獣の爪
数刻前……
「アーヴィング隊長、ヨハン神父からの伝言です!
使徒を直ちに起動せよとの命令が!」
カビ臭い港の倉庫の扉が開き、部下達が心底焦った表情でズカズカと入ってくる。
「はぁ……そうか」
ここに陣取ってからはや3日。わざわざ使徒まで用意してやったというのに。あの神父の体たらくはなんだ。
獅子の解放を後押ししていると言っても過言ではない愚行に、私は心底辟易していた。
「……晩酌の途中なんだがね。後にしてくれないか?君ィ」
「ですが隊長!今の契約が不完全な状態を叩くしか、今の私たちに勝ち目はありません!」
「そんなことは解っている!」
仕方なく、私は酔いが回りかけている思考を巡らせ、対応策を考える。
確かに獅子はまだあの小娘と契約したばかりだ。襲撃するなら今しかない。あれは私がこれまで見たどんな兵器より恐ろしく、悍ましいものだったからな……しかし、ヤツはどうも信用ならん。あの薄ら笑いを思い出すだけで両頬とも殴ってやりたくなる。
「隊長!ご決断を!」
しかし、煩わしい不出来な部下の喚きを聞くのもそろそろ飽きてきた所だ。
「隊長!」
「わかった。使徒を起動させ、神父もろとも抹殺しろ」
「神父ごと…ですか!?」
「ヤツは元より原理派の人間だ。私たち神枢機関とは相容れないからな。こちらに牙を向けるのも時間の問題だろう」
そう言い、私は上着を脱ぐ。そこにあるのは醜い生身ではなく、完全に機械化され、美しく銀色に光る機械の身体だ。
「まったく、この美しさが解らぬとは……つくづく哀れな男だ。人間の身でいくら研鑽を積んだ所で、所詮は脆く醜い肉塊よ」
男はそう吐き捨てると、機械化された右腕の一部分を開く。
そこに表示されたパネルに起動パスワードを打ち込む。
『Gott ist tot. Du bist schöner als alles andere.』
「さぁ立ち上がれ!機神に遣わされし使徒たちよ!
主が願いを成就するために!」
その仰々しい文言と同時に、倉庫に格納されていた自械使徒達が糸で吊られたように立ち上がり、一斉に駆動を始める。その数5機。
頸のないマネキンに、何の皮肉か貫頭衣を着せた外見のそれは、民家を破壊し、街灯を薙ぎ払い、月明かりに照らされている海を背景に、目標を殲滅せんと歩きだした。
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僕たちの前に、依然として立ちはだかる神父。彼は圧倒的な質量差に怯む素振りもなく、ただ柔らかい笑みで、グリモアールを眺めている。
「おお、これは素晴らしい。やはり血の繋がりは、何事にも代えがたい結束の証だ」
僕は相手の余裕綽々な態度にカチンと来て、
「だいたい、あんたはなんでそんなに余裕なの?
日曜朝のノリなら、巨大生臭神父にでもなって襲って来そうなもんだけど!」
暫しの沈黙。
「あれは私では扱えない。いくら肉体を磨き上げ、究極の一になったとしても、究極の千には及ばない」
その問いで、神父の顔が少し歪んだ気がした。
訳のわからない返答に、僕は得体の知れない不気味さを感じずにはいられなかった。
「……!とにかく!恨みっこなしなんだから!」
神父に向かって、グリモアールの腕を振り下ろそうとした瞬間。
「後ろッ!」
マギカネットワークにより、機体とリンクしている脳内に響く、鬼気迫るリオの声。
グリモアールが自動で急速旋回し、そのまま家屋の間を縫うように跳ね飛び、距離を取った。
「あれ…何?」
私達のグリモアールとほぼ同じ巨体を持つ……頸のない天使。そう形容するしかないそれは、神父の佇んでいた民家を真っ二つに切り裂いた。その手に握られているのは、十字架を象った長刀。その切っ先には、確かに……赤い血が滴っていた。
「あんたら…仲間ごと…」
しかし、仲間を切ったという罪悪感は微塵も感じ取れない。存在はずのない視線が纏わりつく感触を覚え、全身に悪寒が走る。
そして一体だけではない。宵闇に紛れていた純白の天使達が、ぬらぬらと一機ずつ現れていく。
天使達は何者かに吊られているような挙動で刀身を拭い、私達の方向に目掛け、一直線に突進を開始した。
「ママ!避けないと!」
「ッ……!ダメ!」
ここから先は住宅街。下手に動こうモンなら確実に大量の犠牲が出る!
それなら……
「……突っ込むわ。行ける?」
彼女に投げ掛けた問いに対する、ほんのコンマ数秒の間。そこには少しの不安と、己を奮起させようとする意志が感じ取ることができた。
「ママが望むなら。なんだってできるよ」
その言葉に込められた意味。私は契約の最中、記憶の断片の中でそれを垣間見た。
グリモアールは獅子そのもの、いや……『最強の獣は斯くあるべき』という執念が造り出した、百獣の王の具現。なら……!
「そんなほっそいナマクラ10本束ねたってッ!僕達の爪牙には爪楊枝同然なんだから……ッ!」
グリモアールが一瞬にして光を帯び、その両腕に魔方陣が幾層にも渡って展開されていく。それに呼応するように、私の身体に浮かび上がる、夥しい数の爪痕。
「伽藍堂の殺し方。あんたらに教えてやるッ!!」
続かせます()