフィアの挨拶を見たか?」


 嬉しそうにライオネルが話す。

 彼の言う『さっきのシルフィアの挨拶』とは、去り際のものだ。「また後で」と簡単な言葉を告げる、極平凡な挨拶である。

 これがパーティーやきちんとした場ならば無礼な挨拶になるが、学園の一角で友人同士が交わすなら十分な挨拶だろう。とりたてて話題にするほどのものでもない。ミリーだって、ライオネルやシルフィアといった親しい者相手には先程のような軽い挨拶で済ませる。

 だというのに、いったい何がそこまで嬉しいのか。そうミリーが尋ねるも、ライオネルは上機嫌で表情を綻ばせるだけだ。翡翠色の瞳が細められる。


「そうだな、あれは()()と交わす挨拶だ」

「それがどうしたの?」

「なんでもない。それじゃミリー、マードレイ家にお邪魔するための手土産でも買いに行こうか。()()の家にいくのには、何を持っていけばいいかな」


 嬉しそうにライオネルが告げる。

 妙にはっきりとした、とりわけ『友人』という単語を協調した大袈裟な口調。ミリーを見てはいるものの、他の者達に宣言しているかのようだ。

 なんとも分かりやすい牽制と勝利宣言ではないか。嬉しそうに笑うライオネルと、そして歯がゆそうに見てくる周囲を交互に見て、ミリーは盛大に肩を竦めた。



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