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家の手伝いをしながら、学校に通い、特別授業を受ける日々が続く。私は空いた時間に字を勉強して、少しでも綺麗な字を書こうとした。けれど、教科書に書かれたお手本の字と実際先生達の書く字の形は違うのだ。書き文字は書く中で崩されていくものだ。
「書き文字のお手本がほしいな……」
私は枝を手に考える。
「そうだ、ユーリス先生にお願いしよう」
私は早速学校に走った。ユーリス先生の家は学校の裏にあって、煙突からはもくもくと煙が出ていた。ドアをノックしてみる。
「はーい」
中から間延びした返事が聞こえた後に先生が出て来る。
「おや、どうしましたスカーレットさん」
先生は口元を布で覆って、ところどころ汚れたクリーム色のエプロンを着ていた。
「先生、今お忙しいですか?」
「えっと、ですね。今は薬を精製中で。もうすぐ終わりますから、少し待っていて貰えますか?」
「はい!」
家の中に入れて貰って、私は開いた椅子に腰かける。
「では、少し待ってくださいね…!」
先生は工房の奥に走って行った。忙しい時に来てしまったらしい。家の中は凄く綺麗だった。沢山本や、魔法の道具があるのだが、全てが綺麗に棚の中に収まっている。先生はとっても几帳面な人らしい。それに、調度品がやたらかわいいのだ。椅子の上には毛糸で編まれた花柄の敷物が置かれていた。男性の部屋と言うより、おばあちゃんの部屋といった感じである。棚の上に、綺麗な女の人の精巧な絵が飾られていた。
それを眺めていると、工房の奥でバタバタと音が聞こえた後に、小さな破裂音がする。しばらくして先生が出て来た。
「お待たせしました」
「先生……失敗しちゃいましたか?」
やっぱり間が悪かっただろうか。
「いいえ、精製は成功ですよ」
あの破裂音も想定内だったらしい。私は胸を撫で下ろす。
「それで、ご用はなんですか?」
先生が手に持ったポットのお湯を、ティーポットに入れる。
「字の勉強をしたいんですけど、教科書に載っているような字じゃなくて、先生達みたいな綺麗な字が書きたいんです。それで、ユーリス先生にお手本を書いて貰えないかと思って……」
ユーリス先生はテーブルの上にお菓子の載ったお皿を並べる。
「もちろん良いですよ。すぐにお手本を書きますからね。スカーレットさんは、ここでお茶を飲んでいてください。お菓子もどうぞ」
ユーリス先生がにこにこして応える。この先生、本当に良い先生なのだと思う。こんな非番の日に訪ねて来た生徒を快く迎え入れて、無償で勉強に手を貸してくれるなんて。
「い、いただきます」
私はお菓子に手を伸ばして口に入れた。久しぶりのお菓子はすごく美味しかった。村にもお菓子屋はあるのだが、スカーレットの口に入る事はない。たまに学校で配布されるお菓子を大事に食べるだけだった。
「紅茶、熱いのでお気をつけください」
そう言って、先生は机に座る。紙を出して、羽根ペンでさらさらと字を書き始める。私は紅茶を飲みながら、お菓子を食べて幸せな一時を過ごした。
「スカーレットさん、身体の具合はどうですか?」
「なんともないですよ」
「それは良かった、魔法を使うと気分が悪くなってしまう子もいるんですよ。もしも身体がおかしいと思った時はすぐに来てくださいね」
魔法を使って気持が悪くなるってどんな感じなんだろうか。
「それにしてもスカーレットさんの魔力量には驚きますね。いずれきちんと、魔力量の底を測定しましょう」
今のところスカーレットは授業中に一度も魔力切れを起こした事がない。
「はい」
魔法を制御出来るように、自分の限界値は知っておかなければいけない。
「先生はいつからこの村にいるんですか?」
「私ですか? 私は丁度、一年前からこちらに居ます。子供達に魔法学を教える先生が必要だと言う事で白羽の矢が立ちました。まだ先生としては新米ですね」
ユーリス先生が顔を赤くする。結構、若い先生なのかもしれない。
「以前は、何をなさってたんですか?」
「私はコノート国で研究者をしておりました。教授の下について、毎日研究をする日々ですよ」
そう聞くと、そちらの方が待遇は良かったのではなかろうか。
「どうして辞めたんですか……?」
「そうですね……やはり上には上がいるもので、私はだんだん行き詰まるようになりまして……研究者には向いていなかったんですね」
ユーリス先生は少し悲しそうな顔をする。
「そういう事もあって、子供達の新任の教師を探しているという依頼を受ける事にしました」
ユーリス先生はおっとりしていて優しいし、それでいて教え方が上手なので先生に向いてる人だったんだと思う。
「ふむ、こんなところでしょうか」
先生が私に紙を見せてくれる。数枚の紙に綺麗な文字が書かれている。
「ありがとうございます!」
「いえいえい、このくらいお安い御用ですよ」
その時、扉をノックする音がする。
「おーい、ユーリス。開けてくれー」
扉の向こうから聞こえる声に聞き覚えがあった。
「はいはい、お待ち下さい」
先生は慣れた様子で、誰か尋ねる事もなく扉を開ける。
「ふー、重かった」
よたよたと木の箱を抱えた男が入って来て、床に置く。
「あれ、スカーレットちゃんじゃないか」
そう言ってこちらを見た赤髪の男性はクラビスさんでした。
「こんにちは」
「おや、お二人は知り合いですか?」
「そうそう、森でよく合うんだ」
「森ですか? なるほど、フィールドワーク中に会ったんですね」
クラビスが空いた椅子に座ると、ユーリス先生が紅茶を淹れる。
「言われてた材料買って来ておいたぞ」
「ありがとうございます」
二人とも仲が良いみたいだ。
「不思議そうな顔してるね。僕とユーリスは同期でね、コノートで一緒に勉学に励んだ仲なんだ」
確かに二人ともコノートから来たと言っていた。コノートには、きっと有名な学校があるのだろう。
「それで、今はこの村を拠点にしてるから、彼の家でお世話になってるってわけさ」
一緒に住んでるのか。どうりで、ただの友人にしては距離が近いと思った。
「スカーレットちゃんはどうしてここへ?」
「彼女は勉強しに来たんですよ」
「なるほど、それは感心だ」
クラビスが私の頭を撫でる。それが、くすぐったかった。
窓の外を見ると日が落ち始めていた。
「あの、そろそろ家に帰ります。ありがとうございました。お茶も美味しかったです」
「いえいえ、また遊びに来てくださいね」
「うん、是非来たまえ」
二人は手を振って見送ってくれた。クラビスさんとユーリスさん、一緒にいるといつもと雰囲気が違って面白かった。
つづく