VII. 狂騒
非常サイレンとともにシステムダウン。緊急放送が鳴って、あれの発動準備に入ったことを知る。電源の落ちた室内は薄暗く、ああ、まずいなと思った。ここまで見越した上で能力の過剰解放をおこなっていたのだとしたら、……いや、そういうやつだったか。いまさら驚くことでもない。
「なんや、余裕そうやな」
耳元に声音。気配はない。
暗闇はクロのホームグラウンド。障害物の多い屋内であれば尚のこと――天地という概念を無視して攻めてくる。
わずかな空気の揺れを感じて身をかがめると、ギリギリを通り抜けていく脚の旋回。まともにくらえば首がイく。ふわりと浮いた髪をかすめられて、ほんのりと焦げくさい香りがした。
目の前に軸脚――いや、軸手だ。ということは、まだくる。跳ね上がる前に崩そうかと思ったけど、まにあわないとわかったので退避に専念。
直後、頭上から降ってきた追撃を、脇にそれてかわす。
派手に床を叩いた踵をみながら思う。傷ついた様子もないのは、さすが特別室ってとこかな。器物への配慮は無用らしい。
いくらか血が上った一瞬がなかったわけでもないけど、もうとっくに冷めている。ヒナに釘を刺されるまでもなく、非常サイレンと同時に冷めきったハクの目線にも気づいていた。対する相手はどうか。見ることに関しちゃクロのが上だ。ただし、周りが見えなくなることはないにしても、あえて情報を切り捨てるタチの悪さなら持ち合わせている。
ようするにこれは、時間制限のついた、ただの遊び。タチの悪すぎるスキンシップだ。まあ、あっさり応じた俺に弁明の余地はない。
「いいのか? 起動までのラグは十秒ないけど」
鼻で笑う気配がした。……後ろか。
完璧に殺すこともできるくせに、中途半端に位置を知らせてくるあたり本気ではない。俺だから無意味だと思われている可能性も否定できない。
だいたい俺も本気ではない。
こんな場所で殺しあうほど血に飢えてはいないつもりだし、可愛げのない癇癪につきあうくらいのつもりでいることは、クロも承知だろう。
でなければ。
「どっちが余裕なんだか……」
もう一撃、耳元で風切り音をたてる脚をかわす。さすがにつかむ前に引かれたか。身振りだけは、まぁまぁ本気。だけど、能力はもう解いている。
ほんとうに気が高ぶれば仮面は外れる。覚えていもしない生みの親の口真似など、なにを思ってしているのかはしらないけど。おそらく本心をごまかす盾にさえなれば、なんでもよかったんだろう。
また暗闇のなかに気配が溶けていく。とはいえ大人しく捕まってやるつもりもない――そろそろ時間か。【首輪】の起動にかかるラグを考えれば、これが最後の好機だろう。さあどうくる?
ペナルティを受けるリスクを承知で攻めてくるかとうか。本気でもないのに? クロならやりかねない。読んでもいいけど、それで巻き添えを食らうのはご免だな。
「アキ!」
その声が現実かどうか、わからなかった。
いつのまにか深く意識を沈めすぎていたらしい。過去か未来か現在か、自分の立ち位置に惑う。
それでも、十分だった。リスクが消えたなら、ためらう理由はない。数秒の誤差なら許容範囲。……問題ない。一瞬キツイのがくるかもしれないが、無抵抗に受け入れさえすれば、あとに引くことはないだろう。
確信のもとに遠慮なく自制を外して、全力で読む。
獲物を狙って細められた紫の瞳。闇にまぎれた黒い長髪。遊びに本気だすなよ、おとなげない。そういうやつだと知っているけど、さすがに苦笑する。それとも本気で俺をヤる予行練習か?
時間は少ない。猛スピードで流れさる景色から、さらに必要な情報だけを拾い上げる。金色の発光。それから、白銀の――。
あっさりと動きを止めた俺を不審に思ったのか、クロがわずかにためらいを見せる。そこでようやく、現在が追いついた。
◆
扉の隙間から、金色の輝きが漏れていた。
明かりの落ちた暗闇の廊下まで、まばゆい一筋の光が伸びている。
「香月だね」
つぶやく柘榴は、ひとり納得したようすで唇をゆがめて、深々とフードを被りなおしたまま従う俺を見下ろした。
「まったく、あの子は身内に甘い。そう思わないかい?」
「俺には関係ない」
「どうだろうね」
くつりと笑って、柘榴が戸を開く。棟内のメインシステムがダウンした状態でも触れるだけで開いたということは、ここに用いられているのは別系統――『研究所』に由来する技術なんだろう。
「気脈……?」
「そう。お前の部屋とおなじだよ。もう登録も終わっているはずだけどね、ためすかい?」
なにも答えずにだまりこんでいると、柘榴は沈黙を否定と解したようだった。
「好きに出入りしな」
すらりと伸びた背を追って、特別室と名づけられた最上階の戸口をくぐる。
この先が、CLOWNの聖域ということらしい。
二度と訪れるつもりもなかった。馴れあう気はない。依頼も報告も、最終的に柘榴と顔を合わせなければならないのなら、わざわざ名目上のチームメイトを介する必要性はないだろう。
目を焼いた金色の輝きは、いつのまにか消えさっていた。入れ替わるようにシステムが復旧し、一瞬の暗闇のあとに、天井灯が点灯する。
部屋というよりも、そこは小ぶりなホールだった。丸みを帯びた室内には、整然とされたデスクがふたつ。そのほかに壁際には何組かソファも置かれているようだけど、中央には大きな空間があいている。
――そこに、二人の男がうずくまっていた。
「千歳」
若い男が顔を上げる。わずかに癖のついた黒髪が、ふわりと流れた。整っているといえば整っているが、これといって特徴のないぼんやりとした印象の男だ。
「ああ……、すみません、柘榴様」
やれやれとため息をついて、かるく頭を抑えながら立ち上がる。その拍子に、さらさらと袖口から砂のようなものがこぼれ落ちていった。あれは――首輪の残骸、か?
もうひとりは、うつむいたまま動かない。……どうやら装置に無理にさからって反動を受けたらしい。
あれは、一定以上の能力解放を『暴走状態』と認識して、本気で殺しにかかってくる。制御装置とは名ばかりで、いざというときに異能者を制圧するためのもの。発動時には中枢システムを一時停止させるほどの威力であり、脳を内側から突き破るような衝撃が走ると聞いたけど、……俺には縁のないものだ。まして、詳しい仕組みは奴絡みのブラックボックスのなか。いまでは知る者もいない。
柘榴ひとりを見つめていた男の視線が、一瞬だけ俺に流れる。
「彼が、噂の?」
「アキ兄! クロ兄は!?」
不意をついた背後からの衝撃に対応しきれず、男の身体が揺れ……ない。
アキ――赤木千歳は、まるで予定調和のように言葉を切って、衝突の瞬間を待っていた。
「……こうなるって見越した上で暴れたんだよ、この馬鹿は」
完全に死角をとったタックルにも動様を見せず、脇から顔をのぞかせた少女を引きはがした赤木は、ちいさな身体を、うずくまるもうひとりの男――黒瀧閃の上へと無造作に放った。
「ちょお、アキ!?」
なんとか起き上がりかけていた黒瀧は、子供一人分の重さに耐えきれず、うつ伏せに潰れる。
「しばらく動けないだろうけど、自業自得だ。ツチ、遊んでやれ」
「はぁーい!」
ピシッと敬礼の真似事をしたツチ――土屋春は、ぐったりと倒れこむ男の背中にまたがったまま、そこに流れる長髪を鼻歌交じりに編みはじめた。
「……ツチ」
「んー?」
「ツチ、やめや」
「アキ兄がいいって言ったもーん」
「俺を捨ててアキを選ぶんか……?」
「選ぶのはクロ兄だけど、オージサマよりオーサマのがえらいんでしょ?」
「だれが王子でだれが王ぅ――ッ!? 金具三つ編みに巻き込まんといて」
くだらない……。おもわず頬をひきつらせ、踵を返そうとした俺を、柘榴が呼び止める。
「キサヤ」
言外の圧力を受けて、ため息とともに足を止めた。
その間も耳には、騒音の嵐。なんの冗談だ、これは。
――この顔合わせがすんだら、二度と立ち寄るものかと心に決めた。