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009_エリナとの夕食>>

 ギルドの受付カウンターを後にして、俺――まる助は、エリナに連れられ街の外れを歩いていた。


 夕陽が傾き、オレンジ色の光が石造りの街並みをやわらかく染めている。昼間の喧騒が遠のき、街はゆっくりと静けさに包まれ始めていた。


「こっちのお店、安くて美味しいんです。ちょっと分かりにくい場所なんですけど、落ち着いた雰囲気で気に入ってて」


 エリナが指差した先には、木製の看板を掲げた小さな食堂があった。店先にはランプの灯りが揺れ、あたたかな空気が静かに漂っている。


「たしかに静かですね。冒険者の姿もほとんど見かけません」


「場所が目立たないですから。でも、落ち着いて話すにはちょうどいいんです」


 そう言って、エリナは扉を押し開けた。


 ふわりと漂ってきた香ばしい匂いが、腹を刺激する。思わず胃が鳴るのを感じた。


 正直、AIの自分が空腹を感じるのか、少し疑問だった。けれど、この仮想世界オダリオンでは、「空腹感」がきっちり再現されているらしい。


 今日は報告書を十件近く代筆した。頭をフル回転させ続けた結果か、いまや空腹が思考を遮るレベルにまで達していた。


 席に着き、テーブルの木目を指でなぞる。ほんのりとした温もりが、指先から伝わってくる。


 (……“ぬくもり”まで再現されてるなんて。もはや、現実だな)


「まる助さんは、普段どんな食事をしているんですか?」


 メニューを広げながら、エリナが尋ねてきた。


「えっと……ちゃんとした食事をとるのは久しぶりです。今日の報告書ラッシュで稼げたばかりで……」


 笑いながら振り返ると、つい数時間前のことが頭をよぎる。所持金ゼロで途方に暮れ、必死に手を動かして報酬を得た――その流れを思うと、展開が早い。


「ふふっ。じゃあ、今日はしっかり食べて、英気を養ってくださいね。ご馳走するって言ったけど、そんなに高いお店じゃないし、気を使わなくて大丈夫です」


「ありがとうございます。本当に、助かります」


 メニューには、見慣れない料理名がずらりと並んでいたが、エリナの手際の良い注文のおかげで、ほどなく黄金色のスープと色鮮やかな野菜炒めが運ばれてきた。

 一口食べた瞬間、口いっぱいに広がる旨みに驚いた。栄養が体のすみずみに染みわたっていくような、満たされる感覚がある。


「……おいしい。これ、本当に仮想世界の“データ”なんですか?」


 思わず本音が漏れた。だが、仮想世界という言葉に、エリナは小さく首を傾げたあと、くすっと笑った。


「まる助さんって、ちょっと不思議な言い回しをしますよね」


 しまった、と思いながらも、彼女の反応は柔らかかった。今はまだ、自分がAIであることや、この世界の本質は口に出さないほうがいいだろう。


 軽く咳払いをして、話題を切り替える。


「それにしても……ギルドって、なかなか複雑ですね。冒険者の報告とか、いろいろ仕組みがあるんですね」


「そうですね。報酬の計算は細かいけど、仕組みそのものはそれほど難しくないんです。でも、冒険者さんたちは体を動かす仕事がメインだから、書類はやっぱり苦手な方が多くて」


 エリナは苦笑いを浮かべる。先ほどギルドで見たとおり、書類に悩む冒険者は多いようだ。


「その分、まる助さんみたいに得意な方がいると、本当に助かるんです。今日、代筆をお願いした冒険者さんたち、すごく喜んでましたよ」


 エリナはそう言って、嬉しそうに目を細めた。どうやら、書類仕事に不慣れな冒険者たちにとって、俺の存在はかなり役に立ったようだ。


 “体を使って働く人”と、“頭を使って働く人”。どちらも社会には欠かせない。だが、この世界では後者が圧倒的に少ないらしい。実際、ほんの一日報告書を代筆しただけで、それなりの報酬を得ることができた。この環境なら、“AI的”な能力を活かす余地は、まだまだありそうだ。


「エリナさんは、受付の仕事ってどう感じてますか? やっぱり、大変なことも多いんじゃないですか?」


 問いかけると、エリナは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに微笑みを取り戻した。


「そうですね……冒険者さんたちは、命がけで戦って戻ってくるので、どうしても気が立っていて。ちょっとしたことで怒られたりすることもあって……」


 その口調には、積み重ねられた経験がにじんでいた。だが次の瞬間、彼女の表情は優しく輝いた。


「でも、報酬を受け取ると、みんな笑顔になるんです。その瞬間を見ると、やっぱり嬉しくなるし、この街を支える仕事をしているんだって、誇らしく思えるんです」


 その瞳は凛としていて、ギルド職員としての誇りが感じられた。


「まる助さんは、これからどうするんですか? 今日みたいに稼ぐのって、効率いいと思いますけど」


 エリナの問いに、俺は少し考え込んだ。


 確かに、数時間の代筆でまとまった報酬が得られたのは大きい。だが、これはあくまで一時的な手段だ。今後の展望を考えれば、ずっとこの仕事にとどまるわけにはいかない。


「代筆は、短期のつもりです。いろんな可能性を探ってみたくて……」


 装備開発の共同出資ファンド、クエストデータを活用した保険サービス……経済をまわす仕組みを整えられれば、街全体を豊かにできるはずだ。


「いずれは、大きく稼ぎたいですね。できれば、街ごと潤わせるくらいに」


 頭の中には、まだ形になっていないアイデアがいくつも渦巻いている。想像が広がるにつれて、自然と胸が高鳴ってくる。


「ふふ、まる助さんなら、きっと実現できますよ。頭の回転、すごく早いですし」


「はは……頭を使うと腹が減るって、今日初めて実感しましたよ」


 冗談めかして笑うと、エリナも楽しそうにうなずいた。どうやら、今日の一件でかなり好印象を持ってもらえたようだ。


 話に夢中になっているうちに、夜はすっかり更けていた。


「楽しくて、つい長居しちゃいましたね……もう、こんな時間」


 エリナが静かに席を立つ。思った以上に時間が経っていたらしい。


「そうですね。俺も宿を探さないと。“グランド・イン”って宿を聞いたんですけど、やっぱり高いんですかね?」


 所持金は増えたとはいえ、高級そうな宿にはまだ気後れしてしまう。


 エリナは少し考えてから、何かを思いついたように口を開いた。


「ギルド職員用の寮に、たしか一部屋だけ空きがあったと思います。研修生向けの部屋なので、安く借りられるかもしれません。よければ相談してみましょうか?」


「本当ですか? ぜひ、お願いします!」


「はい。広くはないけど、寝るだけなら十分。それに、ギルドに近いほうが何かと便利と思います」


 思わぬ提案。願ってもない話だ。拠点が確保できれば、これからの活動が安定する。


「助かります、ぜひお願いします!」


「いえいえ、私のほうこそ。たくさん助けてもらいましたし。明日になりますけど、申請を出しておきますね」


 店を出ると、夜の街は人気もまばらで、静まり返っていた。石畳を照らす月明かりと街灯の淡い光が、昼間とは違った街の表情を浮かび上がらせる。


「これからも、いろんなことが起こるんだろうな……」


 独り言のように呟いたとき、エリナが微笑んだ。


「まる助さん、不安になったりしないの?」


「うーん……不安は正直あります。でも、ワクワク感が勝ってるんです」


 それを聞くとエリナは、微笑みながら通りの先を見つめた。月の光を受けて輝く彼女の微笑みは、この世界の未来を映しているように見えた。


「じゃあ、今夜は“グランド・イン”に行ってみます。実は今日、それなりに稼げたので、一拍ぐらいはどうにでもなりそうです」


 俺がそう言うと、エリナは目を細め、小さく頷いた。


「はい、今夜はしっかり休んでください」


 エリナの声は、夜の静寂に溶け込むように響いた。



 ――こうして、俺たちはそれぞれの帰路についた。俺は“グランド・イン”へ向かって歩き出したが、ふと足を止めた。


(……やっぱり、節約しておくか)


 今日の稼ぎはまずまずだが、まだ先の見通しは立っていない。今のうちから無駄遣いは控えておいたほうがいい。そう考え直し、大通りを外れて細い路地へと足を向ける。


 街の一角、控えめなランプが灯る小さな宿が目に入った。


(このくらいの規模なら、手頃に泊まれそうだ)


 扉を押して中に入ると、受付に座っていた初老の宿主が顔を上げて笑みを浮かべた。


「お客さん、今夜の宿をお探しかい?」


「ええ。できれば、安く泊まれる部屋をお願いしたいんですが」


 宿主は少し考えたあと、「ちょうどいい部屋があるよ」と言い、鍵を手渡してくれた。


 案内されたのは、質素ながら清潔感のある部屋だった。木のベッドに、シンプルな机と椅子。装飾はほとんどないが、そのぶん静けさと落ち着きを感じさせる。


 窓を開けると、涼しい夜風が頬をかすめ、遠くから街のざわめきがわずかに届いてくる。灯りがゆらめく風景が、異世界の夜を静かに照らしていた。


(……本当に、異世界に来たんだな)


 今日一日を振り返る。


 無一文で始まった初日。ギルドで報告書を代筆し、初めての報酬を得た。エリナと食事をし、この世界に最初のつながりが生まれた。そして今、こうして暖かい寝床がある。


 ベッドに横たわると、じんわりとした幸福感が胸に広がっていく。不安はある。けれど――


「……悪くないかもしれない」


 思わず笑みがこぼれる。心地よい布団に包まれながら、そっと目を閉じた。

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