第1章:グリッチの街
ネオ足利シティの夜は、ネオンの奔流だ。ビルの谷間に光の川が流れ、広告スクリーンが脈打つ。株価、仮想通貨、転生レート――コーデックス・システムが吐き出す数字が、2075年のこの街を動かす心臓だ。だが今夜、その心臓が不整脈を起こしている。スクリーンにグリッチが走り、数字が一瞬、意味不明なフラクタルに化ける。通行人が足を止め、ざわめく。誰も口にはしないが、皆が思う。「またバグかよ」。
私は路地裏の廃サーバー前にしゃがみ、ニューラルジャックを古びたポートに差し込む。脳裏にデータストリームが流れ込む。違法ハックはいつもの仕事だ。コーデックス・システムの表層アクセスをちょろまかし、仮想通貨を数ミリ秒で抜く。名前は凪、27歳。元カルト信者、現ハッカー。誰も信じないし、誰も必要じゃない。
「動け、クソコード」と私は呟く。システムのセキュリティが私の侵入を嗅ぎつけ、ファイアウォールが蠢く。だが、この程度は朝メシ前だ。指先でホロキーボードを叩き、バックドアをこじ開ける。仮想通貨が私のダミーウォレットに流れ込む。1000クリプト、悪くない。だが、スクリーンのグリッチが悪化する。ネオンの川が赤黒く染まり、ビルの光が点滅。街が喘いでいる。
「やばいな」私はジャックを抜き、立ち上がる。路地の出口でドローンの羽音が響く。光の教団の追っ手だ。あのカルトは、システムのバグを「神の啓示」と崇め、街の金融を握りつつある。教祖のミカ――自称アマテラス――は、私の古巣のボスだ。彼女の光ドローンは、違法ハッカーを「異端者」として狩る。
ドローンがレーザーサイトを私の額に照らす。だが、路地のサーバーパイプを蹴り、冷却液の霧を撒く。視界が濁り、ドローンが混乱する隙に、私は裏路地へ滑り込む。心臓がうるさい。教団の追跡は執拗だ。ミカは私が裏切ったことを許さない。14歳の私を洗脳し、「神の使徒」と呼んだ女だ。彼女の声が脳裏に蘇る。「凪、光の道を歩め」。吐き気がする。
路地を抜け、雑踏に紛れる。ネオ足利のメインストリートは、カオスそのもの。浮浪者がバグったホロ看板に祈り、オタクが転生ガチャのガジェットを弄る。転生ループ――コーデックス・システムの核心機能だ。死んでもリスポーン、記憶は断片的だがスキルは引き継ぐ。日本はリスポーン率が高く、転生者が強い。システムのバグか、誰かの意図か。誰も真相を知らない。GM(管理者)はとっくにいなくなった。
スクリーンにミカの顔が映る。金色の瞳、アマテラスの光を模したドレス。信者たちは「教祖様!」と叫び、膝をつく。私は舌打ちする。彼女の演説が始まる。「光の教団は、コーデックス・システムの真の継承者です! 金融の混乱は、神の試練。信じる者に富と永遠を!」
嘘だ。ミカはシステムの表層アクセスを握り、市場を操る。信者の寄付は彼女の私財に流れる。だが、彼女ですら、システムの深層――転生やバグの全貌――には触れられない。私もだ。ハックで食いつなぐ日々、真相に迫るたび、システムは牙を剥く。
演説中、スクリーンが再びグリッチ。ミカの顔がフラクタルに溶け、奇妙なノイズが響く。群衆がざわつく中、私は路地の端末にニューラルジャックを再接続。バグの痕跡を追う。データストリームに、通常のコードと違う断片が混じる。解析すると、暗号化されたログだ。解読に数秒、脳が熱を持つ。
ログの内容に息を呑む。「次元交流許可プロトコル」「試練:全神話統合」。意味不明だが、システムのコアに関わる。もう一つ、別のログ。「観客席より:人間の争いはポップコーンに合う」。署名は「アマテラス=ロキ」。冗談か? 神話の神々が同一存在? 別次元から覗いてるだと?
背後でドローンの羽音が再び。教団の追っ手が追いついた。私はジャックを抜き、ログを暗号化して脳内ストレージに隠す。路地を駆け、雑踏に飛び込む。ネオンの川が赤黒く脈打ち、グリッチが街を侵食する。金融市場が喘ぐ音が、まるで神の嘲笑みたいだ。
私は知っている。このカオスは始まりにすぎない。ミカの教団、他の偽GMたち、信者の盲信――誰もシステムの全貌を知らない。だが、私は追う。真相を、たとえそれが私を焼き尽くしても。
どこか、別の次元。フラクタル神殿の観客席に、影が揺れる。金色の瞳、雷の冠、蛇の笑み――神話の神々は同一の顔を持つ。アマテラス=ロキ=ゼウスが、ホロスクリーンにネオ足利の混乱を映す。「ミカの演説、悪くないね」とロキが笑う。「バグを推し活に使うとは」とアマテラスが頷く。「だが、あのハッカーは?」ゼウスが問う。凪の逃亡がスクリーンに映る。
「試練の駒だ」と神々は囁く。「次元交流の鍵を握るか、グリッチに喰われるか。賭ける?」「ポップコーンを追加で」とロキが笑う。神殿の光がフラクタルに揺れ、観客席は静かに拍手する。