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III. 布石

 数度ノックをくりかえしてみたけど、返答はなかった。部屋の主に出かける用事がないことはわかっている。居留守だろうか。


 記録によれば、この数年間、彼は仕事以外で本棟から出ていないらしい。


 特別室の直下に位置する階の角部屋が、唯一の居場所――他者との接触を徹底的に避けるように、狭い檻に自ら囚われつづけている。訓練施設はおろか、食堂にすら出向かない。生存を確認できることといえば、ときおり各階に備蓄された保存食と水が減っていることのみだという。


 食欲、性欲、睡眠欲……およそ人らしい欲望のほとんどが欠落している。人を殺していないときは、生きているのか死んでいるのかすらわからない、あれはまさしく兵器だと――聞き及んではいたが、実際に相対すると凄まじいものがあるな。


 青灰ブルーグレイの瞳は冷ややかに世を映す。感情の色を一切のせない鏡のような眼差し、左右対称に整った人形のような顔立ち、神楽鈴のように響く美声、すべてが人間離れした青年の経歴は非常に簡素なものだ。


 彼が生きてきた十七年という月日に対して、刻まれた記録があまりにも少ない。死を積み重ねた履歴の他に、なにひとつ情報が出てこないとは恐れ入る。私生活という概念がない。……それだけでは、ないだろうが。



「ボスが仕事を持ってくる。()()()()()()()だろうが、受けた方がいい」



 静まりかえった扉の奥に、この言葉は届くだろうか。

 ただの保険だ……意味はない。



「もっとも、きみに断るという考えはないだろうけどね。――キサヤ」



 心底不快そうな舌打ちが、主の在室を伝えてきた。

 ……伝わったのならそれでいい。いまはそれ以上の結果は求めない。


 無意味な予測に費やす時間はない。彼に関しては不確定要素が多すぎる。検討するだけ無駄……動かしようのないものは脇に置き、つぎの布石を打っておくべきだ。踵を返しながら、選択肢を吟味する。無数の影が行き交う、人気のない廊下。大部分のゴーストを、気に留めるまでもないものとして切り捨てても、これだけ現在に影響が出ている。深度(・・)が深すぎるのだろう。だが、これでいい。これくらいでなければ――。



「――アキ」



 呼びかけられた声が現在のものだと、すぐには気づけなかった。掴まれた肩の感触に、慣れているがゆえに見落とした気配を捕捉して舌打ちする。よくない兆候だ。この先のことを思えば、能力の制御などに手間取っている暇はない。動き出してしまったからには、早く慣れなければ。早く。取り返しがつかなくなる前に。あの人に対抗するには、あらゆる未来を見通しても尚、遅すぎる。



「あなた、大丈夫なの?」



 ヒナ――雛森彩芽は、俺の存在を確かめるように指先に力を込めて言った。冷ややかな眼差しは、心配しているというよりも、彼女からしてみれば不可解な行動をくり返しているであろう俺に不信感を募らせているようだ。



「なに――ああ、それか」



 尋ねようとしたそばから、一瞬先の彼女のゴーストが答えを口にする。自然、これから彼女が発するはずであった言葉は俺にとっての価値を失った。はたして尚、この問答に続ける価値はあるだろうか――。染みついた習慣は、彼女の持ってきた情報の共有、あるいは俺が与える情報によってもたらされる変化について、効果のほどを瞬時に計算しようとする。それも反射的に、ほとんど無意識に。


 これだから好んで常時発動させたくないんだ、この能力は。中にはクロのように逆手にとってくる奴もいるが、基本的には好ましいものではない。目の前にある現実を疎かにしては先を見通す意味もないというものだ。



「問題ないよ。もともと抑えられていたんだから、昔に戻っただけの話……そのうち慣れる」



 慣れる。いや、慣らさなければならない。できればこの状態を維持したまま、現在の事象の観測と結果のシミュレーションを並列処理できるのが理想だが……まあ、素の状態ではとてもリソースが足りそうにないから、無理は禁物かな。


 これまではそうそう特異点イレギュラーに出会うこともなかったし、一度読んだ未来から大きく外れるようなこともまずなかった。だが、これからはそうはいかないだろう。俺自身にかけたリミッターを少しずつ外しながら、身体的にも精神的にもリアルタイム処理に慣れていく必要がある。



「大丈夫、気にするほどのことじゃない」



 半ば自分自身に言い聞かせるように口にした。この程度のこと、気にしている暇はない。



「それ、あなたの悪い癖よ。自己完結しないで」

「どいつもこいつも。知られたいのか知られたくないのかどっちなんだ」



 思いのほか棘のある声が出て、――しまったな、と思う。

 ヒナは眉をひそめただけで、あっさりと俺の肩を掴んでいた手を外した。



「どちらでもいいのよ、私はね。あなたは? 報告は不要かしら」



 チクリと棘を刺しながらも余計なことを言いつのらない判断が、実にヒナらしい。やりやすくて助かるが、これがもしクロやハクであったら……いや、なにも言わないか、“ハク”は。



「いや、聞くよ。君から直接聞くことに意味がある」



 冷静になるべきなのは俺だ。わかっている。彼女たちはいつも正しい。確固たる意志はほとんどブレることがなく、なにをしてもしなくても結果がほとんど変わらない。そうした存在が、俺にとって、どれほど心強い道標になっていることか。



「あら、そう? ……新人のことだけど、一応、探ってはみたわ。でも、なにもわからなかった。それが答えよ。あの子も此方側なのね」

「そうか。ありがとう」



 手短に感謝して立ち去ろうとする俺を、ヒナは鋭く呼び止めた。



「アキ」

「……他に、なにか?」

「あまり余計な世話を焼くのは私の趣味じゃないのよ、でも確認させて。――あなたの見ている未来に、あなた自身の姿はあるのかしら」



 視線がぶつかる。一瞬後の彼女も同じように真摯な目をして俺を見つめつづけていることに気づいて、苦笑した。すごいな、ここまで逃げようのない強さにはなかなか出会えない。



「自殺志願者にでも見えるのかな、俺は」

「いいえ……もっとタチが悪いわ」

「きみに褒められるとは思わなかった」



 安い挑発には乗らず、ヒナはため息を吐く。



「手の内を晒すことに恐怖心でも持っているの? ()()()()を見ていると知っていてもね、アキ。あなたの秘密主義は周囲を不安にさせるわ」

「それは、ハクの代弁? それともクロ?」

「私()よ」

「なるほど、信頼されてないな」



 冗談めかして肩をすくめてみせても、ヒナの表情は硬いままだ。まあそうだろうな。簡単にごまかさせてくれるほど、彼女は甘くない。



「俺も余計なことを言うのは趣味じゃない。これで君の信頼を買えるとは思わないけど、ひとつ訂正しておくよ。『キサヤ』は、既存の概念じゃ測れないものだろう」

「え?」

読めない(・・・・)んだ。俺にもね」



 念のためヒナにも確認してもらったけど、俺の能力を受け付けないのなら、彼女の能力が弾かれるのも道理だろう。



「彼をただの“能無し”とは考えない方がいい。あれは君のような薄血でも、俺のような隔世遺伝でもない」



 発現する能力の強さは、一部の例外を除き血の濃度と比例することがわかっている。その源流とされる二つの家系に近ければ近いほど強い。


 『金の鍵』と呼ばれる家系の直系にあたるツキは、俺たちの中でも最も強い能力を持っているけれど、そのすべてを行使することはできない。成長しきっていない身体が負荷に耐えきれないためだ。


 一般に、能力の強さと副作用の重さは比例する。たとえばツチの能力は単体としては強くないが、常にヒナと組んで仕事をしている彼女は、ツキよりも幼い未発達な身体でも副作用に悩まされている様子はない。


 個人差があるものの、発現時期は10歳前後の例が多い。年を重ねるごとに能力は高まり、一定の年齢で成長が止まる。それにともなって身体が順応していくものらしい。つまりツキは生まれ持つ能力が高すぎるために身体の成長が追いついていない状況だ。まがりなりにも『金』の直系らしく、ツキの関わる事象は俺の読みを外れる時がある。


 一方、キサヤは能力こそないものの、容姿からして『銀』の家系の生まれと見て間違いない――が、それだけならば俺の能力は弾かれない。完全な『銀の鍵』は失われて久しいのだから。



「ヒナ、君なら察しがつくだろう。あの子の父親が誰なのか」

「いいえ……それはありえないわ……禁忌の子は≪悪魔≫に喰われて死ぬ。この世には誕生しえない」

「しかし生まれてしまったとしたら」



 ヒナの瞳が揺れる。



「そいつはナニモノだろうね」

「……本気で言っているの?」



 能力を持たないClownという前例は一応あるが、ほとんどは常人に毛が生えた程度、能力者としては平均的とも言える身体能力だった。だが、キサヤに会った者は一様に口にする。あれはバケモノだ、と。


 能力の成長に伴って身体が適応していくのならば、能無しの彼は何のために身体を適応させる必要があったのか――。


 鍵の家系において禁忌とされる双子が生まれた結果、『銀』が受け継ぐべき魂の行方は誰にもわからなくなった。まして片割れが亡くなった今、未だ分散しているのか、一つ所に収束しているのか。眠っているのか、目覚めているのか。宿主以外には知る術がない。


 ――身体の適応は魂の破片を宿すため、能力の発現は付帯現象にすぎないのではないか。


 もしも、分かたれた魂に意識があるとすれば、それは遠からず収束しようとするだろう。己のからだ能力ちから精神こころを求め――本能的に引き合う深層心理が、どのような形で表出するかはわからない。愛情か、あるいは憎悪か、もっと単純な物欲に近いものかもしれない。生来の心の形を歪めて余りある強い衝動が絶えず宿主を襲い、行動を支配していき、――そして、最終的には。



「憶測の域を出ない話だけどね。もうすこし確かめたいこともいろいろある」

「だから秘密主義を見逃せというの」

「話が早くて助かるよ。できればクロの協力を取り付けたいところだけど、あいつは気まぐれだからな」

「言ったそばから結果が見えているくせに?」

「そうでもないさ――」



 現在から見通せる結果など、ほとんど不確定なものばかりだ。どうにもならないものもある。だが、用意された可能性の中からより望ましい結果をたぐり寄せるのは、現在を生きる者の仕事だ。どうあがいても消せない過去に苦しみたくなければ、持てる力のすべてを使って、せいぜい選り好みするしかない。



「絶対的に信じられるものなんて、この世には存在しないだろう?」



 自分自身ですらも信ずるに値しない。そんな甘さは、未だ瞼の裏に焼きついて離れない遠き日の炎が、心ごと焼き消した。



「……だからタチが悪いのよ、あなたは」

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