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001:出会いは突然に

0/


 気分は最悪だ。


 いつも通り、と云えばいつも通り。それでも最悪は最悪で変わりようがない。


 だから、だったのだろうか。


 そして、今思えばあいつもそうだったのだろうか。


 低空飛行を続ける気分を噛み殺す様に、俺はパソコンの電源を入れる。


 それが、二つ目・・・の切っ掛けだった。




1/



 最悪の気分で目が覚めた。

 体の節々が痛む。頭はガンガンする。そう思えばどこか胃もムカムカしてくる。


「……ぅ」

 今にも吐き出しそうな気持ちのまま、俺は周囲を見渡して――言葉を失った。


 先程までの気持ちの悪さはどこかへ消え去っている。狐につままれたような、というのは正にこの事なのかと思わざるを得ない。むしろ、そうであって欲しいと考えてしまう。


「……マジかよ」


 目に前に広がる光景は、見覚えのあるモノだ。ただし、それは画面の中で。こんな風に、現実リアルに広がっているようなものではない。


「アキバ、かよ……」


 誰にともなくそうぼやいて、俺はその言葉が宙に消えていくのを感じていた。当たり前だ。それを受け入れろ、という方が無理がある。

 先程までプレイをしていたゲームの画面が現実に広がっている、だなんて、信じることが出来るはずがない。

 だが、それを信じまいと必死で頭を働かせても、次から次に入ってくる情報にそれは肯定されていく。


 頭の痛みはとうに消えている。それが更に、覚えている限り酩酊していた思考がクリアになっていることを表していることに気付き、愕然とする。


「……夢じゃ、ねえってのかよ」


 ふと自分を見れば、その格好は正に見慣れたものだ。そこで、これ以上なく、俺は納得してしまう。

 これが、〈エルダー・テイル〉の世界なのだと。



     ◆



 混迷する思考は回復することなく低迷を続ける。


 数時間の後に俺が出した結論は、人ごみから離れようということだった。


 アキバの街には大勢の人間がいた。系統こそは違えど、俺と同じような格好をした奴らだ。そいつらが自分と同じ境遇だと理解するのにはそう時間がかからなかった。


 そして、それを理解した瞬間に、どこか安堵する自分がいた。

 人は同じような境遇の者を見つけると、安心する。これは心理学的に言えば類似性効果、なんていうやつだ。同じような不幸に全員で落ちれば悲観する度合いも一人に比べれば軽いものだ、みたいなものでもある。


 だが、それも度が過ぎればその限りではない。逆に言えば、安堵はしても根本的解決には到らないのだ。要するに、対症療法であって、原因療法には足り得ない。そして、そのコミュニティに触れ過ぎれば、それが当たり前だと認識してしまう。要するに、負のスパイラルに落ちるのだ。


「……はぁ」


 だから、と。俺は一人アキバの街をやや離れ〈書庫塔の林〉の手前あたりで一人溜息を吐いていた。


 〈エルダー・テイル〉はフィールドをゾーンと云う単位で区切っている。その為、この場所はアキバからすれば隣のゾーンという事になる。現実世界で言えば、万世橋を越えて神田方面に向かったところ、と云ったところだろう。


「どうしたもんかねー」


 これが現実であって、最早ゲームの中の事ではないことは確かだ。


「まぁでも、変な所はそのまんまなんだよな」


 そう呟いて俺は額に意識を集中させる。すると、宙に様々な項目がインターフェイスとして浮かび上がってくる。それは、紛れもなく〈エルダー・テイル〉のインターフェイスそのものだ。


「ほんと、疑いようもねえな。これ。その上でGMコールも、ログアウトも無いってお決まりだよ」


 言葉が自分の胸に刺さることを知っていながら、俺は一人ごちる。それが真実なら、何をどうしようとも、一緒なのだから、と自虐の意も込めて。


「……ち」


 そんな時、ふと頭を過ぎったことに、俺は舌打ちをしてしまった。


「なんで、思い出すかな。あーもう、思い返せば苛々してきやがる」


 心に余裕ができた証拠なのかもしれない、なんて思って気を紛らわせようとしても、それ

はそれ、これはこれ、と云ったように、過去の苛立ちが消えるわけではない。


「ったく。あーもう。めんどくせえ」


 零した言葉は、静かに空気に溶けていく。

 思考を埋めているのは、昨日の事。厳密に言えば、この〈エルダー・テイル〉へログインをしようとした数時間前の事だ。


 きっかけはほんの些細なことだった。それでも、その些細なことで喧嘩をしてしまう程に、その時の俺たち――俺と妹は冷めていた。


 言い訳をするならば、初めから仲が悪かったわけではない。更にそもそもから言えば、初めは仲が良かった。


「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる~」


 なんて言われたことだってあった。今思えば「いやそれはお断りだ」とこちらから言いたくなるようなことではあるのだが、当時は「うん!」と二つ返事をするぐらいに俺たちは傍目にも仲良しの兄妹だった。


「……まぁ、あいつの顔を見ないでいいと思えば、こっちに来たのは良かったのかね」


 喧嘩の後、妹は家を飛び出していった。それでも、結局は数時間経てば帰ってくる。ましてや、我が家のルールとして食事は必ず家族全員で取らなければならないために、嫌でもその時は顔を合わせてしまう。その際の気まずさと云ったら、何事にも代えられない程だ。

 それがこの状況になって、解消されたかと思うと少し胸がホッとした。


「まさに現実逃避ってか。……あんまり笑えねえけどな」


 視界に広がるのは、廃ビルとそれを覆い尽くす緑のツタや寄生植物の群れ。空は青く澄んで、どこまでも続くように見える。

 現実リアルとはかけ離れた景色。東京には在り得ない光景。


「……向こうは、どうなってんだろうな。いきなり俺がいなくなって、どう思うんだろうな。まぁ、あいつも俺の顔を見ないで良くなって、清々するのかね」


 そう口にしてしまえば、切なさが込み上げてくる。ホームシックってこんな感じなんだろうか、なんて思う。


「あー駄目だ。結局一人でいてももやもや考えちまうな。はぁ……どうしたもんかね」


 そうぼやいて、座り込もうとした時だった。


「――――っ」


 林から何かの音がした。いや、音と云うよりは声。そしてただの声ではなく叫び声。

 思わず立ち上がる。そして、声のした方角に注意を向け――


「……れか……てっ……」


「――――ッ!」


 はっきりと声だ、と認識する。途切れ途切れにしか、それは耳に届いていない。ただ、それでも、なぜかそれは理解できた。


 『だれかたすけて』と。


 それが助けを呼ぶものだ、と。


 一歩足を踏み出して、踏み止まる。咄嗟に、声の方角へ向けていた視線をアキバへと向けてしまう。

 助けを呼ぶか。


「――いや。それじゃあっ……」


 間に合わないかもしれない。

 でも、自分が行ったところで何が出来るのか分からない。


 この身体はゲームで自分が使っていたものと同じだ。

 〈召喚術師サモナー〉のLv90。今日実装されるはずだった〈ノウアスフィアの開墾〉までの最高レベルは90だ。故に、そうそう負けることはない。


 しかし、それもゲームの知識を基にすればと云う程度。


 これは現実で、もうゲームではないのだ。

 知識にあるモンスターと実際に戦えるのか、と問われればそれは難しいと答えるしかない。


 戦闘経験などない。ましてや、ゲームの頃の特技がそのまま使えるにしても、魔法なんて現実に無いものはノウハウもありはしない。手探りなのだ、何もかも。

 その暗中模索の中で、人助けを出来るのか。


「……くそ!」


 吐き捨てながら、背を預けていた壁を叩く。



『――結局、お兄ちゃんは――』



 頭を過ぎるのは、最後の言葉。

 胸を鷲掴みにされるような、苦しさを感じる。苛立ちと、憤りと、不甲斐なさ。


「……いやっ……れか……」


「っ!」


 再び耳に届いた声に、体が震える。


 誰か、俺以外のやつが気付いてくれないか。そう周囲を見渡しても、人影はない。当たり前なのだ、それを望んで自分自身が訪れたのだから。


 だからこそ、これに気付いているのは自分だけなのだ、と分かっている。


「くそ、くそ、くそっ! 何なんだよ畜生!」


 もう一度壁を強く叩く。大きな鈍い音が、響いた。


「――助けて!」


 はっきりと、それは耳に届いていた。

 だからなのだろうか、まるでそれが、自分へ向けられているかのように、聞こえてしまった。


「――くそッ!」


 もう、無視することなんてできなかった。考える余裕すら無かった。

 声のする方角へ、全力で駆けだす。

 アキバとは逆。〈書庫塔の林〉の中だ。もう、後戻りはできない。


「どこだ!」


 日の光を遮る廃ビルの路地へ入り、俺は叫んだ。大体の方角は分かっていても、詳しい場所までは分からない。更に、入り組んだフィールドの中では声が反響してしまっている。


「だ、誰っ! こ、こっち!」


「分かった!」


 もうやけくそ気味で、俺は返事をすると、再び響いた声に向けて駆ける。


 どうすればいい。

 どんな状況だ。

 勝てるのか?

 そもそも間に合うのか?


「落ち着け――」


 息を吐き、意識を集中させる。

 出来ることを探るしかない。何が出来る。何をすればいい。


「〈召喚術師〉……召喚術。出来る限り、でっかいのを出すか」


 思考をアウトプットしながら、次の思索へと。


 〈書庫塔の林〉はアキバのゾーンから隣に位置する為、基本的には低レベルのモンスターが多い。強くてもレベルは20代。だから、数が多くても対処はしやすいはずだ。


「ヘイトが向くもクソもあるか。とりあえず、どんなのでも一撃で倒せそうなやつ……!」


 意識の裏に浮かび上がるインターフェイスから、記憶を辿りつつアイコンを探す。


 今、この状態で魔法が使えるかどうかなんて分からない。それでも、やれるかもしれないという可能性があるなら試す他ないのだ。


 高威力。プレイヤーを巻き込まないターゲット指定。短い詠唱。


「――ッ!」


 獣の様な唸り声に、その意識は引き戻される。


 視界の先、ビルとビルの隙間でその光景は繰り広げられていた。


 一人の少女を追い回す、いくつかのモンスター。その姿に見覚えはある。


 〈緑小鬼ゴブリン〉だ。

 その手に持つのは、自分の背丈ほどもある斧。そしてその斧は血と錆で汚れていた。それが、動物のものか、はたまたその少女のものかは、まだ分からない。


 少女は逃げ回ることに疲れたのか、壁に肩をぶつけるとそのままぺたりと座り込んでしまった。肩と頭はぐたりと垂れ下がり、地面を向いている。


 そこへ、〈緑小鬼ゴブリン〉の群れが迫る。数は多くはなかった。見える範囲で四匹。だが、決して少ないともいえない数である。


 それでも、


「――〈デッドリィ・スォーム〉!」


 Lv90にもなる〈冒険者〉の敵ではない。


 牽制にと唱えた魔法で、〈緑小鬼ゴブリン〉の群れが崩れる。少女に注意を向けていた先頭を歩いていた〈緑小鬼ゴブリン〉は魔法の直撃で大きく吹き飛ぶと、ごろごろと転がっていく。


 ――魔法が通用する。


 そんな実感に次いで襲ってきたのは恐怖だ。

 仲間が襲われたと理解できたのか、〈緑小鬼ゴブリン〉の群れは一斉にその視線をこちらへと向けてきた。鈍色の斧が、ぎらりと刃を向ける。


 人ならざる者から向けられる、明確な敵意。


 想像した事すらない、確実な未知の体験に足は今更になって震えてくる。


 一歩、もう一歩と〈緑小鬼ゴブリン〉の群れはその距離を詰めよってくる。


「……ぐ」


 逃げ出したくなる。このまま、何事もなかったかのようにアキバに戻りたくなる。そして、どこかに引きこもっていたくなる。


 でも――


「うあああああああ!」


 出来るはずがない。出来やしない。

 あそこで体を丸める少女を見捨てて、逃げるなんてできない。



『――お兄ちゃんはさ』



 かつての言葉が耳に届いたような気がした。


 だからだろうか。


 いや、気のせいだってことは分かっている。

 それでも。

 あのうずくまる少女の姿が、アレに見えてしまっていた。

 顔も合わせたくないと思っていた。言葉を交わしたくないと思っていた妹の姿と重なって見えてしまった。


「くそったれぇッ! 〈短時間召喚〉! 〈異次元の猟犬ティンダロス〉!」


 だから、なのか。だからと云って、なのか。

 自分でも明確な答えは分からない。


 単純に、分かるのは見えてしまった以上は放って置けるはずがない、と云う気持ちだけ。


 叫びと共に、宙に魔方陣が展開された。眩い光を放つそれは、ぐるりと回転すると、吐き出すように獣を顕現させる。


「いけ! あいつらを、ぶっ倒せッ!」


 遠吠えを一つ、威圧感を放つ猟犬が跳んだ。

 次の瞬間、音もなく〈緑小鬼ゴブリン〉の一体が崩れ落ちた。その喉元は食いちぎられ、歪な呼吸音を漏らしている。


 ようやくそれを理解できたのか、他の〈緑小鬼ゴブリン〉が一歩後ずさる。だが、それでももう遅い。再び跳んだ猟犬は、次の〈緑小鬼ゴブリン〉の喉元へと噛みつくと、そのまま引きちぎっていた。

 最後の一匹になった〈緑小鬼ゴブリン〉も逃げようと背を向けたが、猟犬のターゲットとなってしまった以上、逃げようはなかった。こちらへ背を向けたまま、猟犬へ跳びかかられ、悲鳴を上げる間もなく事切れた。


「……う」


 その光景に、嫌悪感が込み上げてくる。〈緑小鬼ゴブリン〉を倒したという達成感は、殆どと言っていいほど感じられなかった。

 役目を終えたと分かったのか、それとも〈短時間召喚〉によるものなのか、〈異次元の猟犬ティンダロス〉はこちらを一瞥し、大きな遠吠えをすると光の中へ消えていった。


 同じように〈緑小鬼ゴブリン〉の死体も、光と共に一瞬で消えていった。その場に残されたのは、いくつかの貨幣と〈緑小鬼ゴブリン〉が所持していたと思われるアイテム――要するにドロップアイテムだけだった。


「……」


 もやもやとする考えを呑みこむ。今はそんな事を考えている場合ではない。


 目の前には、へたり込む少女がいるのだ。彼女の安否を確かめるのが、ここに来た目的なのだ。


「……きみ、大丈夫?」


「あ……」


 息を漏らす様に小さく零した言葉が、どきりと胸を打った。


「怪我はしてない?」


「あ、はい……。大丈夫、です」


 か細く震えている声だった。まだ、先程の恐怖が残っているのだろう、と理由はすぐに察することが出来る。


「ここは危ないから、アキバに戻ろう。立てる?」


「は、はい。……あ、あれ。足に力が……」


「手を貸して」


「……はい」


 少女の手はひやりとしていた。ぎゅっと、掴んで、そのまま担ぐように引き上げる。


 そこで――


「……ん?」

「……え?」


 顔を上げた少女と目が合った。


「……んん?」

「……え、え」


 それは、見間違えるはずもない見慣れた顔。


「ま、まさか……」

「……お兄ちゃん?」



 ――こうして、俺達は異世界で再会してしまった。

勢いで書いた、後悔はしていない。

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