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I. 魔性の篝火

「食えない魔女がくるものと思っていたが」



 闇の向こうでキィと椅子が鳴る。表情こそ伺えないものの、とんだ青二才がきた、と見下されているのは間違いないだろう。



「魔性の篝火がきたか」

「羽虫を焼き焦がさんとする宵には適任でございましょう――ご協力に感謝いたします、椎名様」



 真摯なそぶりを装って腰を折れば、コトリ、と天板を叩く音がした。苛立ち、戸惑い、期待、疑惑――さて、なんだろうか。


 椎名氏は俺と直接の面識がない。まして前任者(・・・)を知っている方だ――意識して口角を引き上げながら、老成した古狸と視線を交わす。防犯上の観点からすれば当然ながら、椎名氏の背後に大窓はない。夜毎美しきものに降り注いできた月光も、選べるのならば好んで中年の男を照そうとはしないだろう。浮かび上がるシルエットは艶然たる曲線美でなくては――ああまったく、あの血統は呪わしいほどに月が似合う。



「私ではご不満ですか?」



 俺では一枚劣ると、彼に比べれば大した輩ではないと油断されているのならば、むしろ好都合だ。おなじ古狸でも彼女とは格が違う――取るに足らないと見下すのは、こちらとて同じ。



「いや……懐刀を遣わされるとは、身に余る栄誉と受けとらねばなるまい。あの女がよく許したものだ」

「念のため、ですよ。此度の件には()()()()()()黒蝶うち不穏因子イレギュラーが関わっていますからね」

「不測を恐れるか。千里眼の持ち主にも見通せぬものがあるとは知らなかった」

「そのような便利なものではありませんよ。あなたは、御子息の一件で我々の祖をご存知かと思いましたが――その上で本邸に招き入れるとは、酔狂なお方だ」



 椎名氏は、なにも答えずに目を細めた。いつか彼女が滲ませたものに近い諦観を感じ取って、俺もまた口を噤んだ。椎名氏は役を持たない最前列の観客のようなもの……無駄な言葉を交わす意味はない。種は十分に蒔いてきた。あとは予定調和に育つのを待つのみ――しかし、自ら望んだこととはいえ、息子の命を奪った暗殺者に娘の生死を預けるなんて、酔狂にも程がある。



「その酔狂に破格の待遇で応えた者の言葉とは思えんな」

「我々としても好都合でしたので。末端ならいざ知らず、上級チームともなると少しばかり神経を使うんですよ。こうして舞台を整えてくださったおかげで助かります」



 鬼女だ魔女だと称されはするが、あれで彼女は平和主義者だ。裏切り者には苛烈にも出るが、いつか裏切るであろう者に関しては平気で懐に抱えている。裏切られたとして痛くも痒くもない者など、その都度処分すればいいと考えているのだろう。下手をすれば愉しんでさえいる節がある。


 道化(clown)に留まらず組織全体の統括を任されるようになったのが数年前。以来、それとなく水を与え、少しでも動きをみせた不穏因子は切り捨ててきたが、流石に上層部は簡単に誘われてくれない。溜まりに溜まった膿を出しきるにはもうしばらくかかりそうだった。


 あの人は、興味がないのだ。組織の運営にも、自身の生死にも。すべてを暇つぶしのゲームのように思っている。昔から、あの人の心を動かすのは一人の男にまつわるものだけだった。俺のことも、彼が手駒に欲しがったから拾ったにすぎないのだろう。ついでとばかりに邪魔なものを業火に焚べて――。


 ときに、思う。気まぐれに欲しがり、気まぐれに捨てていった男のことを。あの男――JOKERは、気まぐれなだけの男ではないはずだが。

 なぜ俺だけを残して姿を消したのか。

 まるで初めから彼女の手に残すために俺を拾わせたかのように。



「舞台か」



 椎名氏の声を聞いて、はたと我に帰る。

 俺はなにを考えていた?



「それだけではなかろう。銀の悪魔(svilre)のみならず道化(clown)まで寄越すとは。この件、魔女は承知しているのか?」

「あの方がご承知でないことなどありえませんよ」



 含みのある言い方をして口角を上げる。

 つとめて冷静に、冷ややかに。


 この会話も二度目(・・・)だ。覆す必要もないのだから、ただ未来視の通りに演ずればいい。今はただこの通過点を無事に過ぎること、それだけに集中するべきだ。どれだけの可能性を見通したとして、本番は一度きりなのだから、失敗は許されない。



「ご安心ください。俺は最良の結果を得るために努力を惜しまない主義ですが、過ぎたことに気をまわすほど暇ではありませんので」



 さすがの古狸らしく、椎名氏の表情は動かなかったが、ほんのわずかに瞳が震えた。(black)(butterfly)において俺にアクセスできない情報はない――すくなくとも表向きは。


 実のところボスの承諾を得てはいないが、あの人に俺の判断に口を出す気がないことはわかっていた。こちらは探られたところで痛くもかゆくもないが、多少わずらわしくはある。



「なるほど、魔女が気に入るわけだ」

「お褒めにあずかり光栄です」



 微笑して受けとめる。


 どうせ今夜は古狸と一戦交えるためにきたのではない。本当の目的は、むしろこの後――あと少しで、娘と接触可能な時間帯がやってくる。それにあわせて退室すれば、最低限の仕掛けは整うだろう。

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