吹きすさぶ風の中で貴女に言いたいひとつのこと
謎解きというよりは、あの頃のあの人に伝えられたなら…という感じのお話です。
よろしくお願いします。
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20XX年1月20日 AM8:08
「えっ…」
信じられないものを見ると、人は本当に動きを止めるものらしい。思わず私は歩を止めた。
そこがスクランブル交差点の真ん中だというのに。
次々に人が来ては何とか私を避けていくが、時には肩がぶつかってしまって嫌な顔でこちらを睨んで去っていく。
しかし私は謝るのも忘れて、ただ一点を呆けたように見つめていた。
昨日降った雪(積もるほどでも、交通に多大な影響を与えるほどでもなかった)のせいか、いつもより強めの風が吹く。だけど私は刺さるような冷たい風も、それがトレンチコートの裾を捲り上げようとするのも気にならなかった。
それどころではないことが、私の頭の中を占領していたからだ。
「…うそぉ。」
見つめる視線の先には一人の女の子。
赤いランドセルに、某猫のキャラクターが使われた給食袋がぶら下がっている。学校指定の黄色い帽子が、栗色のツインテールのせいで少し浮いている。
少女は私とすれ違う。こちらに全く注意を向けることなく。
「待って」と追いかけようと振り向くと、ちょうど青信号が点滅し始めて鳥の電子音な鳴き声も止まる。
ふと我に返り「遅刻するわけにいかない」なんて考えが浮かんだので、仕方なく急いで渡り切ることにした。
再び振り返ると、そこには見慣れた風景。もう女の子の姿は無い。
(ヤダな…白昼無?)
私はアハハとかすれ気味に笑って今見た全てを忘れようとする。
でも、本当にあの子なのだろうか…。と、どうしても考えてしまう。
しかし同い年のあの子が小学生の姿であるはずがない。
ありえない。
だって、私はもう成人しているのだから。
-2-
あの子との関係は「ただのクラスメート」だった。
確か3、4年生の時に一緒のクラスになった。
名前は、失礼だけど覚えていない。ニックネームが強烈すぎたのだ。
ほかの子からは“デ”と呼ばれていた。なぜ“デ”なのかは知らない。
“デ”は静かな子だった。と言うとまるで“デ”が品の良いお嬢様のようなので、正しく「根暗」表現しよう。
“デ”が仲良しグループのどれかに入っているのを、私は見たことが無かった。いつも一人で何かをしていたように思う。
私の入っていたグループにいわゆる世話好きサンがいて、よく“デ”を誘い入れようと声をかけていたのだが、毎度フラれていた。
笑った顔も見たことが無い。いや、怒った顔や悲しい顔すら見たことのある子も居なかったのではなかろうか。
小柄な“デ”は大きな黒縁メガネをかけていた。しかし“デ”が読書家らしいことをしているのは見たことが無かった。暗くてメガネというと文学少女が思い浮かんでしまうのは漫画の読みすぎだろうか。
-3-
なぜ“デ”はあの交差点に、あの時のままの姿で居たのだろう。
私は職場のデスクでパソコンを操作しながら思案する。
ああいうのがユーレイってやつなのだろうか。いやいや、勝手に殺したら失礼だ。それとも他人の空似だろうか。世界に3人は同じ顔の人が存在するときいたことがあったような。母親の遺伝子が強すぎるが、“デ”の娘ということも考えられる。
仕事をこなしながらも私の思考は止まらない。
そうこう考えていると、ふとある記憶がよみがえってきた。
-4-
あれは小学校4年生の時の持久走大会。走るのが得意だった私の、いわば晴れ舞台だ。
朝からウキウキとしていた私は、張り切って6枚切りのトーストを2枚も食べた。
今年から校庭ではなく学校の外に出て走る。楽しみだ。
ダサいから着たくない学校指定のジャージも、この日はなんだかうれしく感じる。
学校に着くと、もう半袖短パンの男子もいた。冬に近づき、ジャージ姿でも寒いと私は思っているのに。元気というかバカというか。
スタート地点に集まれ、と先生が合図してからジャージを急いで脱ぐ。鳥肌が立った。
前半、私は3位の位置を走っていた。
抜ける、このままの差なら抜ける!
私のテンションはどんどん上がる。
ところがここにきて、おなかがシクシクと痛み出してきた。始めは気のせいだと思い込んで無視したが、だんだん本当に痛くなってくる。
ペースが…落ちる…。
1人2人と私は抜かれていく。
10人くらいに抜かれて、とうとう私はその場にうずくまってしまった。
みんなはチラと私を見るが、通り過ぎていく。
それに対して「先生を呼んできて」とはとても言えなかった。なぜなら、この持久走大会の順位で2学期の成績が大きく左右されるから。
私のせいで誰かの評価を下げるわけにはいかない。なんてイイコぶったことを思っていたのも事実だが、痛すぎて声が出せなかったのが一番の理由だったのだけれど。
すると、ヌッと手が差し伸べられた。
顔を上げると、そこには“デ”がいた。
「ダメ…立てない」
消えそうな声で私は言う。痛さはMAXに達していた。だから続けて「いいから先に行って」と言おうとしたのに、もう声にならなかった。
“デ”が手を引っ込める。
分かってくれたのかと思ったが、次の瞬間に“デ”は私の左側に座り込んだ。
沈黙。
横をチラと見ると、何か一点を見つめる真剣な表情。
短くもあり長い時間が過ぎたように感じた。
誰かがゴールしてから先生に告げてくれたらしく、担任の先生が来て私はその背に乗せられた。
“デ”は始めから終わりまで一言もしゃべらなかった。
「お前は最後まで走るか?」と先生が“デ”に尋ねる。
最後まで走らなかった者は5段階評価で1にされてしまう。(体調不良など理由のある者に対しては、後日走り直しをさせてくれるので2はもらえるが。)
“デ”は頷いてすぐに走り出した。
だから私は言う機会をなくした。
「ありがとう」と。
ずっと付いていてくれたのに。
-5-
1月20日 AM9:19
「正子さん…?」
あれが正子ならば、妻を見たのは実に7年ぶりのことだった。
31年前に見合い結婚した私たちは、貧乏ながらも時に夫婦喧嘩をしながらも、長い目で見れば仲睦まじい夫婦だったと思う。
挙式もすることなく、ましてや新婚旅行に連れて行ってもやれなかった。でも正子はそれについては不平を言ったことは一度も無かった。だから私は、子供たちが大きくなり一段落着いたらせめて温泉旅行に連れて行ってやろうと思っていた。
正子は私に気付くことなく、スクランブル交差点を斜めに横断しようとしている。私と同じ方向に。
しかし、濁流のごとき人波に流されるままの私と正子は、一向に近づくことはない。必死に人をかき分けようとすると、皆が迷惑そうに顔をしかめる。
そうこうしているうちに、正子はこちらを見ることもなく人ごみの中にいつの間にか消えていた。
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私の頭の中は約10年前にさかのぼる。
「ごめんね…一夫さん」
もともと体の弱かった正子が床に臥すようになってからの口癖だ。正子が臥せってから看病のためと職を変え一層暮らしに余裕がなかった。それを気にして負い目を感じているようだった。
しかし生活が苦しいことも、正子の世話をすることも私にとって苦ではなかった。それを決めたのは私なのだから。単なる自己満足とも言えるが。
そしてこれもその自己満足の1つだろうが、どこにも連れ出してやれなかった私を正子が責めてこなかったのがとても辛かった。
結婚して1年も経たずに長男が生まれ、その翌々年に次男が生まれ。育児に追われているうちに「今更デートも無いだろう」という歳になり。
息子たちが小さいうちに家族旅行に行けばよかったのだが、言い訳をすると日々の暮らしと教育費で手一杯なくらい、お金に余裕がなかった。大きくなってからも金銭面の問題は続いたし、親と一緒に行動なんかしないので尚更だ。
だが、今思うと多少強引にでも医者に許可を願い、行くことももしかしたらできたかも知れない。
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夕方に帰宅すると、長男の嫁しかまだ家に居なかった。
干し魚を焼く、いいにおいが漂っていた。
私は長男夫婦と同居していた。
朝の出来事を1番に息子に伝えたかったのだが、もうこれ以上我慢できなかった。
「菜々さん。今朝、あの街中の大きな交差点で正子さんを見たよ。」
菜々は料理する手を止めずに「へぇ。」と微笑む。そして、「良かったですね。」と言葉を続けた。
私はその言葉を素直に受け取れなかったが、あえて何も言わないことにした。菜々の言葉に悪気はないのだろうことは分かっている。しかし、心から私の言葉を信じてくれてないことも分かっていた。
私は、ボケてしまったと思われないためにもそれ以上の発言は控えることにした。
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夜中。私は1人、布団の中で思う。
正子はなぜ今更…7年も経ってから私の前に現れたのだろう。正子は亡くなったはずだ。ではあれは幽霊なのか。
それとも、この7年間私が気付かなかっただけで実は正子は死んではおらず、記憶喪失にでもなって第2の人生を歩んでいたというのか。
なんでもいい。もう1度会いたい。
私は次の日、またあの交差点に向かった。
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1月21日 AM8:07
「デ!」
「正子さん!」
2人が同時に1人に呼び掛けた。
「え?」
驚いたのは呼ばれたほうではなく、呼んだほうの2人だった。
“デ”の父親だろうか、と私は一瞬思う。仮にそうだとして、自分の娘を“さん”付けで呼ぶだろうか。
私がそんなことを考えていると、一足先におじさんは“デ”に話しかけていた。
「正子さん…正子さんなんだね。会いたかった…本当に。」
そこで私は違和感を覚えた。そしてすぐに気付く。
おじさんの目は、“デ”の目を見ていなかったのだ。帽子のさらに上。何もないところを、しかし確かに何かと視線を合わせているかのように見つめている。
「正子さんの笑顔…あの頃のままだ。」
“デ”は笑ってなどいなかった。
―10-
「あの…」
私はハッと、正子から隣のOLらしき女性に視線を移す。
「つかぬことをお聞きしますが…見えているかたの容姿を教えてもらえませんか。」
変なことを聞くOLだなと思いながらも、私は正子の紹介を始めた。
「…見ての通りだが、」
と前置きをして。
パーマのかかった白髪混じりの短めの髪。灰色のショートコートから、黒いタイトスカートが見えていて。そして黒のショートブーツをはいていた。歳は…病気が良くなっているのか少し若く見えたので、見た目は40代くらいだと私は告げた。「まぁ、お上手。」と正子が照れ笑いする。
私の言葉が終わるのを待って、OLが「私の見えている子の容姿を言いますね。」と勝手に話し出した。
「歳は、小学校3、4年生程度です。」
「え、ちょ、ちょっと」
私が早々に遮ると、「いいから聞いてください。」と強く言われてしまった。そのあまりの真剣さに私は黙ることにした。正子が不安そうに見てくる。
髪の毛は高い位置で2つに縛っており、黄色い帽子をかぶっている。紺色のダッフルコートをダブダブと着て、赤いランドセルを背負っている。とOLは一息に説明した。
「…要するに、あなたと私で見えている人が違うということかい。」
「はい。」
信じられない、と私は再び正子を見る。
OLが正子に話しかけ始めた。まるで小さい子に対するように、目線を合わせるためにしゃがんで。私には正子のお腹に話しかけているように見えた。
「ねぇ、“デ”。あなたならナゼなのか分かってる?」
正子は困惑したようにOLに「分からないわ。」と言った。
「…ねぇ、こんな時にもあなたは何も言ってくれないのね。」
正子の声は決して小さくなかったが、OLには聞こえなかったようだ。
―11-
2人がソレに話しかけた時、スクランブル交差点を行きかうほぼすべての人が足を止めてソレを見ていた。そして、「信じられない…」とつぶやくのだ。
もちろんみんなは“デ”の知人でも、正子の知人でもない。
みんなにはそれぞれが心に残している人を見ていたのだ。ある人は行方不明になったペット。またある人は急な転校で音信不通になってしまった友人、などなど。
パッパー!ビービー!
車のクラクションで、信号が赤に変わっていることにみんな気付く。人々は慌てて動き始めた。
そうこうしているうちに、いつの間にかアレは消えていた。
―12-
1月21日 PM10:04
TVのニュースで私は真実を知った。
有名な大手映像会社が試作品の披露をしているのが映っていた。
スクリーンを下に敷いておくと、立体映像が見えるという。で、あの交差点に長々とクロスするように敷いてあったようで。そして、カルガモの親子の横断を映していたということだった。
「多くの通行人が足を止めてしまい、交通に影響が出てしまいました。」とその時の映像が流される。
私には“デ”に見えたが、それはなぜだったのだろう。それにあのおじさんが見た正子さんは…。
それでもいい。と私はチャンネルを変えた。
アレが普及したら、もしかしたら私はあの頃の“デ”に言えるのだ。アレは“デ”本人じゃないから、言えても私の自己満足であり勝手なのは分かっている。でも、私はまさにあの頃の“デ”に言いたいのだ。
「ありがとう。」と。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
あの時あの人に言えなかったこと。それがたくさんある私の後悔から生まれた作品です;
つたない文章ですが、すこしでも楽しんで読んでいただけたなら幸いです。
ありがとうございました。