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II. frozen white※

「――か」



 はた、と足を止める。黒々とつづく闇の回廊をみつめて、ほんの一時、進むことを迷った。


 窓のない、廊下。

 どこまでも果てしなく伸びていくような錯覚を覚える。


 どこまでも果てしなく、――堕ちていくような。



「幻聴……?」



 ゆるく頭を振って、遠い残響を消しさる。あの頃から、ずいぶん伸びた髪が、胸の前に垂れてくる。ショートボブの名残りを留めたまま、後ろ髪だけ伸ばした直毛は、……まるで、私の未練を表しているかのようだ。蜘蛛の糸とするには、あまりに浅ましく、あまりに太すぎる。


 だから、光のもとへは、つながっていないのだろう。


 より一層深い闇か、せめて、彼らと過ごしていた夕闇に向けて、垂らされていたらいいのに。



「馬鹿な、感傷ね」



 ひとり自嘲して、報告書の束を抱えなおした。


 クロが悪い。いまさらのように、昔を蒸し返すから。私はもう、あきらめたというのに。なにもかも、ふるい捨ててきたというのに。彼だけが、いつまでも抱えつづけているから。


 アキにいたっては、……いいえ、考えるのはやめた。

 考えるだけ、自分がみじめになるだけ。


 それなら、すべて忘れたことにして、刹那的な享楽のなかに生きた方がいい――。



「【氷帝】さま!」



 聞き覚えのない声に呼び止められて、ふたたび足を止める。

 ふりかえれば、優男然とした線の細い男が、肩を揺らして立っていた。……面識はないが、知っている(・・・・・)



「なんの用? あなたの所属、中級のBでしょう」



 闇に溶けこむロングコートは、私自身と揃いのもの。中級クラス以上の仕事着だから、本部では日常的に目にする。薄暗い橙色の照明を注がれてなお、モノトーンの内装に違和感なく馴染んでいる。――はだけた襟元に、本来身につけているはずの階級章はなかった。


 ……そう。


 おおよその事情は察した。どう始末をつけたものだろう。



「ええ。お噂は本当だったのですね――あなたは、すべての所属データを暗記されている……」



 興奮した様子で美辞麗句を重ねていく男を、冷ややかに見つめながら、処分方法に頭をめぐらせる。時間がない。あまり手間をかけるつもりもない。


 延々とつづきそうな賛美を聞き流しながら、危機感のなさに眉をひそめた。


 ――馬鹿ね。所属を知られているのなら、階級章を外した意味がないことくらい、すぐに気づきなさい。それとも、咎められると思っていないの? 舐められたこと。



「上級クラスの者以外、こちらの棟への立ち入りは許可されていない」



 事務的に告げると、ようやく男の賛美が止まった。



「もちろん、承知の上で来たのでしょう?」



 小首をかしげながら、視線だけはそらさない。じわり、じわりと、冷気を散らす。神経を張り巡らせるように、支配圏を広げていく。



「え、あ……いえ、私は」

「明確な理由があるのなら、いますぐ示しなさい」

「ボ、スに……ボスに、謁見を」

「奇遇ね。私も定期報告にうかがうところなの。ほかの先約があったとは初耳だわ」

「急を要する報告でして、その、アポイントメントは――」

「ずいぶん余裕のある急報ね」

「麗しの氷華をお見かけしたものですから、見惚れて足が止まってしまいました。お許しください」



 よく回る舌だこと……。


 ずさんすぎる言い訳から使えないと判断して、脳内で抹消リストに追加する。この場で追いつめるのは簡単。だけど、そうしたら確実に処分しなくてはならなくなる。それは面倒。時間がないの。


 すこし迷って、最後のカードを切ることにする。



「ボスは、いまごろ銀狼に会われているわ」

「あの悪魔に!?」



 予想通り先約の正体に食いついてきた馬鹿な男を、冷ややかに睨みすえた。


 直後、男の膝が折れた。とつぜん感覚を失った下半身にとまどっているのだろう、表情に驚愕が色濃く浮かぶ。

 ゆっくりと馴染ませてきた使役空間のなかで、原子の運動を制限して、そのまま男の脚を縫いとめておく。


 視界に入る前髪が、白い。これは失敗。表出しない程度におさめようと思っていたのに、本部内の大気は強情で、予想より強く『能力』を行使することになってしまった。



「な、……?」

「格上の者への言葉には、気をつけることね」



 ――たとえそれが、序列外の存在であっても。


 おびえたように揺れた男の目線が、足元に落ちる。文字通りに凍りついた(・・・・・)彼の両脚は、とても使いものになりそうにない。たちのぼる冷気は、私自身の頬まで届いているけれど、知ったことではない。



道化(clown)の……異能……」

「そう。私たちは嘘をつかない。噂はすべて真実よ」



 目を泳がせた男の顔に、反抗の色がないのを見て、ついでとばかりに喉元に突きつけていた氷のナイフを下ろす。


 いまこの場で処分しても、面倒が増えるだけ……所属データは頭にある。また時間のあるときに、どうとでも。



「――二度目はない。早く去りなさい」



 膝下の氷結部位から、支配を緩めていく。あるいは凍傷程度の後遺症が残るかもしれないけれど、すこし時間をおけば、自力で抜け出すだろう。


 一瞥を残して踵をかえすとき、氷のなかに映りこんだ薄氷色の瞳と視線が交わった。ひさしぶりに見る、もうひとつの自分の色。皮肉にも、穢れなき白に最も近い、呪われた血の影。これをあたりまえのものだと受け入れたとき、ようやく私は彼に近づけた。穢れをまとうことで、ようやく、おなじ淀みにたどり着けた。……なにも、後悔してはいない。



「あいかわらず甘いねんなぁ、ハクちゃんは」



 軽薄な声が、廊下に響く。

 聞き覚えはある。いまひとつ馴染みきらない不調和な訛りに、思いあたる人物は、ひとりしかいない。



「クロ……」



 黒いロングコートを着崩して、だるそうに壁に背を預けた長身の男が、氷結したままの馬鹿な男の膝をブーツの踵で削っていた。


 革紐で括られた長い金髪が、無彩色の回廊にそぐわず、そこだけ浮きあがって見える。ブロンドに迫るほど脱色された髪とは裏腹に、私に向けられた瞳は、烏羽色とでも言うのだろうか。昔から変わらない、深い深い夜の色をしている。


 いつのまにか、この鮮やかなコントラストが、彼のトレードマークになっていた。



「これで終いなん? うそやろ」



 整った面差しに狂気的な嘲笑を浮かべて、クロは、私に視線を固定したまま、ザクザクと氷を削りつづける。そこに一体化された人の関節など、まるで意に介した風もなく。



「どうしてここに。特別室のフロアは上でしょう」



 道化(私たち)のなかでも、気配を消すことに格別に長けたクロは、前触れもなくフラリと姿を見せる。本来の活動圏である最上階の特別室を離れて、あちらこちらに顔を出しているらしいという話を聞く。――女を漁りに。



「アキ、しらへん? あっちゃこっちゃ探しとるんやけど」



 へらり、と笑うクロは、後ろ暗い噂などまったく感じさせない。


 柔らかに微笑んでいるようで、目だけがまったく笑っていない。不気味で、おどろおどろしく、……だからこそ、闇の同胞を魅了する。破滅的な色気、と誰かが呼んだ。彼の手を取れば最後、身の破滅が待っている。わかっているのに、だからこそ、惹かれずにはいられなかったのだと……そう語って死んでいった者を、幾人も知っている。


 クロは、未来を見ていない。現在すらも見ていない。

 ――過去の幻影だけを、見つめている。



「……仕事。最近はずっとこもってる」

「はぁー? あんのワーカホリック、どうにかせぇや」

「わかってるなら、止めて」

「できたらええんやけどなぁ、俺が口挟むんは、あいつの限界がきてからゆうことになっとるんよ。限界値高いっちゅうのも難儀なもんやで――ところで」



 言葉をきったクロの視線が、ようやく震えた男に落ちた。



「自分、死ぬ覚悟はできとるん?」



 ゆるい笑みを貼りつけ、世間話でもするような調子で問いかけられた男はといえば、なす術なく固まったまま、ガチガチと歯を鳴らしている。


 恐怖からか、寒気からかは、おおよそ察しがつく。私の噂を知っているのなら、より名の通ったクロを知らないということはないだろう。



「あげ、は……さま」



 よく回る舌は、どこへやら。呼びかけすらまともにできないらしい男の目線は、もはや、金と黒のコントラストだけに引きつけられていた。


 冷酷非情の【揚羽】とは、よくぞ言ったものね……。


 好意的な視線を向けられることがすくないclownのなかでも、彼ほど評価の割れる人間はいないだろう。無慈悲な所業を称えるか、畏れるか、信仰するか。そういった点では、銀狼――『悪魔』と呼ばれる青年に近いものがあるかもしれない。



「組織の規定に反するっちゅうことは、そういうことや。“黒蝶に於いて贖罪は絶対”――わかっとったやろ?」



 薄い唇が、処刑宣告を終える前に、手元の腕時計に視線を落とす。予定時刻まで、あと10分。もう、銀狼との話も終わった頃合いだろうか。



「俺ら、コードネーム嫌いやねん」



 ――それはアキの都合。もしくはあなたの。私たちすべてじゃないけれど、仲間の都合をさまたげないだけ。


 男の首が切り離される。


 勝手に使われたナイフを溶かすついでに、切断面を氷結させた。目を見開いたまま転がった生首からも、膝立ちしたまま取り残された身体からも、出血はほとんどさせずに済んだ。叫び損ねたまま切り裂かれた喉が震えている。パチリと瞬いた生首の眼が私を捉える前に、クロが顔面を踏み潰した。



「ご協力、感謝いたしますー」

「……廊下、汚さないで」



 せっかく最小限の後始末で済むように手を出したのに。なにも意図をわかっていないらしいクロに、ため息を吐いた。……わかっていて、あえて、なのかもしれないけれど。



「はいはい。ハクちゃんが見逃そうとするからやろ?」

「べつに、助けたわけじゃない」

「“この場で殺す益はない”?」

「……そう」

「最近、ハクの周りうろついとったの、このクズやろ。これで十分やないの」



 不気味なほどに綺麗な笑みを咲かせたクロを、紙一重の狂気がとりまいている。



「生に価値はない。死にも価値はない。天秤はゆれず、平衡は保たれる。ゴミはゴミ箱へ。簡単な話やんな?」



 ……クロの性情など、わかっている。私に咎める権限もない。しょせんは、仄暗い闇の底でしか生きられない同胞なのだ。よく、わかっている。


 なにも言わずに、抱えた書類に力をこめて、踵をかえす。時間がない。行かなくては。clownを統べるアキが多忙ないま、彼に代わって定期報告をするのは、名目上の序列とはいえNo.2に数えられる私の役目だ。



「――瑠香るか



 やめて。呼び止めないで。

 焦がれた幻聴とは、ちがう声で、私の足を止めないで。



「もう、もどれへんのやろな」



 いつかとおなじ言葉をくりかえす、罪深い幼馴染に、私は返す言葉をもたない。認めるわけにはいかない。私ひとりで過去に帰ったとして、そこになんの意味があるの?


 私たちは、望んで飛びこんだの。

 それを忘れちゃいけない。

 すべては、望んだことなの。

 結果を手に入れるまで、戻れない。


 引き返す道すらも茨にまみれて、とうに歩けたものではないのなら、もう堕ちつづけるしかないじゃない。



「……馬鹿な感傷は、やめて」



 コードネームを嫌うのはあなた。本名を厭うのは私。

 中途半端な愛称を呼びあって、中途半端な哀愁を抱いて。


 空いた手の爪を、深く手のひらに食い込ませながら、ボスの待つ部屋へ向かって歩きはじめた。――だって、アキは、私たちよりも彼女(・・)を取るって、わかってるんだもの。

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