九話 チョロい男
今回は他者視点です。
--チョロい。
無言に徹し、されど二人のやりとりを誰よりも近くで見ていた女ーータリアは、思った。
本人は頑なに否定していたが、すれ違いざまにチラと盗み見た少年のその強張った顔は、とても無関係な人間のものとは言い難い。
いや、表情もそうだが、それ以上に。
「--黒じゃろう、どう考えたって」
ギルドのカウンター前に立っていた、彼女の主である少女ーーエリザが、呆れと可笑しさが入り混じったような顔をして、言い放つ。
その翡翠の瞳は、今しがた件の少年--ロウシンが、挙動不審な足取りで出て行ったギルドの入り口に向いている。
「ええ。あそこまで分かりやすいのは、中々……」
言葉尻を濁しつつ、タリアも彼女に倣うように、ギルドの入り口を振り返る。
既に少年の姿はその向こうに消えてしまっているが、タリアの脳裏には先程の光景が鮮明に浮かび上がっていた。
声色、会話、態度。
そのどれもが、胡乱。
声色は、しょっちゅうトーンが変わり落ち着きがなく。
会話に関しては、こちらの鎌かけにあっさりと引っ掛かり。
態度に至っては、気を張って警戒している様がまざまざと。
そのどれ一つ拾っても、疑ってくださいとーー何かを知っていると全身で主張しているようなもの。
よもや本人とて、あれで乗り切れたとは思っていまい。
「ロウシン。……ロウシン・バーンウィッスル、か」
エリザの唇から、少年の名が紡がれる。
少年は終ぞ名乗らなかったが、その直前のギルド職員と彼とのやりとりを聞き、名前は知っていた。
「あれが演技だとしたら大したものじゃが。……まぁ、まずないだろうな」
「はい、恐らく」
十中八九、あれは素だろう。
万に一つ、そうでなかったら、こちらが謀られていて相手が上手だっただけのこと。
「お二人は、彼がブラッディオークを撃破したとお考えですか?」
カウンターの向こうから、ギルドの女性職員が話しかけてくる。
こちらが話しかけるまで、彼の対応をしていた女性。そして、今回の事情を知っている職員でもある。
「さて、どうかな。タリア、お主はどう見た?」
「はい、彼が何かを知っているのは、間違いないでしょう。……ただ、ブラッディオークを撃破したとなると……」
タリアは、再び少年の姿を脳裏に浮かべる。
体格は普通。小さくはないが、大きくもない。筋力もさほど優れていないだろう。
なにより、強い気配がまるでない。強者特有の雰囲気、空気が、少年からはまるで感じられなかった。
何かを隠しているのは間違いない。しかし。
「難しいでしょう。まず、他の何者かの仕業の可能性が高いかと」
ブラッディオークを単独撃破できるほどの冒険者とは思えない。あれは、そんなに甘い存在ではない。
故に、少年以外と判断する。
その直後だった。
「--そりゃそうだ。あの落ちこぼれに、ブラッディオークなんて大物、倒せるわけねーよ」
タリアの意見に同調する、声。
嘲るような物言いと共にこちらに近づいてきたのは、三人組の年若い冒険者だった。
年の頃は、彼ーーロウシンと、さほど変わらないであろう。
「なんたってアイツは、ランク2への昇格に何度も躓いてるような奴だぜ? とっとと冒険者を辞めちまえばいいのに、見苦しいったらありゃしない」
「そうそう、俺なんてアイツより冒険者になったのは遅いのに、とっくに抜かしてるもんなー」
その三人組は、互いにロウシンを罵り、ゲラゲラと笑っている。
エリザは、そんな彼らに眉を顰めつつも、ギルドの女性職員へと向き直り、問う。
「そういえば、本人もランク1と言っていたな。本当に、ランク2への昇格試験に、何度も?」
が、女性職員が口を開くよりも前に。
「本当も、本当! なんたって、ついこの前に6回目の失敗をしたって話だ。6回だぜ、6回!!」
腹を抱え、涙すら浮かべながら笑い始めた三人組の一人が、答えをもたらす。
タリアが職員の顔を見たが、その冷静な面持ちは変わることなく。口から訂正の言葉が出ることはなかった。つまり、そういうことなのだろう。
「でも、ランク2に近い実力はあると思うんだけどねー、ロウシンは」
「なぜかあの子、いつも昇格試験の制限時間に引っ掛かるらしいのよ」
少年三人組に続き、今度は二人組の女冒険者が苦笑と共に近寄ってきた。
「ほぅ、制限時間とな?」
エリザが、興味深げに彼女等の言葉に反応する。
「そうなの。ランク2への昇格試験って、それ程難しくもないし、制限時間も割と余裕あるはずなんだけど。……そういえば、あんまり遅すぎてギルド中で話題になったことがあったわね」
「あー、あったあった。確か……ニ、三ヶ月近く戻ってこなかった時があって。あの時は、ロウシンが死んだんじゃないかって噂になってたっけ」
それを聞いたタリアは、微かに瞠目した。
ランク2の昇格試験で、ニ、三ヶ月。確かに、それは話題にもなるだろう。
タリア自身、かなり前ではあるが、ランク2への昇格試験を経験している。
そのため、その異常性が理解できた。
「噂になるとは、中々有名人のようじゃな?」
「そりゃあね。最初の方はそうでもなかったけど、流石にあれほど連続で失敗したとなると、さ」
女冒険者が、肩を竦める。
ただでさえ、大国とはいえないヴァーグルの、辺境ーー田舎。
ギルド自体が小規模なここでは、話題になったのだろう。
もっとも、6回失敗しているというのは、確かに聞いたことがないが。
「ま、ただ、私達も、ロウシンがブラッディオークを倒したってのは、無理がありすぎると思うな」
ロウシンをフォローする形で会話に入ってきた彼女達であったが、しかしやはりそれに関しては同意見のようだった。
「ところで、貴方達は? ここでは見たことない顔だけど……見た感じ、新人てよりは、他所から来た冒険者よね?」
次いで、エリザとタリアについて言及してくる。
「ああ。妾達は、ちょっとした用事でこの村に立ち寄っていてな」
「へー、それってどんな用事? もしよかったら、俺達が手伝おうか?」
エリザが返答すると、しかし反応してきたのは、笑いこけていた少年三人組の一人。
にやにやと下心満載の笑みでエリザと、そしてタリアを見ている。
「結構。汝等では足手纏いにしかならん」
それを、エリザは一瞥もせずにバッサリと切り捨てた。
俄然、三人組の顔が真っ赤に染まる。
「んだとっ!? 折角、こっちが親切に言ってやってるのに! 俺達は全員ランク2の冒険者だぞっ!!」
「--失礼ですが」
いきり立つ三人組を止めたのは、氷のように冷たい声。
「こちらの方々は、ランク2のあなた方より高ランクの冒険者です。此度のブラッディオーク出現の報に際し、ギルドの方から調査依頼を出させていただいたほどの」
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「--先程は出過ぎた真似を。失礼致しました」
女性職員が、カウンター越しに、頭を下げる。
「いや、いい。面倒な相手をせずに済んだ」
「お気になさらず」
その対象ーーエリザとタリアは、各々言葉を返してその頭を上げさせる。
「ありがとうございます。では一つ、お礼といってはなんですがーー」
女性職員は、二人にそれぞれ視線を合わせると。
「彼は今、恐らく道具屋にいるでしょう。依頼の前には、いつも立ち寄ります」
簡潔に、そう言った。
ほぅ、とエリザが目を細め、タリアは彼女の瞳を見つめ返す。
「もしや、全ての冒険者の行動を把握しているのか?」
「まさか」
では失礼します、とニコリともせずに、女性職員はギルドの奥に行った。
「では、行こうかの。その道具屋とやらに」
それに気分を害した様子もなく、むしろ楽し気に、エリザは歩き出す。
「……そんなに、彼のことが気になりますか」
あの、腹芸の苦手で実力も怪しい少年に、エリザはーー主は何を見たのか。
「ああ、予感がな。もしかするとあの少年はーー記念すべき第一号になるやもしれぬ」
小さく、息を呑む。
だが、それも一瞬のことで。
「かしこまりました、お嬢様」
その自信に溢れる、自らよりも小さい背中を追った。