四話 ロウシンの日常
「――よっと。これで、残り半分くらいだな」
目的の物――地面に生える、緑色をしている以外これといった特徴のないキノコを引き抜き、腰につけた袋に入れたロウシンは、ふぅと一息吐くと額を拭った。
ロウシンは今、ギルドで受注した依頼を達成するために、コーラル山に来ていた。
コーラル山は、ロウシンが住み、また冒険者として活動するラーニャ村から東に位置する山である。
そして今しがた採取したのが、依頼の目的――高山キノコ、と呼ばれるキノコだ。
高山キノコは、山にしか生えないキノコ。食用であったり、低級ではあるがポーションのような回復系の薬の調合にも用いられたりする。
採取場所が限られてはいるものの、裏を返せば山であれば基本的にどこにだって生えているし、山奥深く入らずとも探せばあちこちで見ることができる。高山と言いつつ、たまに山の麓でも自生しているのもご愛敬。当初は高山地域での発見が相次いだことからその名がついたらしいがーーそれはさておき。
とにかく結論からいえば、珍しいものではなく、村の市場でも売買されている身近なキノコというわけだ。
実際、食べるにせよ調合に用いるにせよ、必要な人は自分で採取するのも割と普通と聞く。
……まあ、ランク1の依頼だしなぁ。
首を振ってキノコを探しつつ、ロウシンは内心で独り言ちる。
ランク1の依頼といえば、当たり前だが総じてレベルが低いものばかり。
討伐系であれば、ゴブリンなどの低級なモンスターの撃破、とか。
採取系であれば、今ロウシンが行っているように、大して珍しくないものの規定数採取、とか。
ランクが上がっていけば、護衛だとか、調査だとか、依頼内容の幅が広がり、レベルも報酬も上がっていくのだが……それはさておき。
……にしたって、冒険者じゃない人でもできる依頼なんて。まるでーー。
ぶつぶつと、しかし高山キノコを採取する手は、目はしっかりと。
「まぁ、普通の人でもできると言っても量もあるし。……うん、大丈夫、俺はちゃんと冒険者してる」
言い聞かせるように、今の己を肯定するように。
ロウシンは呟き、そして頷いた。
そうでもしなければ、やってられなかったとも言える。
とはいえ、ロウシンのその自己弁護も、強ち間違いではないのだ。
確かに、ロウシンの依頼対象である高山キノコは大抵の山であればどこにでも自生しており、採取は誰にでも可能だ。ただしそこが山である以上、ある程度の体力は求められるし、またモンスターに遭遇する危険もある。
冒険者としての依頼という観点から見れば、些か物足りない部類ではあろうが、一般人の観点でいえば、それなりの危険性は孕んでいるのも事実。加えて言えば、これはランク1用の依頼。登録したての新人冒険者や、経験の浅い駆け出し冒険者向けと考えれば、まあ妥当なラインではあったのだ。
が、これにロウシン・バーンウィッスルという冒険者のキャリアを当てはめてみる。
--ランク2への昇格6連続失敗。
とどのつまり、ロウシンはこういった依頼を数年続けてきているのである。
最初の頃は、まだよかった。しかし慣れてくると、不満が募る。つまらなくなってくる。
「……よし、今日も少し、奥の方まで行ってみるか」
そうなると、欲が出てくる。違ったことがしたいと、変化を求め、余計な冒険心が顔を出す。
繰り返すが、目的である高山キノコは希少性が高くなく、山であれば割とあちこちで自生している。よって山の奥、高くに踏み入る必要はなく、麓あたりをうろついていても事足りる。
しかし、ロウシンは山奥へと歩を進めていく。今日が初めてではない。毎回でもないが、ちょくちょくと。
この日も、そんなノリであった。今までに何もーーいや、全く何事も無かったわけではないが、今こうして生きているのだから、と。
--いつものように、鼻歌交じりの、軽い足取りで。
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「っ、オークか……」
コーラル山の奥の方へと足を進めたからといって、急激に山がその顔を変化させるわけではない。
まぁ、多少モンスターの数や強さが上がったり、採取できる植物が増えたりはあるのだろうが、ロウシンの踏み入った深さ程度ではそれも微々たるものだ。
進みつつ、道中で高山キノコを採取したり、遭遇したモンスターーー主にゴブリンーーを倒したり。
そんなこんなで、今日はどのあたりまで進もうか、と思案している時。ロウシンは、それを発見した。
くすんだ緑色の肌。一般的な人間よりも大きな体躯。ゴツゴツした腕に、足。
オークである。
冒険者ギルドでは、ソロにおいてランク2以上での戦闘推奨としているモンスター。
木々のない多少開けた場所。そこに、緑色の巨体が2体。ロウシンに背を向ける位置で、立っていた。
「……うーん、2体か。少し、様子見するか?」
その様を、木の陰に身を隠しながらロウシンは観察する。
比較的余裕のある反応をできているのは、1体であればオークを倒した経験をロウシンは持っていたからだ。
ギルドの推奨ランクは2からだが、あくまでそれは目安。なにより、ロウシンはランク1を何年とやっている、謂わばなんちゃってランク1である。
一応、実力的にはランク2はあるのだ。--多分。
ただ、2体同時に相手するとなると、おいそれと突撃するわけにもいかない。
一先ずロウシンは立ち止まり、2体の様子を観察することに決めた。
決めた、のだが。
「…………」
動かない。木の陰から様子を伺って、数十秒。
2体のオークは、ただただ突っ立っていた。
何かを食べるわけでもなく、何かをするでもなく。
いよいよ、何をしているのかという疑問がロウシンの中に浮かんでくる。
オークといえば、喋ることはできるが、知能はそこまで高くないモンスターとして有名だ。
それが、何もせずに、ただそこにいるだけなのである。2体同時に。
……まあ丁度いいし、この辺りで戻っとくか。
もっとも、オークが何を考えているのかなど考察、観察していても仕方がない。
或いは、特に理由もなく、ただぼんやりとしているだけなのかもしれない。
2体はこちらに背を向けているので、気付かれていないことはほぼ間違いない。
不意打ちで先手をとれる状況にはあったが、今は無理して倒す理由もなければ進む理由もない。なんせ、ロウシンの目的は戻っても十分に採取できるキノコなのだから。
ならば、これ以上見ていてもしょうがない。
後方を首だけ振り返り、安全を確認してすぐさまオーク達に視線をやる。
撤収するか、とロウシンが静かに来た道を戻ろうとしたーー正に、その瞬間。
2体のオークの更にその奥に、動く色が見えた。
無意識の内に足が止まり、ロウシンは目を凝らす。
「……え?」
そうして視線の先に映りこんだ存在。それを認識したロウシンにまず浮かんだのは、疑問だった。
森の奥から姿を見せたのは、ただでさえでかいオークよりも更に巨大な赤色のモンスター。
外見は、なんとなくオークに似ている。が、明らかにただのオークではない。
そこまで視認した、刹那。
ぞわり、とロウシンの全身が粟立つ。
直接見たことは無い。ただ、偶然それを知っていた。
--オークよりも圧倒的な迫力、存在感。
--知能はオークより遥か上。
--まるで全身に返り血を浴びたかの如き禍々しい赤い体躯。
オークというメジャーな、ギルド推奨ランク2以上のモンスター。その、亜種として。
オークに連なるーーその上位個体として、偶々その特徴を、その絵姿を覚えていたのだ。
オークと似ているだけ、と侮ってはならない。
ロウシンの脳裏に浮かんだ特徴に合致する、あのモンスターはーー。
「ブラッディオークっ……!!」
思わず小声で漏らしてしまった、その名。
ギルド戦闘推奨ランク6--ブラッディオーク。
こんなところで遭遇するはずのない、高位モンスター。
何故いるか、などと考えている暇もない。本物か、などと確認している暇もない。
本物であれば今のロウシンでは、逆立ちしたって到底敵わない相手。
……とっとと戻っておけば!
そう、内心で後悔するも後の祭り。
今すぐ撤退か、気配を殺して留まるか。
僅かな、逡巡。
その間に、ブラッディオークの、その赤い顔がこちらを向いた。そんな、気がした。
しまった、と急ぎ覗かせていた顔を引き戻し、全身を木に隠すーーその、僅か数秒後だった。
突如、ロウシンの隠れていた木が、轟音と共に根本から吹っ飛んだのである。
瞬きする間もない、一瞬の出来事。気付けば赤い巨体が、すぐ真正面からロウシンを見下ろしていた。
「……なっ!?」
辛うじて、声が出た。
だが、それだけだ。
眼前で起きた現実を脳が処理しきれず、固まる思考。
いや、それだけではない。ブラッディオークという、高位のモンスターから迸る威圧感が、ランク1冒険者のロウシンの足を、完全に地面に縫い付けていた。
むんず、と足を掴みあげられる。
天地逆転し、宙づりとなるロウシンの身体。
その元凶たる赤い巨体ーーブラッディオークは、じろりとロウシンの全身を一瞥し。
「……フン、マア夜ノ腹ノ足シニデモスルカ」
しかしすぐに興味を失ったかのように、掴んだロウシンをぞんざいに放り投げた。
「--がはっ……!!」
宙を舞う、ロウシンの身体。その背が、木に強かに打ちつけられる。
たったそれだけで。苦しくなる呼吸、暗転しはじめる視界。
全力で投げられていたら、恐らくロウシンの身体は四散していたことだろう。
だがそうならなかったのは、放り投げた張本人ーーブラッディオークがロウシンを捕らえ、餌とする意図があったからに他ならない。
……ああ、また俺は、囚われるのか。
「オイ、コレヲ持ッテ帰レーー」
ブラッディオークが、オークに向けて命令する声を尻目に、地に伏したままロウシンの意識は闇に落ちた。