二話 分かりきった不合格
「――昇格試験の報告、確認致しました。お疲れ様でした」
「……はい」
そこには、ある種の異様な空気が広がっていた。
淡々とした口調に違わず、ニコリともしないで事務的に口を開くは、銀色の髪を長く伸ばした女性。
眼鏡をかけた理知的な顔立ちに、その落ち着いた声色での話し方。そして綺麗に一礼した後で、ピシリと伸ばされる背筋。カウンター越しであれど、その両の足はきっちりと揃えられているであろうことは想像に難くない。
そんな彼女にカウンターを隔てて相対するは、どこかぞんざいというか、不貞腐れたようにに対応する黒髪の少年。
女性の顔を直視せず、所在なさげにあちこちと彷徨う目線。特に意味もなく首を撫でる左手。乱暴でこそないものの、あまり真剣でないのが分かる程度には、投げやりな口調。
もっとも、それはこの場においてそこまで失礼な態度というわけでもなく。事実、相対している彼女に気にした様子は見受けられない。
単純に、あまりにもきっちりとしすぎている女性を前にすると、どうにもその差が色濃く浮き出てしまうというだけの話だ。
そして――そんな二人を離れたところから見守る、数十人もの男女。
この場に広がる、異様な空気――その原因である。
なにせ、誰一人として、身じろぎもせず動かないのだ。テーブルを囲い椅子に座る者、そうでなく空いた空間に立つ者、その体勢に違いはあれど。誰もが声を出さず、同じ方向――つまりは、カウンターを挟んで会話する女性と少年の方に顔を向けている。
無論、彼等は死んでいるわけでもなければ、寝ているわけでもない。
むしろその逆、その顔は皆一様に活き活きと、何かを期待するように。
――訪れるであろう、その時を、今か今かと待っていた。
「では、昇格試験の結果を発表します」
「…………」
何十人といる空間のはずなのに、あまりにも静か。
そんな中、相も変わらず淡々と続けられる女性の声は。
「――ロウシン・バーンウィッスルさん。貴方の、ランク2昇格試験の結果は――」
喋っているのが彼女一人というのも要因の一つであろうが、その声質も相俟って、この静寂とした空間によく響いた。
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす。
彼女に相対する少年――ロウシンと呼ばれた彼の者ではない。それどころか、彼の表情は緊張からは程遠く。まるでこれから何を言われるかが分かっているかのように、無表情。
では、誰がそんな緊迫した雰囲気を醸し出しているのかといえば。
無関係なはずの、遠巻きに見やる集団の中の誰か――いや、そのほぼ全員である。
「――不合格です」
その整った眉の形一つとして変えることなく、はっきりと女性は少年に向けて宣告する。
躊躇なく、慈悲なく。あくまで淡々と、事務的に。
瞬間。
わぁっ、と二人を見守っていた集団が沸き立った。
先程までの静寂、不動振りがまるで嘘のように、数十の人影が、一斉に動き出す。
「よっしゃあ、当たりだぜっ!」
「畜生、俺も変に期待しないで、不合格に賭けとくんだった……」
「さっすが、ロウシンっ! 毎回期待を裏切らないわねっ!」
両の拳を振り上げ、満面の笑みを浮かべる者。
ガクリと肩を落とし、項垂れる者。
囃し立てるように、手や口を鳴らす者。
その態度に差こそあれ、一気に騒がしくなった空間。
歓喜や悲哀の声が混じる中、渦中たる少年はというと。
「……うるせぇっ! 人の試験の合否を賭けにすんな!!」
無表情から一転。
後方の騒ぎに振り向き、怒りに顔を引き攣らせてお祭り騒ぎの集団にくってかかった。
――ここは、冒険者ギルド。
ヴァーグルという、小国ではないがそれほど大国でもない、そこそこの国。その辺境に位置し。
世界各地に点在するギルド支部の中では下から数えた方が圧倒的に早いほど、小規模なギルド。
ロウシン・バーンウィッスルは、そこを主として活動するランク1の冒険者。
そして正に今、昇格失敗が言い渡され、ランク1の継続――つまりは駆け出しの評価の継続が確定した、冒険者である。
――――――
冒険者とは、希望すれば誰もがなれるものである。
特別な資格、能力は必要無い。なるだけならば、冒険者ギルドに登録するだけで、誰にでもなれる。
肝心なのは、なってからだ。
無論、ただなっただけでは何の意味もない。
依頼を受け、それを達成することで、初めて冒険者としての価値が生まれる。収入となる。
その積み重ねこそ、冒険者の価値。その価値の指針となるのが、ランクの存在だ。
始めは、誰もがランク1。腕に覚えが有る無しに関わらず、冒険者としての評価は、新人である。
それが、ランク1の冒険者――つまりは、駆け出し冒険者。
そこから昇格試験を受け、合格したならば次のランク2へと昇格できる。ランク2の次はランク3、ランク3の次はランク4と、その数字が大きくなっていけばいくほど、冒険者としての実力、価値が高いというわけだ。ランクが高くなるにつれ、受けられる依頼の種類が増え、また信頼も増していく。
それゆえ、ランクを上げていくというのは、冒険者を志した者にとって当然の心理であった。
さて、その昇格試験であるが、そう難しいものではない。
いや、正確に言えば、低ランクの内はそう難しくない、である。
これが高ランクの場合は別だ。何回挑んでも失敗することもあれば、死傷することもざらではない。
が、低ランク――それも、ランク1からランク2という、冒険者となって初めてとなる昇格試験においては、初回で突破する者も珍しくなく。また初回で失敗しても二度目で突破する者がほとんど。死傷することは全くない――とは言い切れないが、よほど運が悪くなければ、そうそう起こるものではなく、事例も極僅か。
少なくとも、ここで長く躓くという事例は、ほぼ無い。
ただ一人、ロウシン・バーンウィッスルという少年を除けば。
彼の持つ記録。それは――ランク2への昇格6連続失敗という、逆の意味での大記録であった。
「ったく、人の試験結果の合否を賭けにしやがって……」
件の少年――騒動の後、冒険者ギルドを後にしたロウシンは、一人ごちていた。
無意識に頭に手をやり、髪が乱れているのを感触で気付き、憮然とした面持ちで先程の出来事を思い返す。
――合格に2割、不合格に8割。
ロウシン・バーンウィッスルがランク2に昇格できるか否か、という内容に賭けた人数の割合である。
賭けといっても、さして大金は動いていない。せいぜいが、一晩の食事を奢るとか、そんな程度のもの。
だが、賭けの当事者であるロウシン――断りもなく勝手に対象にされていただけであるが――には、規模の大小など関係無い。
許容どころか、むしろ止めろと言っているのに、連中ときたら聞く耳持たず。
これが隠れてこそこそやっているのなら――もっともそれもそれで性質は悪いが――まだしも、本人のいる前で堂々ときたものだ。
結果発表の後、盛り上がった連中は、ロウシンに突撃。散々絡まれ、いじってきた。髪をぐしゃぐしゃにされたのも、その時であろう。
ロウシンが冒険者になってから、三年以上は経過している。
小規模なギルドゆえ、所属する全て――とまではいかないが、ほとんどの冒険者とは顔見知りのようなものなのだ。
「しかし、また不合格。……まあ、分かってはいたけど」
ぐしゃぐしゃにされたであろう髪を乱暴に撫でつけ、ロウシンは昇格試験の不合格という結果に思考を切り替える。
次のランクに昇格する資格がある、とギルドから判断された際に受けることができる昇格試験。
それには当然、合格基準がある。無論、どのランクへの昇格かによって内容は異なるがいずれにも共通しているのは、以下の3つ。
1つは、試験対象の討伐。
1つは、試験対象の採取。
そして、最後の1つが――。
「……まぁた制限時間オーバー、ですかぁ?」
まるでロウシンの思考を読んだかのような声が、すぐ横から発せられた。
突然のことに、またその声が媚びるような甘い女性の声であることに、ロウシンはぎょっとして隣を見やる。
「んふふっ、ロウシンさん、こんにちはですぅ!」
ロウシンの隣をいつの間にか歩いていたのは、一人の女性だった。
まるでその媚び媚びの声が具現化したような、激しく主張するピンク色の髪。綺麗は綺麗なのだが、どこか近寄り難い全力の笑みを浮かべた、ロウシンより少し年上ぐらいの女性。
その、鳶色の瞳が、爛々と輝いてロウシンを見つめていた。
ずざっ、と咄嗟にロウシンの足が勝手に動き、一歩後ずさる。
「ぐっ……ラ、ラーラさん」
「あれあれぇー、なんですかぁ、その反応? ラーラ、傷ついちゃうなぁ」
「…………」
反射的に出た、声と動き。
それを見てか、よよよ、と態とらしく目元を拭う女性を前に、ロウシンは顔を引き攣らせる。
目元を擦っては、チラッと。また擦っては、再びチラッ、と。
彼女よりはロウシンの方が背が高いため、自然と上目遣いとなるような、その視線。
しかしそれすらもロウシンには媚び媚びの演技の一環にしか見えず、何か言葉を探すが見つからない。
そんなロウシンの態度を見て、彼女は当然のように姿勢を正した。無論、その顔には涙なぞ一筋も流れていやしない。
「あーあ、ラーラはロウシンさんに会えてこんなにも嬉しいのにぃ……」
「…………」
「あぁー、なんだか急に、ロウシンさんのアレ、声に出したくなっちゃったなぁ」
「……わ、わぁー、俺も、ラーラさんに会えて嬉しいです、はい」
まるで周囲に聞かせるように、徐々に声量を上げていく女性。
それに危機感を覚え、慌てたロウシンは咄嗟に声を張り上げ、彼女に同調した。ただし、かなりの棒読みではあったが。
「わぁっ! 私達、今日も両想いですねぇ!!」
もっとも、女性にとってはそれでよかったようだ。
きゃー、と一人盛り上がっていく彼女を前に、ロウシンはしかし顔に無理矢理な笑みを張り付けて止まるしかなかった。
逃げようにも、逃げられなかったからである。
ロウシンは、別に女性が苦手というわけではない。単純に、彼女が苦手なだけ。
なぜ、苦手かというと。
彼女が、ロウシンにだけ、明確に媚びを振りまくからである。基本的には、誰に対しても明るく接している彼女ではあるが。どうしてかロウシンには、それが顕著。綺麗な女性であることは認めるが、非常にうざい。
ではなぜ、相手にするのかというと。
せざるをえないのである。
なぜなら彼女――ラーラは、ロウシンの秘密を知る、唯一の人物なのだから。
「そ、れ、でぇっ……今度は、何処の誰に捕まってぇ、試験の時間制限をオーバーしてぇ、昇格試験が不合格になっちゃったんですかぁ?」
それまで、はしゃいでいたのが嘘のように。
声のトーンを落とし、囁くように、ずずいっとロウシンに顔を寄せるラーラ。
互いの息遣いが聞こえるほどに、近い距離。
美しい部類に入るラーラの顔立ちとその甘い匂いは、大抵の男をどぎまぎさせるだろう。
事実、ロウシンも以前まではそうであった。
だが、何度もやられている内に慣れ。今となっては、ただただげんなりさせられるだけである。
「……なんで、もうそれを知ってるんですか」
「んふふっ、実はぁ、先程偶々ギルドの前を通りかかりましてですねぇ」
「……通りかかっただけですか?」
「そりゃー、あれだけギルドが騒がしくなったんですからぁ。それに、このラーニャ村の規模なら、村中に広まるのも時間の問題ですよぉ」
「まあ、確かに……」
冒険者ギルドがあるとはいえ、ここラーニャ村はヴァーグル王国の辺境にある村。
周囲の村よりは若干大き目ではあるものの、それほど大勢の人間が生活しているわけではない。
噂話は、あっという間に広がるだろう。娯楽の少ない辺境であるなら、尚更だ。
「……いや、そうじゃなくて。捕まって、時間制限の方」
危うく、話を逸らされるところであった。
ロウシンは胡散臭いようなものを見る目で、ラーラを見やる。
不合格を知っているのは、まだ理解できる。だが、それ以外は、ロウシンしか知りえない状況、情報のはずだ。
「んふふー、やっぱりそうだったんですねぇっ! もしかしたら、と思って、鎌をかけてみただけなんですけどねぇ」
「…………」
「ま、さ、か、本当だったなんてぇ。もう、本当に、ロウシンさんはいつもいつも正直者ですねぇー」
してやられたことを理解し、眉間に皺を寄せて思わず押し黙るロウシン。
そんな彼を前に、ラーラはより一層破顔し。
「しかし、しかぁし。世界中の人が驚くでしょうねぇ。まさか――」
こう、言葉を続けた。
「――領域保持者ともあろう者が、ランク2への昇格試験に手こずっている、なぁんて」