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-水曜日、「月光」と『破壊の破壊』、夢の中の虎。骰子の目は三(1)-

 相模原の山中に分校などない。



水曜の朝、


「おはようマコト」


 恰幅(かっぷく)のいい少年が武井マコトに話しかけてきた。


「おはようタケシ」


 鳥の王、ねえ。

 一体こいつに何があったのか? 少なくともぼくにはいつも通りのタケシに見えたし、タケシが武井マコトに接する態度は平素と変わらなく見えた。

 まだ彼に鳥の王の話を振るのは止めておこう、それは時期尚早(じきしょうそう)すぎるし、タケシに余計な疑念(ぎねん)を抱かせる。


「おはよう」


 もう一人友人が来た。アキヒコだ。

 先日のカラオケでも触れた二人だが、こいつはユウナ同様文芸部に所属していて奇妙な詩あるいは短歌ばかり書いていた。


「おはようアキヒコ」


 タケシとぼくの声がハモった。まだユウナが来ていないが。

 やがてユウナも登校しグループのメンバーが揃ったので四人は朝のHRまで昨晩の深夜アニメについて話し始めた。

 実はぼくは早々に眠っていたので、今朝録画を観たのだが。

 こうして雨の一日は過ぎて行く。

 まだ入梅には早かったが山間部にある校舎はしとどに濡れていた。



 その日、音楽室では奇妙な現象が起きていた。

 マコトは音楽を選択していないのでこの高校に入学してからというもの、音楽室の存在というものを失念していた。


 これはユウナからの伝聞(でんぶん)であるが、授業で使ってない時間の音楽室の前を通りかかった彼女が物凄い勢いで流れるピアノの音に足を止めたのは偶然ではなかった。

 少しピアノをかじったことのあるユウナには解った。

 これを弾いているのは並大抵の人間ではない! 曲目は恐らくベートーベンの月光第三楽章だった。

 旋律(せんりつ)はとてつもなく正確で速弾きというのに相応しかった。

 素人の演奏ではない。


――先生かしら?


 咄嗟(とっさ)に彼女はそう思った。

 そうとしか考えられないのだ。

 なにせこんなテクニックのある生徒がいたとしたら、音大を嘱望(しょくぼう)されている筈だから。

 しかしそんな生徒は、このこじんまりとした分校には居ない。

 きっと音楽の先生が(たわむ)れに弾いてるんだわ。

 ユウナがそう思い足を止めていると、その凄まじいタッチに他の生徒も集まってきた。

 徐々に人垣が出来はじめる。


「何をテスト前に集まっている? 帰りなさい!」


 その声は他ならぬ音楽の先生だったのだ。では誰が?

 音楽教諭はものすごい勢いで音楽室の引き戸を開けると中へ立ち入った。

 ぴたりと演奏が止まった。


「そんな莫迦(ばか)な……」


 教諭が言ったのも無理はなかった。ピアノは閉じていたのだから。



 放課後美術室でぼくは一人、木炭紙(もくたんし)石膏(せっこう)のモリエールに向かっていた。そして、


「右手には木炭を、左手には練り消しを」


 と呟く。莫迦みたいだな。だが仕上がりは上々で、モリエールは木炭紙の中で軽蔑(けいべつ)の視線をぼくに投げていた。

 創造主に対する態度がそれか、首のスカーフを()めて()りたい。そう思ってもう一度練りけしをモリエールのスカーフにあてがおうとすると――


「口唇には太陽を、火傷にはキンカンを」


 唐突な声に全く気付かなかった! 真後ろにユウナとアキヒコが居たのだ。


「アキヒコはそれで面白いつもり? 文芸部なんだからギャグもおもしろくしなよ。まあタケシのポエムは存在自体がギャグなんだけどさ」


「タケシのポエムね……」


 思い出し笑いを堪えるようにアキヒコは腹筋をひくつかせた。


「やめなさいよ、タケシだって一生懸命書いてるんだから」


「おっと失礼、田中さんは卜部くんにホの字だったね」


 二人の他愛もない会話を聞き流しながら、ぼくはモリエールを描いた木炭紙を(まと)めてゆく。沢山の使用済みの木炭紙のある(はこ)へモリエールを投げ込んだ。


「ところでぼくが描き終わったころを見計らって此処に来たんだ?」


「あのマコト、今日お母さんに迎えに来てもらうんでしょ?」


「うんその予定」


「えーと、悪いんだけどおれ達自転車組も同乗させてほしいんだ」


「普段いい目見てるからたまにはこういうことになるんだな、ところでタケシは?」


「わからない、先に帰っちゃったのかしら、バイクもなかったし」


 ユウナは寂寞(せきばく)に満ちた表情で吐き捨てた。おそらく一緒に帰りたかったのだろう、タケシはバイク通学だが本来なら今日くらいはぼくら同様母親に迎えに来てもらっている筈だ。

 そのことに対して皆疑念を抱いていたのだが、石膏の方のモリエールのさらにつめたい()に射抜かれて誰もが思考停止に(おちい)っていた。


「取りあえずうちの母さんに迎えに来てもらうよう電話しよう」


 ぼくはやっとのことでスマホを指定のスポーツバッグから取り出すと家に連絡を入れて、母親に迎えに来てもらうこと、それにアキヒコとユウナも同乗して送り届けることを伝えた。

 母親はぼくに友人が少ない事も知っていたし、ユウナやアキヒコの親とも親交があったから二つ返事で許可してくれた。


 20分ほどすると電話が鳴り、校門の前に見慣れた赤い後部がボコボコの軽自動車が姿を現した。マコトの母の車だ。


「田中ユウナちゃんと吉村君は後部座席ね、マコトは助手席に」

 言われたとおりの配置に座り、これまた危険極まりないオートマの軽自動車は走り出した。ブレーキとアクセルだけで車を運転してるなんて果たしていえるのだろうか? マコトはオートマニュアル車について常々疑念(ぎねん)を抱いていた。これは車じゃない。車に似たなにかだ、と。

 

「ねえマコト、甲子園ポスター展には出品するの?」


「冗談、DQNの娯楽に付き合う暇があったら描きたい絵を描くよ」


「アンタいっつも運動部はDQN呼ばわりなのね」


「だって事実ですよ、この前だって男子バレー部が暴力事件を起こしましたし」


 すかさずアキヒコが助け船を出した。


「そうだったの!? もうマコトったら学校の事はだんまりで家ではゲームばっかりなんだから」


「あれ? 事件のこと言ってなかった?」


「お母さんは聞いてないわよ」

武井メモ

モリエール:17世紀フランスの喜劇作家だが、彫刻家ウードンの胸像の方を指している。

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