協力者と合流した少年と、追跡者に遭遇した少女
前回までのあらすじ
木林周は、事故車を運転していた男から奇妙なメッセージを託される。メッセージを読み取り、水杜葉月を捜索することにした周は、ひとまず事故現場に戻って、その周辺から彼女を探すことにする。
一方で、葉月は、自身に危険が迫っていることをつゆとも知らず、人通りの少ない街中で、のんびりと雨宿りしているのだった。
周は再び大雨の中を歩き、事故現場に戻った。
既に事故車両は撤去されており、ガードレールが破れた部分には、応急処置でコーンが三つ並べられている。
さて、この辺りで、家出した女が逃げ込みそうな場所となると、限られてくる。多分西側の、再開発地区の方だろう。あそこはいい感じに無秩序で、身を隠し易い。徒歩でもここから二十分ほどでいける。
そう当たりをつけて周が西向きに方向転換したそのとき、目の端に、怪しい人物がひっかかった。
黒いレインコートに身を包んだ男。
大雨警報区域に入ったために人通りがほとんど無いこの街中で、その男はなにやら、キョロキョロと当たりを見回していた。こんな日に、こんな場所で何をやっているのか、聞いてみたいものだ。実に怪しい。(実のところ、今こうして街中をうろついている周自身だって職質されても文句が言えないくらいに怪しい。警報区域内では住民の行動は制限されるからだ。)
周が思わず足を止め、その男の方をみるのと、レインコートの男がこちらを振り返るのは、ほぼ同時だった。
やばい。目が合った。
周がそう思ったときにはもう、男は、つかつかと、こちらに向かって歩いてきていた。
思わず身構えてしまった。
すると男は、懐から出した一枚の写真をみせて、こうたずねてきたのだった。
「えーと、君、この辺りで、こんな子を見なかった?」
見れば、その写真に写っているのは、今まさに周がさがしている人物、水杜葉月のものだった。またこいつの写真か。
周はなんとなくうんざりして、思わず口走った。
「こいつの写真を懐に入れて持つのが流行ってるんですか?」
「…え?何か言ったかい?雨ではっきり聞こえなくて…」
「……独り言ですよ」
黒いレインコートの男は、大矢と名乗った。聞けば、警察官だそうだ。手帳を見せてもらったが、あいにく周は、それが本物かどうかを見定めるための知識はなかった。
周は、水杜葉月を追っているものがある以上、この大矢という男に、自分が彼女を捜すように頼まれたことを話すのは、やめておいたほうがいいだろうと考えた。それに、水杜葉月の父親は、わざわざ通りすがりの高校生にすぎない周なんかに捜索を頼んだくらいだから、ひょっとしたら彼女が家出したこと自体、警察にも言わないほうがいいのかもしれない。そして何より、このレインコートの男こそが、“彼女を追うもの”である可能性があるのだから、滅多なことは言えない。
しかし、いくらか話をするうちに、周には、どうやら大矢が本当に警官らしいと思えてきた(根拠はなく、勘にすぎないのだが)。こうなれば、多少はこちらの情報を明かしてやってもいいかもしれない。うまくいけば、話と引き換えに、大矢の知っていることを教えてもらえるかもしれない。
雨音がうるさいので、ひとまず二人は、道の脇に停めてあった大矢の車に乗り込んだ。
周はまず、先刻ここで例の事故に遭ったことを話した。
「やあ、すると、巻き込まれた少年ってのは君だったのか。ホントによくもまあ、無傷だったんだね!」
「……はあ、おかげさまで」
「それで君は、なんでまた、大雨の中、わざわざここまで戻ってきたんだい?」
「あー、それは…」
一瞬、周は本当のことを言いかけたが、すぐに思いなおし、
「なんとなく、現場がどうなったか気になったんで。事故車両がどうやって処理されてくのか、見たかったんですよ」
と言って誤魔化した。
「はは、そうか。一足遅かったね。ついさっきレッカーが運んで言ったよ。」
「ああ、そうですか」
周は、一応、悔しいという素振りをしておいた。
「……それで君は、その運転手から、何か聞かされなかったかい?」
「……いいえ、何も。彼は口の中を切ったらしく、まともに話せる状態じゃなかったので」
「そうかね。救急車と警察が到着するまで、10分はかかったはずだから、何か話していてもおかしくないと思ったんだがね」
おあいにく様だ。あの男はその10分間、ホントに話せなかったのだ。もっとも、救急車が到着した後で、周は例の走り書きを託されたわけだが、今はそのことは黙っておくことにした。
「それで、」
と、今度は周の方からが切り出した。
「それで、この事故と、さっきの写真の女の子とは、何か関係があるんですか?」
「ああ、この写真の子は、例の運転手の娘さんでねえ。今朝、突然家を飛び出してしまったそうなんだ」
そこまでは周も知っている。あの男から渡された走り書きからも読み取れたからだ。だが、知りたいのはその先だ。
「でも、ただの家出少女捜索にしては大げさじゃないですか?観たところ彼女は、家出したところで、そこまで躍起になって捜さなきゃいけない年齢じゃないでしょう?」
周はそういって暗に、彼女を早急に捜し出さなければならない理由が他にあるのではないかと、探りをいれた。
走り書きにあった、“彼女を追うもの”の存在。これについて、この大矢という男は、何か知っているのではないかと考えたからだ。
周のこの問いに対し、大矢は一瞬、考えこむような表情でうつむいたが、すぐに顔をあげて、彼の方に向き直ると、改まった口調でこういった。
「よろしい。君はこの件について、僕に話した以上のことを知っていそうだね。君が僕のことを信用して、知っていることを全て話してもらうために、まずは僕の方からできるだけのことを話そう。どうかね?」
おっとと。やはりバレていたのか。周は、自分が隠し事は苦手なのだと、改めて自覚した。まあいいだろう。
「話が早くて助かります。まどろっこしいのは苦手なので」
周は屈託なくそういうと、ニッと笑って見せた。
「ははは、よろしい」
それを見て大矢は苦笑した。
×××
「まず、僕の立場から話すとしよう。君は、僕が本当に警官かってことから、疑っているみたいだからね」
「はい。正直いって、そのレインコートは不審者にしかみえませんよ」
「あはは。職業柄、しょっちゅう警報区域で活動するからね。壊れやすい傘をさすよりも、これを着てるほうが機能的なんだよ。」
なるほど。近頃はハイテク素材のレインコートも出回ってるし、傘にこだわる必要もないのかもしれない。
いや、そんなこと今はどうでもいい。周は話の続きを促した。
「それで、あなたの所属は?」
コートの性能を自慢したかったらしい大矢は、やや間をもって応えた。
「ああ、ESP関連特務だよ」
「……!」
ESP特務だって?
周は思わぬ単語を聞き、少なからず驚いた。
大矢は話を続ける。
「その反応を見るに、君は水杜葉月が何者なのか、知らないようだね」
「……どういう意味です?まさか」
「彼女は、国内有数のESPなのさ」
周はそれをきいて、自分が、思ったよりも厄介な事件に巻き込まれたのだと理解しつつあった。
「それじゃあ、あなたは…」
「ああ。あの娘の警護役にして、監視役みたいなものさ」
「……」
ESPといえば、今、世界各国(特に先進国)が躍起になって研究している、人類未踏の領域のことである。主に人間の脳の潜在能力を引き出す研究分野を指して、ESPベンチャー、ESP研究などと呼ぶのが一般的だ。しかしその手法や理論、目的は、研究者によってまちまちであり、はっきりとした定義はない。
そもそも、その研究が科学的に成り立つのかどうかを疑問視する声が多くあり、各国の機関も、手探りのような状態で研究しているのが現状だ。
では、何故そのような曖昧で怪しいものが、大々的に研究されるようになったのか。
それは、各国首脳が、ESPという存在について、「無視できない程度に重要である」と考えざるをなくなる、奇怪な事件が起きたからである。
通称“B.B事変”と呼ばれるその一件以来、ESPを育成し、制御し、管理することが、国防上の急務であり、政治、経済のパワーバランスを左右する鍵になるという認識が広がったのだ。
周は上述のような、自分のもつESPに関する知識を呼び起こして、話を整理すると、大矢にこうたずねた。
「じゃあ、あなたは本来、水杜葉月をマークしてないといけないんですね?」
「まあ、そうなるね」
大矢は頭をかきながら、罰が悪そうに応えた。
この様子を見る限り、彼はどうやら警護対象の水杜を見失ってしまい、困っているようだった。
「ちなみに、水杜葉月はどの程度に監視が必要なレヴェルのESPなんですか?」
「なに、彼女は自由なほうさ。外出先を事前に届け出れば、たいていの場所には自由に行き来できる。今回みたいな場合を除いてはね」
「……?どんな場合なんです?」
「おいおい、ここは今、警報区域内なんだよ?」
「ああ。忘れてたわ」
「君ねえ…。体力に自信があるようだけど、少しは気をつけたまえよ?」
大矢は呆れ顔でそういった。
警報区域では、市民の行動は制限される。区域内では、用のない市民は外出を控えなければならない。
それは、市民の安全を考えた行政措置であり、普段から回覧板やテレビなどで徹底的に呼びかけられている。
三週間前にこのあたりが警報区域に指定された時には、周の学校でも、再三注意事項を聞かされた。警報の結果、夏休みが少々早く訪れることになったのは良かったものの、外出制限のために遊びまわれないのは、周のような若者達にとって苦痛であった。
まあつまり、今日のように雨が弱めの日には、遊びに出ない手はないというわけだ。周は外出制限をうやむやにして時々遊び歩いていたので、この街が警報区域内にあることを忘れかけていたのであった。
「すると今回、彼女は届出無しに、無断でこの地域に?」
「いや、そういうわけでもないんだよ。彼女の父親はあらかじめ、娘を伴ってこの街を訪れることを届け出ていたからね」
「ええ?それなら何故、彼女を見失うことになったんです?」
「迂闊だったよ。父親の車に乗っている彼女に、道中で何かあることは無いだろうと思って、僕は署から直接、目的地に行ってたんだ」
「……それって警護の意味あるの?もの凄くずさんでお粗末に聞こえるんだけど」
「ぐッ……。仕方ないじゃないか。警護といったって、ESPをとっ捕まえて、どうこうしようなんていう連中はそういないだろうしさ。大体、お偉いさんは、ESP一人一人にばっちり警備をつけようなんて、気は最初から無いんだよ、費用がかかるから。何かあったときに言い訳が立つように、俺みたいな若いのを一人だけ割り当ててるのさ」
「まさか、警護と監視を一人で?!」
「ああ。無理のあるはなしだろ?これ、本当なんだぜ?」
「あんたが休みの日はどうすんの?」
「ノーガード、ノーマーク作戦」
「世間ではそれを作戦とは言わないんだよ!!!」
「おっしゃるとおり。面目ない」
「それで、何であんたはこの事故現場に来たの?」
「事故の知らせを受けて、飛んできたのさ。でも、車に乗っていたのは父親だけだと言うし、どうなっているやら……」
×××
「さて、次は君が話す番だ。僕はかなり洗いざらい話したつもりだから、君にも是非そうしてもらいたいね」
大矢は言った。
周はこれまでの話を総合的に吟味した結果、どうやら大矢が信頼に足るようだと判断したので、知っていることは全て話すことにした。
水杜葉月の父から走り書きが記された写真を託されたこと。
それと、彼がしゃべれないような怪我をしながら、必死で何かを訴えていたこともだ。
メモ書きの内容を大矢に見せると、彼の疑問は一つ解消された。
「なるほど。彼女は道中で、車を飛び出していってしまったんだね。それにしても家出とは…。やっぱり反動かねえ」
「反動?」
「ああ。警護についてる僕からみると、彼女の暮らしぶりは、実に窮屈そうなんだよ。毎日学校の後は塾や習い事で、友達と遊んだりする暇も無いみたいなんだ」
「それは……俺だったら発狂しますね」
毎日、学校をホドホドにサボりつつ、遊び歩いている周とは正反対の暮らしぶりだ。
「それにしてもこの、“彼女を追うもの”というのはなんなのだろうね?」
周は、大矢が自分と同じところに引っ掛りを感じているのをみて、先刻の考えに確信をもった。
水杜葉月は現在、何者かに追いかけられており、すぐに保護する必要があるのではないか。
周はこの考えを、思い切って大矢に話してみた。
「まさか……いや、しかし…」
大矢はそれを聞いて、しばしの間、何かを考えている様子だった。
周は先を促す。
「大矢さん、彼女を追うものの存在に、心当たりがあるんじゃないですか?」
やがて大矢は、重々しく口を開いた。
「よくあるデマかもしれないが、この街に、気象テロ組織のメンバーが出入りしているかもしれないという情報が入っている」
「気象テロ?でも、あんなものは、ただの噂でしょう?異常気象は、環境破壊のせいだ。人為的に竜巻や嵐を起こすなんて……」
「そのとおり。現在の技術では気象テロは不可能さ。せいぜい環境破壊の責任を、でっち上げた木偶人形に擦り付けているにすぎない。だが…、」
「だが?」
「だが、ただの噂を、現実のものにしようとしてる奴らもいる。気象テロという、歪んだ神業を実現するために、暗躍している狂信者さ」
「そんな奴らがこの街に?でも、何の為に?」
「ESPだよ」
「…!」
「例えば、ESPの優秀な演算能力をもって、気象現象のダイナミックな動学系を解析することができたなら、あるいは天気を操ることは可能かもしれない」
「そんなばかな!解析できたところで、それを操るなんてこと、できるわけが…」
「そうかな?気象は非線形の系なんだ。君はバタフライ・エフェクトという言葉を聞いたことがあるかい?」
「っ!まさか…」
「そう。カオスは、『初期値に対して鋭敏』なんだよ。もしもカオスを完全に解析できるならば、蝶の羽ばたき程度のそよ風で、ハリケーンを起こすことが可能かもしれない」
×××
「急いで彼女を探さなければ」
大矢は車のエンジンをかけながらそういった。
「西部の再開発地区に向かうんですね?俺も行きます」
周はシートベルトを締めながらそういった。
「おいおい、一般市民の君が……」
と言い掛けて、大矢は途中で言葉を切った。
周の頑なな態度をみて、説得に応じることは決して無いだろうと、諦めたのだ。
それに大矢としても、この辺りの土地勘がある周が居たほうが、何かと助かるだろうという、合理的判断もあった。
大矢は助手席に周を乗せたまま、車を街の西へと走らせた。
×××
ボロい雑居ビルの入り口のところで雨宿りしていた葉月は、表の細い道に、一台の車がやってくるのを見つけた。
家のものが連れ戻しに来たのかと思い、一瞬身構えたが、それは見覚えの無い車だった。
その車――黒いセダン――は、ビルの前の、猫の額ほどに狭い駐車スペースにつけて停まった。
やがて、後部座席から一人の男が出てきて、葉月に対してこういった。
「水杜葉月さんですね?私はESP特務の者です。あなたを保護します」
唐突にそういわれた葉月は、早くも自分の家出が頓挫しかかっていることを察知したが、悪あがきの時間稼ぎで、適当な言葉を選んでいった。
「いつもの担当の…大矢さんはどうしたんですか?」
「彼はあなたを見失ってしまったために、私達に応援を頼んだのです」
「そうですか。でも私はいま、保護は必要ありません。それでは!」
葉月はなんとかして、さっさとビルの前を去ろうとしたが、後部座席から出てきたもう一人の男に通せんぼをされた。
「実は、あなたのお父さんが交通事故に遭われたのです。幸い、お怪我は軽いのですが、あなたを迎えにいってほしいと…」
「…!」
これを聞いて、葉月の心は揺れた。父が事故?怪我?
葉月はしばしの沈黙とともに立ち止まっていたが、やがて車の方に向かって歩き出した。
「わかったわ。病院に向かってください」
それをみて二人の男は満足そうな顔でうなずき合い、それぞれもとの座席の側にまわった。
と、不意に葉月はきびすを返して走り出し、ビルの中へと駆け込んでいった。
二人の男は一瞬呆然とそれを見送っていたが、慌てて彼女を追いかけようと飛び出したのだった。
すると、助手席からもう一人の男がでてきてこう叫んだ。
「バカ!追うのは一人でいい!お前は裏口を見張ってろ!俺はここで入り口を見張ってる!」
飛び交う怒号を背に、葉月はビルの階段を駆け上がっていた。
葉月は、決して家出を続行するために逃走しているのではなかった。
彼女の脳の、無意識的な演算の部分が、危険信号をならしていたのだ。
彼女の察知した違和感を言語化すると、以下のような感じになる。
・後部座席に二人も乗っているのは、弱小部署であるESP特務の車にしては不自然。
・むしろ、葉月を後部座席の真ん中に押し込んで、拉致するのに都合がいい。
・「保護する」といったり、「父の病院に連れて行く」と言ったり、言動が曖昧。
・その他、男達の挙動、気配、においが、警官らしくない。
これらの点を考えて、彼女は身の危険を感じたため、大人しく彼らに従うふりをしてから、ビル内に逃げ込んだのだった。