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怪人クビカリ  作者: 七草園
2/2

明都の遊民

「あっはっは、左団扇よ! 左団扇!」

 賑やかな笑い声を出しているのは、眼鏡を掛けて、渋い紺のスーツを着た一人の男。年の頃は二十を越えた立派な大人でありながら、彼は無邪気にガッツポーズをとりつつ、革製のソファに偉そうにどっかりと座っている。

「うーん、旺井さん、やっぱり犯罪じゃないの?」

 お茶を盆に載せて運んで来たのは、矢張りスーツを着込んだ男で、先の男ほど偉そうな感じは無いが、かと云って卑屈そうな感じは全然しない。と、云うか根本的に人間としての気配が薄い。

 彼は持って来た茶をテーブルに置くと、自分も向かい側のソファに座って、茶を啜り始めた。

「ハ? 犯罪? ナンノコト? ワシ知ラナーイ。安原君何寝惚けた事云ってんの?」

 旺井と呼ばれた男は、置かれた茶を飲みながらとぼけている。

「だから、さっきの人のこと」

 つい十分程前、この部屋にはもう一人の人物がいた。彼は探偵である旺井を尋ねて来たのであった。いかにも風采の上がらぬ四十男で、自分の妻が浮気をしているのではないか、それを調べて欲しい、と兼ねてから依頼していた人物であった。その結果が出たために、彼を再び事務所であるこの部屋に呼び寄せたのであった。

「で、で、結果は、どうなのです?」

「あー、大丈夫。単なる妄想ですね。妄想。奥さんは潔白です」

 慌てていて、ちっとも落ち着きの無い依頼人に対して、流石に旺井はどっかりと見事に構えている。

「・・・・・・本当ですか」

「本当」

「本当に本当ですか」

「本当に本当」

「本当に本当に・・・・・・」

「やかましいッ! わしが本当ッて云ったら本当なのッ!」

 男はまだ何か聞きたそうにしていたが、旺井の気迫にスッカリ圧されて押し黙った。

「あー、兎に角。これまでに掛かった費用を含めた料金を請求しますので、速やかに払って下さいね」

 旺井が合図をすると、彼の助手を勤める安原睦が事細かな事が書かれた請求書を持って来た。それは法外とまではいかなくても、中々容易に払う事の難しい金額が書かれていた。

「まあ、急がなくッてもいいので。探偵組合の方でローンは組めますから。では、又今度」

と、云うような一方的とも云えるやり取りが行われていたのであった。

 では、何が安原の云う犯罪なのかと云うと、話はさらに遡って、一昨日の夕方へと戻る。

 紅い夕焼けが窓から差し込んで来る喫茶店で、旺井は一人の客人を迎えて話をしていた。客人は女である。嫌に化粧の濃い、四十に手を伸ばさざるを得ないにも関わらず、必死に自然に抗い、人工物に身を委ねきった女である。

「話とはなんですか」

 女は繕ったような猫なで声で旺井に云った。

「単刀直入に云うと、私は探偵で、あなたの旦那さんから浮気の調査依頼を受けてるんです」

 旺井は事も無げに云う。女は一瞬ビクリとしたが、注文しておいた紅茶を啜って自分を落ち着かせようとしていた。この反応だけでも、既に黒。

「ほほほ、証拠なんざ、無いんでしょう?」

「ああ、それなら、既に浮気現場の写真を抑えてあるので十分です」

 旺井は鞄から一葉の写真を取り出すと、それをテーブルの上に置いた。確かに、浮気をしている写真の証拠だけあって、非常に分かりやすく、二人の男女が逢坂の関へと足を運ぼうとしているのが確りと捉えられている。勿論、男女の内、女は今現在旺井の前にいる女。彼女は卒倒しそうになりながらも、必死に堪えて写真を穴の開くほど睨み付けている。

 旺井はサッと写真を鳶のようにさらっていってしまうと、大事そうに鞄の中へと仕舞い込む。

「ただ、問題なのが、この写真は一枚しかないんですよ。つまり、これがなくなったら、証拠は無し。あなたは浮気なんかしていないと云う結論が出ますね」

 女は今度は鞄をじっと見詰め始める。気配を察した旺井は芝居掛かった様子で鞄をひしと抱き抱える。奇妙な間が二人の間に流れた。それを破ったのは旺井の方であった。

「まあ、私も鬼じゃないんで、実際、奥さんの家庭を壊したくはないんですよ。いいですか、私の目的は家庭を壊す事では無いんです。別にあるんです」

 女は、はあ、と曖昧な返事。ここで又奇妙な沈黙。

「別なんですよ」

 旺井は再びその言葉を云った。

「つまり・・・・・・?」

「つまり、誠意を見せてもらいたいだけです。そう、誠意を。いいですか? 私はお金なんて脅迫染みたことは全然、これっぽっちも云ってません。ただ、私の大好きな物はお金です」

 分り易い旺井の説明に女は少しの間黙っていたが、背に腹は変えられぬと悟ったのか、意を決し、

「わかりました。今日の中に相談してから出来るだけをお支払い致します。明日で宜しいでしょうか」

 相談する相手は勿論件の浮気相手なのだろう。だが、出所が何処であれ、物は物、金は金。旺井には関係の無いこと。

「ええ、大丈夫です。では、また明日、夕方ここでお会いしましょう。その時に交換と云う事で」

 そうして、その翌日、即ち昨日の夕方交渉は易々と成功し、旺井は彼の云う所の誠意を十二分にせしめる事が出来たのであった。

それに加えて、今日は依頼料の請求さえもぬけぬけと行い、彼はうまうまと二重の利益を得る事となるのだった。嗚呼、彼のような犯罪的探偵がかくも堂々と往来を闊歩する事を許されていようとは。果してそれは許容されることなのであろうか。と、嘆いてはみても、彼のような犯罪的探偵は此の頃の明都においては少なからぬ(やから)である。然も、脅迫の強みである所の不起訴――相手に弱みがあるための――は益々このような犯罪を広げる要因となっていた。

「だから、あれは結果論に基づく事よ。いい? わしがもしあの依頼人にそのまま浮気をしていましたッて報告をしたとするでしょ」

 旺井が身振り手振りで話を始めたので、安原は、うんうん、と頷く。

「そうしたら、あの家庭は破滅。下手したら離婚か、最悪、嫉妬に狂った夫が妻を殺害! ッてな三文記事になっちゃったかもしれないわけよ」

「そうかな・・・・・・」

「そうに決まっとるじゃん!」

 旺井論法に疑問を抱きかけた安原を、旺井が地元の訛りを丸出しにして制す。

「そこで、このわしがそんな未来の不幸な一家を救うべく、立ち上がったわけよ。いい? 分かる?」

「うーん・・・・・・」

「さらに、なんと、この交渉はお互いの利益を得ると云う特典付き。これはもう買うしかないッ。さあ、買った買った!」

「買わない買わない。それよりも、やっぱり旺井さんが得するだけなんじゃ無いの?」

 云い方は柔らかいが、物事の本質をピタリと云い当てられた旺井は、

「あっはっは。細かい事は気にしなーい」

笑って誤魔化した。

「まあ、不景気だしね」

 安原はその言葉で目前の一犯罪を片付けてしまうと、又お茶を啜った。結局、何の彼のと云っても、旺井の助手を勤める以上、利益が多ければ多い方が自分も助かるのである。結局、彼も犯罪者の片棒を担いでいるのであった。

「そうそう、不景気が悪いのよ。不景気が。・・・・・・景気良くッてもやるけど」

「根っからの犯罪者なんだね」

 安原は笑顔で云った。旺井は素早く云い返す。

「違うに。わしは只単にお金が好きなだけだにん」

 実際、彼らの云う通り、明都は新都市となり心機一転したものの、経済的には暗かった。原因としてはこれまで経済的にべったり依存してきた諸外国の没落が大きかった。それに付随して今の今まで没交渉にあった国々の台頭も原因となり、現在の景気は矢張り良くない。幸か不幸か、東海大震災の罹災の際に、それら諸国から援助があり、これに対してのお礼としての行動はしてきたので、その点の助長次第によっては経済の見通しは付くかもしれない。然し、それは何年先になるかも分からぬことであり、希望的観測を信頼できる程人々は寛大では無かった。なにせ今日を食わねばならぬ。

明都はその名前と見た目に反して犯罪の多い都市である。大から小まで何でもござれ、とばかりに犯罪が毎日の様に幾らでも興きる。とは云え、無法都市ではないので一応国家の機関としての警察機構がそれらの犯罪を取り締まってはいる。

かくて、犯罪は日常茶飯事と相成り、余程風変わりな事件でもないと人々の目の前から見られぬ場所に追いやられた。追いやられたと云うのはいささか不適切な表現やも知れぬ。人々は情報媒体を頼らずとも、眼前で犯罪を収める率が増え、そのために改めて犯罪情報を得る必要性が無くなったと云った方が適切であろうか。

犯罪は一種の非日常であった。それが故に、日常から逃れぬ事の出来ぬ人々に一種の刺激を与えていた。犯罪を伝える情報媒体はそれらを求める人々に必要なものだったのである。然し、ある種の犯罪は非日常から、日常へと姿を変えてしまった。ここに於いて、犯罪は奇妙な意味で堕落したのである。

二人が茶を啜りながら寛いでいると、不意の来客があった。扉をノックする音が聞こえたので、二人は慌てて客を迎える準備をする。安原が茶を片付け、旺井が扉を開くと、そこには白衣の目立つ一女性、猫眼真名が立っていた。

「なに、あんたなの。で、何の用?」

「客に向かってその聞き方は無いだろう」

 二人は知り合いであるらしく、客に対してだけは丁寧な物言いの旺井も猫眼に対してはぞんざいな口調で物を云った。

「あ、お久しぶり。猫眼さん」

 奥の方から安原が声を掛けて来る。

「うむ、久し振りだな。安原君」

 猫眼は旺井を無視して勝手に中へと入って行くと、これまた、勝手にソファに座った。あまつさえ、悠々と煙草に火を点け始める始末である。安原は健気にも、猫眼のためにガラスの灰皿と茶を持って来てテーブルの上に置く。

「ご苦労」

「いえいえ」

 すっかり主従関係が成り立っている。犬は食っても気に食わないのは、旺井。

「おい、こらッ、あんたは人の事務所で何やっとるのよ! 安原も普通に接待するなッての!」

 オラッ、とばかりに安原に拳を突き出し、殴ろうとするも、安原も手馴れたもの。それをひょいとかわして悠々と奥へと引っ込んで行ってしまう。

「ちっ、かわされたか・・・・・・わしもまだまだね・・・・・・」

 非常に残念がる旺井に猫眼は挨拶の積りなのか、しれっと大それた事を聞く。

「で、此の頃の犯罪稼業の景気はどうだ」

 旺井は仕方無しに猫眼の対となる位置に腰を下し、

「犯罪って、あんたね、人聞きの悪い事云わんでくれる」

「ゆすりにたかり。これを犯罪と云わずして、何と云う」

「んなことしてないッての」

「どうだかね。私がここに足を運ぶ前に、ビルディングの入り口で中年男性が溜息を付いていたぞ。察するに、貴様の所に細君の浮気調査でも何でも依頼して、それを種に金品をせしめたのであろう」

 全ての行動を読まれた旺井は逆切れして、やかましいッ、と怒鳴ったが、猫眼は丸で柳に風。ゆったりと白煙を棚引かせている。

「ハッ、どうせ私は下世話な探偵家業ですよ。そうでもしなけりゃ生きていけないの」

「さて、本題に入るがね。その下世話な探偵君に今日は上世話をしてやろうと云うのだよ」

 猫眼は煙草を灰皿に押し消した。

「上世話? 何よ?」

「人を探してもらおうと思ってな。報酬は弾むぞ。探して貰いたいのは、首に対して執着を持ち合わせている人間だ」

「なんじゃそりゃ! 出来るかッ!」

 猫眼が余りにも自信満万に云うのを、旺井は両の手で机を、どん、と叩いて全力で断った。猫眼はやや意外そうな顔をして、

「何だ。出来ないのか。明智や法水先生なら快く引き受けてくれるぞ」

と、言葉を返す。旺井は突然記憶に預からぬ人名が出て来たので、猫眼に尋ねる。

「は? 誰それ?」

「知らないのか。少しは学を身に付けたまえ。探偵で明智と云えば、乱歩の明智小五郎。法水先生と云えば、小栗虫太郎の法水麟太郎に決まっているでは無いか。常識であろう。江戸川乱歩と云えば、云うまでも無き、彼の探偵小説界において欠かすことの出来ぬ人物であった江戸川乱歩。後者の小栗虫太郎とは、彼の大作『黒死館殺人事件』で名高き、ペダントリーの魔術師、小栗虫太郎のことだ。そして『黒死館』と並び称されるのが矢張り、夢野久作の・・・・・・」

 長談義をされるのも弱るので、旺井は余り興味も無さそうに、適当にあしらう。

「ああ、小説ね。わし、あんたと違ってあんまり読まんから」

「情けない」

 猫眼は旺井にこれから探偵小説の数々を披瀝しようと思っていたのだが、出鼻を挫かれた為大人しく引き上げる。

「まあ、それは兎も角。なんでそんな人物を探して欲しいわけ?」

「引き受けもしない、無能な探偵君に教授してやる義務は無いが、折角来たわけだから一つしてやろう」

「あんた、わしに喧嘩売っとる?」

 旺井はずいと身を乗り出して、猫眼を睨み付ける。猫眼は愉快そうに、

「アハハ、私の喧嘩は存外高いぞ」

と切り返す。その言葉を聞いた旺井は身をぐいと背もたれの所にまで引き戻し、

「じゃあ、止めとく。ただと高いものには手を出さない主義だから」

 旺井が彼の信条に従うのを見ると、猫眼は漸く話をし始めた。

「さて、貴様は今朝方放送された奇怪なニュースは知っているかな。首を切られた変死体が見つかったと云うやつだ」

「ああ、良くは知らないけど。一応見た」

「当局は怨恨の線で捜査を固めたらしいがね。あれは私から見れば全くの見当違いなのだよ。これは怨恨ではない。無差別的な殺人だ。そうして、犯人は首に対してフェティシズムを有する変態性欲者の仕業なのだよ。それで、云い方が妥当ではないが、『首マニア』を探し当てる事が出来れば、此度の犯罪の犯人が見つかるのではないかと思ってね」

 旺井は猫眼の言葉を黙って聞いていたが、言葉が終ると同時に間髪入れずに云って来た。

「相変わらずと云うか、なんと云うか・・・・・・。確かにその事件を単なる怨恨として進めるのにも無理があるとは思うけど。かと云って、あんたの意見にも賛同出来んわ」

「そうかね。どうだ、貴様はこの事件に対して何か独自の意見を持っているかね?」

 旺井は少しばかり考えてから答える。

「と、云われてもねえ。まだ事件の片鱗しか知らんから。葛城なら少しは情報持ってるかも知れないから、会ったら聞いてみるわ。そこから何か思い付くかもしれんし」

「そうだな。だが、現時点で一つだけ断言出来ることがある。それは、この事件が間も無く繰り返される、と云う事だ」

 その言葉を聞いて、旺井が妙な考えを働かせたのか、猫眼にある提案を示した。

「例えそうだとしても、あんたの推理が正しいわけじゃないにん。で、ここは一つ賭けをしない?」

「賭け?」

「そう。この事件の推理をして、見事に突き当てた方が勝ち。負けた側は勝者に十六夜で幾らでも奢る」

 十六夜とは彼らが時たま飲みに出掛ける飲み屋也。

「十六夜か。良かろう。あそこの海鮮サラダは絶品だからな」

「あっはっは、金と食い物が掛かった時にこそ、わしは真価を発揮するのよ。後悔しりんよ、猫眼真名!」

 ビシッ、と云う効果音の出そうな勢いで、旺井は人差指を猫眼に突き付けた。

「貴様の方も、証拠が無いとか、笑って誤魔化すのは無しだぞ、旺井忠仁」

 猫眼も負けじと、ビシッ、と云う効果音の出そうな勢いで人差指を旺井に突き付けるのだった。


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