バイスタンダー ~その後悔~
ふとランキングを見て……二度見しました。
日刊エッセイランキング10位ありがとうございます。
バイスタンダー ――この言葉を知っていますか?倒れている人が今、すぐそこにいる……そんな現場に居合わせた人のことを指します。近年救急車の不要な要請の増加、それに伴う到着時間の遅れに対してバイスタンダーの重要性が増しています。そんなバイスタンダーに主に期待されているのは、心臓停止や心微細動といった文字通り一秒を争う事態の時の初動対応です。その為に、日本赤十字社や各消防本部では多くの講習会をおこなっています。では、一見してその様な緊急性が考えられない時、バイスタンダーはどうするべきでしょうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
武夫は普通応急手当Ⅰ――標準的な成人に対する応急手当を習得していると消防署が認定する資格――を持っていた。そんな彼はある雨の日、自転車での通勤中にサイレンを鳴らしながら走る一台のパトカーを見た。そのパトカーは武夫の待っていた交差点に差し掛かると、彼の進もうとしていた方向へ曲がっていった。信号が青になり武夫が自転車を漕ぎ始めると、その目に赤い閃光が飛び込んできた。
そこには先程のパトカーが止まっていた。その脇にはパンパーが外れた軽自動車。更にそこから約4m離れたところに前輪が大きくひしゃげたスクーターと、そのライダーが倒れていた。明らかに出会い頭、しかも軽自動車が相当な速度を出している事故だった。
ライダーの被っていたヘルメットは脱がされ、歩道の隅に仰向けに横たえられている。その頭部の辺りには、軽自動車の運転手と見られる女性が座っていた。臨場した二人の警察官のうちの一人は交通整理を始め、もう一人は状況把握に向かっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あなたはこの状況でどうしますか?
私は上級応急手当を持っています。そして、更に上級の応急手当普及員を取るべく、応急手当の勉強をしています。この状況で私がとった行動は、特に手当をせず通りすぎることでした。言い訳がましいですが、私は急いで通勤していた訳ではありません。しかし、私はその状況でできることが思い浮かびませんでした。交通事故において4m以上も吹き飛ばされる様な状況では、頸髄損傷(=損傷部位より下が全てマヒする)が懸念されます。しかし、その対応には専門の資機材が必要です。一般人が対応できるものではありません。また、既に警察官が臨場している場所に入っていくことで、現場を混乱させてしまうのではないか……そのような考えが頭に浮かび、その場を通り過ぎたのです。
後になって私は考えました。私の行った対応は間違っていたのではないか。今ではその様に思います。その間違いは罪に問われる類のものではありません。しかし、道徳的な面から考えた人間として――英語で言うところのsin――、また応急手当の技能保持者として間違っていたと考えています。
日本救急医学会が発表している病院前手当ガイドライン(JPTEC)では、四輪車と二輪車同士の事故で発生した傷病者、5m以上飛ばされた傷病者などを「高エネルギー外傷」と呼びます。これは、このような状況では頸髄損傷・体外への大量出血・内臓損傷・心停止などの重篤な症状が発生しやすいからです。
そう、この状況では心停止の可能性が十分にあったのです。
「大丈夫ですか?」
その一言を発することは私にとって、とても難しいことでした。そして、あの光景は苦い思いと共に未だに鮮明に思い出せます。