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魔王軍お悩み相談室 ~「寿退役希望」五百代女性:吸血鬼真祖様~

作者: ハマショウ

 ●壱

 麗らかなある日の午後。

 穏やかな日差しが、とある一室の窓へと差込み、その室内を暖かく照らしている。


「平和だねぇ…。」


 低い低い、地獄のそこから響くような、あるいはこの世の全てを呪う怨嗟を込めたかのような声。

 当の本人からすれば「ただの気の抜けた声」なのだが、この場に他のものがいればその誰しもが萎縮し震え上がる事だろう。

 

「はぁ~。」


 広い広い部屋の奥の更に上、そこに掲げられた王座から天を震わせるかのように響く・・・溜息。


 男は大きく開いた窓の向こうを眺める。

 緑豊かな木々と草花と時偶瞬く閃光、粉塵。そんないつもの風景に首肯く。


 頂きに座す男の名は『バーラル』

 人族と魔族との長き争いに終止符を打った男。

 『不死身のバーラル』と呼ばれ、この世で最も恐れられる魔族の王。

 大魔王(・・・)バーラルである。


 そのあまりに高貴なる存在は、絶対の力の象徴として君臨し、彼に仕えることは無上の誉れとされ、誰も彼もがその存在にひれ伏し、敬う。

 …と、信じられる偉大なお方である。


「…寂しい。誰か遊びに来てはくれないものか。」


 故に、その男は普段滅多に他者の前に姿を見せることはなく、日がな毎日、王座に腰を据えながら時偶、茶を啜っていたりするのだ。


「こちらから向かおうにも、下手に王室を抜け出すと三魔賢者達が五月蝿いし・・・。」


 彼とて大魔王と呼ばれる男だ。自分の配下の下僕たちを思う。

 魔族のより良い未来のために日々頭を悩ませている彼らに、自分のわがままでさらなる心労を与えるのはしのびない。

 それに、怒ると口やかましい魔賢者達の説教は面倒だからな。


「兵たちの訓練に紛れ込もうにも、将軍達が泣き出してしまうからな・・・。」


 彼とて史上最強と言われる男だ。自軍の兵たちを思う。

 実のところ、幹部以下の兵達には自分の顔が知られていない。

 滅多に人前に姿を表さないし、大きな式典でもものすごく遠い高座から演説をする程度でしか無いからだ。


 そのことを利用し、訓練中に気のあった百人隊長の一人と世間話に興じることが出来たのだが・・・。

 何を勘違いしたかその場を四天王の一人が発見して騒ぎになり、泣きながら将軍が土下座した事があった、・・・実はちょっとトラウマになっている。

 もちろんその後、みっちり魔賢者たちに絞られた。



「でも我だって最近流行っているゲームの話とかしたいのだ・・・。この間みた映画の話しとか、美味しい料理を出す店の情報とか・・・。そんな、他愛ない世間話がしたい。」


 無敵の大魔王とて、一人の魔族だ。

 億万の敵を片手で灰燼に返すことのできる彼でさえ、どうにも出来ないある種のジレンマ。

 悩める男は、魔族の頂点にいてもこの孤独と戦い続けているのである。


 ・

 ・・

 ・・・


「そう言えばあの時戦った彼も、人族では最強と言われているらしいな・・・。彼なら何かいい方法を知っているのではないか?」


 ふと思い出したのは10年ほど前に終結した人魔戦争。

 そこで剣を交わした、まだ20歳にも満たない人族の青年。


 確か彼も、我が魔王軍の万の兵どもを一刀のもとに切り伏せていた実力者であった。

 人には過ぎた力を持つ彼は、きっと人族の頂点に居る自分の孤独に悩んだ事があるはずだ。

 だとすれば、同じ視点から見た彼の意見は何か解決の糸口に結びつくのでは・・・?


「おおお!コレはいい案かもしれん。早速彼にも聞いてみるとしよう。確か、彼のアカウントは・・・む、あったぞ!」


 バーラルは早速魔導タブレットを取り出し、フォローをしていた勇者の公式アカウントを表示する。


「むーん、最近は彼の力を恐れている神聖教団と帝国貴族達からのバッシングが酷かったからな・・・。」


 彼に送られているコメントの数々は、半数はその功績を賞賛するものであるが、もう半数はひどく心ない誹謗中傷的な内容であったりする。

 どこまでも卑しい人族の、悪魔よりも腹黒いそんなやり取りに魔王である彼も、心を痛めることもあったりする。


「ふむ、やはり彼は強いな。『光の御子ライゼル』、未だその輝きは曇り一つない。」


 しばしば彼の呟きを流し見て、満足気に頷くバーラル。

 どうやら勇者も向こうの王国で頑張っているらしい。


「では、早速聞いて見るとしようか。ええと、操作は確か・・・、魔力を・・・。」


 タブレットに向けられた、武骨なその指先が淡く光る。

 そしてしなやかに動き踊らせ、質問の内容を入力していく。


『勇者ライゼルさんへ質問です。

 人族最強と名高いライゼルさんは、人々の頂点に立ち周りの皆を導いて居られると存じます。

 しかし、その時にふと、どうしようもない孤独を感じることは無いのでしょうか?


 現在私は、大勢の人々を配下に統べる仕事をしております。

 恥ずかしながら、最近その周囲の者たちとの距離感を感じてしまう事があり、少し悩んでいるのです。


 もしライゼルさんも、僕と同じような寂しさ・・・のような物を感じた事があった時は、どのように してその迷いを打ち払うのでしょうか?

 普段、ライゼルさんが心がけている様な事があれば教えてください。


 巻角紳士バラるんより』


 大魔王バーラルの指先が一瞬強く光る。

 彼特有の、七色にも見える、玉虫色に浮かぶ魔力光が室内に閃き、やがて収束する。


「・・・よし、これで送信できたな。後は返事を待つだけだ・・・。セバス!セバスはおるか!?」


 満足気に頷き、魔導タブレットを王座の脇に置く。

 そしてバーラルは、返信を待っている間に茶でも飲もうかと、長く連れ添った側近の使いを呼ぶ。


「はっ、ここにございますバーラル様。」


 影より現れる、魔王バーラルが最も信頼する部下。

 その力は魔王すら凌ぐのでは無いかと噂される、バーラルに絶対の忠誠を誓う右腕。

 片膝を着き、うやうやしく頭を垂れ主の言葉を待つセバス。


「セバスよ、休憩だ。お茶にしようじゃないか、お茶!」


「ははっ。」


 バーラルは威厳に満ちた声で、しかし内容はえらく庶民じみた事を命しる。対して短く応じるセバス。

 瞬く間に彼の手元には、黒く美しい陶磁器のカップが現れる。湯気立つ急須がその傍に用意され、美しい弧を描きながら湯呑みへとそれが注がれる。

 地獄の釜の湯の様に熱く、魔物の生き血よりも鮮やかな液体がが、芳醇な香りを漂わせ室内に広がっていく。


「本日はバーラル様のお好きな緑茶にしてみました。お茶請けも、私めが先日訪れた村で評判の茶饅頭をご用意してございます。どうぞ、お楽しみくださいませ。」


「おおっ、茶饅頭か!我はあの控えめな甘さが好きでねぇ…。」


  湯飲みと茶饅頭の皿が乗ったお盆を受け取り、熱いうちに茶を啜るバーラル。

  そして茶の香りを楽しんだあとに茶饅頭を人かじり、甘さを淑やかに主張する魅惑の丸い和菓子に深く首肯く。


「うむ、やはり餡子はいい。苦労して魔界にも普及させた甲斐があったというものだ。」


「ご満足頂けたようで何よりでございます。」


  セバスと共に一息ついてバーラルもすっかりご満悦。

  茶饅頭を食べ終え、おかわりを頼もうか悩んでいると、信頼する家臣が口を開く。


「所でバーラル様、お腰もとの魔具が、何やら光っておいでですが…。」


「む?」


 ずずずと緑茶を啜りながら、セバスに言われた横のタブレットを見る。淡く光ながら点滅するそれは、質問に返答があったという通知のサイン。


 流石は光の御子。日頃迷える者を救いに導いているだけあって、このような小規模の、ごく一部の窓口であっても対応が早い。

 バーラルは早速自身のページを開き、勇者からの返信に目を通す。


『巻角紳士バラるんさんへ


 丁寧な質問ありがとう、早速ですかそのお悩みについて僕なりの考えを述べさせてもらいます。


 過去に僕は、人を導く為に強大な力を得て、それを行使した経験があります。

 しかし今は、その大きすぎる力が逆に、導くべき人々への不安を煽る形に作用してしまっているのも確かです。

 ―――etc』


「ほう、ふむ…なーろほど。」


 タブレットを操作し、返ってきた勇者の言葉を読みふける巻角紳士バラるん…もとい大魔王バーラル。

 その姿は正に真剣その物。

 溢れでんとする膨大な魔力の圧に、下に控えるセバスの纏うマントが煽られたなびく。

 彼が文字を目で追う内に、一つの文章がバーラルの目に留まった。


『些細なことで良いと思います。

  バラるんさんも、自身の配下の方々が悩んでいることの解決に協力してみてはどうでしょうか?

  僕に悩みを相談したバラるんさんの様に、あなたの下で悩みを抱えている方がいらっしゃるかもしれません。

  そんな方の悩みを解決に導ければ、あなたが感じている距離感というものは自然と解消されていくのではないでしょうか?』



「…これだっ!!」


 魔導タブレットに齧りついていたバーラルは、興奮のあまりその莫大な魔力を放出する。

 王座の間が鈍くも眩しい魔力光の濁流に飲み込まれる。

 目の前のすらも視認できない状況で、いつの間にかサングラスを掛けたセバスは、己が仕える主へと問いかける。


「バーラル様、興奮のあまり魔力が溢れておいでです。どうか、お心をお静め下さいませ。…緑茶のおかわりはいかがですか?」


 並みの者なら立っているのがやっとの重圧の中、セバスは割りと平然としたままにそう進言する。

 この側近、魔王の右腕と称されるだけあり、それなりの実力者であったりするのだ。

 落ち着いたセバスの言葉に、自身の放出している魔力に気がついた魔王がその出力を抑え、室内が漸く元の落ち着きを取り戻す。


「おっと、すまない…つい興奮してしまった。だがセバスよ!我はついに長きに渡る悩みの解決策を得たぞ!!あと、お茶のおかわりは頂こう!」


 興奮冷めやらぬバーラルが、思いついた計画をセバスに語る。

 バーラルがしゃべる度に、雷鳴のような轟音が響き、大気が震えて窓ガラスは軋みを上げる。セバスはその悪状況のなかでも、相槌を打ちながら問題なく緑茶を湯飲みに注ぐ。


  満たされた湯飲みの緑茶を呷り、勢いよく盆へと置く。


「今この時より、我が魔王軍に配下の為の「悩み相談部門」を設ける!室長兼責任者は我、そしてその窓口はお主、セバスだ!!」


 割りと無敵で万能と呼ばれるバーラルも、勇者公式アカウントに悩みを相談するほどのものなのだ。

 だとすれば、自分よりも弱き守るべき兵達。

 魔族の民達はもっと多くの悩みを抱えてるのではないか?

 であれば我がその悩みや問題解決に助力すればよい。


 迷える配下達は心の不安が解消し、我も他者との接触が持て寂しさや孤独感から解放される。

 正にWinwinの大名案である。



「…なるほど。しかしそれでは、魔王様のお姿やお力に卒倒してしまう者が続出してしまいましょう。」


 魔王の言わんとする事を早くも理解する良くできた右腕。

 そして、そのままでは起こってしまうであろう問題点を指摘する。


「…ですが、――」


 だがしかし、この有能な右腕は指摘したのみで終わらず、更なる補足案を魔王へと伝えるのである。

 できる側近は如何なる時でも主の味方だ。


「むむむ、なるほど確かに、それはセバスの言う通りだ…。危うくお悩みに相談室が破綻するところであったぞ。やはりお主は頼りになるなあ。」


「勿体なきお言葉でごさいます。」


 説明を聞き、大楊にして首肯くバーラルと、恭しく主の言葉を受けとるセバス。


「では改善策を踏まえて早速準備を始めるとしよう。行くのだ!我が右腕セバスよ!!」


「ははっ、全てはバーラル様のお心のままに。」


 そうして魔王軍に新たなる部隊『魔王軍お悩み相談室』が発足されたのであった。



 ●弐

 ここは魔王城のとある一室。

  他の部屋に比べ、広くはない室内。

 そこには木目を基調とした少し大きめのテーブル、黒い柔らかなクッションと、赤い鮮やかな装飾に彩られたロングのソファーが鎮座している。


 室内の中心で、それらは何時訪れるかわからぬ客人達の為に、常にピカピカに整えられていた。

 まるで、今か今かとその活躍の場を夢見ている少年の様に。

  無機物の家具だというのに、恰かも命を持った一つの生き物達であるかの様にさえ思わせる、制作者の渾身が込められた調度品達。

 それは、この部屋の主たる者の気遣いが顕著に現れているからだろうか、今尚輝きに満ちている。



 部屋の中に、ひとつの影が見える。


 テーブルの向かい、一人用にオーダーメイドされた、ロングソファーと同質の椅子の上。

 彼とも彼女とも見てとれる幼さを残した顔立ち、遠目でも心持ち小柄なこの人物は、自身にヒッタリなその椅子に腰掛け、テーブルに飾られた美しい花を手入れいている。


 彼の名前はバハラ。

『魔王軍大魔王直属特務部隊室、室長バハラ』


 ある日突然魔王軍へと現れた彼は、大魔王バーラルの直属の新設部隊へと配属され、この魔王城のとある一室を与えられている。


 そこは『お悩み相談室』と銘打たれた部屋。


「いやはや、思いの外イメージ通りの心安らぐ空間を演出してしまった。材料から工法、仕上げまで拘っててを加えて良かった。」


 露を払った花の葉から一旦目を離し、手塩に掛けた家具を見る。

 満足げに頷きながらも、未だ彼の興奮は冷めやらぬ様子。


「それに今のこの我の姿!くはーっ!伊達に森羅万象の魔法を体現させただけの事はあるというもの。実に素晴らしい。」


 まだ産毛すら生えていない細い腕や、元の本体に比べ、随分小さくなった頭の角をテシテシと触る。



 ―

「バーラル様、やはり大魔王たる方がお姿をお隠し遊びになられるのであれば、ラスボスが誰しも持つとされる第二形態(変身)とお使いになられるのがよろしいかと。」


「えっ?我ってそんなことまで出来るのか?」


 自分でも初耳…いや、会得していても長きに渡り使いもしなかったから忘れていたのやも知れん。取り敢えず言われたような能力が無かったか脳内のライブラリーに確認してみる。

 膨大な数の大魔法や禁呪、武器を使用した奥義に魔物固有のスキル等々、昔とった杵柄とでも言うのか。


 …あった、魂束縛の禁呪と亜空間次元斬の奥義の下敷きになってる。

 滅多に使う機会がない魔法はこうだからいかん。


「…確かにそれっぽい魔法があるな、よし試してみよう。・・・ッ!!『メタモルフォーゼッ』!!」


 ―


 魔王城の区画を管理する魔賢者から、そこそこ立地のよい空きを掻っ払ってきたセバスが部屋の入口で挟まった主を助けたときにそんな会話があった。


 信を置く右腕からの助言もあり、今となっては普段のそこに立つだけで周りが目眩を起こすような威圧的な外見は鳴りを潜めている。

 溢れんばかりの膨大な魔力は、うまく体内で循環させ外には漏れ出ることがないので、その余波を周りには微塵も感じさせろことはない。

 トレードマークの二本の巻角だけは、体のサイズに会わせて残ってしまったが、それでもあの姿とは比べ物にならぬ程にイノセンスだろう。


 …実際はこの姿、今まで駄々漏れだった膨大な魔力のロスを最小限に留め、持てる魔力が極限まで高まり鮮麗されたが故の姿ではあったりする。

 第二形態が元の第一形態より強力になるというお約束は、大魔王バーラルであっても共通の事柄らしい。



 …そう、今この部屋の中で小躍りし始めてしまいそうな程に無邪気に喜ぶ少年。

 長い長い役職名をぶら下げた小さな部屋の主『バハラ』。

 彼こそは何を隠そう、自らの姿を魔法によって変え変装した、悩める大魔王『不死身のバーラル』その人なのである。


 即断即実行。勇者公式アカウントに助言を貰ってから1日と経たずに『魔王軍お悩み相談室』を開設、運用開始に至ったのだ。


 因に名前も偽名なのは、「仮にも我は大魔王、部下が悩み相談するとか緊張しちゃうんじゃ?」というバーラルの疑問に、「でしたら御正体を隠されて、偽名をかたられては?」というセバスの提案があったからだ。

 気軽に相談室を利用してもらいたい、と言う細やかな気遣い。

 そして何より、本人がこういうのに憧れていたせいもあってノリノリである。


「早速宣伝のビラを配って参ります。バーラ…バハラ様は気長に部屋を訪ねてくる者をお待ちください。ではっ。」


 そういっていつの間にか用意したのか大量のプリントを携え、部屋を出ていったセバスを見送ったのが数時間前。


「いつもは王座で来るはずのない客人に備えるだけだったが…。待つ場所と目的が変わるだけで、こうも心が踊る物なのか。全く、長生きはしても、まだまだ知らないことばかりだなぁ。」


 しみじみしているバハラ。

 普段から待つことには慣れている魔王という職業柄、この仕事も自分にとっては相性がいいのかも知れないな…とか思い始めていらっしゃる様子。

 訪ねて者がいなければ始まらないのはどちらも同じ。

 魔王足るもの専守防衛、備え、待ち、構えて討つという基本が、この新たなる仕事にも存分に発揮できようというもの。


 そして更に待つこと二時間、ハバラ(魔王)は室内にセバスの気配を察知する。

 差し込む日光によって伸びた棚の影、暗い影に濃い闇色の波紋が広がり、魔力の残滓が辺りに広まる。

 セバスの奴がよく使う空間歪曲の魔法だ。

 影から浮き上がる様に姿を見せたセバス。


「只今戻りました。」


 踵を揃えて鮮麗された動作で礼をする。

 どういうわけか、着ている服が部屋を出る前と変わっている。

 闇よりも深いダークスーツに、角度によって見栄隠れする細いストライプが織り込まれている。

 セバスは主に負けず劣らす、形から入るタイプなのかもしれない。


「おかえりセバス。丁度良かったぞ、昼食に呼び戻そうかと考えていたところだ。飯にしよう飯!」


「なんと、私めをお待ち下さったのですか?お心遣いに感謝致します。それでは早速ご用意を…ハッ!?こちらの物は一体!? 」


 礼を返すと、驚いたようにセバスがテーブルに乗せられた弁当箱を見る。

 きっちり二つ、使い捨てではない容器に入った食べ物と、箸とお手拭き。容器の横には『魔王軍仕出し部隊』とロゴが入っている。


「ああ、ついさっきの事だがな、昼食の仕出しが出来るとアナウンスが流れたのを聞いて頼んでみたのだ。『ワンコインでこのボリューム』というフレーズが痛く気に入った。さあお主も食え、作りたてホカホカだぞ?」


 普段バーラルの控える部屋に軍内放送が流れることは無い。

 この相談室に移って初めて聞いたものを使いたくてしょうがなかったと見える。

 手を合わせて食べ始めるハバラは、迷わず端に置かれた卵焼きをつまみ、パクりと口に頬張る。


「おおっ、このだし巻きは甘口か!なかなかの腕前…、あの届けにきたラミアが力作だと言っていただけはある。」


 頷きながら咀嚼するハバラ。

 知らぬ者が見れば、小さな魔族の子供が弁当にがっついている様に見えるだろうが…、あれ、魔王様なんです。


 …普段は豪華なコース料理を、専門のシェフに作らせてるのではないかって?


「・・・そういえば軍営の食堂で昼食を取ろうとしたときもありましたね。」


 過去にあったバーラルの行動を思い出したセバス。

 彼の主は、軍務就業後にこっそり抜け出して、立ち飲み屋に入ろうとする様なお茶目さんでもあるのだ。

 毎度セバスが勘づき、事前に阻止しているのだが…今回はすっかり失念していた。


「む?どうしたセバス、早く食わぬと冷めてしまうぞ?このとろふき芋、絶妙な塩加減だぞ?」


 口の端に食べ滓を張り付けたハバラがセバスに問う。


「ははっ、それでは失礼致しまして、御相伴に預からせて頂きます。」


「うむ、そうするがよいぞ。一人よりも二人で共に喰ろうた方が飯の味も旨くなるというものよ。」


 こうして活動初日の昼食は、魔王様の奢り(お手頃価格)で大満足におわった。


 ●参


「腹ごなしに散歩でもしてこようかなー?」


 チラチラとセバスの顔色を伺うバハラ。どうやら弁当を持ってきた仕出し係と普通に話せたことに味を占めたらしく、更なる出会いを求めに心が浮き足だしている様である。


 セバスとてその気持ちは分からなくもないが、ここで部屋を飛び出しては本来の目的とは大きくかけはなれた結果に終わってしまう。

 一国を納める大魔王として、初志は貫徹してもらわなければしたのものに示しがつかないだろう。

 ここは心を鬼にして主を諌めなければならない。


「なりませんバハラ様。相談室を発足して半日程、そろそろこの部屋を訪ねてくる者がいてもおかしくありません。だというのに部屋の主たる貴方様が席を外していては本末転倒にございます。」


「ぬぅ、我の精神が外見相応であれば咽び泣くほどのド正論だ。全く反論の余地がない!」


 バハラは両手をあげて降参のサイン。

 あの無敵の魔王に敗けを認めさせる者など、魔界広と言えどそうは居ないだろう。

 しかしセバスはそんな素振りなど臆面にも出さない。その行動は、ただただ仕えるべき主の為に。


「…でも!やっぱり呼び込みとかもした方が良いだろうし、その為にも我が直々に外で客引きを…。」


「悩みを抱えている者達に、無理に我々から押して行くのは下策にございます。あくまでバハラ様は、自らの意思で悩みに立ち向かう助けを求、この扉を叩く者を相手にするべきにございます。」


「ふぬぅ…。」


 別口から理由をつけようとするも、これまた一刀両断にされるバハラ。

 不死身大魔王と言えど、口先だけで最も信頼する僕をやり込める日が来るのはまだまだ先のようだ。



 手も足も出ないバハラは、大人しく席に着き落ち着く。

 立ったまま微動だにせず、その傍に控えるセバスを観察でもしていようかと、机に肘を付き楽な姿勢を取って眺めること数分。

 瞳を閉じて顔を正面に向けたままのセバスに、『あれ?もしかして寝てるのでわ?』などと思い始めた所で、彼が目を開く。


「セバスよ、お前今寝ていたか?」


「ご冗談を、それよりもバハラ様、お客人のようです。」


 扉の方へと注意が向くと同時に、コンコンッと軽いノックの音が響いた。ノックを受けて、セバスが扉へと向かい外にいた客人を招き入れる。

 記念すべき相談室の相談者第一号だ、例えどんな難題が立ち塞がろうと、相談者のために努力しようと気を引き締める。


「どうぞ、お掛けくださいませ。」


「ええ、ありがとう。」


 セバスが相談者をソファーへとエスコートし、それに従い客人は座る。

 バハラは彼女を見やる。


 白く透き通った肌と、長く美しい銀髪。

 整った顔で一際目を引くその赤く輝く瞳は、彼女の確固たる自信をありありと示している。

 ソファーに腰かけるその姿でさえ、美しさを引き立てるほんの一動作に過ぎない。そんなどこまでも完成された艶やかな流麗さを体現している。

 一見して並みの魔族の出はない彼女。敵であれ味方であれ、その姿を見たものは、思わず溜め息をついてしまうことだろう。


 後はお願い致します、と眼で合図するセバス。バハラは頷き、彼女を席へと促したセバスの働きを労う。

 恭しく礼をして踵を返し、客人のもてなしのために下がるセバス。

 さて、ここからは我の仕事だ。


「ようこそお悩み相談室へ。私、室長のバハラと申します。失礼ですが、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」


 丁寧に、相手の目を柔らかく見つめて話す。

 魔王バーラルとて、何億何千といる配下、全ての者を覚えている訳ではない。

 この部屋に訪れる者をバーラルが知ろうと知りまいと、ここで始めに名を尋ねる、それが相談の第一歩と言うわけだ。

 だからバハラは彼女に名を尋ねる。……例えそれが、どれ程魔族の者達にその悪名を轟かせる猛者であろうともだ。


「……私の聞き間違いかしら?貴方、魔王軍に属していてこの顔を…この私を知らないとなると相当の常識知らずよ?」


 やはり名を尋ねられたことが心外だったのか、少々の苛立ちを込めて言葉を返してくる。身に纏う彼女独特の魔力が、その温度を著しく下げる。びりびりとした重たい圧力に、バハラの前髪がふわりと持ち上がり、流れた。

 彼女の赤い瞳は爛々と輝き、目の前の矮小な存在を捉えて離さない。


「いえ、この相談室に初めて訪れる方には、例えどなたあろうとお名前を伺うことにしているんです。勿論、本名でなくて偽名や愛称であっても構いません。今ここにいる貴方を、お呼びする為の名をお聞きしたいんです。悩みを抱える方にとって、時にはご自身の名を…明かしたく無い場合もありますでしょうしね。」


 バハラは彼女の威圧も特に気にせず、名を尋ねた理由を伝える。

 自身の魔力圧をものともしないバハラの様子に、ふんっと鼻を鳴らす。彼女はその説明で納得はしたらしく、荒く膨れ上がっていた魔力を収めると、その可憐な花弁のような口を開きこう答えた。


「魔王軍所属、四天王(・・・)が一角。カロリーリアよ。」


「はい、ありがとうございます。『紅き薔薇園の姫君』が相談室一人目のお客人とは、こちらも鼻が高い。…カロリーリア様とお呼びしてもよろしいですか?」


「そうね、それで構わないわ。」


 案外素直に名前を名乗ってくれたことと、名を呼ぶことを了承してくれたに、バハラは内心驚いていた。

 そう、彼女は四天王である。魔王軍において武力、戦闘、…純粋な戦いの為の力を司る者達の頂点。

 その四天王の中でも、特に気位が高く、最も長くその座に収まり続けてきた最強の将軍。


 魔族の中でも最上に位置する種族、吸血鬼(・・・)の祖たる彼女は、一度戦地へ赴けば、その圧倒的な力で次々と敵を鮮血の赤に染め上げ、その地を紅の園と化す。戦場に咲く命の華々を容赦なく摘み取るその姿に、いつしか付いた通り名が『紅き薔薇園の姫君』である。

 ・・・因みに魔王軍の開設当時からの付き合いで、バーラルとしてはカロリーリアちゃんと呼び親しむ中でもある。

 親戚のおじさんが姪を可愛がる、そんな具合の関係であるとバーラルは思っている。


 うっわー、ゴリッゴリの武闘派が来たなー。戦争も終わって随分と平和になったし、もし新な力をぶつける敵が欲しいとか言われたらどうしよう……?

 ・・・バハラは内心ヒヤヒヤでぎこちない笑顔を浮かべる。


「どうぞ、ラクシュマールにて採れました紅茶でございます。」


「あら、ありがとう。」


 主の焦りを和らげるベストタイミングで茶を出すセバス。

 普段なかなか飲む機会の無い、ラクシュマール産の茶葉から抽出した結構高価な紅茶を受け取る。

 その薫りを楽しむカロリーリアは、種族としてもって生まれた気品…魔性だろうか?を申し分なく発揮し、何処までも絵になる女だなと眺めるバハラは改めて思う。


 ・・・一呼吸置いたお陰で、バハラの憂いも上手くお茶を濁せたので早速本題に入る。

 まずは彼女の悩みを聞かないことには始まらないのだ、渇いた喉を紅茶で潤し、問いかける。


「それではカロリーリア様、貴方のお悩みをお聞かせください。」


「…ええ、そうね。」


 バハラの問を受け、カロリーリアはティーカップをソーサーの上に音を立てずに置く。

 長いまつげを伏せ、視線を落とす。

 暫しの沈黙の後に心がけ決まったのか、バハラを見つめると控えめにその麗しい口から声を発した。


「………寿退役がしたいの。」


 消え入るような声で、しかしハッキリと『退役』という単語が聞こえた。

 その単語の前の三文字は我の聞き間違いかもしれん。うん、そうだろう。

 慌てず、騒がず、冷静にその発言の真意を探り、聞き返す。


「…退え「寿退役よ」」


 どうやら聞き間違いでは無かったらしい!?食いぎみで退役の前に抜けていた語句を訂正してきた。

 寿退役…寿…つまり、結婚!?カロリーリアちゃんが!?


 ギュリンッ!と、目だけでセバスを見る。

 セバスもこちらの意図に気がつき、固有魔術による念話回線を構築、緊急相談窓口を繋ぐ。

 微細な魔力を契約の元に許可し、すぐさま念話でセバスに語りかける。


 ――

『セ、セセ、セ!・・・セバスよ!我が軍では、け、けっ、結婚による退役を認めておるのか?』


『勿論でございます。魔王軍では福利厚生、冠婚葬祭と、所属する兵達に手厚く保証をかけることで人気の優良企業としても名高いのでございます。と言っても、なかなかその制度を活用する者は少ないのが現状ではありますが…。』


『そ、そうだったであるか…。』


 自ら立ち上げたこの魔王軍も、初めの頃は気の合う魔族の達との小さなグループみたいなものであった。

 いつしか軍と呼ばれるまで規模が大きくなり、運営や統率の権利を有能な部下に任せるようになって、どんどん規模が拡大していったが…、なるほど、そういった背景があったのだな。


『因みに数年前ですが、四天王の一角『深淵の大いなる怒り』ゴルゴルザム様は30年程の育児休暇を取られました。元気なお子さんの成長経過を時折「魔王軍モテパパの会」公式ブログにて掲載しております。』


『えぇぇぇ!?彼、育休とってたの!?どおりで最近姿を見ないと…てか30年って長くない?』


『申請される種族の方にもよりますので、休暇の期間は一定ではありません。これでも短い方なのですよ?ゴルゴルザム様は闇の邪神の眷属にあたる方なので、当人の寿命も1000年以上と言われております。お子様の成長も緩やかなのでしょう、最近首が座り、夜泣きもしなくなってきたのだとか。』


 なかなか情報通なセバス。そういえば誰だかの出産祝いに金一封包んだ記憶がある。そうそう、その時の宛名がゴルゴルザム君だったなー!思い出した!

 今度その写真を見せてもらおうかな、と心に決める。


『まあ、確かに我も年齢で言えばほぼ不死身の不老であるから、ざつくりと数えて千歳近いからなぁ…。それで考えれば30年なんてあっという間か。』


『御納得頂けたようで幸いでございます。』


 もはや爆弾情報のオンパレードである。しかし百戦錬磨の大魔王、山のような修羅場を潜り抜けてきた彼は、もはや落ち着いたものである。伊達に人魔大戦を終らせていない。


 現象が確認できたので、バハラは緊急回線を一旦閉じ、現実の思考へと戻ることにする。

 ――


 …この間僅か0.01秒!

 刹那の内緒話であった。


「そうですか、寿退役…。つまりカロリーリア様は近々結婚をなさると。因みに、お相手はどちらの…?」


 落ち着いた表情は崩さず、震える声を何とか押さえつけ、バハラは尋ねる。

 ・・・大魔王はどんなときでも狼狽えないのだ。


「相手は決まってないわ、これから見つけるの。」


 澄ました顔で答えるカロリーリア。

 はて、なにやら雲行きが怪しくなってきた。


「これから…ですか?」


「そうよ、これから。」


 自信満々に答えるカロリーリア。

 あまりの迷いの無い言葉に、重大な矛盾を含んでいるこの言葉すらも、些細な問題に思えてくる。

 つい「ああ、それなら大丈夫ですね」とか口走ってしまいそうになる。危ない危ない。

 もう少し彼女の言葉を掘り下げてみよう。


「カロリーリア様が我々に相談したいのは、結婚式時の催しや、その他の雑事と言うことではないのですか?」


「違うわ、私が相談したいのは結婚相手(・・・・)の事よ。」


「……はい?」


 相手は決まっていないと先程明言された。だが結婚相手について相談したいと言う。…と言うことはつまり?


「だ・か・ら!私の結婚相手を見つける手伝いを、この相談室にお願いしに来たの!!」


「はいぃぃぃーー?」


 声高らかに、そんなことを言い切ったカロリーリア。

 それと同時に、バハラの驚愕の声が相談室一杯に響き渡るのであった。


 ・

 ・・

 ・・・


「結婚をするから寿退役の相談をしたい・・・のではなく、寿退役がしたいので、結婚相手を見つける相談に乗って欲しい。・・・つまりこういうことでしょうか?」


「そうね、正しくその通りよ。」


「…この間、マリスステラと『四天王としての最後を迎える時はどんな形であるのがいい?』て話になってね。・・・勇者一行との戦いの末敗れるとか、後継者候補の弟子の野心によって封印されるとか、色々と候補が出てきたのよ。」


 手に持ったスプーンでカップの紅茶を玩び、できた渦を見ながらカロリーリアは話す。

 その姿は、恋に焦がれる女子が語らう様に可憐で有りながら、どこか胡乱げな装いを秘めており、彼女自身も意識出来ていない、曖昧な心の姿を浮かび上がらせている。


「勇者達とは先の大戦で何度か戦ったけれど、いまいちピンと来なかったし。弟子を取ったこともないしで、私ってば少し置いてきぼりになっちゃってね。」


 薄く笑うカロリーリア。


 確かに、今上がった結末候補は、どちらかと言えばもう一人の四天王、『静寂の支配者』マリスステラが考えそうな事だ。

 相手が敵であれ味方であれ、自分を満足させた者にはとことん甘い堕落の女神。

 人魔大戦時に彼女が、あろうことか勇者の味方の一人に加護を与えた時の事をを思い出す。


 まあ、よくあることなので周りは溜め息混じりにその事実だけを通達して対処していたが。


「その時偶々話題に出たのが、今育休中のゴルゴルザムの写真。結婚生活・・・、そして子供の成長を見守る親の姿。あれを見て、私の魔眼が疼いたの!これだ!ってね。」


「それで、…寿退役ですか。」


「そうよ!!未だ経験したことのない新婚生活!それによって四天王の仕事を華々しく終えて、戦いの舞台から去る。その後は一人の女として旦那様に尽くす・・・そんな生活。素晴らしいと思わない?」


「は、はぁ・・・。」


 すっかり高まった様子のカロリーリア。上気した頬を桃色に染め、潤んだ瞳で夢見る自信の終焉に陶酔する。

 確かに、女性として死して生に幕を下ろすよりも、愛する者と添え遂げる方が健全で、平和的な願いであるのは間違いないだろう。それは魔族と言えども共通の認識だ、・・・まあ、人族に比べれば長い時間を掛けるものではあるが。

 だが!だがだ!

 吸血鬼の真祖たる彼女が、添い遂げるに値するものが果たして見つかるだろうか?

 ・・・バハラは既に不安で一杯である。


「因みに現在魔王軍では、カロリーリア様立ってのご要望によりふさわしい花婿候補を公募しております。」


 傍に控えていたセバスがここで状況を補足に入って来た。

 花婿募集・・・?えっ、そんな大々的に婿探しをしてたのカロリーリアちゃん。

 こう言っちゃ何だけど、大魔王の贔屓目で見ても絶世の美女なんだから、引く手数多なのでは?

 ならここでお悩みとして相談する必要なんて・・・


「開始当初は、我こそはという者による求婚を幾度も受けていたカロリーリア様。しかし、「夫になるに相応しい者は、先ず私に勝つ実力が無くては話にならないわ!」という審査・・・もとい戦闘で全て返り討ちにしてしまい、すっかり挑戦者が居なくなってしまったのです。」


 うわー、すんごい乙女チック・・・。

 そりゃ、男性に守って貰いたいなんて、女性が願うのは普通のことかもしれないけど四天王の一角が相手じゃねぇ。

 散っていった男たちの勇気ある行動に、同じ男として激しく同情する。相手が悪かったのだ、相手が。


「皆始めは威勢のいいことを言うのだけれど、実際相手にしてみると本当に骨が無くってね?私に傷を付けるどころか、埃すらかけれない軟弱者しか居ないのよ、最低条件でさえこんな状態で、もうどうしたものかと。」


「カロリーリア様に敵う方なんて、魔王軍は疎か、世界中を探し回ったとしても、片手で数えるほども居ませんよ・・・。その前提条件が既に不可能な領域なのでは・・・?」


 これでも最強を自負する我が魔王軍。その四天王という肩書は伊達じゃない。

 彼女と並ぶ魔力を持つのは、バーラルの知る限り同じ四天王の三名、後はセバス位だろうか・・・?

 全盛期のライゼルでさえ、味方の補助があってようやく渡り合っていた程だ。

 ・・・つまり、花婿候補はこの数名くらいしか思いつかない。


 まず、勇者ライゼルだが・・・。

 彼は既に人魔大戦時、カロリーリアと死闘を繰り広げ、瀕死の重傷にまで追い込まれた経歴がある。その時カロリーリアと言えば、少々の傷を負っていながらも「ふんっ、歯ごたえが無いわ!」とか呟いていたのを覚えている。・・・はい、よって除外。


 次にゴルゴルザム君…は既婚者だし、除外。

 マリスステラさん…は女性なので、当然除外。

 ラークーン君は生物では無いのでグレー・・・いや、確か性別も無いと言っていたな。ということは除外。


 ・・・四天王も全滅。となると残るは?


「カロリーリア様より強い男性で、既婚者でない者となると・・・ここに居るセバスぐらいしか思い当たりませんね。どうですセバス?貴方にも美しき花嫁を貰う絶好の機会が訪れましたよ?」


「ご冗談を、バハラ様。」


 あっさりと冗談と切って捨てるセバス。

 わかってはいたが、こやつの面の皮はどこまで厚いのやら。

 その婿探しをしている当の本人が目の前にいると言うのに、全く動じた様子がない。


「ちょっとセバス?貴方、本人の目の前で盛大に振るなんて酷いのではないかしら?まあ、セバスなら実力的には問題無いのかも知れないけれど、普段の振るまいが私の眷属達と変わらないのよね…。それ、素なんでしょ、セバス?」


 カロリーリアもその返事は分かっていたのか、余り気には止めた風でもなく、セバスの様子に肩を竦める。

 これはあれだ、『○○君ってば見た目は良いんだけど…中身がねー』みたいな感じで恋愛対象外宣言する女子の一コマだ。

 どうも互いに結婚を考える相手としては当てはまらないらしい。

 …と言うことは、今思い当たる候補が全て潰れてしまった訳だ。…どうしよう?


 こうもあっさりと手詰まりに陥るか。

 大魔王たる我の覇道に、よもやこの様な問題が立ち塞がるとは……!!

 さしものバーラルとて、頭を抱えてしまいたくなる。


「…バハラ様、まだお一人程カロリーリア様のご要望にそう方がいらっしゃいます。ですが……。」


「!?なんと!それは誠か?勿体ぶる出ない、さあさあ、教えてくれセバスよ。」


 やはり、ここぞ!というときに頼りになるのは信頼のおける右腕だな!

 言い淀むセバスをここぞとばかりに称賛し、藁にもすがる思いでその最後の一人とやらに希望を託す。

 お悩み相談室の初依頼達成は、もはやそのセバスの思い当たる節に掛かっているのだ!


 期待の目を向けていると、セバスもようやくその重たい口を開く。


「男性で、カロリーリア様よりも強く、現在独身の方……それは……。」


「……それは?」


 ゴクリと息を飲む。

 室内の張り詰めた空気、どこか寒気さえ覚える緊張したこや空間。

 我もカロリーリアも、セバスがその名を呼ぶ事を固唾を飲んで見守る。


「…………。」


「………溜めるなぁ!?」


 我慢出来なくなり、思わず突っ込みを入れてしまった。

 何?普段は全く笑もしない癖に、突然こんな茶目っ気を出すとか、今日のセバスはなんか珍しくない!?


「失礼しました、少々間を持ってみたのですがコツが分かりませんで…。」


「間とか、そういうの別にいいから!」


「左様ですか。では改めまして…その方とは――バーラル様です。」


「ええ!?バーラル…様?」

「あー、バーラル様?」


 思わぬ所で自分の本体(この体も本体なのだが…)を呼ばれたので、つい驚きの声を上げてしまう。


 向かいに座るカロリーリアも、魔王バーラルの名を聞いて声を上げるが、なんというか…微妙な反応?

「あー、その人がいたかー盲点だったー!」とか、「えっ!?ちょっとここでその名前を出すなんて、…もうっ!!」とか、そんな感じの反応では断じてない。


 なんだか、「やっぱり、その人になっちゃう?」とでも言うような口調。

 例えるなら、第一から第七候補までを全てコカした者が、埋めるだけ埋めておいた滑り止めの第八候補を、渋々採用する…かの様な言い方である。

 凄い、例えた自分でとんでもなく傷ついてしまった。


「バーラル様は確かに、私よりも強いし、権力も財力もあるし、年上で頼りがいもあるし、誰よりも付き合いが長い、まあ、心の許せる方だけれど…………でもちょっとねぇ?」


「ああ…、やはり、ちょっとあれございますか。」


「そんだけ揃っているのに、それすらを凌駕する『ちょっと』って何!?しかもセバスも思い当たる節があるの!?えっ…我だけ?分かってないのは我だけなの?」


 互いに目を合わせ頷きあっている二人に、オロオロとバハラが問う。

 この世に生まれ落ちて千年余り、その長き半生においてこれ程の孤独感を味わったことが他にあろうか?いや、無い。


 すっかり狼狽えているバハラにカロリーリアは年若い子供を諭すかのように話す。


「いえねバハラ君、私も決してバーラル様が嫌いだとか、そういうマイナスな感情を持っている訳では無いのよ?当然尊敬もしているし、忠誠を誓っているわ。ただ………」


「た、ただ…?」


 カロリーリアの言葉を繰り返す。

 姿を偽っている今、彼女を騙すようで気が引けるが…部下の本心をこの耳で聞くことができる状況に、思わず息を飲む。

 神妙な面持ちで彼女の言葉を待つバハラ、それに答えるようについにカロリーリアが言葉の続きを口にする。


「……顔が好みじゃないの!」


「軽ーーい!?!?理由が軽っ!!えっ、嘘ー!?」


「バハラ様、落ち着きください。お客様の前でございます。」


 セバスはこちらの異常に気がつき、固有魔術による念話回線を構築、緊急相談窓口を展開!!

 微細な魔力を契約に従いリンクさせ、すぐさま念話でバハルに語りかける・・・!

 ――


 ・

 ・・

 ・・・


 彼の葛藤や言葉の嵐を全て受け流し、荒れ狂う濁流のような感情(主に驚愕と悲しみ)を無事に収めたセバス。

 念話回線の構築を解除し、二人の精神は現実へと舞い戻った。


 ――

 …この間僅か0.1秒。

 バハルは先の十倍以上の時間を費やして、ようやく落ち着きを取り戻したのである。


 ●四


 二杯目の紅茶をセバスに入れてもらい、相談者と共に頭を捻るバハラ。

 つい先程の件で少々心に傷を負ったが、今はそんなことよりも、不安を抱えて悩むカロリーリアの為に頑張らねばならない。

 ・・・だがしかし、思い当たる候補は全て潰えてしまった。所謂、八方塞がりといった所。


 バハラは紅茶を口に含むと、思考を研ぎ澄ませる。

 ・・・現状では、魔族の中にカロリーリアを倒せる程の力を持った男性が居ない。

 ならば別の方向で策を考えねばなるまい。


 別の方向………そうだ!

 今存在していないのであれば、これから彼女以上の力を持つ可能性のある男性を見つけるというのはどうだろうか?

 つまるところ『将来性を見越した青田買い』というものだ。

 これならば我が直々に手ほどきを加えるなどして、カロリーリアのお眼鏡に敵う男児として成長させる事ができる。


 うん、我ながらナイスアイディーアではないか!さっそくカロリーリアに打診してみよう。


「カロリーリア様?一つ案を思いついたんですけれど・・・。」


「あら本当!?私一人ではこれ以上悩んでもいい案が出てきそうに無いもの、ぜひ教えて頂戴?」


 持っていたカップをソーサーに置くと、期待に目を光らせるカロリーリア。

 赤く輝く瞳がバハラを見つめ、今か今かとその案が伝えられるのを待つ。


 ・・・はあ、昔はこんな風に。

『バーラル様ー、バーラル様!待って下さいー』とか言いながら、よく我の後ろを付いて歩いて来ていたんだよな・・・。

 あの頃は小さくて可愛かったなー。

 ・・・今はではすっかり綺麗になって、結婚とか言い出して。

 魔王的にも感慨深・・・っといかんいかん、思考が別方向にずれている。

 気を取り直して彼女に説明しよう。


「ごホンッ。簡潔に説明しますとですね、将来有望そうな若者を鍛え、カロリーリア様よりも強くしてから婿にするというものです。すぐさま寿退役と行かない所が問題ではありますが、現状取れる対策に置いてもっとも可能性の高い案だと思います。」


「ふーん、なるほどね・・・。」


 バハラの案を聞き、考え込むカロリーリア。

 なかなか好感触な反応、気を良くしたバハラはこの案を更に練り込もうと話を続ける。


「どうでしょうか、カロリーリア様。例えば花婿募集の際退けた者達の中に、見どころのありそうな者はいませんでしたか?微力ながら我々も・・・まあ、主にセバスですが、その者に訓練を付けて手助けする事もできますよ?」


 正体を隠している自分が、あんまり表だって力を振るうわけにはいかないのでセバスの名を借りる。

 ダシに使っている事を心で軽く謝ると、部屋の端で静かに構えていたセバスが、バハルに分かる僅かな角度で頷いたのが見えた。改めて彼に感謝する。


「そうね・・・、見どころのありそうな者。実は、一人・・・心当たりがあるわ。」


 カロリーリアはそう呟き、頬に手を当てて小首を傾げる。


「本当ですか!?それは一体どなたでしょうか?」


 バハラはその答えを聞き、彼女へ向き直る。

 彼の問を受けると、彼女は明後日の方に向けていた目線をバハラへと戻し、その潤んだ瞳を細めて口元を緩める。

 赤い紅を引いたような艶やかな唇を開くと、はぐらかす様に言葉を繋いだ。


「・・・所で、バハラ君?貴方ってバーラル様の親族か、それに近い血筋の人なのかしら?」


「はい?えーー、ええ、確か遠い親戚にあたる方だったと聞き及んでおりますが・・・。バーラル様は黒曲角山羊の種族で、私はその亜種族にあたる灰曲角山羊の魔族なのです。」


 勿論、これは変身後の姿の経歴を考えた時にセバスと話し合って決めた設定で、でっち上げである。

 バーラルの黒曲山羊という種族は謎の多い、魔界の辺境に住まう種族。

 その亜種族などと言い切ってしまえば、たとえ魔賢者が三人寄ってもその真偽を導き出せまい。

 なんと完璧な偽装工作!


「あらー、あの黒曲角の亜種族の子なのね?通りでバーラル様の若い頃の面影があると思ったわぁ。」


 嬉しそうに破顔するカロリーリア。

 何故だろうか・・・。

 大変お喜び遊ばれているのであるが、その笑顔と、赤く爛々と光る瞳が、バハラの背筋にゾクゾクとした悪寒を感じさせる。

 美人が笑うと。こんなにも怖いものなのだろうか?バハラ・・・もといバーラルに取っては人生で1、2を争う経験であった。


「・・・あのねバハラ君。私の瞳って、ゴルゴーンのエウリューアには及ばないまでも、結構なレベルの魅了(チャーム)の呪いを常時展開していてね?」


「はあ。そう言えば、その様な話を噂で聞いた事があります。」


 食い入るように見つめてくるカロリーリア。

 魔王軍でも広く恐れられる、心の奧の奧までも見通すと言われる紅い瞳。

 バハラとしては、昔と変わらず綺麗な目をしているなーという感想が真っ先に頭に思い浮かぶのだが、まあ感じ方は人それぞれだろう。

 やがてその目線を外して席に深く腰掛け直すと、カロリーリアは確信を得たように頷き両の腕を頭上へと掲げた。


「…やっぱり間違いないわ。貴方、私の魅了の魔眼を簡単に無効化している。」


 呟きと共に、彼女の魔力が高まる。

 赤く、紅い、鮮血よりも鮮やかな色をした魔力が、やがて目に見えるオーラとなって彼女の周囲を包、空間を染め上げる。


「それはつまり、私と同等の力を持つという証拠!!魔王バーラル様と種族も親しいとあれば、いずれは私を越える程の可能性は十二分にある。・・・なによっ!案外すぐ傍に未来のお婿さん候補が居たじゃない!?ねぇ、バハラ君!?」


 バハラの名を呼ぶと、彼女の魔力が開放され空間に大きな亀裂が入り込む。

 辺りの景色が、まるで割れたガラスのように音を立て、そのまま砕け散る。


 ・・・空間封印と亜空接続の多重展開。

 彼女の得意とする転移魔法の応用型、・・・御用達のバトルステージへのご招待だ。

 この魔法の利点は、現実世界から隔絶された空間を使用するので、どんなに暴れようとも周りに被害が及ばないという点だ!

 逆に難点なのは、膨大な魔力を使用するためそんじょそこらの魔族ではとてもとても使用することが出来ない、いわば超高難易度魔法であるというところだな!

 勿論、我もこれくらい造作も無いぞ!!


 一人で誰にでもなく長々と解説をしてみる。

 いわば亜空間に捕らえられた男の、現・実・逃・避・だっ!!


 あー・・・そういえばここ、入るの久しぶりだなー。

 てか、どうしよう。参ったなー……。


「あまり驚いた様子じゃないようね!?つくづくその余裕が気に入ったわっ!・・・さあ!貴方が私の婿に相応しいか、ここで試して上げる!!!」


 空中でこちらを見下ろすカロリーリアは、楽しそうに笑いながら両腕を広げる。

 どうやら向こうはやる気満々で、この姿の我の事を「ある程度力のある魔族」という認識で、そのまま勝負?花婿診断?に処するつもりらしい。


 ・・・本当にどうしよう?

 このまま間違って倒してしまえば、我が魔王バーラルだと言う事がバレかねない。

 せっかく開設したお悩み相談室が、物の一日で閉鎖に追いやられてしまう。


 かと言って、下手に負けたとすれば、「見どころがあるわ!正式にお婿さんとして育て上げちゃる!」と言われかねない。・・・というか、既にロックされているし。


 カロリーリアの翳した手に、膨大な魔力量の集中が感じられる。

 直感的にバハルは、あれは彼女の渾身の必殺技『紅蓮冥――?』紅蜂・・?ベニ・・?

 ・・・とりあえず、必殺の一撃であると確信する。技名は今ちょっと出てこない。


 あれを撃たれたら、さしものバーラルもちょっと痛いどころでは済まされない。

 マジで痛いレベルの攻撃だ。

 放たれるまでもう時間が無い。

 どうするべきか・・・、バハラは悩む。

 しかし、いたずらに時間ばかりが過ぎていく。


 迎撃?防御?反撃?

 どれもできるが、いまいち最適解ではない気がする。・・・というかそもそも初撃で全力攻撃をかますカロリーリアの正気を疑うべきでは!?

 その迷い、そしてツッコミが今、致命的な判断ミスを誘発した!!

 そう、彼女が技を放つのに十分な時間が経過してしまったのだ。


「くらいなさい!!必殺っ!『黄昏迷月蓮紅』!!」


 叫び、バハラに向けて手を翳すカロリーリア。

 彼女の圧縮された魔力が光速で走り出し拡散、億千本の赤き閃光となって獲物に降り注ぐ!

 夕暮れの紅き光りと共に訪れる闇の様に、容赦なくそれらは空間ごと相手を飲み込んでいく。

 やがて辺りを漆黒の闇が覆い尽くしたなかで、頭上から銀髪をたなびかせた輝くカロリーリアが舞い降りた。

 闇夜に迷い込んだ美しき月の様に、ただ一人その場に残されたカロリーリア。

 何もかもを薙ぎ払い、全てを蹂躙したところで彼女は虚しそうに呟く。


「……やり過ぎたかしら?くっ、全力を出したせいで魔力が・・・。」


 闇に吸い込まれた独り言。

 返ってくる言葉はなく、彼女の目に映るのは無限に広がる自分が作り出したこの空間のみ。

 フラリとカロリーリアの足が揺れ、バランスを崩しかける。

 そんな彼女を支えてくれるかもしれなかった彼は、灰燼に帰してしまった。

 他ならぬ彼女の手によって・・・。


 世界が再び砕け散る。

 彼女の魔力によって構築されていた空間が、その状態を維持できなくなって解除された。

 目の前に広がるのは、あの小さな部屋に置かれた品の良いソファーとテーブル、そして飲みかけの紅茶が入ったティーカップ。


 戻ってきたのだ・・・カロリーリア、だだ一人で。

 期待しすぎてしまったのだろうか?

 私の魔眼に耐えれる者など、ここ300年は出会った記憶がない。

 あの光の御子でさえ、特殊な護符を懐に忍ばせてようやく私の前に立っていたのだと聞く。

 この心を覆う陰りは、後悔・・・だろうか?

 くっ、せめて必殺技ではなく、奥義程度で様子見すべきだったか・・・。


「バハラ・・・あの馬鹿者め・・・。」


「いやいや、何で我が悪いみたいな言い方なんですか。流石にあれはどうかと思いますよ、カロリーリア様?」


「えっ!?・・・なっ!!?」


 後ろからかけられた声に咄嗟に振り返る。

 そして、そこに立っていた人物を見て驚愕する。

 カロリーリアの背後には、先程と全く変わりのない様子のバハラの姿が。


「バハラ君!!」


 思わず抱きつこうと飛びつくカロリーリア。

 しかし、そんな彼女をセバスが二人の間に入り込み阻む。

 すっかり魔力が空のカロリーリアは、もはやセバスに掴まれた腕を振りほどく事ができない。


「もうっ、セバス?ちょっとその手を離してちょうだい!今彼が本物のバハラ君か確かめないと行けないのよ!」


「…………。」


 せめての反撃と抗議の声を上げるが、勿論その手は離されない。

 無言の圧力に押され、カロリーリアもちょっと額に汗を浮かべ始める。

 大人しくなった所を見計らい、二人にようやく話しかけるバハラ。


「いいですか?カロリーリア様。たとえ、『貴方の魔眼に抵抗出来た』という判断材料があったとしても、それを理由にいきなり、全力の技をぶっ放すのは度が過ぎています。我とて、あの時セバスが助けに入らなかったらどうなっていたことか!」


『セバスが助けに入った』という下りは、・・・まあ、実力を隠す為の嘘である。

 バハラは技の直撃する寸前のタイミングで、こっそりあの異空間から抜け出していた。

 それを、直撃を受けてあっさり死んだと勘違いしたカロリーリアが魔法を解除したのがさっきだ。

 全く、魔王でなければ大惨事だよ?本当に。


「というか、そもそも花婿候補に貴方の全力をぶつけてどうするのですか!加減だってしていなかったでしょう!?」


「えっ・・・いや、その・・・つい嬉しくて・・・。」


 バハラの剣幕に、しどろもどろになるカロリーリア。

 だがバハラの、魔王の怒りはそう易易とは収まらない。

 お説教モードのバハラ。やはり彼の目にも余る行動だったのだ、先程のカロリーリアは。


「『つい』ではありません!!魔族には不死の異能を持つ物も存在しますが、それはほんの一握りでしかありません。つまり、大抵の魔族はあのような技を食らっては、無事では済みません。最悪死んでしまうのですよ!?」


「ううぅ・・・でもバハラ君は生きてた訳だし・・・。」


「『でも』!?でもではありません!!何をいっているのですか!私だって一歩間違えばただでは済まなかったのです!そこを履き違えてはいけませんよカロリーリア様!!それにですね、さっき空間から戻ってきた時も――――」


「うぅぅぅ・・・・セバス、助け「こら!!聞いていますか!?」


 カロリーリアの小さな口答えがバハラの逆鱗に触れてしまったようだ。

 クドクド、クドクド…と、淀み無く放たれる説教とダメ出しの嵐。

 そして涙目になっているカロリーリア。

 いつの間にかセバスも彼女の拘束を解いているのだが、もはやそれすらにも気がつかない様子である。

 そこにあるのはもはや、あの悪名高き魔王軍の四天王ではなく、一人の悪い事をして怒られる女性という、ただそれだけの存在なのであった。


 ・

 ・・

 ・・・


 たっぷり数時間、バハラの説教が続いた。


「はあ、それと最後になりましたが、カロリーリア様のお悩みの解決方法が分かりました。これなら100%間違い無いでしょう。」


「ほ・・本当に?」


 説教が終わりを見せた事と、寿退役の方法がわかったというバハラの言葉にカロリーリアは顔を上げる。


「ええ、ですからよく聞いてください?いいですか?」


「ええ、ええ、聞く聞く!教えて頂戴!」


 バハラは頷くと、魔力を練り込み複雑な魔術構成を高速で組み上げていく。

 当然、目の前の彼女には悟られぬ様に細心の注意を払う。

 手慣れた物で、あっという間に準備は整った。

 発動待機状態まで進めた魔法を留めておくと、セバスに目を向け合図を送る。

 セバスも頷き、さりげなくカロリーリアの脇へと寄り、絨毯へとへたり込んでいた彼女を助け起こそうと、手を差し出す。

 …と見せかけて、彼女を逃がさない様に押さえ込んだ。


「えっ?セバス?え、何?」


「カロリーリア様、貴方をこれからベルメール様の元へとお送りします。ご存知かとは思いますが、その方は魔王バーラル様が幼少の頃に世話になった方で、他にも多くの高名な魔族の方々が、幾多とお世話になっている、信頼のおける方です。」


「べ、ベルメール!?それって、あの(・・)ベル婆様の事よね!?」


 カロリーリアはベルメールの名を聞くと、血の気の引いた顔で突然慌て出す。見るからに動揺し、脱兎の如く逃げ出そうとするが、セバスがそれを許さない。


 カロリーリアがこうも恐れる人物。

 ・・・そのまたの名を『冷酷と憎愛の化身』ベルメール。

 魔王バーラルの乳母であり、師匠であり、尊敬する先代魔王様に所縁のある女傑。

 バーラルも彼女に対しては頭の上がらないという、謂わば魔王軍最高顧問と呼べる立ち位置の婆さんである。

 既に現役は退き、ここ600年程は霊峰サイハーテ山脈の先にある小さな田舎街にて隠居生活を送っておられるそうだ。

 さっきの説教中にセバスに指示して取り次いでもらった。


 話を聞いた婆さま曰く、

『あのときの小娘かい!そんならいっちょ、修行でもつけたるけん、此方に送ってきんしゃい!』

 と、実に前向きな回答を頂けたのでお言葉に甘える事にしたのだ!!


「今、カロリーリア様が寿退役をするにあたりに足りないのは・・・相手となる男性ではありません!原因は貴方自身・・・そうっ!本当の敵は己の中にあるのです!・・・セバス!!」


「失礼!カロリーリア様。」


 手をかざし、待機状態だった魔法を発動させる。

 彼女の足下、絨毯の上に広がるのは淡く輝く魔方陣。

 そしてセバスはバハラの声を受け、魔方陣により形成された無数の鎖にて彼女を絡め取る。

 阿吽の呼吸によって行われる、あまりに素早い動きにカロリーリアも逃れる事ができない。

 あっという間に身動きを封じられ、気づけば彼女の周囲が転移のための魔道文字で完全に包囲されている。


「きゃ!?ちょっとセバス!バハラ君!?」


「貴方に取って足りないのは・・・殿方を立てる慎みの心!いきなり異性の方に全力の必殺技をブッパするなんて、淑女としての根本が確立されていない証拠です!!ベルメール様の元で修行し、その全てを会得したあかつきには、きっと!素晴らしい花嫁として、寿退役を迎えることとなるでしょう。・・・そう、これは謂わば、花嫁修行なのです!!」


 力説するバハラ。その瞳には薄っすらと滲んだ涙が・・・顔を振った勢いで、一滴が頬を伝う。

 愛しき妹分、ならぬ姪分とのしばしの別れだ。涙を飲んで我は彼女を見送ろう!

 きっと、修行を終えて戻ってくる頃には、見違えるようになっていることだ。

 ・・・厳しいからな、ベルメールは。


「・・・因みにその修行の期間ですが。カロリーリア様は魔王軍規定にある有給を、現在ほぼ手付かずで残しておられます。吸血鬼族の、更に最上位種である『真祖』ですので、換算しますと…80年程休暇を取得可能です。」


 そこまで話すと、セバスがちらりと我の方を見て来る。

 その目を見て、彼の言わんとする事が分かる。

 あー、はいはい、有給ね。構わんからMAXであげちゃえ。

 申請とかも最終的に我が決めるのだ、なら今許可する。


「・・・ちょうど魔王さまの許可を頂けました。軍務の方はお気になさらず、どうぞごゆるりと修行に集中なさって下さいませ。・・・配下一同、お帰りをお待ちしております。」


 そう言ってわざわざ軍式の敬礼をすると、魔法陣から離れる。

 ふむ、我もその時までに、良さそうな婿候補を見繕っておこう。

 80年などあっと言う間だからな。


「ちょっと、そんな話し・・・くっ、動けない!?待ってセバス!バハラ君!80年なんて、そんなに長くベル婆様の所に居るなんて冗談じゃ・・・!きゃーーー!」


 カロリーリアが光に包まれた。

 転移魔法が作動し、聞こえていた悲鳴がぷっつりと途絶える。

 目が眩む程の閃光は収まり、先程までその場に居た彼女の姿は既に無い。

 ・・・後は向こうで待機しているベルメールに任せればいいだろう。

 さらばだ!カロリーリア!!我は何時でも、お主の事を想っておるぞ!!


 相談室に訪れた静寂、どこからか「ふぅ・・・」と息をつく音が二つ。

 今にも沈みそうな夕日だけが、その全てを包み込むように、紅く室内を照らしていた。


 ●伍


「見てみておじい様!これお母様とお父様の写真ー!!」


 一人の小さな少女が、おじい様と呼ぶ男性にその宝物を見せようと、写真を手に駆け寄って行く。

 とてとてと小さな足を懸命に動かし、可愛らしく、少々危なっかしく階段を登る。


 ようやく椅子に腰掛けた彼の元へたどり着き、満面の笑みでその宝物を披露する。


「この間お家で見つけたの―。お母様すっごく綺麗でしょー!」


「おおっ!そうだねぇ・・・。よく写っておるよ、懐かしいなぁ・・・。」


 元気な彼女から写真を受け取り、それを眺めて笑う。

 これはまた、なんとも懐かしい。

 確か・・・軍を上げての式をあげたときのじゃないか?

 華やかなウエディングドレスを着た赤眼銀髪の花嫁と、凛々しい顔をしたタキシード姿の花婿が並んで写っている。


 ・・・そうそう、あの時は仲人を頼まれて大変だったっんだっけ?


「さあ、見せてくれてありがとうね。無くさないように大事にしまっておくんだよ?」


「はーい!」


 頭を撫でてその宝物を返してあげる。

 受け取った少女は元気な返事をして、その大切な写真を彼女お気に入りのポーチへと入れる。


 少女は男の膝の上に座ると、庭に植えた花が咲いて嬉しかった事とか、近所の男の子と喧嘩して勝った事だとかを楽しそうに男に話し聞かせる。

 すっかり少女を孫可愛がりする男。

 このなんとも緩やかで穏やか時間が、最近新たに出来た、彼の密かな楽しみである。


「ローレリア?そろそろ帰るわよー?どこに言ったの?」


 廊下から声が響いた。

 どうやら時間が来てしまったらしい、楽しい時間はあっという間だ。


「あっ、お母様が呼んでるわ!・・・はーい!お母様今行くー。」


 呼ばれた少女、ローレリアはスルリと男の膝から降りると、振り返り男に手を振る。


「それじゃあおじい様、またねー!」


「はい、またね・・・気を付けて帰るんだよ?」


「うん!」


 元気な返事を返し、階段を降りていった少女は、扉に向けて駆け出す。

 扉に手を掛た所で振り返り、花が咲いたように笑うと男にまた手を振ってから部屋を出ていった。

 母の元へと向かうローレリアを見送ると、ゆっくりと王座に腰掛け直すバーラル。

 母に似たのか、父に似たのか、本当にいい子に育っている。

 いずれくるだろう反抗期が、この世の終わりよりも恐ろしい・・・。


「失礼します・・・バーラル様、そろそろお時間です。」


「おお、セバスか。わかった、すぐに向かおう。」


 信頼する右腕が、影より現れ時間を告げてくれる。

 王座から立ち上がり彼に顔を向けると、そのまま更に言葉を続ける。


「それと、先ほどお帰りになられたカロリーリア様から、お土産に洋菓子のカステラを頂きました。」


「おお、カステラか!我はあのしっとりとした甘さが好きでねぇ…。」


「それでは本日のご休憩時にお出しいたします。」


「ふっふっふっ、今から楽しみだ。・・・では向かうぞセバスよ!今日もお悩み相談・・・頑張ろうではないか!」


 王座からスキップで降りていく彼は、今日もまた正体を隠して部下たちの悩みを聞き、そして解決するのであった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

楽しんで頂けたのなら幸いです。

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