前編
私は最初から選択肢を間違っていた。
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物心ついた時点で、私は前世からの記憶というものがあった。
あまりに鮮明な記憶だったため、自分でもそれが当たり前だと捉えていたし、不思議にも思わなかったのだが、ある日、母親が仕事から帰ってきて私に愚痴った時
「私も昔働いていた時、そういうことがあったわ。」
と発言すると、とても恐ろしいものを見るような目で見られて、母親には「絶対にそのことは人前で口にしたらダメ」と約束をさせられた。
そのことをきっかけに私は、前世の記憶は自分にしかないもので、人に話すと頭のおかしい人だと判断されることを理解した。
前世の記憶がかなり鮮明に残っていた私は、よく前世の出来事を夢に見た。
その夢をきっかけにして、芋づる式に新たな前世の記憶が蘇ってくるという毎日を過ごしていた。
そんなある日、私は夢で乙女ゲームに熱中している夢を見て、目を覚ますと自分の置かれている状況に驚愕した。それは、私は乙女ゲームの世界でいうところの、ヒロインの当て馬役であることに気がついてしまったからだった。
ーー私 野口沙菜 7歳小学校1年生の時だった。
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前世の記憶が正しければ、私はヒロインの攻略対象者の一人の婚約者で、ヒロインに対する攻略対象者の好感度が上がってくると、ライバル役として登場する役柄だ。
しかも最悪の場合、私は恋にやぶれて精神的に病んでしまい、病院送りになるという結果が待ち受けている。
全年齢対象の乙女ゲームのくせに、しかも他のライバルキャラは学園追放になるだけなのに、私だけ可哀想すぎないか?と理不尽な設定に怒りがこみ上げたのだが、なぜ私が攻略対象者の婚約者になれたのかが、不思議で仕方がなかった。
なぜなら、小学1年生の時の私はシングルマザーの母親と二人暮らしで、都営住宅に住むような経済的にはあまり恵まれているとは言いづらい環境に身を置いていたからだった。
しかし、自分の未来の良くない結果(の可能性)を思い出してすぐに、母親の再婚が決まったことを知らされた。
母親に今まで着せられたことのないような可愛いワンピースを着せられ、向かった先にいたのはとても見目麗しい40代前半らしき男性とその男性の子どもらしき男の子がいた。
そして、その男の子を見た時に私は思い出した。
この再婚によって上流階級と呼ばれる社会に足を踏み入れることになり、私の婚約もこの新たな父親となる人が決めたことだったということを。
ゲームの世界の野口沙菜改め九十九沙菜は、母親の再婚によって家族ができたものの、その家族とはうまくいかず、愛されたい願望が強すぎて、婚約者に対して暴走してしまうという、ちょっぴり可哀想な女の子だ。
そう、私はこの設定を思い出してしまい、自分の家族との関係がうまくいけば、自分は精神を壊さずに済むのではないか、婚約者との仲がうまくいかないくらいで、壊れたりしないのではと考えてしまったのだ。
ーーそれがまさか、最大の失敗だとは気づかずに。
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「お兄様。わからない所を教えて欲しいのですが?」
私は新しい家族と仲良くなるには、まず義兄となった九十九悠希との関係づくりが重要だと思い、困ったことや分からないことが起こるたびに、義兄に聞くことにした。
私はいくら前世の記憶があるからと言って、前世で特別成績が良かったというわけではなかったので、少しくらいは優位性はあったが、努力しなければ厳しい状況にあったため、特に九十九姓になってからは人一倍勉強に関しては努力した。
転校して入学した小学校は私立の学校で、前世でただの公立小学校にのほほんと通っていた私にとっては、ある意味ものすごく難しい勉強ばかりだった。特に算数とか英語とか英語とか英語とか!!!
「どこが、分からないの?見せてごらん。」
義兄は恐ろしいくらい私に優しかった。
ゲームでは設定しか出てこないので、なぜ沙菜がこの優しい家族とうまくいかなかったのかがよくわからなかったが、もしかしたら、単に沙菜が母親を取られたことに対して嫉妬していただけだったのかもしれない。
義兄は私が勉強を教えて欲しいといえば、喜んで教えてくれるし、私が義兄に聞きに行かないときもわざわざ私の部屋まで来てくれて、宿題を手伝ってくれたりもした。
前世の記憶があるとはいえ、かっこよくて頭の良い義兄に優しくされた私は、すっかりブラコンになってしまった。
前世の記憶という名の理性が時々邪魔をするものの、私は義兄が好きすぎて、時々両親が留守の時など不安だと嘘をついて一緒のベッドで寝てもらったりしていた。
先に大人になる義兄に恋人もしくは婚約者ができるなんて時間の問題だと思った私は、義兄に恋人ができたら、距離を置こうと決めていた。しかし、なぜかその機会はおとずれず、逆に義兄との時間がどんどん増えて、時々の添い寝はいつの間にか時々では無くなっていた。
自分の部屋には、義兄のものが置かれるようになり、宿題や試験前の勉強も私の部屋で一緒にするようになった。
でも、私はそれがすごく嬉しくて、明らかに兄妹としての関係性からは逸脱していると理解しながらも、義兄の側を離れることはできなかった。
そんな感じで、義兄を溺愛した私にも恐るべき運命の日が刻々と迫っていた。そう、婚約というイベントだ。確か記憶では、私が小学校6年生の時に決まる設定だったはず・・・なのだが??
私は何事もなく、婚約者は決まらず、無事に中学校へと進学した。
高校三年生になった兄は受験勉強に忙しく、あまり構って貰えなくて、少し寂しいな、なんて思うそんな穏やかすぎる日々を過ごすうちに、私は少し考えを改めることにした。
私は、この世界が乙女ゲームの世界と酷似していたため、同じ設定で未来が進行すると思い込んでいたが、実は同じようで全く別の世界なのではないかと考えるようになり、前世に囚われず、前向きに自分の人生を生きようと思うようになっていった。
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「私は悠希様の彼女の、木城彩香と申します。実は妹である沙菜様にお願いがあって参りました。」
放課後、校門の前で声をかけられた方へ視線を向けると、そこにはものすごく可憐な美女が立っていた。
私は、とうとう義兄から離れなければいけない日が来たのだと悟った。
「私に何か?」
心では何なのか察しがついているくせに、やはりこの状況が受け入れきれなくて、義兄の彼女だという女性に嫉妬して、叫びだしてしまいそうだった。
「お願いです。悠希様を頼るのはもうやめていただけないでしょうか。
悠希様は生徒会の仕事もありますし、私との時間も必要なのに、あなたが悠希様を頼るせいでみんな迷惑しているんです。」
目の前にいる女性は私とは全く真逆にいるタイプの女性だった。
気が弱くて、義兄が大好きで頑張ってやってきましたという感じで、プルプル小動物のように震えている。
動物で例えるならバンビかうさぎのような、いかにも守ってあげたくなるというタイプの女性だった。
彼女に嫉妬してしまうのは、私にとって仕方のないことだった。私こと九十九沙菜は残念ながら動物でいうとバンビやうさぎではなく、あえて例えるなら悪魔の使いとか言われる「アイアイ」だろうか、そんな私にはない可愛さが羨ましかったし、その上、義兄に愛されているのだ、嫉妬するなという方が無理な話だ。
義妹という立場的に愛される私とは違い、義兄から女として愛されているその人が羨ましかった。そして、さらに悔しいのは彼女の持つ可愛さは前世でプレイしたゲームの「ヒロイン」が持つ可愛さと同じ種類だったことだ。
「私がそこまで義兄に頼った覚えはないのですが、でもお話は理解いたしました。これからは義兄に頼らないようにいたします。」
私の言葉にほっとした彼女さんは、「ありがとう」と可愛い笑顔を浮かべて去っていた。
その姿を見送りながら、私は義兄から離れるために、父親に家庭教師を雇ってもらうようにお願いしなければと考えていた。
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帰宅して、私が自分の部屋で本を読んでいるところに、義兄がものすごい勢いで部屋に入ってきて、いきなり抱きつかれた。
私が困惑していると義兄が口を開いた。
「沙菜。大丈夫だった。何もされてない?」
私は一瞬何のことを言われているのかがわからなくて、私何かされたっけ?と思ったが、よく考えたら私と彼女さんの修羅場的な場面は、私の運転手が目撃しているのだから、報告がいっているのは当たり前のことだった。
私は義兄の身体から逃れようと腕で義兄の身体を押して少し距離をとった。
「大丈夫です。義兄様こそ、もう少し自分の彼女を大切にしてあげて。」
私が精一杯の微笑みを浮かべると、義兄はなぜか怒っていて、今まで見たこともない怖い表情を私に向けていた。
「あんな女の言葉を信じるのか?」
「えっと、信じるとか信じないとかそういう問題の内容では無かったと思うのですが?」
私は、当たり前だが別に義兄と付き合っているわけではないので、彼女だという人が現れたからと言ってそんなの嘘よ!と言えるわけもないし、義兄の高校生活を知っているわけではないので、私が勉強を教えてもらっている時間が、実は迷惑な行為だと言われても、そうかと納得する以外の選択肢も浮かばなかった。
「私が沙菜との時間を迷惑だなんて思うはずないだろ。」
「でも、やはり、義兄様はこれから受験ですし、私はお父様に頼んで家庭教師か塾に行けないか聞いてみます。」
「そんなのダメだ。」
「でも・・・」
「家庭教師と密室でふたりきりになるなんて危ないし、塾や予備校も可愛い沙菜が悪い男に狙われるかもしれないからダメ。」
「大丈夫ですよ。女性の家庭教師をお願いしますから。それなら問題ないでしょ?」
「ダメだ。だって私と沙菜の過ごす時間が減ってしまう。」
「でも、義兄様は生徒会の仕事も忙しいですし、なにより彼女との時間がとれなくなるのは申し訳ありませんし。」
「だから、今日来た女は彼女でもなんでもない。
大体、本当に彼女ができたら、沙菜に紹介しないわけないだろ?
彼女は確かに私のことを好きのようだが、私は彼女のことを好きだと思ったことはない。」
「あんな可愛い女性に想われて、それに応えてあげない義兄様はどうかしてます。」
「仕方ないだろ、好きでないものは仕方がない。沙菜は自分のことが好きだという男が現れたら誰でも好きになるのか?」
「それは・・・」
離れたはずの義兄の身体が近づいてきて、再び抱きしめられてしまう。というかそもそもなんで抱きしめられないとダメなのかがわからない。
義理とはいえ兄妹の境界を超えたような優しい抱擁に複雑な気持ちになりながらも、その腕を振りほどけない意志の弱い私は、結局、義兄を説得することはできず、自称彼女さんが来る前と変わらぬ日々を過ごすことを約束させられてしまった。
私が義兄に、もしまた来たらどうすれば良いか尋ねると、もう2度と現れることはないと断言されてしまった。
翌日、運転手に「義兄様に昨日のこと知らせてくれてありがとう」とお礼を言うと、不思議そうな顔をされた。
「沙菜様から悠希様に報告されると思い、私からは何も報告はしなかったのですが。」
義兄が慌てて家に帰ってきたのは、運転手が義兄に知らせたからだと思っていたが、どうやら違ったようだった。でも、それだと誰が義兄にあのことを報告したのかがわからなかったが、私は無意識にそのことを深く考えないようにしてしまった。