一話 とある囚虜の噂
――その男だけは、絶対に囚えてはならない。
簡単なのは、ソイツだけは無視することだ。できるのであれば、囚えることなくその場で始末してしまうのがよい。
なぜなら、それは金持ちでもなければ、特別優れた容姿でもない。種族にしても人間であることから、さほどの希少性もない。囚えたところで、そう大した価値も影響も、ない。
で、あるから。
無理して囚える理由など、皆無。気まぐれに囚える必要など、絶無。
むしろ、何があっても。仮に、容易に囚える状況にあっても。絶対に囚えることだけは、してはならない。
ただの囚虜と、侮るなかれ。
でないと――。
「――ハッ、くだらねえ。そんなもん、下手打ったどこぞの間抜けが広めた与太話だろうよ」
嘲笑を含み、吐き捨てるような男の声が、薄暗い洞窟に響いた。
「それとも、なんだ? まさかお前も、そんな与太話にビビってんのか?」
「ち、違えよっ! そんな噂を聞いたってだけだ!」
声は二つ、太陽の光の届かない、地の奥。光源となるのは、一定の間隔で壁にかけられた、仄かな松明の灯りのみ。
揺らめく炎が、会話の主――二人の男と、その影を映す。
ニヤつき、大股でのしのしと歩く大柄な男。その横には、ムキになったように唾を飛ばして反論する、中肉中背の男。大柄な男の大きな歩幅に遅れまいと、その足は小刻みに早歩き気味だ。
対称的――というほど体格に差異があるわけでもないが、そんな両者に共通しているのは、あまり清潔とはいえない小汚い格好に、腰に佩いた剣。
カチャリ、カチャリと歩く度に金属音が、静寂として洞窟内に、響いていた。
「ほー……んじゃあ、なんだって今、そんな話をここで出したんだ?」
「そ、それは……」
揶揄うような大柄な男の声に、しかし反論していた男は言い淀む。
「ん、なんだ? ほれ、言ってみろよ」
「……な、なんとなく今思い出したんだ! そ、それだけで、特に意味はない! ほら、着いたぞ!」
そんな彼の態度に、大柄な男は隠すことなくケタケタと笑い。
眼前に現れた、重厚な鉄の扉を前にして立ち止まった。
松明に照らされるそれは、このそれほど人の手の入っていない洞窟内においては、中々不自然。
だというのに、二人はさしたる疑問を抱かずに。躊躇なく、不用心に扉に手をかけた。
さもありなん。二人の目的はこの先であり――彼等は、この洞窟を根城にする盗賊団の者なのである。
ギギィッと、鈍い音を立てて開く、扉。
「にしても、今頃お頭達は、上で宴会か。……全く、羨ましいもんだぜ」
「ま、まあ、今回はそこそこ収穫があったらしいし、しょうがねえだろ。そもそも、そのお陰でこうして俺達は、成果を見に来ることもできるってわけだ」
「ハッ、そいつは違いねえか!」
開いた扉の先は、牢であった。
煌々とした赤い火の粉が散り、冷たく無骨な鉄格子を闇の中に浮かび上がらせている。
が、その中までは照らせない。せいぜいが、複数の黒い人型の影が視認できる程度。
ただ、牢の内部からはシクシクとか細く弱々しい泣き声がいくつか重なって聞こえており、それが女性のものであると断定するには、そう難しいことではなかった。
「おうおう、いるないるな。こりゃ、今夜はたっぷりと楽しめそうだぜ」
歩を進め、牢の中を覗き込むようにして舌なめずりする大柄な男の横で、同意するように中肉中背の男が喜色を浮かべて頷く。
――と、その時。
「……ふむ。汝ら、この盗賊団の一味じゃな?」
牢の中から、声。今なお木霊するか細い泣き声とは程遠い、落ち着いた響き。それでいてどこか気品の感じられる女性の声であった。
その声の主は、牢の中より二人に近づき、そして鉄格子に触れるかどうかという距離で止まる。
仄かな松明の炎に照らされるは、金色の髪。この薄暗く、そして薄汚れた洞窟――その牢内にあってなお、まるで金糸のように輝き。鉄格子の合間から覗くその翡翠の瞳は、真っすぐに男達を見据えている。
「ほぅ……まだちっとばかし若いが、これはこれで……」
そんな彼女を前にして、何よりも男はまず、感嘆の声を漏らしていた。
もう一人の男も声こそ発していないが、ゴクリとその喉を鳴らしたことが、その心情を語っている。
若いと表現したように、彼女――少女は、幼さの残る顔立ちであった。が、兎に角美しかったのだ。
それこそ、その生意気ともとれる態度――少なくとも男にとってであるが――に、不快感を覚えることも忘れるほどに。
金の髪、そして翡翠の瞳もさることながら、その顔もそれらに劣ることなく、美しさを主張しており。
後数年もすれば、絶世の美女と呼ばれてもおかしくはない。
そんな少女が牢の中にいたのだから、男は暫し言葉を忘れ、彼女を見た。
「……その反応は、褒められていると解釈してもよいか? もっとも、汝らに褒められたところで、別段嬉しくもないが」
が、当の少女にそんな無遠慮な言葉を投げかけられたことで、意識は戻る。
或いは、両者を隔てる鉄格子も、それに一役買っていたかもしれない。堂々と存在を主張するそれのおかげで、男は少女がどんな立場であるかを考えずとも認識することができたのだから。
「……随分と強気じゃねぇか。ええ、お嬢ちゃん? 自分の立場を分かってねえわけじゃないんだろう?」
どんなに美しかろうが、所詮は小娘。加えて、今は女囚だ。
男の方が上の立場なのは、明白。
だというのに、そんな小娘に目を奪われていた己を自覚し、あまつさえ生意気な態度をとられている。まるで、向こうが上のような物言い。
血の気が多い方である男が苛つきはじめるのに、そう時間はかからなかった。
「うむ、無論理解しておる。妾がいるのは、名も知らぬどこぞの盗賊団の牢の中。……ははっ、まあこれはこれで笑い話ぐらいにはなるかのう」
煽る、煽る。
それは意図的か、はたまたその気なしに本当にそう思っているだけなのか。
あっけらかんと笑う少女に、恐怖の色など欠片も無く。
「このガキ……」
「お、おい! よせ、今はまだやめておけっ! お頭達より先に手を出すのはまずいぞっ!」
怒りに顔を赤くして、男が鉄格子の隙間から少女へと手を伸ばす。
その腕を、側にいたもう一人の男が、慌てて掴んだ。
お頭、という言葉に幾分か冷静さを取り戻した男は、舌打ちをして掴まれた手を乱暴に振り解く。
代わりに、敵意にも殺意にも似た視線を、今なお呵々と笑う少女に向けた。
「お、お前もっ! 少しでも酷い目にあいたくなければ、静かにしてろよっ!」
ただただ睨みつけるだけとなった男に代わり、今度はもう一人の男が少女を黙らせにかかる。
脅しとしては少々弱々しく情けないが、しかし女囚にとっては、効果覿面の言葉。
――そのはずであった。
「……はて、どうして妾が酷い目にあうのか? むしろ、覚悟すべきはそちらであろう」
しかし。
さも、当然のように。まるで、微塵も疑っていないように。
首を傾げ、彼女はそう言ったのだ。
恐怖ゆえの、ハッタリ。精神がおかしくなっての、戯言。そんな様子であったなら、ただの妄言と一笑に付すだけなのだが。
だがしかし、そうでないのは明白。
本気で。彼女は本心から、そう思っている。
これには、いよいよ男の怒気が最高潮に達した。
まだ冷静であった方の男も、流石に怒りを覚え、顔に赤みが差す。
「なぜなら、妾には――」
そんな彼らを前にして。彼女が高らかに、それを宣言しようとした、その時。
――ぐーっ。
と、緊張感の欠片もない、間の抜けた男の低い声が、牢中に響き渡った。
声、というより、それは鼾のようであった。お手本のような、というのも妙な表現だが、ごく自然な、鼾。誰が耳にしても、気持ちよく寝ているのであろうなと思える、そんな鼾。
そしてそれは、凡そこの緊迫した場所には、空気には、とても似合わないもので。
「…………」
そんな、明らかにこの場面で相応しくない音に。
自信満々の笑みから一転、流石の少女も呆気にとられたような表情を晒し、思わず閉口していた。
「――おい、牢番! なんで男まで牢に入れてやがるっ!?」
そしてそれは、男達もまた、同様。
何が起きたかを理解するのに、数秒。その音の正体を予想するのに、数秒。
苛ついた様子で、連れの男、そして牢番の男――つまりは盗賊団の仲間が寝ていないことを確認し。
とある牢の中にぽつんと一つ寝ころんだ影を見つけ、牢番に向けて怒鳴った。
お頭という存在がいる以上、男の立場はこの盗賊団の中で最上位に位置するものではなかったが、それでも牢の番よりは上にあたり。
そんな男からの怒声に、牢番役の盗賊は自分ではないと主張するようにブンブンと首を横に振り、慌てて口を開いた。
「い、いや、それが、ソイツを捕えてきた仲間が言うには、呆気なく眠りの魔法にかかったらしく。……碌な抵抗もされなかったようで……」
「だからって、男なんざ攫ってきてどうすんだって言ってんだ、この間抜け!!」
「あ、あっしが聞いた話だと、女共を捕えるために放った魔法の巻き沿いで、ソイツが眠ってるのを偶々見つけたらしく……あまりにも爆睡してるもんだから、つい、ついでに攫ってきたとか……」
つい、ついでに攫ってきた。
大した理由もなく、むしろ拍子抜けするような物言いに、思わず肩を怒らせていた男は鼻白む。
そんな、一瞬の沈黙の最中。
――ぐーっ。
と、再び間の抜けた音が、男の耳に飛び込んできた。
それが、どうにも虚仮にされているように、男は感じた。いや、実際虚仮にされているといっても過言ではない。
恐れられるべきである、この盗賊団のアジト――それも牢の中で。呑気に、それもご丁寧に気持ちよさげな鼾までかいて、爆睡しているなど。
――ぐーっ。
これで、三度目。
いよいよ、ビキリ、と男のこめかみに青筋が立った。
少女と相対していた時点で、既に怒りは最高潮。そんな中で、殊更その音は鬱陶しく感じたのである。
男は、その一歩一歩に怒りを籠めるように。ドスドスと重い足音を響かせて件の牢に近づき。
「……男なら、お頭達の許可無く勝手にぶっ殺しても何の問題ねえっ! オラッ、起きやがれ! 今すぐにぶっ殺してやる!!」
ガツン、とその鉄格子を蹴りつける。
爆睡していたとはいえ、至近距離で鉄格子を蹴られ、あまつさえ怒声を浴びせられれば、起きる人間は起きる。もっとも、中にはそれでも起きない剛の者もいるだろうが――幸運かどうかはさておき、牢の中の彼は、起きた。
「……ん」
とはいえ、爆睡からの起床である。
普通であれば、現状把握に時間がかかるというものだ。しかもそれが、牢屋の中、という特殊な状況であれば。
起きたら、囚われていた。寝る前からそうであったならいざ知らず、寝ている間にそんな状況となっていたら、果たして幾人がすぐにその思考に到達するであろうか。
いくら勘のいい者でも、数秒では無理だろう。ましてや普通の人間ならば、夢でも見ているのかと思う者もいるに違いない。
だが、しかし。
のそり、と身を起こした彼は。
冷たい地面を見、自身を囲う鉄の檻を見、そしてその向こうで怒鳴り散らす男を、見て。
「……ああ、俺はまた囚われたのか」
数秒とかからず、一言。悲観も絶望もこれっぽっちも感じられない、本当に何の気なしに呟かれた、一言。
「おいっ、牢番! この牢の鍵を持ってこい!! さっさとしないと、テメエもぶった切るぞっ!!」
そんな彼の呟きは、しかし怒鳴るように牢番に鍵を要求する男には聞こえていなかった。
怒声に顔を青くして、急ぎ鍵を用意する牢番。
その様を見届け、腰に佩いた剣を抜き、男は牢の中の彼を見やった。
「…………」
上半身は起き、しかし腰を地面に下ろしたまま、彼は無言で男を見ている。
見ている、といっても牢の外たるこちらに顔を向けているのが分かった、というだけだ。薄暗く、その表情までは男には見えていない。
自身の置かれた状況を理解できず、呆然としているのか。あるいは、理解して恐怖の色を浮かべているのか。
己に都合のよいその二択を、どちらでもよいと切り捨て。
先程から溜めさせられていた怒りも、これで少しは晴れるか、と男がニヤニヤとした笑みを作った、瞬間。
――じゃあ、ここからは僕の出番だね。
耳元から、聞きなれない声。一拍遅れ、風が、地下牢に吹いた。
突如のそれに思わず、剣を持っていないもう一方の手で顔をガードし、両目を瞑る男。
チッと舌打ちひとつ。突風が止むのを待つ。
その最中、ふと思った。
――なぜ、地下に風が吹く?
「……なっ!?」
疑問を感じた直後、急いで目を開けた。と、同時に男の目に飛び込んできたのは。
消失した、鉄格子の一部。
人一人がゆうに通れるほどの穴が、できていた。
当たり前だが、鉄格子は頑丈である。男が蹴りつけた程度でびくともしないのは勿論のこと、仮に剣を振るったとて、生半可なものでは、剣の方がおしゃかになる。仮に一般的な大の大人が全力で体当たりしたとて、罅の一つも入らないだろう。
それが、まるで切り取られたかのように。見るも無残な姿となり、もはや檻の意味をなしていないではないか。
目を瞑っていた、刹那の出来事。男は何が起こったのかを理解できていない。何も見えていない。
「きゃっ!?」
背後から、女性の驚いたような声。
今、この場にいる仲間の中に、女はいない。つまり、必然的に今のは囚えた女共ということになる。
男が慌てて振り返り――目にしたのは、これまた人の大きさほどの一部が消失した、鉄格子。
そして、女達の牢の中に立ち尽くす、一つの影。
そこまでを視認したところで。
「……っ!」
自身に迫る、影。
声を上げることもできず、唐突に男の人生は、そこで終わった。
何が起こったのか。それも、終始分からぬままに。
ただ、不思議と。
最後に、脳裏をよぎったのは。
――その男だけは、絶対に囚えてはならない。
ここに来るまでの道中。己が与太話と断じた、噂。
――でないと、その企みは、瞬く間に露と消えるだろう。
その、続き。
――其れは、最強の囚虜。
――囚虜王なり。
テーマを思いついた経緯、というか元ネタ?
仕事中のタイプミス
「しゅうりょう」⇒「終了」○
「しゅうりょおう」⇒「囚虜王」×
と、そんなノリで思いついた作品です(笑)